Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考資料】インタビュー:ヴィガノ大司教、トランスヒューマニズムとグレート・リセットという「地獄のプロジェクト」を糾弾し、第二バチカン公会議と「浸透計画」について語る

2021年12月22日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】インタビュー:ヴィガノ大司教、トランスヒューマニズムとグレート・リセットという「地獄のプロジェクト」を糾弾し、第二バチカン公会議と「浸透計画」について語る

INTERVIEW: Abp. Viganò Denounces “Hellish Project” of Transhumanism and Great Reset, Discusses Vatican II and “Infiltration Plan”

2021年12月7日

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、イタリア人ジャーナリストのチェーザレ・サケッティ氏が自身のブログ「The Eye of the Needle」掲載用に行った長時間の新たなインタビューで、世俗の領域と教会の領域の両方に関わる幅広いテーマについて語っています。

最近、イタリアのメディアで「新型コロナウイルス感染症の『大司祭』」と呼ばれる人々が仕掛けた自分への攻撃に答えた後、大司教は「私が何度も糾弾してきた『ディープ・チャーチ』による」カトリック教会への「例の浸透」について語っています。インタビューの後半では、「浸透計画」を第二バチカン公会議(1962-1965年)に関連づけ、「第二バチカン公会議以降、教会は革命家たちの原理(フランス革命の原理を指す)や自由イデオロギー、共産主義、集団主義を受け入れ、そしてさらに一般的にはジェンダー論といった『この世の精神』を受け入れ、また、教理的な分野だけでなく、道徳的かつ文化的な分野で、つまりキリスト教文明の重要な要素としてのキリスト教の解体を受け入れているのです」と観察しています。

「トランスヒューマニズムは地獄のプロジェクトです」と、この引退した大司教はインタビューの別のところで言っています。「悪魔が天主の創造物を変質させ、堕落させることによって、その創造物をあざ笑っているのです。天主の法という『優しいくびき』への従順の代わりに、サタンの専制政治への奴隷化と服従が取って代わり、その専制政治では、善に対する寛容さはなく、誰もが悪を犯し、悪を受け入れ、悪を正当化することを余儀なくさせられます。また、私たちの良心を読み取ることができるのは天主だけであるという事実にもかかわらず、サタンは私たちの内なる精神的部分という聖域を侵して支配し、私たちを自分の意志に反してでも悪を犯すように仕向けようとします」。

そのほかにも、教皇フランシスコと彼の「メーソンのロッジが望む"世界宗教"の使徒」(サケッティ)としての役割、「いわゆるザンクトガレン・マフィアの操作」(ヴィガノ)、大司教が最近呼びかけている「反グローバリズム同盟」の設立(およびその組織の本部所在地)などの話題が取り上げられています。

そして、「ベルゴリオの教会に支援された反カトリックにして反キリスト教のイデオロギーを持つ『グレート・リセット』の推進者たち」と「新世界秩序に立ち向かい、自分たちの道徳的価値観やビジョンがカトリックの永続する教導権や、聖伝のカトリックの典礼で実現されると考えている人々」(ヴィガノ)との間で続いている闘争の話題もあります。

インタビューの最後には、いつものように希望に満ちた励ましの言葉をいただきました。「誰も皆さんから奪うことのできない唯一の善である天主の恩寵に留まってください。そして、聖母が介入されるとき、地獄は震えるのです」。

ブログ「The Eye of the Needle」用の
チェーザレ・サケッティによるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教とのインタビュー

【問い】大司教様、大司教様はここ数日、イタリアのメディアから厳しい攻撃を受けており、その攻撃はますます激しさを増しているようです。トリノのラ・スタンパ紙の編集者であるマッシモ・ジャンニーニは、大司教様のことを「悪党」と呼んでいました。また、別のイタリアの著名なジャーナリストであるブルーノ・ヴェスパは、ワクチンやいわゆるパンデミックに関する大司教様の発言について、天主はあなたを「許すべきだ」と述べています。イタリアの主要メディアが、なぜ大司教様を「公共の敵」とみなしているのか、説明していただけますか? なぜ彼らは大司教様を恐れているように見えるのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】これまで述べてきたように、あらゆる形の反対意見を委縮させようとするのは、全体主義体制の典型です。まず、敵対者を嘲笑し、世論の目の前で彼の信用を失墜させるために嘲笑の対象とします。次に、その人を病的であるとか、精神科の治療が必要であるとか言って委縮させた後、その敵対者は精神病院に入院する必要があるほど精神的に不安定であるとほのめかすのです。最後に、このプロセスは、反対意見を持つ人々を完全に犯罪者にして終わります。このようにして、この体制は、すべての敵対者を市民社会から切り離すために必要な前提条件を整えていくのです。

