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「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 第25, 26のバラ:至聖なるロザリオの信心が、玄義の黙想とともに唱えられるときに、その力、価値、重要性がいかに絶大であるか

2021年12月10日 | カトリックとは

二十五番目のバラ:聖化の宝

聖なるロザリオの祈りと玄義に含まれている聖化の驚くべき宝を、本当に理解することは誰にもできないだろう。私たちの主であり、救い主であられるイエズス・キリストの御生涯と御死去の玄義に対するこの黙想は、それを行なう者たちにとって最も素晴らしい実りの源となる。

現代人は、心を打つもの、感動するもの、霊魂に深い印象を与えるものを求めている。聖なるロザリオに収められている、救い主の御生涯、御死去、栄光の素晴らしい物語ほど感動的なものは、世界の全歴史の中でどこにもなかった。十五の劇的場面の中で、救い主の御生涯の主要な場面や神秘が私たちの目の前で展開される。また「主祷文」と「天使祝詞」よりも素晴らしく崇高な祈りがあるだろうか?この二つの祈りには、私たちのすべての望みとすべての必要なものが表されている。

玄義の黙想とロザリオの祈りは、すべての祈りの中で最も簡単なものである。なぜなら、私たちが学ぶ主イエズス・キリストの種々の聖徳と、御生涯のさまざまな段階が、素晴らしい方法で私たちの心を新たにし、強め、散漫しないように助けてくれるからだ。

これらの玄義は、学者にとっては最も深い教義の源であるが、単純な人々にとっては、彼らの手の届くところにある教えを学ぶ手段を見つけることができる。

私たちは、観想の最も高い状態に進む前に、この簡単な黙想方法を学ばなければならない。これは、聖トマス・アクィナスの見解であり、彼はこう私たちに助言する、「まず第一に、聖なるロザリオが私たちに模倣するよう与えてくれるすべての聖徳を身に付けて、いわば戦場で訓練しなければならない。」学者のカイェタノは、これこそが天主との真の親密な結びつきに到達する方法だ、と言っている。この結びつきがなければ、観想は霊魂を迷わせる危険な幻想にすぎない。

もし、今日の光明主義者や静寂主義者がこの助言に従っていれば、彼らはこれほどまでに堕落することはなかっただろうし、このようなスキャンダルを引き起こし、善良な人々の信心を狂わせることもなかっただろう。「天にますます」や「めでたし」よりも素晴らしく美しい祈りを唱えることができると考えるのは、悪魔の奇怪な幻想に陥っているとしか思えない。【聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォールの時代には、光明主義と静寂主義という異端があった。前者も後者も、天主の霊感を誇張して考え、霊的生活における個人の努力の必要性を否定していた。

これらの天の祈りは、私たちの霊魂を支え、強め、保護するものである。しかし、私は、これらの祈りを声に出して唱えることが必ずしも必要ではないことを認めなければならない。ある意味では、精神的な祈りの方が声による祈りよりも完全であることは確かであるが、信じてほしいのは、天主とのより完全な一致を求めるという口実で、自らの意思でロザリオを唱えるのを放棄することは、致命的とまでは言わないまでも、本当に危険なことなのである。

時折、わずかにプライドが高く、聖人たちが到達した崇高な観想の高みに到達するために、内面的にできる限りのことをしてきた霊魂が、白昼の悪魔に惑わされて、より大きな善を見つけたと思い、以前の信心を放棄することがある。そして、以前の信心業を劣ったものと見なし、普通の平凡な霊魂にしか合わないものだと考える。

しかし、このような霊魂は、大天使が教えてくれた祈りや祝詞、さらには天主が作って教えてくださり、そして天主御自身が、“あなたたちはこう祈るがよい、『天にまします我らの聖父よ…』”と仰せられた祈りにも、あえて耳を貸さなかったのである。 ここまで来ると、このような霊魂は最初の幻想からさらに大きな幻想へと流され、断崖から断崖へと落ちていくのである。

ロザリオ信心会の親愛なる兄弟の皆さん、信じてほしい。もしあなたが本当に、誠実に祈る者たちに悪魔が仕掛ける罠に陥ることなく、高いレベルの祈りに到達したいと願うなら、毎日ロザリオを全部、あるいは少なくとも五連唱えてほしい。

天主の御恵みによって、すでに高いレベルの祈りに到達している者は、もしその状態を維持したいと思うなら、また、それによって謙遜を身につけたいと思うのなら、聖なるロザリオを唱える習慣を続けてほしい。毎日ロザリオを唱えている者が、公の異端者になったり、悪魔に道を踏み惑されたりすることは決してないからである。これは、私が喜んで自分の血で署名する声明である。

一方、全能の天主が無限の憐みをもって、ロザリオを唱えている時に何人かの聖人にされたように、あなたを力強く天主に引き寄せるなら、自分を天主の御手の中に委ね、天主の方に引き寄せられるがままにしてほしい。天主があなたの中で働き、祈って下さり、あなたのロザリオを天主の方法によって唱えて頂いたら、その日はそれで十分である。

