2024年2月11日(主日)ミサのお説教 ファイファー神父
【小野田神父】愛する兄弟姉妹の皆様、今日は2024年2月11日五旬節の主日です。
今日、アジア管区の管区長からの特別のミッションで、ファイファー神父様M.I.の無原罪の聖母の騎士会の特別講話会に来てくださいました。ですから今日はファイファー神父様にお説教をお願いします。
神父様のお説教を聞く前に、主日のお知らせがあります。来たる水曜日2月14日は灰の水曜日です。カトリック教会の掟によれば、満18歳から59歳までのすべての健康な男女の信者はこの日に大小斎を守らなければなりません。また成人に達しない人でも、14歳以上の健康な信者は小斎を守る義務があります。また教会の掟によると、少なくとも年に一度はご復活祭のころに御聖体を拝領するという掟もあります。ご復活祭の義務です。御復活祭のころというのは日本では、四旬節第一主日から三位一体の主日までと規定されています。
2月14日灰の水曜日は、守るべき義務の日ではありませんが、しかしこの大宮のお御堂では朝の7時とそれから夕方の6時30分から、灰の儀式とミサが予定されています。
では、ファイファー神父様のお説教を聴きましょう。
【ファイファー神父】
私はアジア管区のシュテーリン神父様のアシスタントとして、アジア管区で無原罪聖母の騎士会の指導の役割をしています。今回は日本に始めて来て、この役割を果たそうとしています。
多くの皆さんはすでに無原罪聖母の騎士会の会員となっておられると思いますが、皆さんの精神をまたもう一度また活性化させて、そして多くの方をまた、この会員に招くことができるようにするために、いま話をしています。
マリア様は優しい御母であってあわれみの御母であるのですけれども、本当に軍隊というものを持っているのでしょうか?
聖書によると、特に旧約聖書そして新約聖書によっても、天主はしばしば万軍の主、つまり軍隊の主と呼ばれています。イザヤの第六章によれば「ビジョンを見た」と、イザヤによると「天の玉座に座る万軍の主なる天主が、天使たちによって讃美され礼拝されているのです。天使たちが地を見ると、地は主の栄光で満ちている」とあります。特にイザヤは、わたしたちがいつもミサでいうように"聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主なる天主!”と、万軍の主なる天主が 天使によって讃美されていることを話しています。そして地に向かっては、「主の栄光に満ちている」と言っているのです。
聖ルカの福音によると同じようなビジョンがあります。主が生まれたときには、天が開けて天使たちの軍勢が見え、そして「天使たちは天のいと高き所に天主に栄光あれ」といいます。これはイザヤと全く同じです。そして地については、栄光にみちているとはいわずに、「地には善意の人々に平和あれ」といいます。全ては、この天の究極のところ、この完全性に、聖性の頂点に根差している――そして平和というのは、天主の栄光と喜び、幸福にあります。天を見ると主の栄光に満たされており、そして地を見ても天主の栄光に満たされていますが、なぜ地が栄光に満たされているのかというと、主のものすべては主のほうへと向かって行かなければならないからです。
ではこのような美しい描写になんで”軍隊”が入ってくるのでしょうか。その理由というのはどこにあるのでしょうか。”軍隊”というのは守るためにあるのではないでしょうか。敵を倒すためにあるのではないでしょうか。敵とは誰でしょうか。――敵があります。なぜかというと、聖書によると「敵の悪魔の妬みによってこの世に罪が入り、罪によってこの世に死が入った」とあるからです。
そしてなぜこの美しい計画に“戦い”があるのでしょうか。なぜかというと、天主の力によってすべてが上にあがらなければならないところを、ルチフェルが、その別の力がこれを妨害しようとするからです。天の軍勢の中でその主将であったルチフェルは特別な能力を持っていたのでしょう、その天主の計画を知りながらも、ルチフェルは悪魔は非常に賢く、天使たちの3/1を自分のほうに引き寄せて、その計画を破壊しようとすることに成功しました。
ルチフェルは天使たちを使って天主に対して戦いを挑みます。そして「その戦いの後でルチフェルは地上に投げ捨てられた」とありますが、しかし彼らは人類の1/3ではなく、大部分を自分のほうに引入れてしまいました。わたしたちの太祖アダムとエワを自分のほうに引入れ、人類のほとんどを自分の味方につけてしまいました。ですから聖書では主は「だれでも罪を犯す者は罪の奴隷である。」と言っています。そしてイエズスさまはファリザイ人たちに対しては、「お前たちの父は悪魔であって、そして悪魔は嘘の父である。」と言っています。
