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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

アマゾン・シノドスでの偶像崇拝の償いのミサと諸聖人の連祷(2019年11月10日)

2019年11月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

アマゾン・シノドスでの偶像崇拝の償いのミサと諸聖人の連祷(2019年11月10日)の大阪での写真です。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父









聖ピオ十世会日本は恒例の秋田への巡礼にご招待申し上げます。2020年5月3日(日)夕方に現地到着~5月6日(水)お昼まで

2019年11月11日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年聖ピオ十世会日本は恒例の秋田への巡礼を計画しております。
愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待申し上げます。

【日付】
2020年5月3日(日)夕方に現地到着~5月6日(水)お昼まで(一部参加だけも可能です) 

巡礼は5月4日(月)の早朝のミサから始まります。
ご宿泊は、5月3日(日)からです。(チェックインは15:00から、夕食付きです)
5月6日(水)は早朝のミサの後、霊的講話を予定。午後1時ごろに巡礼は終了いたします。
2020年の秋田巡礼は、秋田の聖母のメッセージにもある「祈りと償い」のため、教皇・司教・司祭・修道者たちのために祈るため、また、聖ピオ十世会創立50周年のお恵みを感謝し、聖ピオ十世会の日本での創立のお恵みを祈り求めるために捧げたいと思っております。

2020年の巡礼の期間は、例年よりも短いために、最終の5月6日(水)もお昼まで巡礼が続きます。

ご参加については、こちら【メッセージを送る】にご連絡ください。

詳しくは、「聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITA」をご覧ください。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


今日は、アマゾン・シノドスでの偶像崇拝に対する償いの大小斎の日です

2019年11月09日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、アマゾン・シノドスでの偶像崇拝に対する償いの大小斎の日です。


2019年10月6日は、バチカンでアマゾンのシノドスが始まった日ですが、同じ、10月6日に、シスター笹川に守護の天使がお現われになって、「悔い改めのロザリオ」と、幼な子の様に犠牲を捧げる事をお求めになられました。


秋田のマリア様は、カトリック教会の危機に対する警告を、カトリックの人口がこんなに数少ない日本でメッセージとして呼びかけて下さいました。

自分自身の罪の償いと、この世の罪の償いとして、悔い改めのロザリオと、ファチマの3人の子供たちのような、単純で寛大な心で犠牲をお捧げいたしましょう。

ファチマの聖母よ、我らを憐れみ給え。
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



フランシスコ教皇様来日準備のための霊的花束(2019年11月3日現在)

2019年11月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

こんにちは!
2019年11月3日現在東京では、フランシスコ教皇様の来日準備のために次の霊的花束が報告されています。
These are the updated numbers we have received to date from the Tokyo faithful (as of 11/03/2019):

ミサ聖祭 47
聖体拝領 47
霊的聖体拝領 150
十字架の道行 86
ロザリオ(環) 828
小さき犠牲 73
その他 68

多くの場合お祈りを宜しくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父


聖ピオ十世会日本 ミサ報告 2019年11月1日~4日 東京・大阪・名古屋 SSPX Japan Traidional Latin Mass at Tokyo, Osaka & Nagoya

2019年11月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

大阪では、11月1日(初金)の諸聖人の祝日の御ミサ、初金の御聖体降福式、2日(初土)の全ての死せる信徒の記念のミサ(3回)、初土の御聖体降福式をすることができました。

東京では、11月3日(主日)のミサと、初主日の聖体降福式と主日の晩課をすることができました。63名の方々がミサ聖祭に参加することが出来ました!

11月4日には名古屋でも聖ピオ十世会としては初めての聖伝のミサを捧げました。今回は27名が参加することが出来ました。次回からは、名古屋である場合にも、東京や大阪と同じようにここで愛する兄弟姉妹の皆様に告知いたします。

今回は初めて、日本では東京でも大阪でも、御聖体降福式の中で、諸聖人の連祷をラテン語で歌う事ができました。特別に教皇様と公教会の為に御聖体の前に跪いてお祈りを捧げることができたことは、幸福でした。

よろずの國の 君たる主イエズス
やまとの國を なれにぞ捧ぐ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!

わが日の本の 國をさきわい
神の御國と なさしめたまえ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!

闇にむか伏す 敵をくじきて
御旗のもとに 勝ち歌あがる
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 31人(内、子供4人)
女: 32人(内、子供4人)
計: 63人(内、子供8人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!
トマス・小野田神父様

いつもお世話になっております。
無事に東京のごミサに与らせていただき、出席できました事、感謝いたします。ありがとうございました。
大変うれしく思いました。
また、名古屋でもごミサが捧げられていることも、とても嬉しいお知らせでした。
これからも多くの場所で聖伝のごミサが捧げられますことをお祈りいたします。

ミサ参列の際に実行の札・約束の札を提出してもらうことをすっかり忘れておりました。
神父様のブログを拝見して、私も10月7日よりカウントしております。
このメールにて今までの分の霊的花束をお知らせしたいのですが、よろしいでしょうか。
わずかではありますが、皆様のご報告に加えていただければ幸いです。
約束の札
霊的聖体拝領 30回
ロザリオ   60環
小さき犠牲  30回

実行の札(11/4までの分として)
霊的聖体拝領 15回
ロザリオ   25環
小さき犠牲  13回

『王たるキリストの祝日』に書かれた娘の手紙が今日届きました。当日の晩課の『彼は権力・力・恐怖によって国を支配したのではない、自分自身が付けられた木によって支配する。』という箇所のイエズス様の優しさに心打たれたようです。(…)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨後第二十一主日の御ミサをありがとうございました。

今回は1回だけのミサで残念でしたが、名古屋にてはじめてのごミサがありましたことを嬉しく思っています。

この日の聖福音では人を赦すことの大切な意味が語られ、お説教により深く黙想に導いてくださいました。赦さない、赦すという言葉は、口に出していうのは簡単ですが、感情も含めすべてをもって心底ゆるすということが場合によっては難しいです。そして、自分がゆるしていないことを自分でもわかっていないままに、心の中のわけのわからない刺に悩まされていることがあります。