しかし、もしあなたがまだ活動的な観想状態にあるか、あるいは通常の静寂の祈り、つまり天主の御前に身を置き、天主を愛する状態にあるならば、ロザリオを唱えることをあきらめない理由が世界中にある。ロザリオは、精神的な祈りから遠ざかったり、霊的な成長を妨げたりするどころか、あなたにとって最も大きな助けとなるだろう。あなたは、それが十五段ある本物のヤコブのはしごであることに気づくだろう。そして、その一段一段によって、あなたは聖徳から聖徳へ、光から光へと進んでいくだろう。このようにして、惑わされることなく、あなたは充ち満ちるイエズス・キリストの背丈へと容易に到達することができるのである。


二十六番目のバラ:崇高な祈り

あなたが何をするにしても、ロザリオについて語られるときにしばしば言及される、敬虔ではあるが自分勝手なローマのある婦人のようになってはならない。彼女は非常に敬虔で熱心であったため、その聖なる生活によって教会の最も厳格な修道者でさえも恥ずかしい思いをしたのである。

霊的生活について聖ドミニコの助言を求めることにした彼女は、告解を聞いてくれるように彼に頼んだ。償いのために、聖ドミニコは彼女にロザリオを一環唱えるように命じ、そしてそれを毎日唱えるように助言した。しかし彼女は、自分は毎日「ローマの道行き」を行なっていること、麻布や毛織りの肌着を着用していること、週に数回鞭打ちをしていること、他にも多くの苦行や断食をしていることなどを言い訳にして、唱える暇がないと言った。聖ドミニコは何度も何度も彼女にロザリオを唱えるように勧めたが、彼女はそれを聞かなかった。彼女は告解室を後にしたが、この新しい霊的指導者が、自分の好みに合わない信心をするように懸命に説得したことに恐怖を感じた。

その後、彼女は祈りの中で恍惚状態に陥り、自分の霊魂が主の審判の座の前に現れているビジョンを見た。聖ミカエルは、彼女の償いの業やその他の祈りを一方の天秤に乗せ、彼女の罪や欠点をもう一方の天秤に乗せた。彼女の罪や不完全さの天秤は、彼女の善行の天秤よりも大きく上回っていた。

恐怖でいっぱいになった彼女は、憐みを求めて、慈悲深い弁護者であられる聖母の御助けを求めた。聖母は、彼女が償いのために唱えた、たった一環のロザリオを、彼女の善行の天秤の上に落とされた。この一環のロザリオはとても重く、彼女のすべての罪や、また彼女のすべての善行よりも重かったのである。すると聖母は、彼女がしもべであるドミニコの助言を拒み、毎日ロザリオを唱えていないことを咎められた。

我に返るとすぐに、彼女は急いで聖ドミニコの足元に身を投げて、起こったことをすべて話し、不信心の許しを乞い願い、毎日忠実にロザリオを唱えることを約束した。このようにして、彼女はキリスト教の完徳を獲得し、最終的に永遠の命の栄光を手に入れたのである。

祈りの民であるあなた方は、このことから、至聖なるロザリオの信心が、玄義の黙想とともに唱えられるときに、その力、価値、重要性がいかに絶大であるかを学ぶように。

聖マグダラのマリアのように祈りの高みに到達した聖人はほとんどいない。マグダラのマリアは、毎日、天使によって天に引き上げられ、主御自身と聖母の御足元で学ぶ特権を持っていた。しかしある日、彼女が天主に、天主の愛の中で前進し、完徳の高みに到達する確実な方法を尋ねたところ、天主は大天使聖ミカエルを遣わして、主の御受難を黙想すること以外に完徳の高みに到達する方法はないことを、主に代わって彼女に告げさせたのである。そこで聖ミカエルは、彼女の洞窟の前に十字架を置き、彼女にその前で祈り、自分が実際に目撃した苦しみの玄義を観想するように、と言った。

当時の偉大な霊的指導者であった聖フランシスコ・サレジオの例を見れば、あなたは聖なるロザリオの信心会に参加するよう駆り立てられるはずである。なぜなら、偉大な聖人である彼は、自分が生きている限り、毎日、ロザリオをすべて唱えることを誓ったからである。

聖カルロ・ボロメオも毎日ロザリオを唱え、司祭たちや神学校の教職者たち、そしてすべての人々にこの信心を強く勧めた。

教会を統治した偉大な教皇の一人である聖ピオ五世も、毎日ロザリオを唱えていた。ヴァランスの大司教であるヴィラノヴァの聖トマス、聖イグナチオ、聖フランシスコ・ザベリオ、聖フランシスコ・ボルジア、聖テレジア、聖フィリッポ・ネリなど、ここでは紹介していない多くの偉人たちも、聖なるロザリオに深い信心を抱いていた。

彼らに倣うように:あなたの霊的指導者も喜ぶだろうし、もし彼らがこの信心から得られる恩恵を知っていれば、真っ先にあなたにこの信心を取り入れるように勧めることだろう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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