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【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・ 続き

2024年02月02日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

(これは「【質問】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・ 」への答えの続きです。)

 セペール枢機卿(Cardinal Seper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(in Georg May, Gefahren, die der Kirche drohen, St Andrae-Woerden, Mediatrix, 1990, p.27)。

 現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。

【教皇様】

 教会の危機は、教会の最高の権威まで浸透しています。第二バチカン公会議後の教皇様たちご自身が、少なくともヨハネ・パウロ二世の統治下に至るまで、この危機を維持させていました。それは、

(1)近代主義の神学者を擁護することによって

(2)カトリック信仰と相容れない意見や行動を教皇様ご自身がなすことによって

(3)カトリック信仰を本当に擁護しようとする人々の仕事に障害をおくことによって。


【ヨハネ二十三世の責任とは?】
 ヨハネ二十三世(在位1958年ー1963年)は、「アジョルナメント(現代化)」のスローガンのもとに、現代のリベラル精神を教会内部に持ち込み、見境もなく大変革をおこさせた第二バチカン公会議を招集した教皇でした。


 公会議を招集したそのこと自体よりも、どのような目的とどのような精神で第二バチカン公会議を招集したかが問題とされます。公会議開催の「開会演説」(1962年10月11日)でこう宣言しています。

「誤謬は生まれては太陽の前の雲のように消えていくもの」だから、誤謬に対して何も断罪をしなくても、自然に消えていく、昔は教会は誤謬に対していつも反対し断固たる態度を取ってきたが、「現代は、キリスト教の花嫁である教会は、厳しさの武器を取るよりは、むしろ慈しみの薬を用いて癒そうとしてる。断罪するよりは、自分の教えの豊かさにより強調をおくことによって、よりよく現代の要求に応えると教会は考えている。もちろん、警戒すべき、そして避けるべき偽りの危険な教えや意見がないわけではない。しかしこれら全ては、誠実という原則にあまりにも明らかに対立し、あまりにも悪い実りを倦んでいるので、今日、人々は自分自身でそれを排斥し始めているように思われる。」(公会議解説叢書6『歴史に輝く教会』(南山大学監修334ページ参照)

 そこで、ヨハネ二十三世は「人類社会の現状を見ては破壊と災難しか見ることができず、過ぎ去った世紀と比べて現代はただただ悪い方に向かってしまったと言い続けて・・・あたかも世の終わりが近づいたかのように、常に災いしか予告しない不運の預言者には私は絶対に賛成できない」(『歴史に輝く教会』330-331ページ)とし、何もせずとも悪は自然に消えてなくなるので、楽観的平和主義を貫くことを第二バチカン公会議で宣言したのです。


 このナイーヴな見方は、現実とはほど遠いものでした。何故なら、イスラーム、プロテスタント主義、仏教などは数世紀にもわたって存在する誤謬でしたが、それ自体で「太陽の前の雲のように消えて」いったわけではありませんでした。その反対です。カトリック教会がその誤謬を排斥するのを拒否したがために、それらはますますその勢いの広がりを見せています。


 カトリック教会内についても、ヨハネ二十三世の楽観的な見解に反して、真理は光り輝くどころか、むしろ無数の誤謬がますます広がる一方でした


 更に、ヨハネ二十三世は第二バチカン公会議の議事規定に反して、以前ローマがその異端説のために排斥した神学者たちを少なくとも3名、公会議顧問として任命しました。


【パウロ六世の責任にはどのようなものがあるか?】

 教皇パウロ六世(在位1963年ー1978年)は、ヨハネ二十三世の死後第二バチカン公会議を継続させ、リベラル派を明らかに支持しました。パウロ六世は、新たに4名の公会議の運営委員(moderatores)を設定し、「中道派のアガジャニアンと、進歩派のレルカノ、デフナー、スーネンスなどの枢機卿」(『歴史に輝く教会』294ページ)を任命しました。レルカノ、デフナー、スーネンス枢機卿たちはリベラルで大変有名な人々でした。


