Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

どれほどイエズス様、三位一体、マリア様にとって、祈りと犠牲が価値があるか: 祈りと犠牲こそが、平和と悪の解決策を与えてくれる

2020年02月14日 | お説教・霊的講話
2020年2月7日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2020年2月7日、2月の初金曜日で、イエズス様の聖心のミサをしています。

今日このミサの直後に聖時間があります。イエズス様の聖心をお慰めする為に1時間、どうぞ御聖体の前で礼拝して下さい。

今日このミサで、イエズス様の為に捧げる「祈り」、この「聖時間」、この「犠牲」、「ミサ」がどれほど価値があるか、という事を一緒に黙想したいと思っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日まず、「イエズス様の目にとって最も価値があるのは、私たちが通常目に見て価値があると思っているようなものとは、全く違う」という事を、ますます今回改めて確認したいと思っています。

有名なドン・ショタールという方が、『使徒職の秘訣』という本を書きました。それは昔は古典であって、聖ピオ十世教皇様も、この本の事を非常に強く勧めていて、「聖ピオ十世会の神学生は、この本を必ず読まなければならない」という本です。

そのドン・ショタールの『使徒職の秘訣』の中には、こんな一節があります。
それによると、「もしも霊魂が回心するならば、異教徒が信仰を持つようになるならば、あるいは殉教者が、その命を捧げても、血を流しても、そのそれを耐え忍ぶ事ができるならば、あるいはもしも宣教師たちの言葉を聞いて、多くの人たちが生活を改めるならば、これは実は、その陰に、多くの修道者たちが、修道院の中で祈りと犠牲を捧げていた、そのおかげのみによる」と。

あるいはドン・ショタールは、別の色々な使徒たちの引用をします。
例えば、北京で働いていたファビエ大司教の話によれば、「彼は、『中国人の回心の為に、20人中国中を駆け回る宣教師たちよりも、更にもっとたった10人でもいいので、修道院の中に閉じこもって、お祈りと犠牲を捧げるような霊魂たちが欲しい。そのトラピストが私たちの教区に来てもらいたい。もしもそのような人たちがいれば、どんな仕事をするよりは、ただ祈りと犠牲のみに専念してもらいたい。そうした方が、他の何十人の使徒たちの働き、労働よりも、もっと価値がある』と言っている」等の言葉を引用をしていました。

つい最近私は、エクアドルのキトという所に巡礼に行きました。そのエクアドルという国は昔は無かったのですけれども、スペイン人たちが、南米に「キト」というそういう町を作るのですけれども、そのような町を作ると、スペイン人たちがまず送ったのは、軍隊ではなかったのです。

その町を創立したと同時に、一番必要だと思ったのが、「修道院」でした。特に観想修道院でした。ドミニコ会、フランシスコ会、アウグスチノ会、無原罪の御孕りの会、あるいはそのような何百人というシスター、あるいは修道士たちがやって来て、そして修道院の中でお祈りをしていた。

そしてその為に、その町は非常に守られて、祝福を受けて、多くのインディオたちが回心して、そして平和に仲良く暮らしていました。

正確な数は私は歴史学者ではないので知らないのですけれども、スペイン王国が植民地、中南米やフィリピンや、あるいはその統治の為に送った軍隊の数は、もうたったほんのわずかで、100人に行くか行かないかでした。その反対に、何千という修道者たちが、エリートの霊魂が送られて、そしてそれによって、スペインという大きな国のもとに一つに集まっていました。

考えてみれば、本当に不思議な事だと思います。朝鮮半島では昔、高麗という国が中国に対して軍隊を送った事があります。ところが高麗の軍隊として送られた武将李成桂が、中国に行こうとして踵を返して、やっぱり自分の国まで帰って来て、そして自分の王様を倒して、そして自分が王様になってしまいました。そして李氏朝鮮というのを作りました。

ところで、スペインから行った小さな船の数十人のスペイン人たちが、南アメリカの金銀宝石をだけを求めていったのだとしたら、それを自分のものにして、スペインの王様を無視して、「俺が王様だ!」と言う事もできたはずだったのです。

けれども、それは全くありませんでした。皆そのようなものはスペインの王様に送られて、あるいは教会を飾る為に作られて、そして全てイエズス、王たるイエズス・キリストの元に一つになっていた、本当に不思議な話です。

