Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

どれほどイエズス様、三位一体、マリア様にとって、祈りと犠牲が価値があるか: 祈りと犠牲こそが、平和と悪の解決策を与えてくれる

2020年02月14日 | お説教・霊的講話
2020年2月7日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2020年2月7日、2月の初金曜日で、イエズス様の聖心のミサをしています。

今日このミサの直後に聖時間があります。イエズス様の聖心をお慰めする為に1時間、どうぞ御聖体の前で礼拝して下さい。

今日このミサで、イエズス様の為に捧げる「祈り」、この「聖時間」、この「犠牲」、「ミサ」がどれほど価値があるか、という事を一緒に黙想したいと思っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日まず、「イエズス様の目にとって最も価値があるのは、私たちが通常目に見て価値があると思っているようなものとは、全く違う」という事を、ますます今回改めて確認したいと思っています。

有名なドン・ショタールという方が、『使徒職の秘訣』という本を書きました。それは昔は古典であって、聖ピオ十世教皇様も、この本の事を非常に強く勧めていて、「聖ピオ十世会の神学生は、この本を必ず読まなければならない」という本です。

そのドン・ショタールの『使徒職の秘訣』の中には、こんな一節があります。
それによると、「もしも霊魂が回心するならば、異教徒が信仰を持つようになるならば、あるいは殉教者が、その命を捧げても、血を流しても、そのそれを耐え忍ぶ事ができるならば、あるいはもしも宣教師たちの言葉を聞いて、多くの人たちが生活を改めるならば、これは実は、その陰に、多くの修道者たちが、修道院の中で祈りと犠牲を捧げていた、そのおかげのみによる」と。

あるいはドン・ショタールは、別の色々な使徒たちの引用をします。
例えば、北京で働いていたファビエ大司教の話によれば、「彼は、『中国人の回心の為に、20人中国中を駆け回る宣教師たちよりも、更にもっとたった10人でもいいので、修道院の中に閉じこもって、お祈りと犠牲を捧げるような霊魂たちが欲しい。そのトラピストが私たちの教区に来てもらいたい。もしもそのような人たちがいれば、どんな仕事をするよりは、ただ祈りと犠牲のみに専念してもらいたい。そうした方が、他の何十人の使徒たちの働き、労働よりも、もっと価値がある』と言っている」等の言葉を引用をしていました。

つい最近私は、エクアドルのキトという所に巡礼に行きました。そのエクアドルという国は昔は無かったのですけれども、スペイン人たちが、南米に「キト」というそういう町を作るのですけれども、そのような町を作ると、スペイン人たちがまず送ったのは、軍隊ではなかったのです。

その町を創立したと同時に、一番必要だと思ったのが、「修道院」でした。特に観想修道院でした。ドミニコ会、フランシスコ会、アウグスチノ会、無原罪の御孕りの会、あるいはそのような何百人というシスター、あるいは修道士たちがやって来て、そして修道院の中でお祈りをしていた。

そしてその為に、その町は非常に守られて、祝福を受けて、多くのインディオたちが回心して、そして平和に仲良く暮らしていました。

正確な数は私は歴史学者ではないので知らないのですけれども、スペイン王国が植民地、中南米やフィリピンや、あるいはその統治の為に送った軍隊の数は、もうたったほんのわずかで、100人に行くか行かないかでした。その反対に、何千という修道者たちが、エリートの霊魂が送られて、そしてそれによって、スペインという大きな国のもとに一つに集まっていました。

考えてみれば、本当に不思議な事だと思います。朝鮮半島では昔、高麗という国が中国に対して軍隊を送った事があります。ところが高麗の軍隊として送られた武将李成桂が、中国に行こうとして踵を返して、やっぱり自分の国まで帰って来て、そして自分の王様を倒して、そして自分が王様になってしまいました。そして李氏朝鮮というのを作りました。

ところで、スペインから行った小さな船の数十人のスペイン人たちが、南アメリカの金銀宝石をだけを求めていったのだとしたら、それを自分のものにして、スペインの王様を無視して、「俺が王様だ!」と言う事もできたはずだったのです。

けれども、それは全くありませんでした。皆そのようなものはスペインの王様に送られて、あるいは教会を飾る為に作られて、そして全てイエズス、王たるイエズス・キリストの元に一つになっていた、本当に不思議な話です。

