Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスが真に天主だから

2008年10月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 今日、私たちは、リュドバックのパリ外国宣教会本部の殉教者の部屋を訪問しました。天主様に感謝!

 天主教のカトリック教会は、イエズス・キリストが真に・本当の・実在の・現実の天主であるから、私たちが便利であろうとなかろうと、私たちが好きであろうとなかろうと、イエズス・キリストが天主であるという真理の事実を受け入れて信じなければならない、と教えてきました。何故なら私たちは被造物だから、創造主に創られたことを認識して創造主に従う義務があるからです。

 啓蒙主義の民主教は、その反対を教えます。私たちが好きなように、便利なように思い込んで、行動せよ、と。もしも人間にとってそのほうが都合が良いなら、天主を作り出して、あたかも天主が存在していたかのように行動せよと教えます。ほら、ごらん、天主を想定しない世界は上手く機能しない、だから天主が存在していると想定して世界を作るべきだ、イエズス・キリストが天主であるかないかは問題にしない、信仰とは全て政治問題だ、真理の問題ではない、と。

 私たちの祖先キリシタンたちは、イエズス・キリストが真理の天主であるがために信仰し、真理のために殉教していきました。

「それ玉の緒を鳥の毛の軽きに比べ、義を鉄(くろがね)の重きに置くは、これ丈夫(ますらお)の赤心(まごころ)にて、人の尊み敬うところなり。幸に我が国の民草は概ねこの気性に富み、これを日本魂(やまとだましい)と云う。‥」
「致命人の血は信者の種なりと云えり。ゆえに、我ら天主の民たる者は、富士の高嶺に立って叫び、この致命人の名を日本全国に響かせ合わせてその血の種により盛んに信者の芽を出さんことを天主に祈り奉る。アメン」
(『鮮血遺書』の自序より)

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

聖母マリアの汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!

日本の尊き殉教者たちよ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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