お話を伺いながら、天国にいくためには天の父に赦してもらわなければならず、そのためには赦すという気持ちをもたなければならないとわかりました。

どんなときにも、赦すという気持ちを持てるというのは、きっと聖寵によらなければと思いました。深い罪びとの私には、イエズス様の御血のお恵みを望むしかないとわかりました。その目に見えない御血が流される御ミサに与ることのできることは、この上ない幸福なこととあらためて思いました。

「主の祈り」を祈るとき、いつもぞんざいに祈っていた「われらが人に赦す如く」という言葉が本当はとても大切な意味を含んでいることを教えられました。本当にいつも自分がどれほど赦されたか忘れてしまっています。

イエズス様がこの祈りを「主禱文」に入れて、私たちにいつも祈るよう教えてくださったのは、それだけ大切で重要だからだとあらためて考えさせられております。

残酷な処罰をうけた殉教者が、その苦痛だけでなく、自分を殺そうとする者にさえ悪意を持つことなく恨むことなくすべてを赦してこの世の命から離れられたことについての神父様のお話しも噛み締めました。、

昔の聖人方はよく殉教の望みを持ったと書かれているのを読みます。カトリック信仰を守るために栄えある死を望むのみならず、死ぬときにすべてを赦すことができるお恵みをいただくことも願っていたのでしょうか。それは毎日の祈りの生活のなかで唱えている「主の祈り」を良く祈っていたからなのかもしれないと思いました。彼らには、いつも天上の永遠の世界が見えていたのでしょう。

普段の何気ない生活の中で、自分を苦しめるような嫌なことや理不尽なできごとに遭遇して悲しんでしまうことがあったとしても、なおイエズス様はそれにより天国に行ける資格を一つ多く与えてくださったのだと思えるようになりますように。天国の種をいただいたことを、その相手に感謝するほどまでにはなれないにしても。

そして、苦しみと涙の谷であるこの世の生活のなかでもこのような平安をいただけるのは、まことのカトリック信仰をいただける者が持つことのできる幸せと思いました。

この日は、アマゾン・シノドス会議での偶像崇拝の罪を償うための御ミサでもありました。このニュースにはひどい衝撃を受けました。でも、私たちを聖なる信仰に導いてくださる聖なる司祭様がいらっしゃることをありがたくおもいます。

日本のカトリックが、いつの間にか偶像崇拝を混ぜこむ汚聖にも鈍感になっているかもしれないなら恐ろしいです。でもすべてをご存知の天主さまにより頼み、そのような方々に敵意や悪意は持つことは致しません。赦しを願います。イエズス様はきっとすべてをよくしてくださるに違いありませんから。御ミサに続いてご聖体降福式が行われました。償いの諸聖人の連禱がラテン語で捧げられました。

神父様まことにありがとうございました。
聖マリアの汚れなき御心のうちに


2019年10月20日(主日)聖ピオ十世会司祭 ワリエ神父様霊的講話 第一部「アマゾン・シノドスについて」

2019年11月05日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
2019年10月20日(主日)聖ピオ十世会司祭 ワリエ神父様霊的講話
第一部「アマゾン・シノドスについて」
同時通訳:東京信徒会長

今日ちょっとお話をする用意をしてきたのですけれども、今、教会で色々な事が起こっています。特にローマで今、シノドスというのが起こっていますので、ひょっとしてそれに関してご質問をされたいのではないかという風に思っています。

このシノドスの事ですとか、今の状況については英語では色々情報があります。インターネットにも載っています。アメリカのジャーナリストが色々詳しいレポートを書いています。けれども、日本語でそれがどのくらいあるのかはちょっとよく存じておりません。

もし何か最初にご質問があるのであればそれにお答えしますが、もしなければお話を先にさせて頂きたいと思います。

まず、非常に疑わしいと誰でも思うのは、ドイツ人の、ドイツの司教団がどうして、この「アマゾン」という国の所の話に注目して、入って来ているのだろうか?それは何か、ドイツの方からやりたい事があって、秘めた目的があってやっているのではないか?というような疑いがまずあります。

ドイツ人がアマゾンの事に興味があるというのは、別に植民地にしようとか、植民的な事でやっているのではありません。そしてこのドイツの司教団の方々が言われているのは、その「アマゾンというのは、世界では非常に例外的な所である」と、ですから「世界中どこでもその司祭というのがいたのだけれども、ここの人だけは、その独身の司祭というのでは足りないのだ」と、「結婚した男性が司祭にならなきゃいけないんだ」という事を、ドイツの方が、アマゾンについて言っている、というのが状況です。

「司祭が独身である」という事ですけれども、司祭が独身であるという事は、これはキリスト教的な事なのです。

ですからアマゾンについて、このドイツの方々が、「いや、ここはそのキリスト教的ではないので、独身の人ではなくて、結婚した男が司祭にならなければいけない」というのは、何を言っているかというと、例えば、「教会がじゃあアフリカに行った時はどうしたか?」と、そして「アフリカに行った時に、アフリカの人は、そのキリスト教が伝わる前には、一人が何人もの女の人と結婚していた。じゃあ司祭はそうすれば良かったのか?」というのと同じ理論になってしまいます。非常におかしな事を言っています。

そして今ドイツの司教の方々とか、教皇様もその一部かもしれませんけれども、やっていらっしゃるのは、このアマゾンの人たちをローマに呼んできて、そしてその人たちに、「ちゃんと自分の民族衣装だとか、こんな羽を付けるのだとか持って来て、やって下さい」と、そして「この人たちを連れて来ると、私たちのやりたい変更が教会で出来るのだ」という事を言っているようです。