でもこれは不思議な話ではありません。それを証明するかのように、今回私が巡礼に行った「善き出来事の聖母」というマリア様が、今から400年ぐらい前に、無原罪の御孕りの創立者の一人である、マザーマリアナという修道女に、色々な秘密を語っています。

その内の一つがやはり、「どれほど天主三位一体にとって、あるいはイエズス様の聖心にとって、『修道生活、祈りと犠牲の生活』というのがどれほど価値があるか」という事でした。

「もしもそのような修道院が無いとしたら、それはこの地上にとって最も不幸な事だ。この生きる人間たちは、その修道院の、その天主に捧げられた霊魂たちの価値を知らない。」

「もしも私たちが肉体的な、あるいは道徳的な悪に対する解決策を求めているとしたら、それはこの修道院に解決がある。もしも霊魂の救いがあるとしたら、罪人が回心をするとしたら、あるいは災害が起こらないとしたら、あるいは大地が食べ物を産物として出すなら、あるいは豊かな豊作があるとしたら、あるいは疫病が無いとしたら、あるいは戦争が終わるとしたら、あるいは人々が皆平和に調和を以て国々が生活するとしたら、これは全部、修道院や、あるいは観想修道会の、その祈りと犠牲の実りによる。」

「もしもこのようなものが無かったら、もしも霊魂が、天主様に捧げられた霊魂が、祈り、犠牲を捧げていなかったら、この地上は、大混乱と、戦争と、飢餓と、疫病と、苦しみに悶えるだろう」と仰っています。

ところで、特にこの善き出来事の聖母は、20世紀の私たちの為に予言をされました。
この先ほど申し上げました、マザーマリアナという方は、「20世紀には、信仰が失われるだろう。信仰の光が消しかかられるだろう。」

そこでその為に、特別にマザーマリアナが祈りと犠牲を捧げて、死ぬような苦しみを受ける事を望まれました。そしてこの彼女は、20世紀の教会の為に、私たちの為に、特別の苦しみと犠牲を捧げた方でした。

「20世紀には、特に3つのものがある」と予言しました。それが、「異端」と、それから「冒瀆」と、そして「不潔」です。

「この為に霊魂は、子供たちも、その罪の無い状態を失ってしまい、そして道徳は腐敗し、信仰は異端によって、信仰の光はかき消されてしまうだろう。そして霊魂を司牧する牧者たちもそれを蔑ろにしてしまい、あるいは司祭はお金を追求するし、そして本当ならば財産を持っている人たちは、霊魂の救霊の為に、あるいは教会の為に使うべきところを、無関心であるし、そして天主に捧げられた霊魂は、祈りと犠牲をするべきところが、それを怠るようになる。そしてそのように守る修道院たちの数は、非常に少なくなってしまう。忠実な霊魂たちは少なくなってしまう」等と予言しておられました。

しかし、皆さんもご存知の通り、善き出来事の聖母は、「しかし、天主の御憐れみによって、教会の聖性を、特に司祭の聖性を復興させる、偉大な高位聖職者が与えられる」と、そして「この高位聖職者は、父親のような愛を以て、司祭の特に聖性を守るように努力する」と。

今回私の提案するのは、どれほどイエズス様の目にとって、三位一体にとって、マリア様にとって、どれほど祈りと犠牲が価値があるかという事、そして祈りと犠牲こそが、私たちの世界に平和と、本当の意味での全ての悪の解決策を与えてくれるもので、その為に捧げられた霊魂たちが特に必要だ、ということです。

今は残念ながら、そのような霊魂たちが非常に少なくなっている、砂漠のような時代であります。ですからおかしな疫病が世界中に広まったり、あるいはおかしな天候があるとか、あるいは地震がどこ各地もあって、火山が噴火する等という事があっても、驚くべき事ではないかもしれません。なぜかというと、祈る霊魂が、捧げられるミサが、どんどん少なくなっているからです。

ですから今日は、この世界の平和の為にも、霊魂の回心の為にも、そしてまた私たちの愛する兄弟姉妹、家族の方々の為にも、今日このミサと御聖体降福式を、聖時間をお捧げ致しましょう。