イタリアの雑誌「ヴェネルディ」(「ラ・レプブリカ」紙発行)から私が受けた最近の嘘、侮辱、個人攻撃は、この茶番劇の一部であり、新型コロナウイルス感染症の「大司祭」たちが祭服を引き裂き、自分たちの嘘に対するあらゆる反論を嘆く一種の劇場的演出です。「ラ・スタンパ」と「ラ・レプブリカ」は、1500年代からロスチャイルド家と親戚関係にある一族、エルカン家の所有であることを思い起こすべきです。実際、ジョン・エルカンはクラウス・シュワブの著書「第四次産業革命」の序文を書いており、その中でこのWEF(世界経済フォーラム)の会長は「グレート・リセット」について詳細に説明しています。このように、エリートの代弁者たちは、公式の物語(ナラティブ)に忠実であるがゆえに、自分たちに反対する人々の信用を失墜させ、中傷するという、陰謀集団の典型的な戦術を採用することになるのです。

確かに、司教たちの耳が聞こえないかのような沈黙やサンタマルタ館(編集者注:ホルヘ・ベルゴリオの住居)のプロパガンダを考えると、グローバリストのエリートが行っている進行中のクーデターを糾弾する不一致の声は、その矛盾した宣言に対する理不尽な承認を求める人々を苛立たせ、我慢できなくさせるように見えるのは明らかです。

【問い】このような状況の中、イタリアのメディアは、ジョルジオ・ギオ神父のように、ワクチンが引き起こす害や、西洋社会を支配しつつあるように思われる反キリスト教的精神を告発している神父たちが行うミサに、スパイを送り込んでいるほどです。本物の聖伝の教会の精神は、死んでいないどころか、再燃しているようにさえ思えます。大司教様は、このような聖伝のカトリック信仰の刷新を、グローバリスト勢力は特に恐れていると思われますか?

【ヴィガノ大司教】まず最初に指摘したいのは、教会の問題に世俗の当局が介入することは、聖座とイタリア共和国との間の政教条約(コンコルダート)に直接的な違反をしているということです。さらに、イタリア司教協議会(CEI)は、政府と議定書や協定を交渉する権限を持っていませんから、そのような協定は、交渉や批准の権利を持たない人々が合意した限りにおいて、何の有効性もありません。そうは言っても、すべての司祭には、この実験的な医療製品の接種がもたらす現実の危険(単なる仮説ではなく現実の)について、信者に警告する権利、というよりもむしろ義務があると思います。特に、今回のように、サイコ・パンデミックの茶番劇全体が、健康上の緊急事態を口実に、憲法上の権利や自然権を侵害して市民を支配することを目的とした独裁政権の樹立に至ることを目指すことが明らかな場合は、まさにそのケースです。

カトリックの位階階級、司教協議会、司教たち、司祭たちがこの公式な物語(ナラティブ)に従っていることは、非常に厚かましくて媚びへつらうものですから、私が何度も糾弾してきた「ディープ・チャーチ」による浸透を明らかにしています。この浸透は少なくとも70年前に始まり、今日ではその傲慢さと、パンデミック緊急事態とされるものと、(現在の教会指導者の)さらに重大な教理的、道徳的、規律的な逸脱、そしてこの指導者の「ディープ・ステート」との憂慮すべき共犯関係の両方に関して、反対する声をすべて迫害していることから、極めて明白になっています。

この教会の牧者たちの露骨な裏切りは、世俗の政府の分野でも発生しているように、「根底」からの、つまり一般の信者や一般の司祭といった人々からの自然発生的な反発を呼び起こし、この反発は、パンデミックへの対応と教会の位階階級の危機の両方に大きく関係しています。

一方では、反カトリックにして反キリスト教的なイデオロギーを持つ「グレート・リセット」の推進者たちがいて、ベルゴリオの教会がこれを支援しています。他方では、新世界秩序に立ち向かい、自分たちの道徳的価値観やビジョンは、永続するカトリックの教導権や、聖伝のカトリックの典礼において実現されると考えている人々がいます。二つの国、悪魔の国と神の国があるのです。分裂は常に同じです。なぜなら、この対立している勢力は、存在論的に対立し、互いに敵対するという立場に基づいて用意されているからです。