そして過去にもこういう事がありましたが、例えばこういう、その「結婚をしている人が司祭になる」という事をアマゾンで例外的に許したというと、次に何が起こるかというと、「いや、実験的にも他の所でも許してみよう」という事が起こります。そしてこの方たちが仰るのは、「アマゾンという所では、その『司祭』という男の人が独身であるという事が分からない。アマゾンの人たちには、それが分からない」と言うのですけれども、まさに分からないからこそ、キリスト教の福音を伝えなければいけない。それは反対の事であると思います。

この司祭が独身であるという事は、非常にキリスト教的な考えです。例えばその前のユダヤ人が旧約の時に何をしていたかというと、ユダヤ教の司祭というのは、儀式をする時に一週間、神殿に籠もるという事がありました。その一週間を独身と言えるかどうか分かりませんが、独身になりたかったのかもしれませんが、奥さんの所から一週間神殿に籠もって、儀式をして、奥さんの所に帰る、という事をしていました。それからそういう時代でしたから、イエズス様がこの世にいらっしゃって、「結婚しなかった」というのが初めての事です。

そして使徒たちの数多くは結婚していませんでしたし、例えば聖ペトロは結婚していましたけれども、奥さんの元を去って、イエズスに従うという事をしました。

そしてこのアマゾンのシノドスという所で、そのそれを促進しようという方がやっていらっしゃるのは、「結婚している人を司祭にしよう」という事と、それから「もっと女性に、その典礼の何か位置を与えよう」と、例えば助祭というのでしょうか、いわゆる「女性の助祭というものを作ろう」と。それはなぜかというと、「召命が足りないからだ」という事で、そういう風に言っているのですけれども、これはもう実際、その場では何か起こっていて、女性がミサのような、まぁ真似事ですけれども、ミサのような事をやっている、という事が実際やられているそうです。アマゾンでは。

それから典礼については、この人たちが言っているのは、「もっと(いわゆる日本でも起こりましたが)、インカルチュレーション、その地元の文化を典礼に入れる」という事を望んでいる、そしてそれを実行しようとしています。

皆さんひょっとして写真を見られたかもしれませんけれども、このシノドスの最初の頃に、写真を見ると、そのバチカンの宮殿で何かピクニックをしているような写真がありまして、そのアマゾンの方がいらっしゃっている傍に、司教様とか教皇様も座っていて、何か儀式のようなものをしていて、なんとその後に、偶像の像を持って、サンピエトロのバジリカの中まで行進しているという、こういうとてつもない事をやっています。

ですから私たちが予想しますのは、通常こうシノドスというものがありますと、その後その議論をまとめた書類を誰かが作りまして、そしてその書類を見て、教皇様が何かをその結論を出す、何かを認可するような書類を出される。ですからおそらく1年後ぐらいに、教皇様から何か書類が出て、これは「アマゾンというのは非常に特別な所なので、ここだけに結婚した司祭を許す」というような書類が出るのではないかと思います。そして私たちは、これは完全にやりすぎだと思います。

それから、いわゆる保守的な方で、「聖ピオ十世会はやりすぎだ」と言っていた方も、これを見て、「いや、やっぱり今の教皇はやりすぎだ」と、意見を変えていらっしゃる方も多いと聞いています。

ですから、「教皇フランシスコ、教皇になって頂いてありがとうございます」と言う人がいます(^^;)。ですから、非常に変な意味なのですけれども、フランシスコ教皇のやっていらっしゃる事によって、「聖伝というのが逆にいかに重要だったか」と、そして「今起こっている事がいかにおかしいか」という事で、目覚める人がいるので、教皇様ありがとうございます、という変な感情になる事もあります。

教会というのは民主主義ではなくて、階級があるものですから、教皇様というのはそのトップにいらっしゃる方なので、もちろん御自分でお決めになる事ができるのですけれども、こういう会議とか、何かの形を取りながら、結局自分でやりたい事をやっていらっしゃる、そして個人的に思われた「これが良い」と思う事を、勝手にやっていらっしゃるようです。

このフランシスコ教皇様というのは、選ばれた次の日の朝にお話になった時に既に、カスパー枢機卿、近代主義的な方ですけれども、その方の神学が、「非常に素晴らしい」という風に仰っていたので、そこからその「誤った憐れみ」に繋がって、「離婚して同棲している方に、じゃあ御聖体を」というような話に繋がっていくのが非常に最初から明らかでした。

教会というのは民主主義ではなく階級がありますので、では私たち下にいる者は、一体何ができるのでしょうか?あなた、私、皆さんは、私たちは、別に教会のどこか高い階級にいる者ではありませんから、やれる事は本当にありません、限られています。

今日最初に申しましたけれども、これは別に聖ピオ十世会の方ではないですけれども、アメリカのジャーナリストのような方は、このローマに行って、「このシノドスが何が起こっているのか」という事を詳しく報道されていますし、そのシノドスをやっている人たちに対して、「一体何をしているんですか?」と、「これはおかしいんじゃないですか?」という事を明らかにして、それを全て逐一インターネットに載せて下さっているので、それはそれで非常に良い仕事をされていると思います。

この日本語でそういうのがどれくらいあるか分かりませんけれども、追ってこういう内容が少しでも日本語に翻訳されて、日本の方も読めるようになると非常に良いと思います。

また、お祈りをするのを忘れてはいけません。教会というのは超自然的なものですから、この悪い人、おかしい人がそれを一生懸命変えようと思っていても、教会というのは、イエズス・キリストのものですから、イエズス・キリストがどうしていらっしゃるのか、寝ていらっしゃるのか知りませんが、ある日起きて、この酷い事を全部止めて、綺麗になさる日が来ます。

この教会に起こっている事で、あまりガッカリしないで下さい。急にお酒を飲みすぎるような事はしないで下さい。

私たちのできる事は限られていますけれども、でもその限られた事を、私たちはちゃんとしなくてはなりません。そのガッカリしょんぼりしてはいけないというのは、ガッカリしょんぼりするというのは、カトリック的ではありません。「しょんぼりしてしまう」というのは、「イエズス・キリストが、これは負けている人だ」と思う事です。

そうではありません。イエズス・キリスト様が、そのこれからどうする、というのを私たちに伝える義務があるわけではありません。私たちには分かりません。けれども、イエズス・キリスト様は、必ずその為すべき事を為さいますので、私たちも自分の為すべき事を為さなくてはいけません。

フランシスコ教皇様というのは不死身ではありませんから、いつかお亡くなりになると思いますので、次の教皇様もどういう方か全然分かりません。ですから、ちょっとはそれでマシになるかしれません。

この後ちょっと全然違う事をお話しするので、この件についてもしご質問があれば、今何かして頂きたいと思いますけれども、ご質問はありますでしょうか?

