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「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」結論とあとがき

2024年02月05日 | カトリックとは

「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」

The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers

ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著

結論

教会に差し迫った危機に対する警鐘の最初の叫びの一つであり、今日、熱狂的な盛り上がりを見せていると多くの学者が信じているものの80周年記念日に本書が出たのは、おそらく偶然ではないでしょう。ブラジルのサンパウロのカトリック・アクションの大司教区委員会の当時の会長だったプリニオ・コレーア・デ・オリヴェイラによる1943年の著書「In Defense of Catholic Action」です。この著作の中で、このカトリック指導者は、新近代主義や左翼主義の誤謬が教会に広く浸透していることを糾弾しました。

当初から、私たちは、…この悪は、非常な巧さと、技術と、勧誘能力の高さで広まっていることを指摘していた。
したがって、カトリック内部が全般的に無警戒な雰囲気の中、私たちは皆の注意を喚起するために警鐘を鳴らす必要があった」(181)。

このような初期の進歩的な提案と、シノドスの道の推進派が提示する提案との間に親和性があることは容易に見て取れます。

教理的な分析に加え、プリニオ・コレーア・デ・オリヴェイラは、これらの誤謬がカトリック信者の間で具体的にどのように教え込まれ、活されているかに特に注意を払い、それらと執拗に闘いました。

彼の逝去以来、「聖伝、家族、財産を守る会」(TFP)とその姉妹団体は、彼の著書「共産主義国家における教会の自由」に関して、当時の神学校・大学聖省長官ジュゼッペ・ピッツァルド枢機卿が署名した表彰状に記されているように、「教会の最高教導権の最も忠実にまねた声」となることだけを望んだ創立者の闘いを続けてきました。

ここで分析されているシノドス計画は、教導権が繰り返し非難した古い異端を取り上げるものであり、パウロ六世が言及した自己破壊の仕事をさらに進めています。したがって、教会や聖なる位階階級、キリスト教文明に対する愛が、TFPと姉妹団体に、このシノドス改革の誤謬を告発するという必須の義務を果たさせるのです。

過去数年間、彼らは一連の広範な取り組みを通して、この義務を可能な限り果たそうと努めてきました(182)。本書はこの路線に完全に沿ったものです。

教会の母である聖母に懇願しましょう。天主の御子の神秘体が醜くなるのを許すことなく、その反対に、聖母がファチマで約束された「最後に私の汚れなき心は凱旋するでしょう!」の復興を早めてくださいますように。

Adveniat regnum Christi! Adveniat per Mariam!
キリストの御国の来らんことを! マリアを通して来らんことを!


あとがき

この文章は、2023年6月20日にローマで発表された「討議要綱」(Instrumentum Laboris: IL)以前のシノドスに関する文書に基づいて書かれたものである。ILは、この研究が述べていることの根本的な何かを変えるのだろうか?どうやらそうではないようだ。それは、このシノドプロセスが何年もかけて進めてきた方向性を確認し、それが提起する当惑や懸念を増大させているだけである。

「討議要綱」は、シノダリティが「ダイナミックなプロセス」(No.18)であり、教会の構造と教導権を変えることによって、教会の新たな「構成的なシノドス制の次元」(No.23)を構築しなければならないという仮定から出発するものであることを確認している。

この文書の精神は、教皇フランシスコが打ち出した「逆ピラミッド」としての教会という考えを再確認するものであり、それによって、位階階級は「天主の民」全体との終わりのない協議のプロセスの中でその権威を行使することになる。この「協議」のクレッシェンドの間に、彼らは新しい時代に教会を適応させるために制度的、教義的な変更を行うだろう。

この文書の唯一の目新しさは、シノドスのプロセスが聖霊の自然発生的な実りであり、聖霊降臨のような現象であると(ナイーブなまでに)主張していることであるが、実際には、バチカン、司教、一部の教会関係者、そしてごく少数の信者の間で協議が行われ、複雑な官僚的メカニズムから生み出されている。「討議要綱」によれば、このメカニズムは、参加者に真の「驚きの感覚」(No.53)を引き起こし、それは喜ばしい「驚き」(No.17)であったと主張する。信者の幅広い参加ということを著者が強調しているのは、ある種の不安を示している。実際、本研究で報告されているように、大多数の信仰を実践しているカトリック信者は、ほとんど、あるいはまったく関心を示さなかったという数多くの報告によって、それは裏付けられている。