 1965年12月7日、公会議閉会の演説においてパウロ六世はこう宣言しています。


「"人間となった天主"の宗教は、『自らを天主とする人間』の宗教(なぜならこれも宗教のひとつですから)と出会いました。何が起こったのでしょうか。衝突でしょうか。紛争でしょうか。排斥でしょうか。これらが起こり得ました。しかし、これらはありませんでした。良きサマリア人の昔の話が公会議の霊性のモデルでした。すなわち、限りない好感が公会議全体を侵略しました。人間の必要を発見し(そしてこの地上の子がますます自分を偉大とするに従って、この必要はますます大きくなるのです)それが私たちの会議の注意をまったく奪い取りました。現代の人間中心主義者 humanistes である皆さんも、少なくともこの功績を公会議に認めてください。あなた方は最高の諸現実の超越性を放棄していますが、私たちの新しい人間中心主義を認めることを知りなさい。私たちも、誰にもまして人間を礼拝する le culte de l'homme ものなのです。」(『歴史に輝く教会』 p444)


Religio, id est cultus Dei, qui homo fieri voluit, atque religio - talis enim est aestimanda - id est cultus hominis, qui fieri vult Deus, inter se congressae sunt. Quid tamen accidit? Certamen, proelium, anathema? Id sane haberi potuerat, sed plane non accidit. Vetus illa de bono Samaritano narratio excmplum fuit atque norma, ad quam Concilii nostri spiritualis ratio directa est. Etenim, immensus quidam erga homines amor Concilium penitus pervasit. Perspectae et iterum consideratae hominum necessitates, quae eo molestiores fiunt, quo magis huius terrae filius crescit, totum nostrae huius Synodi studium detinuerunt. Hanc saltem laudem Concilio tribuite, vos, nostra hac aetate cultores humanitatis, qui veritates rerum naturam transcendentes renuitis, iidemque novum nostrum humanitatis studium agnoscite: nam nos etiam, immo nos prae ceteris, hominis sumus cultores.

第2バチカン公会議とはおよび
◎公会議に参加した教父たちは、公会議が革新であったと主張する
「マニラの eそよ風」157号
を参照のこと)

 パウロ六世のこの態度については、聖ピオ十世がその最初の回勅『エ・スプレミ・アポストラトゥス』で言った次の言葉と比べることができます。

「全ての手段を使って、全ての努力の代価を払っても、私たちが生きている現代に特有のこの化け物のような厭わしい邪悪、つまりそれによって人間が天主に取って代わるという邪悪を完全に根こそぎにしなければならない。


 聖ピオ十世は同回勅で「反キリストに固有の特徴」として「呼ぶべき名前もないほどの無思慮をもつ人間が創造主の地位を横領し、天主の名前を持つ全ての上にそそり上がろうとする。それは、それ自体では「天主」という概念を完璧に消し去ることができないが、天主の御稜威のくびきを振り払い、自分自身のために目に見える世界を神殿であるとして奉献し、自分の同類たちから礼拝を受けようとする程である」と言っています。


 これを見ても分かるように、パウロ六世は「私たちが生きている現代に特有のこの化け物のような厭わしい邪悪、つまりそれによって人間が天主に取って代わるという邪悪」に対して責任を放棄して戦おうとせず、かえってそれに限りない好感を持ち、パウロ六世自身も誰にもまして人間を礼拝するものであると言っているのです。聖ピオ十世とは全くの対極に立つ態度です。

 パウロ六世の人間中心主義は、人類が月面に到着した時、人間賛美の歌を歌っていることからも分かります。

「人間に名誉あれ、
 人間の思考、科学、技術、労働、努力に名誉あれ。
 ・・・
 人間に名誉あれ、
 地上の王、そして今では天の君主に。」
(Paul VI, 7 fevrier 1971, DC 1580 du 21 fevrier 1971, p. 156.)


 1964年の11月に、リベラル派を支持していたパウロ6世は、教皇の最高の権威を使おうとしないということを意味するために、象徴的に教皇三重冠を放棄しました。次にパウロ6世は検邪聖省を改革しました。1966年6月15日、禁書目録は廃止され、検邪聖省は「教理聖省」とその名と役割を変えられました。検邪聖省はもはや何も排斥せず、ただ単に建設的な探求に専心するだけになり、検邪聖省は検邪聖省でなくなったのです。これによってリベラル派は自由に活動できるようになりました。