質問者Aさん:ギリシャ正教のビザンチン典礼をやっている所で、カトリックに戻ったところがありますね?そこは司祭が妻帯しているのだと思うのですが、それはどうなのでしょうか?

ワリエ神父様:まず古い教会、初期の教会では何が起こったかといいますと、初期の教会の頃は、神学校というのがあったわけではないので、どういう風に司祭とか司教が選ばれたかというと、市民の中でその学を持って、司祭・司教にふさわしい人というのが選ばれて、そしてその中には結婚した人も選ばれて、司祭とか司教になった事がありました。そしてその初代の教会では何が起こったかというと、その司祭とか司教に選ばれた方は結婚していたのですけれども、その家を離れて、まぁいわば独身の司祭・司教としての職務を果たされる、という事がありました。それが初期の教会のお話です。

その後教会はどうしたかと言いますと、教会の形が出来てきた時に、若い男性の中から司祭の候補を選んで、その人を司祭にするという事を始めました。

それで確か6世紀から7世紀の頃だったと思いますけれども、東の方で公会議がありまして、この結婚している司祭を認める、という決定がなされました。それにローマは強く反対したのですけれども、それによってそこの東の方が全部離教するという事を恐れたので、ローマはその「場所を限って、それを一応許す」という事を始めました。その「場所を限って」という場所が、今の言葉で言うと、「東方典礼をやっている所」です。

ですから、ローマがこれを積極的にやったわけではなくて、「そこの地区が全部離教してしまうのを防ぐ為に、しょうがなくて許した」というのも、それも、「非常に限定した地域で許した」という歴史があります。

しかし私たちは、このギリシャ典礼のそのカトリックの方も、「独身」というのを非常に大事だと思っている事が分かります。なぜかというと、このギリシャとかその東方典礼のカトリックの方がやっている事というのは、司祭がまず結婚するのではありません。結婚した人が司祭になる事があるという事で、ただ結婚した司祭は、決して司教にはなれません。司教は、その結婚していない独身の司祭の中から選ばれます。

そして西方の教会でも、11世紀頃に大変酷い問題がありました。司祭の中には、女性と一緒に住んでいるような人がいっぱい現れました。そしてそれを見て教会は、いやぁ、じゃあしょうがない、じゃあ結婚しても良いか、とは言わずに、教会はやはりそこで、そういう司祭がいなくなっても、「独身を守らなければならないのだ」という風に、西方のローマの教会は、そういう決定をしてきました。

それからずっと後の事になりますけれども、第二次世界対戦後以降だと思いますが、ローマの教会で唯一この例外を認めたというのは、英国国教会、アングリカンの方ですとか、ルター派の人がカトリックに改宗する時に、ほんの少ない例外を認めた事があります。例えばピオ十二世教皇様がなさった事は、アングリカンの英国国教会の、結婚しているあそこは牧師さんと言うのですかね、牧師さんとその信者が何千人いらっしゃる、そしてこの牧師さんが、「カトリックになりたい」というケースがありました。そしてその牧師の方が訓練を受けて、カトリックの司祭に叙階される、と。奥さんがいらっしゃったのですけれども、それを認めると、その「何千人のそこの信者の方も、一緒にカトリックになります」というケースがあって、それで教皇様はその何千人の為に、「ではこれを、例外を認めましょう」という事を仰いました。

ですから大事な事は、教会というのは、こういう事は確かにありましたが、結婚した人が司祭になるというのは、いつも「例外」でした。ですから例外というのは、いつも例外であるべきであって、それを一般化してはなりません。

ですから、今そのドイツの司教団の方がやろうとされているのは、ドイツの本当に一部で、いや例外だ、と言って、実は「ドイツ中でやろう」という事を狙われている、というのが明らかです。

質問者Bさん:日本にはあまりカトリック教徒がたくさんいない、少ししかいないというのは皆知っているのですけれども、教皇様が何でそのわざわざ遠い日本までいらっしゃるのでしょうか?その何か近代主義的な狙いがあっていらっしゃるのでしょうか?

ワリエ神父様:教皇様がいらっしゃるのは、主な訪問地は広島・長崎だと聞いていますので、この教皇様というのは、いつもそういうその近代主義的な何か狙いがある事を、どこに行っても年中喋る方ではありません。その場所を選んで喋る方なので、おそらく来月になってみないと分かりませんが、日本では核兵器反対だとか、環境を守ろうとか、そういう事を中心にお話しされるのかと思います。

こういう事を聞いてガッカリするというのは先ほど違うと言いました。私たちが死んでしまった時に、イエズス様は私たちに聞かれるのは、その教会でどういう問題があったんだ、という話ではなくて、「私たちが、カトリックとしてどういう生活をしてきたんだ?」と、「家族と世界の中でどうしたんだ?」と、「カトリックとしてどうしたんだ?」という事を聞かれますので、そっちに注力しなくてはいけません。

ですから、こういう事が起こっているというのをある程度分かっている事は重要ですけれども、毎日毎日、「こんな問題がある」「あんな問題がある」「スキャンダルがある」というのを探し回る事はしないで下さい。


聖ピオ十世会 名古屋で初めて聖伝のミサが捧げられました

2019年11月05日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは!