こうしてルチフェルは、天使たちの3/1を、人間たちはその大部分を、自分のほうへ引き寄せて、そして天主の栄光にたどり着かせないようにしています。大天使聖ミカエルに引入れられる天主のほうにつく天使たちと、ルチフェルにつく1/3の天主に逆らう天使たち!この戦いです。
ではいったいどんな“戦い”を行っているかを見てみましょう。
どのような戦いかというと、天主の聖性に向かって登りあがろうとする者を誰かがそれを引きずり降ろそうとする、その戦いです。霊的なものに上昇しようとするその力とそしてそれを物質的なものに引きずり降ろそうとするその戦いです。純潔に潔いものへと上がっていこうとするか、あるいは不潔で汚いものへと下げようとする者との戦いです。
またこれは義と不義との戦いともいえるでしょう。義というのは、天主をすべてのものの上に置いてそれに天主の御旨に従うこと、しかし不義というのはそれに逆らって天主に不従順であること、です。天主は、この戦いを見捨てることなくこの戦いに戦いを挑みます。罪と不義に対して戦いを挑みます。
智慧の書によると、「天主は不義があれば、義を置く。罪があれば聖なるものを置く。」とあります。ソロモンは不義に対して義があると言っています。罪人に対して、そして悪魔に対して、その対立するものとして天主は人となって天から地上に降りて来られました。イエズス・キリストが置かれました。イエズス・キリストは悪に対する対立として、そして征服者として来られます。
聖ヨハネ・ユードによると詩篇73の表現をとても面白い解釈をしています。その73章12節には「御身は地のど真ん中において救いをもたらされた」とあります。聖ヨハネ・ユードによると、この悪魔によって征服され汚されたこの地上のど真ん中に、敵の陣地の真ん中に、特別に汚されなかったものを置いて、そこから救いをだされた。これは何かというと、無原罪の御孕(やど)りであって、マリア様のことだと言います。
さらに創世記3章15節によれば、天主は、マリア様についてすでに予告をしていました。それにはどう書いてあるかというと「わたしはお前つまり蛇・悪魔と女との間に、お前の蛇の種と女の種との間に、敵対を置く」と。そして蛇には「お前はこの女の踵を噛むであろうが、しかし彼女はお前の頭を踏み砕くだろう。」と言ったことが書かれてあります。
そこで天主はサタンにたいしても戦いを挑みます。不義の頭であるルチフェルに対して、義を置きます。その義というのは、御子であって、御子が十字架につけられることであって、そして不義に対して対立します。敵が動くならば天主も行動します。もしも敵がアダムとエワを奪ってしまうのならば、天主は新しいアダムと新しいエワを対立として置きます。
天主はすべてを予見していて、すべての戦いにおいてどのようにすればよいかを予見しました。そしてすべての不義の人々に対立するものとして無原罪の御孕(やど)りを置きました。
まずルチフェルはエワを誘惑します。天主はそれに対抗して無原罪の御孕(やど)りを立てます。ルチフェルは天使たちを取り込むとすると、天主は大天使聖ガブリエルを置いてそしてお告げを御子のご托身を対立として置きました。天主はいいました。天主がこのような言い方をするのは非常に珍しいのですけれども、「わたしはお前つまり蛇・悪魔と女との間に、お前の蛇の種と女の種との間に、敵対を置く対立を置く、憎しみを置く。」
(このように)聖書の言葉によると、この種という言葉を使います。種というのは多くあるということです。しかし勝利をおさめるのは唯一の方であるキリストですけれども、しかしその勝利は多くあります。悪魔たちの種、多くの者たちがともに戦うという意味で、種があります。
天主は、「悪があるところに善を置く」というそのやり方をどこでもつかいます。エワが敵にとられたならば、新しいエワつまりマリア様を置きます。そして、もしもエワを悪魔が堕落した天使が誘惑するならば、聖なる天使ガブリエルを送ってマリア様にお告げをさせます。そして悪魔の種が出るのならば、女の種つまり種というのはキリストのことですけれども、しかし同時に種というのはたくさんあるものですから、キリストに一致する多くの人々のことを意味しています。
そこでこうして私たちは、天主が女の種を使って、つまりキリスト、そしてキリストと一致している多くの人たちを使って、多くのことつまり軍隊を使って蛇の頭(かしら)を踏み砕くという計画を見ました。そしてこの軍隊はキャンペーンをします。つまり地上から天に昇って主を讃美します。そしてこれは、この罪に対して戦うキャンペーンの軍隊です。
わたしたちは信仰を得て洗礼を受けたことによって、キリストと一致しています。キリストと一致することによって、女の種と一致することになります。つまり軍隊に組み込まれたものとなります。わたしたちは不義と闘わなければなりません。そして不義と不義の人というのは何かというと、それは無信仰のことであり信仰のない者たちです。これは何を意味するかというと、私たちはかれらを信仰へと導いて霊魂を救うようにしてあげなければなりません。わたしたちは、隣人の霊魂を救うのみならず、わたしたち自身の霊魂をも救わねばなりません。ところで今現代カトリック信者たちは、霊魂を救うということを、考えることさえしなくなっています。
