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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.1.司教聖別という重大な決断

2010年05月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅱ.司教聖別という重大な決断

 1974年すでに、ドミニコ会司祭、ロジェ・トマス・カルメル神父はルフェーブル大司教に手紙 を書き、大司教は後継者となる司教を叙階しなければならなくなる日がやって来るだろうと伝えていた。はたして大司教はその時、まだ1984年にマルク・デン(Marc Dem)氏がルフェーブル大司教に帰した言葉を以って回答したのだろうか? つまり【マルク・デンはルフェーブル大司教の代筆をしてルフェーブル大司教に次のように言わせている】「私たちの神学生たちを叙階してくれるに十分な司教たちが世界各地で見つかることが、私には分かっています」 と。

 それはあり得ない事ではなかった。しかしそれは長い間ではないだろう。何故ならスイスのシエールの病院に入院した1981年の2月から、司教聖別を行うべきかという問いが彼の思案を支配していたからだ。彼の健康は優れなかった。現状のままでは司教の誰一人として、ピントネッロ(Pintonello)司教でさえも、自分の神学生たちを叙階することに同意しないだろうと認めざるを得なくなっていた。たしかにローマからは、聖伝ミサに自由を授与する文書が約束され、枢機卿を視察訪問者としてエコンに派遣する事の計画が詳しくなってきていた。しかしもしも事が深刻化したらどうなるのか?

 大司教はフランスの雑誌モンド・エ・ヴィ(Monde et Vie)に掲載された、アンドレ・フィグラス(Andres Figueras)氏とのインタビューの中でこの問いに答えた。

「もしカトリック教会内において、状況がもっと酷くなるとしたら、さらにもし、御摂理が、それを行わなければならないとはっきり私に示されるなら、恐らく司教聖別【の聖旨】に止むを得ず忍従するでしょう。何故なら、私には有効にそうする事が出来るからです。しかし、それはローマとの断絶の行為となるでしょうから‐その可能性をローマが恐れているのですが‐、それを回避する為に私は何でもするつもりです。」

 “ローマとの断絶”とはどういう意味なのか?ルフェーブル大司教は、このような司教聖別が、カトリック教会、永遠のローマとの断絶を招くだろうなどとは考えなかった。しかしそれは、事実上、今のローマとの仲違いとなるであろう。秋に指導した黙想会中、大司教はローマの教会を愛するよう自分の司祭達に勧告した。

「カトリックに固有なこと、それは真にローマを愛する事です。ローマ教会の教義が暗まされているので、私たちが余りにも酷く攻撃され、苦しめられているのは事実です。だからと言って、私たちはローマの教会から分離すべきでしょうか? そして私たちの聖主イエズス・キリストに「自分自身を直接結び付ける」べきでしょうか? それは危険な思い違いというものです! 慎重にこの問題を検討することは私たちの義務です。。道を間違わないようにするためです。カトリック教会の確かに外へと出て行くようにと私たちを引きずり込む反感と方針とに従わないようする事です。」

 離教的方針? そうだ、ローマ当局を完全に軽視させ望まないようにさせる方針、思いのままに行動させ、“もう一つの教会”を創立させるような方針であり、つまりこれは大司教が嫌悪することである。それでも当分の間、彼は依然として【ローマ当局を】信用する事を望んだ。

 ルフェーブル大司教はこう言っている。
「あるオーストラリア人の若者が私に言いました:『大司教様の神学校に入りたいのですが、6年後には大司教様も亡くなっているでしょう。それなら入学してもしょうがないですね。』 私が咳をすると、神学生たちは心配して震え上がります。『少なくとも私の叙階式までは大司教様の命を持ち堪えさせ給え!』と。よろしいですか、御摂理に信頼しましょう。天主様が成就するのをお望みである出来事を見て待ち望みましょう。」


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