昨日、2019年11月4日(月曜日)には、振替休日で。東京での朝ミサをお休みさせていただき、名古屋で初めて聖伝のミサを捧げることができました。
子どもたちを含めて、27名がミサに与ることができました。天主様に感謝します。

このミサが実現することができるように、準備、協力、サポートをしてくださった多くの兄弟姉妹の方々に感謝します。


天主様の豊かに祝福がありますように!

トマス小野田神父









フランシスコ教皇様来日準備のための霊的花束(2019年11月2日現在)

2019年11月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

こんにちは!
現在東京では、フランシスコ教皇様の来日準備のために次の霊的花束が報告されています。

ミサ聖祭 41
聖体拝領 41
霊的聖体拝領 123
十字架の道行 86
ロザリオ(環) 700
小さき犠牲 66
その他 68

多くの場合お祈りを宜しくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父





アマゾン・シノドスで行われた偶像崇拝の償いのミサと諸聖人の連祷が行われます。東京:11月3日(主日)償いの大小斎(11月9日)

2019年10月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

アマゾン・シノドスでは、偶像崇拝が天主の神殿の中に入り込んでしまいました。シノドスの最後の文書では、司祭の独身性を放棄させ、女性助祭の作ろうとし、司祭の聖性に攻撃が加えられました。第二バチカン公会議の種は成長し、その実りをますますつけようとしています。インカルチュレイションの名前で、異教の要素が天主の礼拝儀式に入り込もうとしています。

母なるカトリック教会の聖性に対する攻撃に、私たちは無関心でいることはできません。聖ピオ十世会は、総長の意向で、これらに対する祈りと償いの業に励みます。

とりわけ、11月9日には、聖ピオ十世会の会員は償いの大小斎を捧げることになりました。

11月10日(主日)には、司祭会員は償いのミサを捧げ、それぞれの教会あるいは小聖堂またはチャペルでは、諸聖人の連祷を歌うあるいは唱えることが決められました。これは、ローマで起こったことにより当然受けなければならない罰を容赦してくださるように乞い願い、カトリック教会を保護してくださるように懇願するためです。

友人の司祭の方々、カトリック教会を愛するすべての方々も同じことをされるようにご招待いたします。

東京では、償いのミサを一週間繰り上げて11月3日(主日)に捧げます。ミサの直後の御聖体降福式では、いつもの聖母の連祷の代わりに、諸聖人の連祷を行います。多くの愛する兄弟姉妹の皆様のご参加をお願い致します。

大阪では、11月10日(主日)の夕方のミサで、償いのミサを行います。(ドモルネ神父様が来日されます。)

聖母の汚れなき御心よ、我らを憐れみ給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


天皇陛下の即位の礼にあたり、天皇陛下のために、皇室のために、日本のためにお捧げ致しましょう。

2019年10月22日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2019年10月22日は天皇陛下の即位の礼にあたり、天皇陛下のために、皇室のために、日本のためにお捧げ致しましょう。

「天皇陛下のための祈り」は以下の通りです。

Oratio pro Imperatore

V. Dómine, salvum fac Imperatórem nostrum.
R. Et exáudi nos in die, qua invocavérimus te.

Orémus.
Quǽsumus omnípotens Deus, ut fámulus tuus Imperátor noster, qui tua miseratióne suscépit regno prǽesse, virtútum étiam ómnium percípiat increménta : quibus decénter ornátus, et vitiórum monstra devitáre, et ad te qui via, véritas, et vita es, cum Imperatóre Emérito, Imperatríce Emérita, Imperatríce cónsorte et prole imperiáli, gratiósus váleat perveníre. Per Christum Dóminum nostrum.
R. Amen.

天皇陛下のための祈

主よ、我等が天皇陛下を護り給え。
▲我等が主を呼び求め奉る日に、我等の願いを聞き給え。

祈願
全能なる天主、御憐れみによりて我が国の君主としての務めを与え給いし御身の僕(しもべ)なる我等が天皇陛下をして、天主よりあらゆる徳を受けしめ給わんことを乞い願い奉る。願わくは陛下に然るべき徳を備えしめ、悪を避けしめ、上皇、上皇后両陛下、皇后陛下、皇族方と共に、道、真理、生命にまします天主に至らしめ給わんことを。我等の主、キリストによりて願い奉る。
▲アーメン。

Prayer for the Emperor

V. O Lord, save our Emperor.
R. And hear us in the day that we shall call upon Thee.

Let us pray
We beseech Thee, almighty God, that Thy servant our Emperor, who in Thy merciful providence has been called to rule over this nation, may also receive from Thee an increase of all virtues: thus becomingly adorned may he avoid all evil doing, and, by Thy grace attain, together with the Emperor Emeritus and the Empress Emerita, the Empress consort and their Imperial offspring, to Thee, Who art the Way, the Truth and the Life. Through Christ Our Lord.
R. Amen.

Oración por el Emperador

V. Haz salvo al Emperador, Señor.
R. Y nos escucha en el día, Señor, que te invoquemos.

Oremos.
Solicitamos, Omnipotente Dios, que tu siervo nuestro Emperador. que por tu misericordia recibió el gobierno del país, también por ella reciba los aumentos de todas las virtudes ; con las que convenientemente adornado, pueda huir los monstruos de los vicios, y llegar, con el Emperador Emérito, la Emperatriz Emérita, la Emperatriz y la prole imperial, favorecido a Tí, que eres camino, verdad, y vida. Por nuestro Señor Jesucristo tu Hijo.
R. Amén.