イエズス様はそのような私たちを御覧になって、どれほど御喜びになる事でしょうか。その愛の眼差しを以て、ますます私たちに御恵みと、特別の祝福を与えて、それを喜びとされるに違いありません。私たちの祖国や世界中に、この御恵みが広がりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2020年1月6日(月)主の御公現の大祝日のミサ: この三博士たちが長い旅路で危険な旅であったとしても救い主を礼拝しようとした信仰

2020年02月14日 | お説教・霊的講話

2020年1月6日(月)主の御公現の大祝日のミサ
ミサの前のお話 聖ピオ十世会司祭 小野田神父

三人の博士らは星に導かれて、信仰を持って、救い主の、天主の、王の御降誕を祝う為に、はるばる遠い旅路をやって来ました。

非常に驚くべき事は、この三博士たちが、どのような困難があったとしても、長い旅路であったとしても、危険な旅であったとしても、不安であったとしても、この救い主を礼拝しようと思った、この確固とした信仰です。

また第2に、イエズス様が生まれた場所がベトレヘムで、馬小屋であって、王、天主としては生まれるには相応しくないように思われるような所でも、それにもかかわらず、イエズス様を真の天主として、救い主として、礼拝した事です。

また最後に、この博士たちがやったプレゼントです。黄金と乳香と没薬、貴重な王のを示す黄金と天主を示す乳香と死すべきものを示す没薬とを、イエズス様に相応しいものとしてお捧げした事です。

皆さんも、このミサに与る為に、はるばるこの御ミサにいらして、そしてパンに隠れたイエズス様を礼拝しようとして、やって来られました。イエズス様はどれほどお喜びになった事でしょうか。

私たちも、「愛の黄金」と、「祈りの乳香」、そして「罪の犠牲の没薬」をお捧げ致しましょう。


聖なる3日間 "Triduum Sacrum" の中の「聖木曜日」の典礼について

2020年02月14日 | カトリックとは
2020年1月5日(主日)聖ピオ十世会司祭 小野田神父様霊的講話
「聖なる3日間 "Triduum Sacrum" の中の「聖木曜日」の典礼について」

今日は、お忙しいのに時間をありがとうございます。

今年の4月は日本で初めて聖週間を行なう事ができる予定ですので、ぜひそれに、「一体どんな事が起こるのか」という事を皆さんにあらかじめ知って頂きたいと思っています。

特に、聖週間の一番重要なのは、「聖なる3日間」と言われている、ラテン語で“Triduum Sacrum“と言われている、「聖木曜日」「聖金曜日」「聖土曜日」です。

そこで今回は、

⑴その「聖なる3日間」というのはどういうものなのか?という事をまず見て、

⑵次に今日は特に、「聖木曜日」にはどういう事が行なわれるか?という事を第2に見て、

⑶第3に、では私たちは、その今年の聖木曜日はどうすれば良いか?という事を簡単に見て、

それから皆さんからの質問があれば、それをお伺いしたいと思っています。

⑴では第1に、「聖週間」。もちろんこの聖週間は、枝の主日から始まって、そして聖月曜日・聖火曜日…と続きます。

特にこの聖木曜日から聖金曜日・聖土曜日の3日間を、「聖なる3日間」と“Triduum Sacrum”と言います。“Triduum”のTriは、「3」という意味です。

なぜこの3日間が重要かというと、イエズス様が最後の晩餐をした、それから弟子たちの足を洗って、そしてイエズス様の御受難が始まったのが聖木曜日で、そして十字架に付けられたのが聖金曜日です、そして死去されたのが聖土曜日、と、イエズス様の御受難のそのそれが、聖木曜日から金曜日、土曜日に記念されるからです。

ところで、この英語では 'Maundy Thursday'(聖木曜日)と言うのですけれども、これの語源が何か知っていますか?