【問い】かつてソ連の秘密情報機関に所属していたロシアの大佐、ウラジーミル・クヴァチョフは、パンデミックを「テロリストの作戦」と呼び、地球規模の人口削減を実行し、地球規模の独裁政治を先導するために特に考え出されたものだと述べています。ロックフェラー財団が2010年に発表した論文「ロックステップ作戦」(Operation Lockstep)には、パンデミックの発生がはっきりと記されています。このパンデミックによって、世界の各政府は個人の自由に対する権威主義的で抑圧的な措置を実施することができ、それはワンワールドの政府に向かうために不可欠なものです。これらの制限措置は、フェースマスクや社会的距離を置くことなど、この一年半の間に施行されたものと基本的に同じであり、西洋社会では前例のないような集団精神病や社会的憎悪をもたらしています。このような状況全体は、人類を絶え間ない恐怖状態に引きずり込み、地球規模のリバイアサンへの道を開くために、グローバリスト勢力が考え出した人工的な危機であると、大司教様は思われますか?
【注:「リバイアサン」とは、英国の政治哲学者ホッブズが、旧約聖書の怪物リバイアサン(レビアタン)にたとえた「国家」のこと、ホッブズは国家が社会契約によって成立したとした。】

【ヴィガノ大司教】私はそう思います。私は、サイコ・パンデミックが始まった2020年5月に、このグロテスクな茶番劇の危険性と不条理さを暴露したときから、そう言い続けています。私はロックフェラー財団のシナリオや、世界経済フォーラム(WEF)の「グレート・リセット」が描いたシナリオも、よく承知しています。同フォーラム会長は、2019年11月にジュゼッペ・コンテ前イタリア首相と、つい数日前にはマリオ・ドラギ現イタリア首相と会っています。同様に、「アジェンダ2030」という国連の計画も私は知っています。

この作戦には綿密な準備が必要で、公的機関や民間企業の大部分が参加する必要があり、司法、法執行機関、メディアの協力も得られました。パンデミックは単なる口実であり、基本的な権利の侵害とそれに伴う新秩序の全体主義体制の確立が必然であるかのように見せかけるための「口実」(profasis)です。この新秩序では、魔術師、ワクチン寺院、不合理な儀式、そして「vitandi」(避けるべき)罪人の破門など、パンデミックの迷信が最高位に君臨しています。こういった人々は、この狂気のイデオロギーを受け入れるために、信仰を棄てる前であっても、理性を放棄するのに賛同しなければなりません。

【問い】大司教様が何度も糾弾なさってきた「グレート・リセット」社会では、「トランスヒューマニスト」のイデオロギーが基本的な役割を果たしています。現代のテクノロジーは非常に速いスピードで進歩しており、脳にマイクロチップを埋め込んで人間の行動をコントロールする可能性についても公然と語られるようになっています。このような「人間とロボット」の新しいモデルを支持しているのが、以前の何回かの質問で遭遇した世界経済フォーラムのトップ、クラウス・シュワブです。大司教様は、トランスヒューマニズムの最終目的はこのこと、人間から自由意志を奪うことだと思われますか?

【ヴィガノ大司教】トランスヒューマニズム(人間改造主義)は地獄のプロジェクトであり、悪魔が天主の創造物を変質させ、堕落させることであざ笑っているのです。天主の法という「やさしいくびき」への従順の代わり、サタンの専制政治への奴隷化と服従が取って代わり、その専制政治では、善に対する寛容さはなく、誰もが悪を犯し、悪を受け入れ、悪を正当化することを余儀なくさせられます。また、私たちの良心を読み取ることができるのは天主だけであるという事実にもかかわらず、サタンは私たちの内なる精神的部分という聖域を侵して支配し、私たちを自分の意志に反してでも悪を犯すように仕向けようとします。クラウス・シュワブは、近著「グレート・リセット」の中で次のように述べています。

「私たちはまた、活動レベルや血液生化学的な値をモニターする内蔵デバイスの新しい使い方や埋め込み方、そしてそれらが幸福感や精神的な健康、家庭や職場での生産性にどのように関連するかを研究しています。また、脳の機能をよりよく学び、ニューロテクノロジーの分野で優れた発展を遂げています」。

それは、ルチフェルだけが考えることのできる錯覚です。また、反キリスト的な母体、イエズス・キリストの天主の王権への反抗ですから、完全な失敗に終わる運命にあります。それは、天主の法に反抗する被造物が、いと高き御者のおられるところに到達するふりをして、ルチフェルの「Non serviam」(「私は仕えない」)を、同じ恥ずかしい決意をもって繰り返す錯覚です。

サタンは、「天主の猿まねをする者」(simia Dei)です。私たちを天主から遠ざけ、地獄に引きずり込もうとするサタンの行動のすべてに、救い主を模倣し、その主権を簒奪し、その教えを曲解し、天主から霊魂を奪おうとするサタンのあざけりが見られます。悪魔は、天主の代わりに礼拝されることを望んでいます。悪魔は、反キリストが世界を支配し、キリスト教会を、エキュメニカルで環境保護的な「人類教」(Religion of Mankind)【哲学者オーギュスト・コント提唱の倫理的新宗教】であるサタンの反教会に置き換えることによって、人類を悪魔の専制政治に服従させることを望んでいるのです。