Prière pour l’Empereur

V. Seigneur, sauvez l’Empereur ;
R. et daignez nous exaucer au jour que nous vous invoquerons.

Prions.
Accordez à nos prières, Dieu tout-puissant, que votre serviteur notre Empereur, qui, par votre miséricorde a reçu la conduite de ce pays, reçoive aussi l'accroissement de toutes les vertus ; afin que, revêtu de leur force, et saintement orné de leur éclat, il ait les vices en horreur, comme autant de monstres ; et qu'agréable à vos yeux par ses bonnes œuvres, il puisse enfin arriver, avec l'Empereur émérite, l'Impératrice émérite, l'Impératrice et les descendants impériaux, jusqu'à vous, qui êtes la voie, la vérité et la vie; par Christ, notre Seigneur.
R. Ainsi soit-il.






聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告 2019年10月20日 Traditional Latin Mass in Japan, SSPX

2019年10月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

今回は、ワリエ神父様が日本にミッションに行かれました。私に代わって日本に言って下さった神父様には心から感謝します。ありがとうございます!

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、マニラでミサを司式しておりました。ミサの間、聖霊降臨後第19主日の集祷分を祈りつつ、ラテン語の祈りにいつもながら感動しておりました。

出てくる3つの動詞がすべて、前置詞 ex- で始まっている。
同じ音の言葉や同じ母音が繰り返される。versa とか、-te, -re, ter, とか、sunt, -bus, など。

Omnípotens et miséricors Deus,
univérsa nobis advérsantia propitiátus exclúde :
ut mente et córpore páriter expedíti,
quæ tua sunt, líberis méntibus exsequámur.
Per Dóminum.

全能の憐れみ深き天主よ、
御慈悲をもって、われらにとってすべての[=uni-versa]妨害を[=ad-versantia]排除し給え[=ex-clude]。
精神と身体とがともに、重荷を取り除かれ[=ex-pediti]、
御身のことに、我らが自由な心で従わん[=ex-sequamur]がためなり。
天主として、(…)。

お説教では「新しい人を着る」「婚姻の服」について、三位一体の霊魂に住まうことである成聖の聖寵の状態について黙想を提案しました。

日本でのミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日はシンガポールから、16年ぶり(?)にワリエ神父が東京にいらっしゃってミサを捧げて下さいました。

御説教ではうそをつくことにについて、天主の第8戒に反してしまう5つのパターンがあること、うそをつくことが禁じられている4つの理由があること、そして私たちはうそをつくことに逃げず、自分の天主と隣人に対する立場と義務を忘れないことが大事であることを教えて頂きました。

午後の霊的講話の第一部では、まず現在ローマで行われているアマゾンに関するシノドスの状況について説明して頂きました。いまこのシノドスでなされている議論、特に妻帯者を司祭に任ずる案を推しているグループがどのような目的を持ってそれを行っているか、そしてそれがいかにカトリック教会の伝統に反しており、そのような案が実行されることによってどのような悪影響が予想されるか等についてお話しくださいました。

第二部では福音史家聖ルカについて、彼の書いた福音書の特徴やその背景、特に彼の聖母に関する記述が恐らく聖母から直接聞いた話に基づいていることなど、「トリビア」のようなことも色々教えて頂きました。

霊的講話の後は聖霊降臨後第19主日の晩課を歌って終わりました。

今日の東京でのミサ・霊的講話・晩課の参列者数は下記の通りです。

ミサ
男: 28人(内、子供6人)
女: 32人(内、子供5人)
計: 60人(内、子供11人)

霊的講話
男: 15人(内、子供3人)
女: 10人(内、子供3人)
計: 25人(内、子供6人)

晩課
男: 4人
女: 2人
計: 6人


【報告】
今日のミサのお説教は第八戒のことを詳しくお話しいただきました。
自分は決して嘘をつかないというなら、それこそ大ウソつきだというブラックジョークもあったように思います。
正直でいることは霊魂を滅ぼさないためにも大切なことだと思いました。
お話しいただいたことはとても大切なことで、こういう話をきちんと聞く機会をいただけて、とてもよかったです。

霊的講話の前半では、アマゾン・シノドスのことに触れてくださいました。あまりに不気味でどう考えたらよいかわからず、できたら考えることすら避けたいと思うことでした。
お話を伺えて、だいたいどういうことかを少しわかるようになりました。これまで日本の教会で問題になっていたようなことを世界的規模でやりはじめたいとする人たちの行動の一つではと思いました。でも、単に日本の司教団で行うというのと、ローマで行うというのでは桁が違うことでしょう。

教会にいろいろな問題が起こっていて、そのために救われるべき人が教会に来られなくなるというのはとても悲しいです。でも、もしこの聖ピオ十世会のミサに与っていなかったら、私は、教会にいろいろな問題が起こっていることすら考えることを恐れたでしょう、正しく考える規範をどこに見つければよいかもわからないままにいたことでしょう。いつのまにかプロテスタント(近代主義・フリーメーソン)の考え方に汚染されていることすら自分でわからなくなっていたままだったことでしょう。それが現実に今起こっている恐ろしいことの一つだと思います。

「変わらないものがあるはずのところに、変わらせる動きが見えた。」でも、ワリエ神父様のお話は落ち着いていた内容で、これまでもカトリック教会はこのような動きの危機を乗り越えてきたこともわかりました。

また、教会というのは超自然のものなので、イエズス・キリストのものなので、ある日すべてをきれいになさる日が来るというお話が心強く思いました。

さらに、こういうことをよく知ることも大事だけれど、死んだ後にイエズス様にあったとき、教会にどういう問題があったかと聞かれるのではない、そうではなく自分がどうしたかを聞かれるというお話を心に留めました。イエズス様にお会いしたときにどれほどイエズス様をお愛ししたかを聞かれるのでしょう。

講話の後半は、ルカ福音書、聖ルカのことをおはなしくださいました。そのなかで善い盗賊の話に触れてくださいました。イエズス様と一緒に処刑された二人の盗賊のうち天国に行くことになった盗賊の方です。

