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美しさの秘密

2008年10月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 聖ベルナデッタは1858年2月11日から計18回、ルルドで、天主の御母聖マリアを見ました。天主の聖母は、極めて美しく、非常に美しく、その美しさは絶世のものでした。

 それは、罪の無い霊魂の美しさ、永遠の天主の愛のうちにある美しさ、永遠の若さの命の美しさでした。天主の御母聖マリアの御顔はその霊魂の美しさを映し出していました。

 聖母マリアの美しさは、罪無き子供の美しさでした。罪によって擦り切れてしまった霊魂が失ってしまった美しさ、この世の快楽を追求して満足しきれない欲望の固まりとなってしまった霊魂たちが、不幸にも、失ってしまった美しさです。罪は、私たちをして老けさせ、老いを増加し、霊魂を麻痺させ、やつれさせるからです。罪の中に生きる霊魂の老け、やつれ果てた顔、ドロンとした目、疲れた虚ろな表情を見てください!!

 天主の御母聖マリアの美しさは、天主に向かっている霊魂の美しさ、天主のためにのみ生きている霊魂の美しさ、曇りの無い愛の美しさ、この世の汚れと欲望を放棄した霊魂の美しさでした。何故なら、天主の聖母は、罪を忌み憎み、この世の罪の償いのために犠牲を捧げたからです。十字架を愛し受け取り、この世の汚れた情欲を踏み砕いたからです。

 天主の聖母の美しさは、キリスト教的生活の素晴らしいお手本、模範、手引きでした。犠牲ない一日は、虚ろな一日。十字架を愛さない一日は、名ばかりのキリスト教信者の一日。苦しみを拒否することは、十字架を拒むことは、命の泉源を拒むこと。十字架こそが私たちの唯一の希望であるからです。

 天主の御母聖マリアの美しさは、私たちに本当の美しさの秘密を教えてくれています。ルルドの聖母マリアは、私たちに、罪を忌み憎み、罪を放棄し、罪を犯さないがゆえに生じる犠牲・十字架・苦しみを捧げることの大切さを私たちに教えてくれています。

 ルルドの聖母マリアは、私たちに、十字架・苦しみを私たちの生活の中心に据えるように、天主の憐れみを受けるために謙遜に十字架を受け取るように、招いてくれています。

 キリスト教的精神の神髄は、天主の権威を受け入れ、十字架の友となること、この世の快楽追求の精神から離脱することにあるからです。

 天主の御母聖マリアの美しさは、天主中心に生きる美しさ、自己中心ではない霊魂の持つ美しさだからです。

 ルルドの聖母マリアは、ヌヴェールで腐敗せずそのまま眠る聖ベルナデッタにこの永遠の若さの美しさの秘密を教えたのです。

 ルルドの美しい女性は、ご自分の名前をこう告げました。

「私は、無原罪の御宿りです」と。



主よ、わが霊魂を癒やし給え、我は御身に罪を犯したり。

主よ、我を憐れみ給え!我は御身に罪を犯したり。

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

聖ベルナデッタ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)ルルドからラ・サレットへ行く途中で

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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