 それと同時にパウロ六世の統治下に、本当にカトリック信仰を保ちたいと望み、プロテスタント主義・近代主義・背教を拒む司祭たちが迫害を受け始めました。

【ヨハネ・パウロ二世は状況の立て直しをしたのではないか?】

 いいえ。幾つかの点でヨハネ・パウロ二世は、パウロ六世より厳格であったように見えますが、それにしても革新の道を頑固として進み続けました。そして以前であれば背教のしるし、少なくとも異端の疑いのしるしであった行為を様々に成し遂げました。
(1917年の教会法2314-2316条参照)

 1982年5月29日、ヨハネ・パウロ二世は、英国聖公会の「大司教」(Msgr Runcie)とカンタベリーのカテドラルで共に使徒信経を唱え、彼と共に祝福を与えました。聖公会の司祭叙階は無効であるので本当は平信徒でしかないにもかかわらず、この時、英国聖公会の最高聖職者は大司祭としての祭服を着ていました。ヨハネ・パウロ二世は、レオ13世の不可謬の教えを無視していたのです。

 1985年8月、ヨハネ・パウロ二世はトーゴの「神聖な森」の中でアニミストの儀式に参加しました。

 1986年2月2日、ヨハネ・パウロ二世はインドのボンベイで、ヒンズー教のシヴァ神の第3の目を意味するティラック(Tylak)を自分の額に受けました。

 1986年2月5日、マドラスではシヴァ神とヴィシュヌ神の礼拝者のしるしである神聖な灰ヴィブティ(Vibhuti)を受けています。

 このような行動は数を増やし、悲しい頂点に至りました。それは1986年10月27日アシジでの諸宗教の集会でした。ヨハネ・パウロ二世は、世界の全ての宗教を呼んで、自分たちの儀式に従って平和のために祈れと招いたのです。彼らが異教の宗教儀式のために自由に使うことができるように、カトリック教会の建物は使われました。サン・ピエトロ教会では、御聖体が安置してある御聖櫃の上に仏陀の像がおかれて礼拝されていました。このようなことは「平和」ではなく、偶像崇拝であり、迷信です。このようなことを積極的にさせることは、唯一の天主の御稜威に対する大きな罪でした。たとえ良い意向のためにであっても、それ自体で悪しき行為をすることを積極的に勧めること、またはそれ自体で悪しき行為をすることはゆるされていません。

 ヨハネ・パウロ二世は、1986年以降毎年アシジのような諸宗教の集会を開くように奨励し続けました。他人に勧めるばかりか、自分でも積極的にその範をたれ、偽りの諸宗教を支援する様々なジェスチャーをし続けました。たとえば1999年5月14日、皆の前で公然とコーランに接吻をしました。この写真はイスラム諸国に溢れるばかりに広がり、イスラム教徒たちがその誤れる宗教に留まることを激励するだけにしかなりませんでした。

【第二バチカン公会議】
 すでにカトリック教会の中に隠れ潜んでいたリベラル派と近代主義者達は、第二バチカン公会議をコントロールすることに成功し、教会内部で長くから準備されていた危機を点火する機会を与えました。

 聖ピオ十世は既に丁度100年前、回勅『パッシェンディ』の中で近代主義は教会の外にいる敵ではなく、たとえその信奉者が自分たちの本当の意向を隠していたとしても、内部に深く浸透してしまっている敵であると言っていました。

 聖ピオ十世は近代主義に対して力強く戦いました。聖ピオ十世の後継者たちも、ピオ十二世に至るまで多かれ少なかれ戦いました。ピオ十二世の回勅『フマニ・ジェネリス』は「新しい神学」と呼ばれていたものを排斥しました。教皇たちの努力は、見せかけ上は受け入れられたのですが、現実は多くの人々は馬鹿にしていただけでした。人々は教皇たちから排斥された禁止された説に興味を持ち続け、神学校や大学では神学生たちに新しい学説に染まるようにし続けていたのでした。

 教会内部に潜んで活動を続けていたリベラル派や近代主義者達は、第二バチカン公会議をコントロールすることに成功しました。リベラル派のスーネンス枢機卿は、第二バチカン公会議のことをフランス革命にたとえて「第二バチカン公会議は教会内部のフランス革命だった」と言っています。やはりリベラル派のイーヴ・コンガール神父は、公会議の神学者でしたが、第二バチカン公会議をロシアのボルシェヴィキ革命にたとえて「教会は、穏やかに十月革命を果たした」と言っています。







【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・

2024年02月02日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、以下は2007年3月の記事からの再掲です。






【質問】
現在、カトリック教会は危機に襲われているのでしょうか?」の記事で、カトリック信者の信仰が危機にあるのは結果で、その原因は、聖職者達の信仰の喪失の危機であることが触れられていますが、教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか? 教皇様なのでしょうか? それとも第二バチカン公会議なのでしょうか?