教皇フランシスコが2015年に開始したシノドスのプロセスを当初から追ってきた者なら、その方向性について「驚き」や「不思議感」を抱くことはないだろう。当初から、シノダリティを教会の「構造的な次元」とする意図は明らかだった。もちろん、すべての変化がドイツのシノドスの道のような強引さ、さらには横暴さをもって直ちに起こるわけではない。その代わり、徐々に変化していくだろう。

中立的な論調ではあるが、「討議要綱」は少なくとも二つの点でドイツ・シノドスの道の主張を採り上げている。第一に、聖職者の性的虐待の危機に対する救済策としてシノドスを提示している。第二に、脱キリスト教化した現代社会に事実上存在する新しい形の「道徳」を受け入れること、さらには教会の道徳的教えを一般的な文化に適応させるために修正する可能性さえも、民衆の願望の表れとして示している。

彼らはこれらすべてを、「天主の民」全体のシノドス協議の結果としての要求として提示している。しかし、カトリック教会に足を運ぶ一般信徒が(残念ながら)減少していることを知る者にとっては、「討議要綱」のテーゼが満場一致で信徒の意思を表現しているとはとても思えないだろう。信徒は、「教会のあらゆるレベルにおける」統治、意思決定、宣教、宣教に「参加」することを切望しているようには見えない(No.B 2.3)。私たちは、何十年にもわたるロビー団体や小さな「関与する」少数派――彼らは、いくつかのケースでは、教会の官僚機構を占拠してしまった――の主張を、広域に広がる求めとして見せかけようとした神秘化に直面しているだけではないだろうか?

「討議要綱」はその序文で、「決定的なガイドラインを作成することは難しい」と断言しており、それはローマの総会、そして最終的には教皇に委ねている。とはいえ、これらの総会での議論を導くための基準を設けるつもりであることは隠さない。しかし、「討議要綱」によれば、「決定的なガイドライン」に到達するにはまだ長い道のりがあり、それは、高く評価されている「ダイナミック・プロセス」方式(No.18)のおかげで達成されることになるだろうとされている。

そのため、教皇は総会を二つに分割することで、人々の心の準備に時間をかけ、その間に教会がまだ十分に到達していないとされる成熟を「自らの会堂的存在として成長させる」(No.43)ことができるようにした。

「討議要綱」は、「共に歩むとは、誰一人置き去りにしないこと」(No.B 1.1)(183)と述べているが、実際には、「離婚して再婚した者、一夫多妻婚の人々、LGBTQ+のカトリック信者」(No.B 1.2 a)のみに言及しており、毎年増え続けるパリ・シャルトル巡礼【聖伝のカトリック信者たちによる巡礼のこと】に参加する一般の人々など、カトリックの現場で広く目にする他の現実は省かれている。


「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」第六章 でこぼこ道 B 当惑 C 「ローマ式」妥協に向けて?

2024年02月05日 | カトリックとは

「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」

The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers

ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著

第六章 でこぼこ道

B 当惑
92.教皇の反応は当惑を起こしますか。
93.バチカン当局者たちの反応は当惑を招きますか。
94.シノドスの過程の期間中に異端的な提言をしたことで処罰された人はいますか。
95.この寛大さは教皇フランシスコの他の態度と対照的でしょうか。
96.カトリック信者は心配していますか。

C 「ローマ式」妥協に向けて?
97.バチカン当局者と教皇フランシスコの発言に矛盾はありますか。
98.この作戦を説明できるでしょうか。
99.こうして私たちは、一種の妥協へと向かっているのでしょうか。
100.シノドスの過程が最終的な結末に至った場合、どのような教会になるのでしょうか。

B 当惑

92.教皇の反応は当惑を起こしますか。

はい。「Synodaler Weg」を支持しているように見える教皇の他の発言や態度と矛盾しているように見えるからです。

教皇フランシスコの「Weg」批判を注意深く分析すると、その批判は本質よりもむしろ方法に言及していることが分かります。教会を改革したいという願望に問題はないようです。

いずれにせよ、教皇は「Synodaler Weg」に希望を抱いています。

(ドイツの司教団は)慈悲深く、悪意はありません。しかし、なんと奇妙なことでしょうか! 彼らのやり方は、効率化の努力を基本的なこととしています。
…しかし、皆さんは忍耐強く、連絡を取り続け、これらの人々が真のシノドス的な道を歩むのに同伴し、よりエリート主義的なこの道が悪い結末を迎えることなく、教会に一体となるよう助けなければなりません。人は常に団結するよう努めなければなりません(160)。

93.バチカン当局者たちの反応は当惑を招きますか。

はい。例えば、シノドス総括報告者のオロリッシュ枢機卿は、上に引用した文書では「Weg」の要求に反対しているように見えますが、英国のバチカン専門家エドワード・ペンティンによれば、同性愛に関する教会の教えの見直しを求め、既婚男性の司祭叙階を支持し、女性の叙階にも寛容であると宣言しています(161)。