でもこれは不思議な話ではありません。それを証明するかのように、今回私が巡礼に行った「善き出来事の聖母」というマリア様が、今から400年ぐらい前に、無原罪の御孕りの創立者の一人である、マザーマリアナという修道女に、色々な秘密を語っています。

その内の一つがやはり、「どれほど天主三位一体にとって、あるいはイエズス様の聖心にとって、『修道生活、祈りと犠牲の生活』というのがどれほど価値があるか」という事でした。

「もしもそのような修道院が無いとしたら、それはこの地上にとって最も不幸な事だ。この生きる人間たちは、その修道院の、その天主に捧げられた霊魂たちの価値を知らない。」

「もしも私たちが肉体的な、あるいは道徳的な悪に対する解決策を求めているとしたら、それはこの修道院に解決がある。もしも霊魂の救いがあるとしたら、罪人が回心をするとしたら、あるいは災害が起こらないとしたら、あるいは大地が食べ物を産物として出すなら、あるいは豊かな豊作があるとしたら、あるいは疫病が無いとしたら、あるいは戦争が終わるとしたら、あるいは人々が皆平和に調和を以て国々が生活するとしたら、これは全部、修道院や、あるいは観想修道会の、その祈りと犠牲の実りによる。」

「もしもこのようなものが無かったら、もしも霊魂が、天主様に捧げられた霊魂が、祈り、犠牲を捧げていなかったら、この地上は、大混乱と、戦争と、飢餓と、疫病と、苦しみに悶えるだろう」と仰っています。

ところで、特にこの善き出来事の聖母は、20世紀の私たちの為に予言をされました。
この先ほど申し上げました、マザーマリアナという方は、「20世紀には、信仰が失われるだろう。信仰の光が消しかかられるだろう。」

そこでその為に、特別にマザーマリアナが祈りと犠牲を捧げて、死ぬような苦しみを受ける事を望まれました。そしてこの彼女は、20世紀の教会の為に、私たちの為に、特別の苦しみと犠牲を捧げた方でした。

「20世紀には、特に3つのものがある」と予言しました。それが、「異端」と、それから「冒瀆」と、そして「不潔」です。

「この為に霊魂は、子供たちも、その罪の無い状態を失ってしまい、そして道徳は腐敗し、信仰は異端によって、信仰の光はかき消されてしまうだろう。そして霊魂を司牧する牧者たちもそれを蔑ろにしてしまい、あるいは司祭はお金を追求するし、そして本当ならば財産を持っている人たちは、霊魂の救霊の為に、あるいは教会の為に使うべきところを、無関心であるし、そして天主に捧げられた霊魂は、祈りと犠牲をするべきところが、それを怠るようになる。そしてそのように守る修道院たちの数は、非常に少なくなってしまう。忠実な霊魂たちは少なくなってしまう」等と予言しておられました。

しかし、皆さんもご存知の通り、善き出来事の聖母は、「しかし、天主の御憐れみによって、教会の聖性を、特に司祭の聖性を復興させる、偉大な高位聖職者が与えられる」と、そして「この高位聖職者は、父親のような愛を以て、司祭の特に聖性を守るように努力する」と。

今回私の提案するのは、どれほどイエズス様の目にとって、三位一体にとって、マリア様にとって、どれほど祈りと犠牲が価値があるかという事、そして祈りと犠牲こそが、私たちの世界に平和と、本当の意味での全ての悪の解決策を与えてくれるもので、その為に捧げられた霊魂たちが特に必要だ、ということです。

今は残念ながら、そのような霊魂たちが非常に少なくなっている、砂漠のような時代であります。ですからおかしな疫病が世界中に広まったり、あるいはおかしな天候があるとか、あるいは地震がどこ各地もあって、火山が噴火する等という事があっても、驚くべき事ではないかもしれません。なぜかというと、祈る霊魂が、捧げられるミサが、どんどん少なくなっているからです。

ですから今日は、この世界の平和の為にも、霊魂の回心の為にも、そしてまた私たちの愛する兄弟姉妹、家族の方々の為にも、今日このミサと御聖体降福式を、聖時間をお捧げ致しましょう。

イエズス様はそのような私たちを御覧になって、どれほど御喜びになる事でしょうか。その愛の眼差しを以て、ますます私たちに御恵みと、特別の祝福を与えて、それを喜びとされるに違いありません。私たちの祖国や世界中に、この御恵みが広がりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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