【答え】
 セペール枢機卿(Cardinal Seper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(in Georg May, Gefahren, die der Kirche drohen, St Andrae-Woerden, Mediatrix, 1990, p.27)。


 現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。


【司教たちの危機】
 カトリック教会にいる4000名の司教様たちの中には、確かに正統カトリックたろうとしてカトリック信仰のために働こうとしておられる方々が何人かおられます。しかし、大部分の司教様たちにおいては、カトリック信仰を擁護する代わりに、信仰の真理を公に否定する司祭や神学者たちに自由にさせています。中にはそのような司祭たちを激励したり、支援したりし、或いは司教様自身で、カトリック信仰とカトリック道徳とは相容れない立場を取っています。


● たとえばフランスでは、以前のパリの大司教であったリュスティジェ枢機卿(Cardinal Lustiger)は、ユダヤ教徒たちはキリスト教に改宗する必要はないと公に教えています。


● ストラスブールの大司教であるドレ大司教(元パリ・カトリック神学院の神学部長)は、イエズス・キリストを拒否したユダヤ教徒たちを不信仰者(infideles)とか盲目者(aveugles)であると考えることはできない、回心する必要があるのは彼らではなく、むしろ「新しいイスラエル人」という名前を横取りしたカトリックのほうだ、と主張しています。(Mgr Joseph DORE, message addresse a la loge juive "Rene Hirschler" (de l'ordre des B'nai B'rith) et publie dans le bulletin diocesain l'Eglise en Alsace, juillet-aout 2003, p. 1-3.)


 しかし聖パウロは「かれらは不信によって切られ、あなたは信仰によって立っている。」と言い、ユダヤ人の「にぶい心、見えない目、聞こえない耳」、「かれらの目はくらんで見えなくなれ」(ローマ11章)、「今日も、モイゼの書を読むとき、かれらの心におおいが垂れている」(コリント後書3章)と言い、この状態では「天主によろこばれず、人類の敵となり」、「ここにおいて、かれらの上に天主の怒りは、極みに及んだ」(テサロニケ前書2章)とまで言います。

 聖ペトロは、聖霊降臨の日に「イスラエルのすべての人は、あなたたちが十字架にかけたそのイエズスを、天主が主とし、キリストとされたことを、しかと知らねばなりません。・・・くいあらためなさい、おのおの、罪のゆるしを受けるために、イエズス・キリストのみ名によって洗礼を受けなさい。」と宣言しました。


● 2001年には、フランスの司教教義委員会(la commission doctrinale des Eveques de France) は、「天主の啓示に深く忠実」であるとして、バイヤール版の聖書(la Bible des editions Bayard)勧めました。しかし、この版の聖書は聖福音に書かれている事実の歴史性を否定しているものです。曰く「初代のキリスト者たちは、歴史のイエズスよりも信仰のキリストにもっと関心を抱いていた」と。


● 2003年、リモージュの司教であるデュフール司教(Mgr Dufour)は、ミサの時に説教台からこう説教しました。「私たちは天主が存在するのかよく知らない。私たちはそのことを科学的確実性で知るのではなく、信仰において知るだけだ。」


 しかし聖パウロは、天主の存在は信仰なくしても理性だけで確実に知りうると教えています。第一バチカン公会議もこう宣言しています。
「3026(1806)(1) 創造者であり,われわれの主である唯一の真の天主を人間理性の自然的な光によって被造物の中から確実に認識することができないと言う者は排斥される(*3000参照)。」

● 1996年、ベルリンでの講話会の際に、ドイツの司教協議会委員長であるカール・レーマン司教(現在は枢機卿)は、ルターのことを「共通博士」(der gemeinsame Lehrer)と呼びました。しかしこれは通常聖トマス・アクィナスに対してなされる呼び方です。


