アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2022年10月30日(主日)東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計132人でした。大阪では26人、名古屋では15人でした。天主さまとマリアさまに感謝いたします!
ミサの後には「イエズスの聖心に人類を献げ奉る祈」を唱えました。
聖務日課では Te sæculórum Príncipem を唱えました。
【報告】
Dear Fathers:
Shown below are the numbers of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 132 including children.
09:00 mass
M: 41 (incl. 8 children)
F: 37 (incl. 7 children)
Total: 78 (incl. 15 children)
11:30 mass
M: 25 (incl. 4 children)
F: 35 (incl. 6 children)
Total: 60 (incl. 10 children)
Total of 2 masses (excl. 6 people who participated in multiple masses)
M: 63 (incl. 12 children)
F: 69 (incl. 13 children)
Total: 132 (incl. 25 children)
【お便りのご紹介】
小野田神父様
イエズス様の十字架は御聖体と並んですべての恵みの源泉ですね。
異邦人のシモンはたまたま、エルサレムに来た時に、イエズス様が十字架を担う手伝いを強いられただけなのに、家族全員が信者になるお恵みをいただきました。息子のアレクサンドルとルフォスは信者仲間で有名でした。司祭あるいは司教だったのかもしれません。イエズス様の十字架との出会いがシモンと家族を変えました。シモンはイエズス様からは一言も声をかけられなかったはずですが、大いなる苦しみを気高く耐えるお姿に心打たれ、お恵みをいただいたのでしょう。
十字架の道行きには登場しませんが、イエズス様と一緒に十字架に付けられた良き盗賊は罪人である私たちの代表かもしれません。「我々は行ったことの報いを受けた」と自分の罪を認め、「この方は何も悪いことはしていない」とイエズス様の無実を宣言し、「イエズス、あなたが王位を受けて帰られる時、私を思い出してください」と懇願しました。たったそれだけで「今日あなたは私とともに天国にいるであろう」とイエズス様からありがたいお言葉を賜っています。
第一留 イエズス、死刑の宣告を受け給う
罪なくて
死刑宣告
イエズスは
み旨受け入れ
何も言われず
第二留 イエズス、十字架を担い給う
十字架は
あまりの重さ
罪ゆえに
人祖の罪と
今の世の罪
第三留 イエズス、初めて倒れ給う
よろめいて
十字架背負い
倒れるも
ここでは死ねぬ
起き上がらねば
第四留 イエズス、聖母に会い給う
自らの
みにくき姿
さらすのは
辛きことなり
母泣き給う
第五留 イエズス、シレネのシモンの助力を受け給う
イエズスの
十字架担う
恵み受け
シモンの一家
信者になりぬ
第六留 イエズス、御顔を布に写させ給う
ヴェロニカの
愛の行為に
感謝して
尊い御顔
与え給えり
第七留 イエズス、二度倒れ給う
倒れても
起き上がられる
主の強さ
み旨成就が
使命であれば
第八留 イエズス、エルザレムの婦人を慰め給う
わが身より
婦人気づかう
主のこころ
泣くならなんじ
と子らのために
第九留 イエズス、三度倒れ給う
主でさえも
三度(みたび)倒れる
われらなら
力尽き果て
起き上がれずや
第十留 イエズス、衣をはがれ給う
生まれしと
同じ姿で
死に向かう
母の思いが
ベール届ける
第十一留 イエズス、十字架にくぎ付けにせられ給う
打ちつける
音は母を
苦しめる
わが子の姿
見るに見られず
第十二留 イエズス、十字架の上に死し給う
死のときも
使命忘れず
母と子に
言葉かけられ
死に給えり
第十三留 イエズス、十字架より下ろされ給う
ピエタかな
母の悲しみ
始まりぬ
わが子亡きあと
母ひとりにて
第十四留 イエズス、墓に葬られ給う
日没に
墓もふさがれ
終わりけり
母の悲しみ
いかばかりかぞ
【お返事】
マルコによる福音の「アレキサンデルとルフォとの父で、キレネ人のシモン」(マルコ15:21)と、
ローマ人への手紙第16章にある「主において選ばれたルフォとその母とにもよろしく、その母は私の母でもある。」という一節のルフォは、同一人物であるとも考えられています。
何故なら、聖ペトロの伴侶であったマルコは福音をローマで、ローマにいる信者たちのために書いたと思われるからです。そこでアレキサンデルとルフォとは、ローマの信者たちの間でよく知られていた人だったようです。
キレネのシモンは、いきなり重い十字架を担がされて、誰の十字架だったのか知っていたのでしょうか?聖金曜日の出来事を、自分の子供たちや妻に話したのでしょうか?
イエズス・キリストの御死去の直前に、御摂理によって、シモンはイエズスを出会い、十字架を受け取りました。
私たちも理由がわからない十字架を受ける時に、イエズス様のためにその十字架を受け取るという模範を示してくれていますね。諸聖人たちがまさにそうでしたね。