このごろ、この善い盗賊のことを考えるときが時々ありました。
自分も罪を犯した人類のうちのひとりだということをわかるようになってきていて、それなら、目に見えないだけで本当はすでに十字架に架けられているようなものなのではないだろうかと、思ったことがありました。人間は、自分で自分が罪を犯していないと思っているかいないかにかかわらず、すでに生まれた時から罪を犯した者のうちの一人だというのが、カトリックでの人間観でそれが実際のところかもしれないととらえた時がありました。
そういう意味で、人間というのはすでに十字架に架かった者であり、最後の時イエズス様にむかってどのような思いをもつかが、その最後の息を吐いた後の運命になるのかなとおもいました。
私も今まさに十字架にかかっているようなものであるなら、この善い盗賊のようにイエズス様に向かって善い言葉を言えるような心を持ち続けていたいと思いました。

この善い盗賊は罪のゆるされる条件を満たしていたとのこと、ワリエ神父様はそれをお話しくださいました。ゆっくりそのことを黙想したいと思います。

ワリエ神父様、今日のミッションを本当にありがとうございます。




聖ピオ十世会のエコンの神学校の物語りは、1969年10月13日にスイスのフリブールで始まりました。

2019年10月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会のエコンの神学校の物語りは、1969年10月13日にスイスのフリブールで始まりました。

その日から、マルリ通りの「聖ドンボスコの家」と名付けられた借家に、9名の神学生たちがルフェーブル大司教のもとで司祭職の準備を始めました。

これは、全世界のカトリック教会に大きな影響を与える歴史的出来事の始まりであって、50年後の2019年10月5日の初土曜日に、この50周年を私たちは盛大に祝いました。

Fribourg - Jubilé du Séminaire Saint-Pie X

2019年10月5日、信仰の保護者であるブルギヨンの聖母の聖堂から感謝と記念の巡礼が始まりました。ここにはルフェーブル大司教とその神学生たちがよく祈りに来ました。

最初の9名の神学生の内の一人がベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教でした。

ブルギヨンの聖母のもとで、聖ピオ十世会を聖母の悲しみに満ちた汚れなき聖心への奉献を更新しました。

フリブールの教区長であるモルロー司教(Mgr Morerod)は、私たちが聖マウリチオ教会で司教荘厳ミサを聖伝のミサで捧げるのを喜んで許可されました。



50周年の記念ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサでした。



ティシエ・ド・マルレ司教は、この神学校の開始が天主の御摂理に導かれていたことを説教されました。ルフェーブル大司教にとっては、自分が引退することを考えており、まさかこのような「大冒険」を始めるとは思いもよらないことでした。ルフェーブル大司教は、御摂理の後について行くのみでした。





司教荘厳ミサの終わりには、天主に感謝するテ・デウムを歌いました。

天主様に感謝!デオ・グラチアス!Deo gratias ! Ad multos annos !

Photo Credit

聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告2019年10月 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2019年10月15日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

台風19号で多くの被害が出たとニュースで拝見しました。被害に遭われた方々には、こころよりお見舞いを申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、10月7日(月)から、フィリピンのイロイロにある聖ベルナルド修練院で毎年恒例の司祭黙想会に参加しておりました。この機会が与えられていることに天主に感謝します。アジア管区司祭のうち、9名の司祭が参加しました。黙想会の間になさって下さった、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りに感謝します。

お伝えしたいことや、書きたいことは色々ありますが、別の機会に改めてさせていただくことにいたします。

11月には教皇様が来日されます。その霊的な実りのために多くのロザリオをお願いいたします。

10月13日(主日)と14日(月)には、大阪で聖伝のミサを捧げることができました。そのことにも感謝します。
特に10月13日は、ファチマの最後の御出現の日で、マリアは「私はロザリオの元后です」と言われました。


さらに同じ10月13日には、秋田でもマリア様が、カトリック教会の危機についてお話になりました。

「・・・もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。 ・・・ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう 」
この日に、特にカトリック教会の為に、日本と世界の平和の為に、御ミサとロザリオを御捧げすることができて、感謝します。

月曜日は祝日でしたので、ミサの時間を10時にしました。その後御聖体降福式も行うことが出来、日本のために、教皇様のために、御捧げすることができました。御聖体のうちに真にましまし給うイエズスの聖心の前で、跪き、礼拝し、御憐れみを乞い願いつつ、教皇レオ十三世の教えに従い、ロザリオの聖月なので御聖体の前で聖母の連祷を捧げました。

レポートを頂いたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

この度は特に苛酷なスケジュールにも関わらずミッションに来てくださってありがとうございました。
ミサの報告をお送り致します。

10月13日(聖霊降臨後第18主日)には、19人
10月14日聖カリスト教皇のミサには、17人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオ・グラチアス!

主日のお説教は、イエズス様が中風者の罪を許され、病を治された聖福音についての黙想でした。
イエズス様が、罪を赦されるという事、それはつまり霊魂を義化するするという現実的な、実際的なもので、最高の奇跡であるという事実。
この義化のお恵みのもたらす3つの変化は、
①この恵み(成聖の恩寵)は常駐するものであり、天主が私達の霊魂に住まわれる。(私達は天主の神殿となる)
②私達が天主の命に参与するが故に私達を天主の高みまで高めてくださり、無限の差のある天主と私達の間に友の関係を持つことができる。
③天主の命に与る事によって、私達は功徳を積むことができる。

成聖の恩寵を受けることによって、天主三位一体が私と共にいて下さるという事実を改めてはっきりと認識できました。
天主様と友になる、という意味については、自分のような罪人ではなく、マリア様や聖人方だけが天主の友となる事ができるのかと今まで感じていました。
が、イエズス様の十字架での生贄、贖いの功徳はイエズス様を信じ、愛そうとする私達にどこまでもとんでもない素晴らしい特典を与えて下さり、与え続けて下さっていることに感嘆してしまいます。
成聖の恩寵によって、私達はすでに涙の谷で、天国を味わう事を許されているという事はなんという大きな慰めでしょうか。
一人でも多くの人々がこのお恵みに与る事ができるようロザリオを通して願いたいと思います。