● 2006年に出版された「フランス司教黒書」(Le livre noir des eveques de France, par Remi Fontaine)というがあります。

 その中で、著者のルミ・フォンテーヌは「フランスの迫り来ている嘆かわしい背教とその現行の無能性」を示しています。この「黒書」からの幾つか例を拾ってみると、

 フランスの司教たちは「フリーメーソンが語るように」、フランスの国家が無宗教であり政教分離しているために戦っています。しかし哲学者ルネ・ジラール(Rene Girard)は、1905年に成立したフランスの政教分離の法律について、「その他これと同類のいかなる法律よりも、キリスト教にとって悪しきものである」と表現しています。


● この「黒書」はフランスで1975年に堕胎の法律が成立したのは、フランスの司教たちが沈黙を守り反対の声を上げなかったからであることを示しています。堕胎賛成をしていたイスラエル・ニザンは「事実上、カトリック教会はこのことについて賛成していたことを多くの人々は知らない」また「カトリック教会は根本的にこの法律に反対しなかった」告白しています。当時、この法律に反対していたカトリックのルジョン教授(Professeur Lejeune)は、パリの補佐司教から「天主の御前で私はあなたに言う。あなたは悪しき信者だ。」と罵られました。サンスの大司教は、堕胎をする人々の回心を願って抗議のためにロザリオの祈りを唱えているカトリック信者たちに向かって「手段の腐敗させている」と非難しました。


● バルバラン枢機卿(Cardinal Barbarin)は、堕胎法律を推進していたフェミニスト議員、シモーヌ・ヴェーユ(これは有名なフランスの女性哲学者とは別人)とリヨンで親しく会っていました。


● サンチエ司教はカトリックの道徳のせいで「男性と女性とが彼らの個人的・社会的生活において教会の強制によって苦しんだ」ことを謝っています。


● ポワチエでは、ルエ司教がコンドームを賞賛して「唯一の病気を防ぐ手段」として必要であると言い、堕胎の法律に反対している国民戦線(Front National)の党員の子供には洗礼を授けることを拒否しました。ルエ司教曰く「国民戦線のイデオロギーはナチと関係があると私は断言する。」


● 1998年、フランス司教協議会委員長であるダヴィド司教は国民戦線の党について「キリスト教の価値と多くの点で」反すると言います。2002年にはジプソン司教は司教の権威を使って「私は、ル・ペンとその党(=国民戦線)に反対することに投票します」と宣言しています。


● レユニオンでは、オブリ司教は、フランスの国民的一致のために、キリスト教的祝日を廃止することを説教しました。


● アミアンでは、ノワイェ司教はル・モンド紙に、司祭独身制について「教会の規律を緩和すべきだ」という望みを掲載させています。


● サン・ドゥニではド・ベランジェ司教は、パリ郊外の暴動事件について「民主主義に対する脅威」であるけれども、「民衆に関して経験がある効果的な組織である」共産党が幸いにもある、と安心しています。だから共産党という「むしろ良い」存在は、「危険な現象」である国民戦線の存在を打ち消すと言います。


● カトリック教会は教会法(1398条)で、堕胎をする母親、医者、手伝う看護婦、堕胎を励ます・勧める・同意する・協力する全ての人々、たとえば父親・友人などを自動破門にしています。司教たちは、堕胎をゆるす立法に賛成する議員やそれに賛成の投票をする者たちは皆、破門であることを宣言しなければなりませんでした。しかし司教たちは沈黙を守ることによって堕胎の罪に協力したのでした。(つまりほとんどのフランス司教たちは、自動破門に相当する罪を犯していたのでした!)


● オンタリオ(カナダ)の司教とボストン(アメリカのマサチューセッツ州)の司教は、自分の教区の司祭たちの半数は全実体変化を信じていないと認めています。しかしそれに対して何もしていません。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


● オコーナー枢機卿は、多くのアメリカの司教たちが「教皇様を憎んでいる」と言っている。ガニョン枢機卿は「ほとんどのアメリカの司教たちは宣言されていない離教状態にいる(Most American bishops are in material schism.)」と認めました。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


 歳月が経つにつれて、状況は良くなるどころか、ますます悪化の一方で止まるところを知りません。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】