クロアチアのブログ「Glas Koncila」とのインタビューで、同枢機卿は女性の叙階に関するヨハネ・パウロ二世の教導権に公然と疑問を呈しました。それが変わる可能性はあるかと問われ、枢機卿はこう答えました。「時が経てば、あります」。「これは不可謬の考えではないのですか」とジャーナリストは訪ねました。このルクセンブルク人枢機卿(オロリッシュ枢機卿)は、「不可謬と呼べるかどうかは分かりません。おそらく呼べないでしょう」と答えました。彼はまた、同性愛者に貞潔を求めるカトリック教会のカテキズムの教理を非難しました。「他人に貞潔を呼びかけることは、他人にエジプト語を話すようなものです」。彼はこう締めくくりました。「同性愛を『本質的に秩序を乱すもの』と呼ぶ教えの部分は、少し疑わしいと思います」(162)。

似たようなことは、「Synodaler Weg」批判派に怒りをぶつけた司教シノドス事務総長のマリオ・グレック枢機卿についても言えます。同枢機卿は、このような批判は「何の役にも立ちません。両極化がさらに進むだけです」(163)と言います。このマルタ人枢機卿は、「Weg」への批判は「公の糾弾」を超えるものではないと言います(164)。彼は「Weg」への支持を隠していません。「私はドイツのカトリック教会、司教団を信頼していますし、彼らが自分たちのしていることを理解していると信じています」(165)。

注意すべきことは、この2人の枢機卿は、シノドスの職務を担っているため、当然ながら、教皇のもとで、次のシノドス総会で重要な役割を担うことになるだろうということです。

94.シノドスの過程の期間中に異端的な提言をしたことで処罰された人はいますか。

いいえ。例えば、ロバート・マッケルロイ枢機卿がイエズス会の雑誌「アメリカ」に寄稿したつまずきを与える記事に対して、バチカン当局から叱責がなかったことは驚くべきことです。一方、オロリッシュ枢機卿は、同性愛に関する教会の教導権を変更する必要性についてつまずきを与える発言をした後にもかかわらず、シノドス総括報告者という決定的な役割に任命されました。さらに言えば、彼はいわゆるC9(教皇フランシスコに直接助言を与える枢機卿の選抜グループ)に含まれていました。

フランスのバチカン専門家ジャン=マリー・ゲノワはこうコメントしています。

バチカンは(「Weg」を)見守っているが、主導権を失っているようだ。教皇フランシスコは、ドイツの教会が道を踏み外さないよう警告している。しかし、不思議なことに、教皇フランシスコは、今後予定されているローマ教皇庁の「シノダリティ」に関するシノドスの「総括報告者」という重要な役職に、ドイツのシノドスの…方向性を支持する高位聖職者を任命した。…
…教皇は仲裁者ではない。昨年9月、ブラチスラバで会ったスロバキアのイエズス会士にこう打ち明けたように、教皇は改革の側にいるのだ(166)。

2022年後半、教皇の立場に近いバチカン専門家ジョン・アレンは次のように書いています。「フランシスコはドイツの過程の設計者(立役者)の誰に対しても懲戒処分を下しておらず、少なくとも今のところは事態の推移を見守ることに満足しているようだ」(167)。

フランドル地方の司教団が同性愛カップルのための「祝福の儀式」を承認したことに関しても、似たようなことが起こりました。これはバチカンの宣言と矛盾するものですが、「教皇フランシスコはこの措置を支持も反対もせず、地元の司教が決定することだと指摘しましたが、彼らは結束を保たなければならないことを強調しました」とアントワープのヨハン・ボニー司教は述べています(168)。

シノドス総会の前段階のためにローマから送られた「大陸ステージのための作業文書」では、女性やLGBTの人々を含めることなどが、最も急進的な派閥の行動計画(アジェンダ)として明確に提起されています。

95.この寛大さは教皇フランシスコの他の態度と対照的でしょうか。

はい。「Weg」推進派、それが正統性と教会の規律に最も反する人々であったとしても、彼らに対する制裁の欠如は、教皇フランシスコの他の場面での断固とした態度とは対照的です。教皇フランシスコは、司祭たちや一人の枢機卿に対して、ためらわずに解任、時には破門、さらには還俗処分を行っています。多くのアナリストは、なぜ今回も同じような態度をとらないのかと不思議に思っています。