これは弟子たちの足を洗う時にイエズス様が、「私は、新しい掟をお前たちに与える。互いに愛し合いなさい」と言った時に、「新しい掟を」と言ったのは、ラテン語では “Mandatum novum” と言われていて、そしてこの洗足式の事を、よく“Mandatum”と言われていました。英語のこの 'Maundy'は、“Mandatum”から来た、と言われています。

ところで、聖なる3日間はこういう事で、イエズス様の御受難の記念をする典礼という事で、そのそれを、典礼によってそれを、特別にそれが実現するように、私たちの目の前に起きるかのようにさせる御恵みを与える、という意味があります。

⑵では第2の点に行きますが、その前に簡単に、どんな儀式があるかという事を見ます。聖木曜日です。

もう一つちょっとした点があって、1955年にピオ十二世教皇様が聖週間を改革しました。そして私たちはこのピオ十二世の聖週間の改革に従って、その典礼を行なっているのですけれども、でもこれが、1970年の新しいミサが出来たので、ほんの少ししか歴史が長くする事ができなくて、その為に、もっとそれの為の研究書とかたくさん出るはずだったのが、今これをやっているのは非常に限られた、聖ピオ十世会と、他の聖伝の修道院だけなので、資料の少なさというのも少し、私たちにとってのちょっとチャレンジでもあります。

では、ピオ十二世の行なったこれはどうなるかというと、この3日間、午前中には、「朝課」と「讃課」という聖務日課を、グレゴリオ聖歌で歌います、午前中に。

元々この「朝課」というのは、朝4時とか3時とか、修道院では早く歌うのですけれども、特に聖週間では、他の多くの信徒の方も与る事ができるように午前中に歌います。エコンの新学校では朝の9時頃から歌いました。2時間半とか3時間ぐらいかかります。

聖木曜日の午後には、「最後の晩餐のミサ」があります。これが夕方の17時頃からあります。

聖金曜日には、ミサはないのですけれども、その代わりに15時頃から、イエズス様の御受難の朗読、あるいはお祈り、9つのお祈り、それから十字架の礼拝、また御聖体拝領などがあります。
でもその御聖体拝領は、聖木曜日に聖別された聖体を使います。この聖金曜日の色々な事については、来月詳しくお話します。

聖土曜日には、復活徹夜祭は、日が沈んだ時間から司式が許可されていますが、大体は20時頃から始まります。なぜ20時かというと、この儀式がこの徹夜祭が終わった直後に、復活のミサがあるのですけれども、それがちょうど真夜中に始まるように設定されています。

徹夜祭は、大体火の祝別、それから復活のローソクの祝別、それから教会に行列での入場、旧約聖書の四つの朗読、洗礼用水の祝別、諸聖人の連祷、洗礼の約束の更新などがあって、そのそれらが全て終わると、復活の主日のミサに、復活のミサになります。

もしも復活のミサが午前0時よりも早めに済めば、御聖体拝領を、聖土曜日にも拝領して、そしてそれよりももしも遅れれば、聖土曜日には御聖体拝領が無くなってしまいます。

これがピオ十二世の典礼改革だったのですけれども、でもそれより前はどうだったのか、それを今から申し上げます。

ではピオ十二世教皇様の前は、この朝課とかは、その前日の午後に先取りして歌っていました。それでこの晩餐のミサは、午前中にあったのです。この十字架の礼拝も午前中にありました。

復活の徹夜祭も午前中にあったのです。なぜかというと、昔々は夕方だったのですけれども、しかしやはり復活を待ちきれないと言うか、「復活のミサをもうちょっと早くした方が良いんじゃないか」と言って、2000年の長い内に少しずつ早くなって、そして既に午前中に始まるのが習慣になってしまいました。

ですから例えば公教会祈祷文を見ると、「アレルヤの祈り」はいつ唱えるかというと、聖土曜日のお昼からもう唱える事になってます。なぜかというと、その時にはもう復活の徹夜祭が終わった事になっていたからです。

このようなものの名残は、四季の斎日という中にも残っています。「四季の斎日の土曜日のミサ」というのは、本来ならば夜中に、“Easter vigil”復活の徹夜祭のように、夜始まったのですけれども、そして夜明け頃終わったのですが、それがだんだん早くなって、今では土曜日の朝からやるようになっています。

歴史上、夜中にやっていたものが「だんだん早くやるようになった」という動きがありました。

ですからもう聖土曜日の間に、「主は復活しました!アレルヤ!」と言うのは、典礼上間違いではなかったのです。

もう一つ、これは私たちには今年は特に関係ないのですが、でもエコンの神学生たちには関係のある事で、司教様がいるようなカテドラル、あるいは司教様がいるような所では、この聖木曜日の朝は、「聖香油のミサ」というのが行なわれました。