【問い】大司教様はビデオや記事の中で、「新世界秩序」(NWO)がもたらす脅威について語ってこられました。ジョージ・H・ブッシュ、ヘンリー・キッシンジャー、ニコラ・サルコジ、デヴィッド・ロックフェラーなど、何人もの政治家や首相が、この表現を公の場で使っています。これらの政治家は、新世界秩序を私たちが目指すべき「エデン」のようなものと表現しているのです。今回の新型コロナウイルス感染症の騒動でも、このような言葉をよく耳にしました。新世界秩序を推進する考え方と、この目標を達成するためにワクチンが非常に重要な役割を果たす理由を説明していただけますか?

【ヴィガノ大司教】新世界秩序は、新しくもなく秩序でもありません。これは、天主の御摂理的な計画を覆し、永遠の救いにつながる真の宗教を取り消し、最終的に「キリスト教の秩序」(ordo christianus)を地獄の混沌に置き換えようとするサタンの愚かな野望を表しています。この無秩序においては、嘘が真実に取って代わり、不正と権力濫用が正義に取って代わり、気まぐれが天主の法への従順の代わりに、死が生命の代わりに、病気が健康の代わりになり、悪の正当化と善の非難があり、善人の迫害と悪人の称賛があり、無知が文化と知恵の代わりに、醜悪と恐怖が美の代わりに、分裂と憎悪が調和と愛の代わりになるのです。サタンは、天主の特質を取り入れて礼拝されたいのではなく、邪悪で、卑猥で、偽りで、不条理で、怪物のようなあらゆるものを通して、礼拝の対象となることを要求しています。サタンが求めているのは、完全な転覆であり、存在論的に悪魔的かつ反キリスト的な転覆です。つまり、計画的な緊急事態を装って行われる世界規模のクーデターによって得られる「新秩序」なのです。

ワクチンキャンペーンは、科学的な妥当性を欠いており、まず、新型コロナウイルス感染症の蔓延を抑えるという口実で、世界規模の追跡管理を実施するための見かけ上の正当性を示す役割を果たしています(この口実は偽りです。なぜなら、他にも理由がありますが、ワクチンを接種した人が感染して伝染する可能性があるからです)。しかし明日には、このキャンペーンはその範囲を広げて、「グリーンパス」を拡大させて「グリーン緊急事態」に立ち向かうための「社会的信用システム」で使用される情報を含めようとしています。「グリーンパス」は、聖ヨハネの黙示録に出てくる、人々が売買や旅行、消費、食事、生活をするのを許可したり禁止したりする「獣のしるし」のようなものとして考えられています。

第二に、人間が本来持っている免疫システムを低下させる実験用の遺伝子血清を人々に接種することは、非常に重大な犯罪です。なぜなら、普通の健康な人々を慢性的な病人に変え、その結果として医療会社や民間療法の顧客にしてしまうからです。このような状況は、グローバリスト・エリートの利益を大きく膨らませ、人々の生活を全般的に困窮させます。なぜなら、「グレート・リセット」は、個人の健康に対する攻撃だけではなく、国家の安全保障に対する攻撃でもあるからです。その理由は、国家の軍隊がワクチンの副作用によって害を受ける一方、ワクチンを受けていない兵士は現役を禁止されるためです。私が思うに、この点は、現在の危機を分析している人々が十分に考慮していない点であり、その人々の悪意を示しています。この人々は、いったん権力を握ると、新秩序に服従させるために国家を破壊することに協力するのです。

【問い】また、新世界秩序について、大司教様はあるビデオの中(1) (2)(3)、1960年代初頭に第二バチカン公会議が、この計画に道を開く上で基本的な役割を果たしたと述べておられます。この点で、この公会議は、カトリックの聖伝から切り離された「新しいリベラルな教会」を構築したイベントであると考えられます。この「リベラルな教会」は、現代世界の精神を封じ込めようとするのではなく、それを受け入れました。本来、反キリストの現れを妨げる力である「カテコン」(katechon)であったはずの機関が、かえって反キリストのスポークスマン、プロモーターになってしまったのです。教会に浸透していたメーソン勢力が、この変化を計画したと言えるのでしょうか? 現在の教会は、1884年にレオ十三世が予言し、1917年のファチマや1973年の秋田の予言など、関連する他の預言で予言された背教を生きていると大司教様は思われますか?