ステファノ・フォンタナ教授が指摘するように、バチカンは場合によって二つの矛盾した態度を取ります。容易に権限移譲に転じるか、中央集権を権威主義に直行させるかです(169)。「Weg」推進派は前者から利益を得ているようです。

96.カトリック信者は心配していますか。

はい、とても心配しています。「ザ・ピラー」誌はこうコメントしています。

「シノダリティに関するシノドス」がカトリックの教理を軽んじたり、カトリックの教理から逸脱したりするための一種のトロイの木馬だと主張するカトリック信者の恐れ。
フランシスコは、そのナラティブを押し返そうと努力している。
(しかし)一部のカトリック信者に対して、マッケルロイは今週、それを確認し、そのことをもってシノドスの過程全体について信者には不安があることを確認したように見えた。フランシスコがこの決定に反応するかどうかは、まだ分からない(170)。

これまで見てきたように、教皇フランシスコは今日に至るまでこの件に関して何も語らず、混乱を増大させています。死の直前、ジョージ・ペル枢機卿はこうコメントしました。

以前は(標語は)こうでした。「Roma locuta. Causa finita est」(ローマは語り、問題は解決)。今日はこうです。「Roma loquitur. Confusio augetur」(ローマは語り、混乱は拡大)。
(A)ドイツのシノドスは、同性愛、女性司祭、離婚した者の聖体拝領について発言しました。教皇は沈黙しています。
(B)オロリッシュ枢機卿が性に関するキリスト教の教えを否定しています。教皇は沈黙しています(171)。

シノドスの指導者たちがティモシー・ラドクリフ神父を自分たちの霊操の説教者に招いたため、いくつかの文書で批判されている進歩的な立場をバチカンが暗黙のうちに受け入れているという印象がさらに強くなっています。このドミニコ会の前総長は、「異端的な立場と、とりわけ教会内での同性愛を認めることを支持する活動で知られていました」(172)。前の2人の教皇は、これらの立場のために彼を遠ざけていました。

C―「ローマ式」妥協に向けて?

97.バチカン当局者と教皇フランシスコの発言に矛盾はありますか。

はい、その通りです。

教皇の意見は絶えず揺れ動いており、ある注意深い聖座アナリストは強い言葉で「大いなる欺瞞 great deception」と表現しています。カトリック・ニュース・エージェンシーのアンドレア・ガリアルドゥッチはこう書いています。

教皇フランシスコがこの「大いなる欺瞞」に何らかの形で加担したことは認めざるを得ない。まず、ドイツ教会のシノドスについて、教皇は何度か懸念を表明したが、その後、シノドスのテーマのいくつかが、教皇によってさまざまな形で、さらには矛盾した形で再提案された。…
この曖昧さの連続、状況と行動の区別の連続の中で、教皇の考えは不明確であるか、いずれにしても定まっていないように思われる。そして、そこに「大いなる欺瞞」を実行する可能性が忍び込んでいるのだろう。教皇がそれを自覚しているのか、それともただ誠実に行動しているだけなのかは分からない。私たちはただ、この状況に注目するだけである(173)。

教皇フランシスコは「Synodaler Weg」を批判していたはずなのに、それを支持したと言って信者を惑わせたと、ドイツ司教団を非難する者もいます。これまで見てきたように、状況はかなり混乱しています。「欺瞞」はドイツ司教団側だけに存在するのではありません。当時のヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が同性愛に関する文書の中で述べた批判を、シノドスの主役たちに当てはめることができます。「彼らの公の声明と彼らが推進する活動を注意深く調べると、彼らが司牧者と信者を惑わそうとする、研究された曖昧さが明らかになります」(174)。

この矛盾をどう説明すればいいのでしょうか。この曖昧さは意図的なのでしょうか。背後には何か意図があり得るのでしょうか。少なくとも仮説や分析基準として、この可能性を挙げないわけにはいきません。

98.この作戦を説明できるでしょうか。

実際、歴史家が革命と呼んでいる「教会とキリスト教文明の衰退」という歴史的過程を研究する者なら誰であれ、しばしば過激派と穏健派の間で弁証法的な駆け引きがあって、前者は後者にとって画期的なパイオニアとなったことに気づきます。

代表作である「革命と反革命」の中で、プリニオ・コレーア・デ・オリヴェイラは、革命の過程には二つの速さがあると説明しています。急進的な熱血派に代表される高速派と、一見穏健派に見える派閥で構成される低速派です。この二つの速さは調和しており、それぞれが特定の役割を持ち、一緒になって革命の過程を推進するのです。