「聖香油のミサ」というのは何かというと、その聖木曜日の朝に司教様が聖香油を、1年に1度だけですけれども、特別なやり方で祝別します。そこの教区の司祭、助祭、副助祭、あるいは聖職者が全て集まって、このミサを行ないます。そして特別なやり方で儀式で聖香油を作ります。それがあります。エコンではいつもありますが、そのような時にはこの朝課は、昔のように水曜日に先取りしてします。

もう1つの特徴は、この「最後の晩餐のミサ」というのは、ミサがたった1つしかできません。ですから、いつもこの教会の脇祭壇とかにあって、こうたくさんミサがあったという所でも、この日には1回しかミサができなくなります。でもそこの教会の中で一番偉い神父様がミサをして、他の神父様たちはミサに与ります。

では聖木曜日にはどういう事があるか、2つの事を今から見ます。
午前中の「聖務日課」と、午後の「最後の晩餐の御ミサ」です。

【聖務日課】
4月9日聖木曜日、では午前中どのような事があるかというと、できれば私たちも、この御聖堂で東京では、お香を使って聖週間を過ごしたいと思いますけれども、できる限り、エコンでの神学校と同じような感じでできる限りミサを行ないたいと思っています。

午前中の聖務日課では、この「朝課」と「讃課」というのを一緒に唱えます。
大体2時間半ぐらいかかります。3時間ぐらいかかるかもしれません。特に聖金曜日などは、朝からご飯も食べていないし、暖房はないし、お腹は減っているし。それでその聖務日課がありますが、これを特に、“tenebrae”と言われています、『暗闇』と。

なぜかというと、祭壇にはローソクが灯されます。それであと祭壇の前に、三角形の台があって、正確な言い方ではないのですけれども、ハンガーの物掛けに縦棒が付いているような感じのものがあって、その上にローソクがあるのです。全部で15本のローソクがあって、このローソクを点けて、そして聖職者たちは向かい合わせに座って、信徒の方とこの聖務日課を唱えます。

それで「朝課」とか、あるいは「讃課」が、どのような事かとちょっとだけ説明します。
また別の機会で、クリスマスにも、クリスマスの朝課をミサの前に先取りして唱えるのが教会の習慣です。例年、大阪では、このクリスマスの朝課をミサの前にやっています。私たちも今年是非やりたいと思います。

【朝課】
この朝課では、特にこの聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日の朝課というものには、日本語で「夜課」という風に訳されているもの(Nocturna)が3つあります。第1夜課・第2夜課・第3夜課。そしてその一つ一つには、詩篇が3つずつあります。

それから、1つの夜課には詩篇が3つあって、答唱というものがあって、天にましますのお祈りがあります。それを3回繰り返します。という事は、詩篇が9回、1つの朝課にはあります。

詩篇を唱えるには、前と後に「アンティフォナ」“Antiphona”というものが付きます。

第1アンティフォナ・第1詩篇・第1アンティフォナ。
第2アンティフォナ・第2詩篇・第2アンティフォナ。
第3アンティフォナ・第3詩篇・第3アンティフォナ。
答唱。
天にまします。

というパターンで、3回それがあります。

それから、朝課の詩篇を一つ唱えるごとに、式長が、このローソクを一つ一つ消していきます。9つの詩篇があるので、9つのローソクが、朝課が終わる前には消えます。

【讃課】
讃課というのは、詩篇が5つあるのです。
それから特別な有名な歌があります。“Christus factus est.”「キリストは従順になられた。しかも、十字架の死に至るまで従順になられた」という歌があるので、それを歌います。
その次に、Pater noster。

それで、讃課で5つの詩篇があるのですけれども、その詩篇が歌い終わるごとに、式長がここのローソクを一本一本消して、最後には、頂上頂点にだけ1つだけ残ります。

そしてその次に、“Benedictus”というこのザカリアの、洗者聖ヨハネが生まれた時に、「イスラエルの天主は祝せられ給え」という歌があるのですけれども、それを歌います。

それを歌っている間、式長はローソクを、6本のローソクを次々と消して行きます。このイエズス様の御受難の予言が皆成就していって、一つ一つ成就して、「さぁ、もう御受難の時が来た。」「さぁ、イエズス様のこの時間が、もうその時がやって来た。」「さぁ、今もう受難の時だ」という事を示します。