【ヴィガノ大司教】第二バチカン公会議(1962-1965年)の主役の一人であるレオ・ジョゼフ・スーネンス枢機卿は、公会議革命は「カトリック教会の1789年」を象徴していると述べています【編集者注:1789年は、フランス革命前の社会全体を覆したフランス革命の始まり】。このように考えると、第二バチカン公会議以降、教会は革命家たちの原理(フランス革命を指す)や自由主義、共産主義、集団主義、そしてより一般的には「この世の精神」、ジェンダー論を受け入れ、教理的な分野だけでなく、道徳的かつ文化的な分野で、つまりキリスト教文明の重要な要素としてのキリスト教の解体を受け入れているのです。このような裏切りは、メーソンのロッジがカトリック君主国に対して行ったのと同様の方法で行われ、思想面と実践面の二つの面から展開された浸透計画によって実現されました。

思想的な面では、異端や哲学的な誤謬によって正統性が損なわれ、今でもその邪悪な結果に悩まされています。現実的な面では、人々の道徳が破壊され、個人を支配するために情熱に服させ、脅迫するために自分の悪徳に隷属させ、最も腐敗した者を、その非道な行為によって権威が失墜した機関の最高ポストに登用することを目撃しました。教会の最高位の司祭が堕落した変態である場合、道徳的な性の問題において教会はどのような信頼性を主張できるでしょうか? 聖座の役人が金融スキャンダルや不明瞭な市場投機に関与しているとき、教会はどのような信頼性を主張することができるでしょうか?

したがって、聖伝への回帰が必要です。正直さ、義務感、忠誠心、国への愛、名誉、規律など、今日では忘れ去られてしまった価値観への回帰が必要です。それは、国の抜本的な改革を必要とする、世俗の領域での「キリスト教の秩序」への復帰であり、教会の領域でも同じように、偽りの牧者を排除し、第二バチカン公会議のイデオロギーの激しさによって破壊されたすべてのものを回復することが必要です。摂理が私たちに要求している厳しい試練を終わらせたいのであれば、主が私たちに与えている懲罰の原因を取り除くことが基本となります。

その原因とは、メーソンの原理と革命によって考案された、この反キリスト的なシステム全体です。私たちは、キリストの力の表現としての権威を回復し、私たちを統治する人々に道徳的・霊的な教育を与えなければなりません。それは確かに大変なことですが、子どもたちに良きキリスト信者、良き市民となり、天主の御前に責任を持ち、天主に従うこと、天主を王と宣言すること、天主に栄光を捧げることを望むようになる価値観を本当に伝えたいのであれば、私たちはそれを行うべきです。私たちが再び主を王と認めれば、主はその子どもたちが戦いで滅びることを許さず、大きな勝利で報いてくださいます。しかし、現在の惨状の根底にある誤謬を理解しない限り、天主のご介入に期待することはできません。

【問い】最近、ベルゴリオは「グレート・リセット」を生み出す必要があると明言し、元に戻ることはないとも指摘しています。ベルゴリオは、キリスト教を完全に排除することを究極の目標としているメーソンのロッジが望む "世界宗教"の使徒と化しているのです。ベルゴリオは第二バチカン公会議の当然の結論である、と述べることに意味があるのでしょうか? 大司教様は、いくつかの預言や尊者ホルツハウザーのビジョンで予見されていた教会の背教が、すでにピークに達し、その最終段階に近づいていると思われますか?

【ヴィガノ大司教】ベルゴリオは、グローバリストの宗教を最も確信している信奉者の一人であり、その目標をすべて受け入れ、その計画を推し進め、その教理を広め、その敵と戦っています。もしも彼が教会の位階階級の内部で今持っている役割を担っていなかったとしたら、彼は新世界秩序の預言者であり、キリストの教会の主要な敵であると考えられていたことでしょう。彼が教会のトップと普遍的にみなされているという事実は、明らかな矛盾、極めて重大な利害の対立、自分の持つ権威に対するあからさまな裏切りを私たちに示しています。

辞任するベネディクト十六世に代わってベルゴリオと交代させたのと同じ方法が、教会に敵対する勢力の介入が存在していることを明らかにしています。いわゆるザンクトガレン・マフィアの工作は、この敵対的な介入の直接的な証拠であり、「ディープ・ステート」によっても事前に計画されていたのです。それは、教会がこの世の精神を受け入れ、福音宣教を放棄するという「教会の春」について述べている、ジョン・ポデスタの電子メールに見られるようにです。

ベルゴリオ自身が誇らしげに主張しているように、この「教皇職」は第二バチカン公会議の原則を首尾一貫して適用したものです。2013年以降のベルゴリオの発言や行いのすべては、彼の非妥協的な沈黙から誤解を招くような曖昧な表現に至るまで、公会議のテキストのさまざまな曖昧な箇所に織り込まれた誤謬と一致しています。しかし、悪魔から来るすべてのものと同様に、このプロジェクトは成功する望みがなく、私たちがいまだに認識できない非常に明確な真実を理解させるために役立つだけです。救いの唯一の望みは、私たちの主が使徒たちに教えられたように、また聖なる教会が二千年にわたって信仰のために提案してきたように、カトリックの信仰を完全に受け入れることにあります。すべての誤謬、信仰をこの時代の考え方に合わせようとするすべての試み、この世に教会の居場所を確保するための妥協、権力と引き換えの裏切りは、すべてサタンから来るものであり、そのようなものは失敗に終わる運命にあります。