より急速な運動は無益だと言われるかもしれないが、そうではない。このような過激派の爆発は基準を高め、固定した目標を作り出す。その目標の急進性そのものが穏健派を魅了し、穏健派はゆっくりとその目標に向かって前進する。…
…次に、過激派の失敗は、単に見かけ上のものでしかない。彼らは革命の前進に間接的に、しかし強力に協力しており、「慎重な」、「穏健な」、平凡な無数の人々を徐々に引き寄せていくのである(175)。

「Weg」の最も極端な主張を否定することで、一見穏健に見えるものの破壊転覆的な教会改革を進めることが可能になり、その改革が現時点ではもっと受け入れやすく見えるのではないか、と考えるのは正当なことです。

「Weg」推進派自身は、そうやって普遍的な過程に影響を与えたいと宣言しています。「Weg」の主導的な声である神学者ユリア・クノップはこう書いています。「(ドイツのシノドスの道が提案した)これら15のテキストによって、ドイツのカトリック教会は、重要かつ緊急に必要とされる改革のステップを支持する声を上げました。とりわけ、この基本テキストは、(普遍的な)教会の議論に挑戦し、中長期的に前進させるものです」(176)。

私たちはこの最後の言葉、「中長期的」に注目します。最も見識のある「Weg」推進派は、目先の勝利を目的とするのではなく、中長期的に深遠な改革を開拓したいと考えているのです。

99.こうして私たちは、一種の妥協へと向かっているのでしょうか。

そのように思われます。バチカンと「Synodaler Weg」推進派が衝突しているように見える背景に、隠された意図が潜んでいることを示す観察者もいます。彼らは「ア・ラ・ロマーナ」、つまり中途半端な解決策で妥協したいのです。

このことはルイゼラ・スクロサーティが、「La Nuova Bussola Quotidiana」の中で、ゲオルク・ベッツィング司教の言葉を引用して、述べていることです。「教皇とドイツ人は対立しているが、妥協の余地あり」と題された彼女の記事の中で、スクロサーティ博士は、この議論が内容そのものについてというよりも、ある結論に達するための方法についてのものであることを示しています。「離教の危険性については、ベッツィング司教は離教の可能性を否定し、逃げ道を示しています。『私たちは互いに話し合い、互いに妥協しなければなりません』。少しローマ流に言えば、独身制に譲歩すれば、女性の司祭職を求める動きが収まるかもしれませんし、同性カップルを祝福することに青信号を出せば、同性愛に対する教理上の承認がなくなるかもしれません」(177)。

教皇フランシスコは「対話」と「調和」を盛んに訴えてきました。いまや有名になった2023年1月25日のAP通信とのインタビューで、教皇は「Weg」を「イデオロギー的」で「エリート主義的」だと批判しました。それでも彼は、「私たちは忍耐強く、対話し、真のシノドスの道を歩む人々に同伴しなければなりません。…この、よりエリート主義的な(ドイツの)道が、何らかの形で悪い結末を迎えず、…教会に一体化されるように、手助けをします」(178)。

言い換えれば、いったん彼らの「イデオロギー的」で「エリート主義的」な性格が取り除かれれば、ドイツの「Weg」の提案は教会に「一体化」され、準備文書と国際神学委員会の研究の両方に概説されている「真のシノドスの道」に貢献することができるというのです。

一部の過激な主張が否定されれば、教会を「民主的に」改革するという問題は残ります。ベッツィング司教が次のように認めているように、それはドイツの司教たちが最初から望んでいたことです。「フランシスコはまた、インタビューの中で、緊張を和らげなければならない、現在進行中のバチカン世界シノドスに私たちの問題を含めるべきだ、と語っています。まあ、これは私たちのオリジナルな内容です。これこそ私たちが望んでいることです」(179)。

これらのことから、バチカン専門家の首席であるサンドロ・マジステルはこんな見出しをつけました。「ドイツのシノドスは教会全体を感染させている」。「Weg」の「エリート主義」的性格が改善されれば、「既婚司祭から女性司祭まで、新しい性道徳や同性愛道徳から教会統治の民主化まで、避けられない要求の数々」を進めることが可能になる、とマジステルは述べています(180)。

100.シノドスの過程が最終的な結末に至った場合、どのような教会になるのでしょうか。

仮に、「Synodaler Weg」やシノドス総会のいくつかの提案のみが承認されただけだったとしても、ましてやその提案がその最終的な結果をもたらすことになったとしたら、カトリック教会の変化はあまりにも大きく、私たちの主イエズス・キリストによって創立された聖なるローマ・カトリック使徒継承教会の姿のままであろうかと、正に問うことができるようなものになってしまうでしょう。


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