そして残ったこの1つは、イエズス様を意味しています。

それで、「イエズス様は、死に至るまで従順であった。しかも十字架の死に至るまで。」

聖木曜日では、「イエズス様は従順であった」という最初の部分だけを歌います。
聖金曜日には、「イエズス様は従順であった。しかも十字架の死に至るまで、従順であった。」その次の節まで歌います。
聖土曜日になると、その最後の節があって、「だから、聖父は彼に、全てに勝る名を与えた」と、少しずつ、聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と、同じ歌ですけれども、少しずつ歌い出します。

天にましますを唱えます。

そして司祭がお祈りをします。後で式長には正確な時を申し上げますが、式長はこの一番上のローソクを取って、火を点けたまま、祭壇の裏に隠します。そして「イエズス様が取られてしまった。」これは、「イエズス様が取られて、古聖所に行った」という事を、「受難を受けた」という事を意味します。
そしてお祈りが終わった後、そこにいた会衆たちは皆、持っていたお祈りの本とかリベルウズアリスとかを持って、バンバンバンバンバンとこの教会の跪き台を叩いて音を出すのですが、それは、イエズス様が亡くなった時に地震が起こった、という事を記念します。

その地震が終わると、今まで隠していたローソクを式長が取り出して、そしてもう一度ここに戻します。「イエズス様が復活した」という事なのですけれども、それを、ローソクを消して、これでこの『暗闇』と言われる式が終わります。

こういう儀式が午前中にあります。特に、このグレゴリオ聖歌の練習を少ししなければなりませんが、とても美しい典礼です。日本でこういう事をやるのはもしかしたら、どれほどあるかちょっと分かりません。

【最後の晩餐のミサ】
では、本当はもう時間が過ぎてしまったのですけれども、5分ほど、「最後の晩餐のミサ」について、少しだけ違ったところがあるからです。

まず聖木曜日には、白を使います。本当は聖週間の間は紫なのですけれども。聖木曜日には花も飾ります。御聖櫃は空になります。それから聖水台も空になっています。それから十字架とか御像は紫の布で包まれているのですけれども、祭壇の上の十字架だけは白になります。祭壇もみんな白です。

4つの点で、普通のミサと違う点があります。

まず「グロリア」。この時に侍者はベルを鳴らします、鈴を鳴らします。
もしもこの教会の鐘があれば、その鐘もボーンボーンボーンと鳴らします。
そしてこの後は、立ったり座ったりする時に合図するクラッパーを使います。この後は復活祭の時まで、鐘・鈴は鳴らさなくなります。

第2の点は、福音の後に「洗足式」というものをする事ができます。必ずしなければならないという事ではないですけれども、する事ができます。十二人の男性の足を、司祭が洗う事ができます。
昔ピオ十二世教皇様の前では、ミサの時にはそれはなくて、ミサが終わってから、別個にこのような儀式がありました。ところがピオ十二世の典礼改革では、それがミサの途中に入る事になりました。

第3のポイントは、ミサの後で、御聖体が「仮祭壇」に運ばれます。
それは、「イエズス様が最後の晩餐が終わった後に、弟子たちと一緒にゲッセマニに行って、そしてお祈りをした」という、それで信徒の方も一緒に、御聖体と一緒に仮祭壇の方に行って、夜中の12時頃まで、典礼の12時まで御聖体の前で、聖体を礼拝するお祈りする事があります。

最後の点は、この御聖体を移動した司祭は、香部屋に戻ってきて、祭服を脱いで、黒いストラをつけて、そして祭壇の布を剥ぎ取ります。
裸にするというか、祭壇の飾りを取る。これは、「イエズス様が捕らえられて、ゲッセマニの園にて捕らえられて、そしてなぶり者にされた」という事を象徴します。

ですから、祭壇の布 “Antependium”、ローソク、十字架、お花、全て真っ裸に、祭壇がむき出しになってしまいます。

そして聖木曜日の儀式が終わります。とても感動的で、何とかして教会は、イエズス様の身に何が起こったのかを私たちに見せて、理解させようとする事を望んでいます。






--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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