王たるキリストが教会を治めるために戻って来られれば、世俗社会を治めるために戻ってくる前であっても、主は教会に善良で聖なる牧者たちを与えてくださるでしょう。背教を糾弾し、誤謬と戦い、善人をキリストの十字架の周りに集める一人の勇気ある教皇をくださるでしょう。なぜなら、キリストの神秘体である教会もまた、自らの受難を受ける運命にあるからです。しかし、その受難は、永遠の敗者の情婦ではなく、まさに汚れなき小羊の花嫁という存在であるとの尊厳と完全性をもって受けなければなりません。

こういう訳で、私は御摂理がこの世に平和と回心の時を与え、牧者と群れを福音への忠実さに導き、公審判の前の最後の迫害に尊厳を持って立ち向かえるようにしてくださるように望み、祈っているのです。もし、ロシアが汚れなき御心に奉献されることによって、この良き機会が到来するならば、私たちは悪魔に対するキリストの勝利において成就する終末論的なビジョンにおいて、現在の事実を真に読み取ることができる、と私は思います。

【問い】大司教様はここ数日、「反グローバリズム同盟」の結成を呼びかける公の訴えを展開されています。この同盟の本部は、歴史的にフリーメーソンやグローバリスト勢力に嫌われている国であるイタリアに置かれるべきだとお考えですか?

【ヴィガノ大司教】イタリアは、天主によって、教皇職の存在によって祝福された国です。各都市の歴史的、文化的、芸術的な遺産に代表され、しかしカトリック信仰の絆で結ばれているイタリアの文明は、常にサタンとそのしもべたちの解体行為の対象となってきました。フリーメーソンはイタリアを憎み、また、まずキリスト教の誕生、そしてその後の普及と本質的に結びついている、イタリアの輝かしい歴史を憎んでいます。フリーメーソンはまた、キリスト教が浸透しているこの国の伝統を憎み、深くキリスト教的であるその芸術を憎み、人生のあらゆる歩みに影響を与える信仰の力を雄弁に物語る文化と文明を憎んでいます。また、説教と模範によって何百万もの霊魂を地獄から救い出した聖人たちや、小さなジェスチャーや寛大さ、真にキリスト教的な道徳観によって表現される、深遠なカトリックの真正性と情熱を示すその人格を、いまだに暗示しているような人々をも憎んでいます。

こういう訳で、私はイタリアが、自らを世界反グローバリズム同盟の自然な本部として提案します。そうすることでイタリアが新秩序の専制政治に対抗する重要な役割を果たすべきだと考えています。また、カトリックの君主が復活することは、今の時代には考えにくいことですが、連合前のコミューンと州(編集者注:1870年のイタリア連合以前のイタリアの都市国家の統治形態)の統治形態は、キリスト教の原則に沿った、同時に現代社会のニーズに適合したイタリアの世俗社会の改革を望む人々を大いに刺激することができると思います。この点について、私は特に、シエナの市庁舎(Palazzo Comunale)のフレスコ画「善政の寓意」を思い浮かべます。このフレスコ画では、神学的な聖徳が枢要徳や市民道徳を照らし、導いています。

【問い】ドラギ政権が強行した「グリーンパス」による差別で、多くの人が深刻な個人的問題で苦しんでいます。このワクチン接種を受けるのを避けるために仕事や給料を諦めている多くの人々がおり、また、このかつてない権威主義社会に対して街頭で抗議活動を行っている多くの人々もいます。このディストピア社会の結果に苦しんでいる人々、そして希望を失い、まさに自暴自棄になっている人々に、何かおっしゃりたいことはありますか?

