幸いにもルフェーブル大司教は、長い作戦行動を展開する覚悟をしていた。ラッツィンガー枢機卿が、ウルス・フォン・バルタザールによる“要塞を倒壊する事は急を有する義務である” という表現を使って本を書いたが、大司教は、信仰を擁護し、それを普及する為に、影響力の広がるキリスト教世界の砦を建設しなければならない、という事実で答えた。
支部修道院
「支部修道院とは、信仰の砦であると共に、遠方にある駐屯地へ霊的糧を配給する為のキリスト教世界の灯台の両方なのです 。」
この支部小修道院において、司祭たちの団体は、数名の修道士たちと共に会則に則った共同生活を送る。大司教は、この共同生活がこのような散在する使徒職には最も適しており、又、自が司祭職を守る為の手段として司祭たちに必要とされていると考えた。時には、司祭らは一人で司牧の仕事に送られる事もあろうが、それは緊急事態の時だけである。大司教が、しばしば共同生活の有効性を思い出させたが、それが司祭達に規則正しい生活を送らせ、彼らの祈りの生活の維持を保証してくれるからである。
しかし、ここで言う共同生活とは、修道院内に閉じこもった生活の事ではない。聖ピオ十世会は“本質的に使徒的であるのは、ミサの犠牲が使徒的だからである(会則Ⅰ.2)”。従って、司祭達はあらゆる方面に出て行き、近くの聖堂において、あるいは遠く離れた “宣教地”に (大司教曰く、未開地に行くように)毎週、そうでなければ毎月、或いは2~3ヶ月に一回訪問し、ミサや公教要理を提供する。後者の場合、司祭らは数日そこに滞在し、その後、自らの拠点【である支部修道院】に戻って、消耗した霊的な力を取り戻し、説教や、公教要理、ならびに講話を用意する。
大司教にとっての“理想的な支部修道院” とは、都心部にあるものではなく、むしろ近郊の市街地【つまり都心部と田舎の中間地点】に位置するであろう。それにより、信徒達からの絶え間ない訪問から司祭たちを守る為である。それに比べて、都会にある聖堂は使徒職の中心地であるべきだ。
しかし支部修道院は、静沈の祈りの数日を過させる為に子供達を迎え、あるいは黙想会の為に大人たちを宿泊させる事も出来るだろう。それでも、【聖イグナチオの】霊躁は一般に、霊的黙想会のための施設で指導されるだろう。そこには毎年、何百人の参加者が参加し、“元黙想会参加者達”からなる団体を通して【社会に】影響を与える“黙想会の使徒”になるよう励まされる。
小教区の小学校は、通常はこの小修道院の近くに設置されるだろうが、小修道院それ自体【の内】にではない。この小修道院長が校長としてそこを担当するだろうが、授業は修道女や、聖ピオ十世会の献身会会員、場合によっては平信徒の小学校の教師が行う。このように、小修道院、小学校、都心部の聖堂からなる“三者”は、あらゆる必要性に応える組織的使徒職の模範となる。
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