もしもわたしたちが救霊ということを考えたら、そしてその現実に立つのならば、そして自分の霊魂を救ってしかもそれを聖なるものとしようとするならば、わたしたちはどうしても戦いに入らなければなりません。
ではこのわたしたちが戦いに入るその戦場とはいったいどこでしょうか。それは東京ではなくて、私たちの霊魂に、その戦いの場所があります。天主によってつくられた私たちの霊魂を守ることです。
皆さん、今日もう少し、マリア様・私たちの元后・私たちの母であるマリア様について、考察する時間を取りましょう。そして、どうしたら私たちはもっと勇敢にそして効果的に霊魂を救い、そして聖化することができるか、戦うことができるか、ということを考察いたしましょう。
そこで今日講話がいくつかありますが、そのときにもしも皆さんが参加出来たらぜひ参加なさってください。わたしたちはこの女の種に加わり、この悪魔の種と女の種との戦いに参与しようとしています。それに皆さんが加わってくださればよいと思います。
皆さんのなかにはすでに無原罪聖母の騎士会の会員になっている方があって、そしてこの戦いに参加している方がいらっしゃると思います。今日の予定は、午後に二つの講話があります。それからそのあとで、もしも会員であれば会員の更新をいたします。無原罪の聖母の騎士会の更新があるのです。なぜかというと、この会員になるのは非常に簡単なのですけれども、その会員になったことを忘れるのはもっと簡単なのです。そして会員としてなすべきお祈りをしないのも、非常に簡単なのです。ですから私たちは更新をします。そしてなぜかというと私たちが会員になって一番大切なのは、そのマリア様のものとして行動することであるからです。
わたしたちの最も必要な本質的なものは私たちがマリア様に自分を奉献すること、そしてマリア様のものとなる――マリア様の道具となることです。マリア様に属することです。が、これを一度奉献しただけでなく そのままほったらかしにしておくのではなくて、その奉献を生き続けなければなりません。それを実践しなければなりません。
そこで、二つ皆さんにご質問したいと思います。これはその核心にかかわることですけれども、皆さんは不思議のメダイを身に着けていらっしゃいますか?…
第二の質問は、皆さんは聖母の騎士会の祈りを毎日少なくとも一回唱えていますか?…
私がフィリッピンでの統計を取ったところ、聖伝ではない方々にも聖母の騎士会に入会するように勧めているのですけれども、聖伝でない方々については不思議のメダイを身に着けてそしてその無原罪聖母の騎士会のお祈りをするという二つをしていらっしゃる方々いる人は1%から9%にすぎません。しかし聖伝のチャペルにいる信者さんたちにおいては、およそ40%から90%はちゃんと身に着けて無原罪聖母の騎士会のお祈りをしています。
皆さんが持っているその戦いの武器というのは、普通の武器ではなくて皆さんの制服つまり不思議のメダイです。
ですから不思議のメダイをいつも身に付けていてください。これは皆さんの戦いの中にいるというイメージであって、マリア様が皆さんの戦いにおいて助けてくださるという約束です。マリア様はけっして約束を破らない、その約束です。
それからもう一つ聖母の騎士会の祈りがあります。大阪では皆さんと一緒に唱えたとき、18秒かかりました。この小さい祈りですが、しかしこの祈りは悪魔のサタンの頭を踏み砕く祈りです。ですから皆さんがその祈りを言うたびにその蛇の頭を打ち砕いています。皆さんがたとえ18秒だったとしても、それを毎日一年365日唱えるならば、それは一時間の祈りとなって、一時間の間、悪魔の頭を踏み砕くことになります。そしてマリア様はさらにそれを多くの恵みを皆さんのもとに送ることができるようになります。もしも皆さんが365人の方々がこの祈りを一日一回18秒唱えるならば、毎日一時間の祈りが悪魔の頭をたたきます。もしも聖なる人がお祈りをするなら力がありますけれども、365人の人々が一緒に祈るというのは、特別の力があります。
わたしたちは今戦いの中にいますけれども、戦いというのは皆さんの霊魂と天主の間にあります。悪魔は皆さんを探してくるので、皆さんが悪魔を探す必要はありません。しかし悪魔が探しに来たとしてもマリア様が皆さんの助けになってくださいます。
ですからマリア様のほうに向いて、そしてマリア様の助けを求めましょう。マリア様はわたしたちを聖化してくださいます。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。