【ヴィガノ大司教】私は、私たちの主の言葉でお答えしたいと思います。「私がこう言うのは、私によってあなたたちに平和を与えるためである。あなたたちはこの世で苦しむだろう。だが、勇気を出せ、私はこの世に勝ったのだ」(ヨハネ16章33節)。

自分自身が受ける差別や愛する人の差別に苦しんでいる人々、教会の権威のひどい加担により、世俗の権威が恥ずかしげもなく脅迫したために予防接種を受けざるを得なかった人々、勇気を持って違法で専制的な法律に屈することを拒否した人々、首尾一貫した行動のために支援の手段を奪われた人々に、私はこう言います。皆さんは、悪の力と暴力が、皆さんの持ち物、体、家族に影響を与えることはあっても、主に忠実でいることによる平和を奪うことは決してできないことを証明しています。殉教者たちは特別な力の賜物を持った人だと思いますか? 本当の殉教者たちは、昔も今も、そしてこれからも、皆さんや私のような人であり、千の欠点があるかもしれませんが、キリストへの愛に駆り立てられ、つまり愛徳に駆り立てられ、その超自然的な天主の愛を捨てないために自分の命を犠牲にする覚悟のある人です。そして、殉教者たちが天主の御助けを借りて、恐ろしい苦痛を伴う死に直面することができたのならば、今日、皆さんは、至聖なる童貞マリアのマントの下で、卑怯であるのと同じように残酷なこれらの暴君に立ち向かうことができないと思いますか? 皆さんに天国に値する特権を与えられたことを光栄に思ってください。皆さんの忠実、敵対する力に対する皆さんの強さは、たとえ小さなことであっても、皆さんに天の助けと保護をもたらすことでしょう。

誰も皆さんから奪うことのできない唯一の善である天主の恩寵に留まってください。残りのすべては、私たちが「キリスト信者の助け」として祈る聖母の御手に委ねられます。そして、聖母が介入されるとき、地獄は震えるのです。

OGPイメージ

Viganò:"l'Italia è una nazione benedetta da Dio e ha un ruolo chiave contro il Nuovo Ordine Mondiale" - La Cruna dell'Ago

di Cesare Sacchetti

La Cruna dell'Ago

 
OGPイメージ

ヴィガノ大司教「第二バチカン公会議のすべてを取り下げて、忘れるのが望ましい。公会議が信仰から逸脱していたのであれば、教皇はその公会議を無効にする権限を持っている。それが教皇の義務だ。」 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐米教皇大使ʌ...

ヴィガノ大司教「第二バチカン公会議のすべてを取り下げて、忘れるのが望ましい。公会議が信仰から逸脱していたのであれば、教皇はその公会議を無効にする権限を持っている。それが教皇の義務だ。」 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 
OGPイメージ

ヴィガノ大司教:次期教皇は公会議の改革以前のすべての典礼書を復興させ、ミサの見苦しいパロディーをカトリック教会から追放しなければならない - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

ヴィガノ大司教「第二バチカン公会議の脱線や新しいミサの作成は『教会に浸透した革命的な勢力』の結果である」2021年6月16日【編集者注】カル...

ヴィガノ大司教:次期教皇は公会議の改革以前のすべての典礼書を復興させ、ミサの見苦しいパロディーをカトリック教会から追放しなければならない - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 
OGPイメージ

【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の現代のカトリック教会における混乱と逸脱の原因に関する考察(2020年6月8日付) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐アメリカ合衆国教皇大使)は、2020年6月9日付...

【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の現代のカトリック教会における混乱と逸脱の原因に関する考察(2020年6月8日付) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 


ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り:聖母は、私たちを栄光ある民、天主なる御子の遺産、聖人の群れとして選んでくださいました。」

2021年12月22日 | カトリック・ニュースなど

ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り」

Archbishop Viganò: Act of Veneration of the Immaculate Conception
ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り」

2021年12月8日

またも羊の群れは牧者に見捨てられました。教皇フランシスコは2年連続で、ローマのスペイン階段での天主の御母、童貞聖マリアの伝統的な公的崇敬を取りやめました。自分の新世界秩序(New World order)の主人を喜ばせるために、彼は自分が代理人になっている天主の統治ではなく、反キリストの統治を確立するために使用される「新型コロナウイルス感染症の恐怖」に貢献しなければならないのです。しかし、天主は、たとえ教会が小さな残骸になったとしても、決してその教会を見捨てられることはありません。カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、教皇フランシスコの不在と棄権によって残されたその場に入って、聖ベルナデッタに名を聞かれて「私は無原罪の御宿りです」とお答えになった聖母に公的な崇敬を捧げます。聖母の御名は、聖母が終生無原罪であり、終生童貞であることを表しています。読者の皆さんに祝福された祝日が訪れますように。ブライアン・マッコール


ACT OF VENERATION

ON THE SOLEMNITY OF THE IMMACULATE CONCEPTION OF THE BLESSED VIRGIN MARY

童貞聖マリアの無原罪の御宿りの大祝日の崇敬の祈り

2021年12月8日、ローマ・スペイン広場

Ab initio et ante sæcula creata sum, et usque ad futurum sæculum non desinam:
et in habitatione sancta coram ipso ministravi.
Et sic in Sion firmata sum, et in civitate sanctificata similiter requievi,
et in Jerusalem potestas mea.
Et radicavi in populo honorificato, et in parte Dei mei hæreditas illius,
et in plenitudine sanctorum detentio mea.
Eccli 24, 14-16

聖書が天主の知恵について語るこの荘厳な言葉は、典礼によって至聖なる童貞のこととされています。ここでお話しになっているのは、無原罪の御宿りである聖母です。

「私は、初めから、世より前につくられ、未来の世まで存在し続けるであろう。私は、その聖殿の中で彼に仕え、こうして私は、シオンにおいて固められ、聖い町では休息を見いだした。私の勢力はエルザレムにある。私は、天主の世嗣なる栄光ある民の中に根をはり、そして、私の住居を、聖人の集いに置いた」(集会書24章14-16節)。

時代を超えて選ばれ、教会に固められた聖母は、聖なる住居(すみか)で私たちのために取り成しされ、私たちのうちに住まわれ、私たちの元后となっておられます。聖母は、私たちを栄光ある民、天主なる御子の遺産、聖人の群れとして選んでくださいました。そして、重要なのは、昨日その祝日を祝った聖アンブロジオが作った教会奉献の賛歌「Cœlestis urbs Jerusalem」(「天の都エルザレム」)が、特異的な対称性を通じて、聖母に適用できることです。

O sorte nupta prospera, dotata Patris gloria, respersa Sponsi gratia, Regina formosissima, Christo jugata principi, cœli corusca civitas.
「幸いな運命によりて浄配となり、御父の栄光で飾られ、花婿の恩寵をふり撒かれ、いとも美しき元后、君主たるキリストと結ばれ、天の輝く都(くに)よ」。


この祝されし日に、いと高き御者の生ける汚れのない聖櫃となるために、原罪のあらゆる汚れから保護された、童貞聖マリアの無原罪の御宿りの教義が宣言されたことを思い起こしましょう。そして、罪によって堕落し、罪の奴隷となったこの世は、堕落した悪徳の女性をモデルとして提示して、童貞性、純潔性、母性を軽蔑しています。しかし、私たちは、終生童貞なる天主の御母であり、また正しくも教会の母にして私たちの母であるお方をたたえます。

私たちは童貞聖マリアの子であり、教会の子です。なぜなら、童貞聖マリアは、キリストにおいて私たちを御父のもとへ生み出し、十字架の下で私たちは子として主から聖母に委ねられ、聖母は私たちに母として委ねられているからです。そして教会もまた、洗礼によってキリストのうちに私たちを御父のもとへ生み出しています。祭壇のふもとで私たちは子として教会に委ねられ、主の脇腹から流れ出た水と血は、その秘跡と聖なるミサにおいて豊かに流れ、天主なる花婿の花嫁への愛、そのかしらであるキリストの、神秘体への愛を私たちに示しています。

親愛なる兄弟の皆さん、忘れないでください。御父のもとへ行くにはその御独り子を通してでなければできないように、御子のもとへ行くには、私たちの元后であり、私たちの代願者であり、天主の玉座での私たちの仲介者であり、私たちの命であり、私たちの甘美であり、私たちの望みである、童貞聖マリアを通してでなければできないということを。ですから、私たちの母であり、教会の母であるマリア、私たちの元后であり、教会の元后であるマリアがおられないところに教会はありません。

それゆえ、私たちは、新しいエルザレム―聖なる教会―に自分の住居(すみか)を置き、集会書が言うように、「栄光ある民の中に」住むことを選ばれた聖母をたたえます。自らの徳によるのではなく、天主の恩寵によって、私たちすべてが召されている聖なる都に属することによって聖化された、栄光と誉れある民です。今日、自分たちのアイデンティティーの誇り、キリストに属することの誇り、王の中の王の聖なる記章(しるし)の下に立つことの誉れを回復しなければならない民です。何世紀にもわたって、キリスト教社会を築くことができた民、しかしその社会が、現在では、キリストに反抗し、キリストの至聖なる御母マリアの聖なる御名を発することさえ許さない人々に軽蔑され、禁止されている民です。

スペイン広場に集まり、政府当局がその母にして元后をたたえるために建てた無原罪の御宿りの像の前で、私たちは敬意を新たにしましょう。背教的なこの世の瓦礫の上に、人類の平和、民族間の調和、国家の繁栄、霊魂の救いを保証することができる唯一の「ordo Christianus」(キリスト教の秩序)を再建することを目的としましょう。この再建、私たち一人一人が切望している霊的かつ道徳的な再生は、私たちが私たちの主の社会的王権を認め、私たちが告白している信仰を一貫して生きる方法を知っている場合にのみ可能となります。

私たちは、天主の御母への堅固にして信頼する信仰をもって、これを求め、これを懇願します。
Salve Regina, Mater misericordiæ... 「元后あわれみ深き御母、…」

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】