14日は、教皇聖カリスト一世の生涯を垣間見て、教皇の務めとは何かを黙想いたしました。
四季の斎日を定めた事や大聖堂を建てたり、墓地を建設したりしただけでなく、ローマの重鎮やエリートを回心に導き、その為にロ ーマの怒りをかって井戸に捨てられて殉教されました。
ペトロがイエズス様から、「使徒たちの信仰を固めよ」と命ぜられたとおりに、使徒達から伝えられた信仰を受け継ぎ、そのまま後世に伝える事こそが、聖カリスト教皇様が教皇としてされた事でした。たとえ殺されても全世界にイエズス・キリストの教えを伝える。これが聖なる教皇様が務めとされた事でした。
来月訪日予定のフランシスコ教皇様も、聖なる教皇様方に倣って、環境問題や人権問題、平和問題だけを世界に伝えるのではなく、天主の権威、信・望・愛、愛の掟、十戒など、イエズス様が使徒たちに、特にペトロに命ぜられた任務を遂行して下さる事を願います。
ファチマや秋田でマリア様の「教皇様のためにたくさん祈ってく ださい」というお言葉どおり、多くの祈りを教皇様のためにお捧げする必要があると思いました。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】【10月7日:東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨後第17主日のミサとご聖体降福式をありがとうございました。

10月はロザリオの月、典礼暦は以前、10月の第一主日がロザリオの祝日だったのですね。その翌日の7日はロザリオの聖母の祝日でした。二度ロザリオの聖母のミサに与れた思いです。今年はロザリオの聖母を讃えることができましたこと感謝申し上げます。(7日の朝ミサはいつもより早く始まりましたが、なんとかミサに与ることができ、うれしく思いました。ありがとうございました。)

この日の聖福音の言葉に「あなたは、すべての心、すべての霊、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ」がありました。

この地上に生まれたのは儚いこの世の楽しみのためではなく天主様を愛するために生まれたのですとお聴きしまして、そのような目的に至ることのできるのは、本当にカトリック信仰だけであることを思いました。この日ミサに臨席くださいました多くの未信者の方の霊魂もこの神秘に触れる機会をいただいていることを感謝して、お祈りしました。

そして、天主様をお愛し、天主様に感謝申し上げる最も良い方法がこのロザリオを唱えることと教えていただきました。“最近、横浜でキリシタンの遺物が見つかり、ロザリオを祈っていた日本人がいたことが残されている”とお話しいただきました。私もそのニュースを新聞で読んだことを思い出しました。日本で迫害を受けながらもロザリオを祈り続けようとしていた当時のカトリック信者の信仰の強さを思いました。

本当にロザリオとカトリック信仰は、強く結ばれているように思います。フルトン・シーン司教様の著作からの、カトリック信者でなかった人がロザリオを祈っていたことにより命を救われたという神秘的な経験、切迫した戦争の中でおこった神秘的な出来事をご紹介いただきました。そのユダヤ人はこの世の命も救われたが、霊的な命も救われて、洗礼の恵みをうけて信者になったという実例は、ロザリオを祈っているならその人は滅びないということを示しているように思いました。マリア様が御守りくださるのでしょう。

教皇様を日本にお迎えするための準備の祈りとしての意向も含めて、ロザリオを祈っていきたいと思います。戦争が起こらないようにとの思いも込めて、毎日ロザリオを祈ろうと思います。

御聖体降福式では、御聖体顕示台に掲げられていますイエズス様の御前でお祈りできますことを、とてもうれしく思いました。そのお姿は目には見えないけれどイエズス様の御威光が私達を照らしてくださり、みじめな虫のようなものであるのにこうして私どもに聖寵をあふれるように注いでくださいますことを感謝申し上げました。

この日は、兄弟姉妹の若いご夫妻の三番目の赤ちゃんが誕生されたあとのお母さんの祝福式も行われました。フランスから赤ちゃんのグランパたちとグランマたちもお祝いに来てくださっていて、また、赤ちゃんの両親の御友人もたくさん来てくださり、ミサも御聖体降福式も祝福式もおごそかに盛大でありました。パーティには私たち信徒をもご招待していただき、楽しい時間を過ごすことができました、ありがとうございました。

ロザリオの聖母、われらのために祈り給え。

【参考資料:朝日新聞2018年11月18日】

16世紀のキリシタン信仰画

神奈川県大磯町の「澤田美喜記念館」で所蔵されていた出所不明のキリシタン信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。

記念館などによると、和紙に墨で描かれた巻物で、縦22センチ、横約320センチ。「受胎告知」や「受難」「聖母の戴冠」など15の場面がある。ラテン語の祈りの言葉も仮名で書かれている。「御出生以来千五百九十二年 はうろ」とも記されており、「パウロ」という洗礼名の信者が西暦1592年に作ったとみることができるという。

記念館と共同調査した横浜市歴史博物館によると、文字の書体や描かれた風俗には、江戸時代より前の特徴がある。記念館が外部の研究機関に放射性炭素を用いた年代測定を依頼したところ、1556年から1633年に作られた紙との結果が出たという。

信仰画には、場面ごとにイエズス会のマークが記されている。キリシタン史が専門の大橋幸泰・早稲田大学教授は「イエズス会は日本の習慣を重視し、布教に信仰画を用いたことが知られていたが、宣教師の報告ぐらいしか手がかりがなく、実態はわからなかった。当時の姿が浮かんでくる貴重な資料だ」と評価する。

キリスト教は日本に1549年に伝来し、豊臣秀吉は1587年にバテレン追放令出した。
キリシタンの信仰画では、戦前に大阪で2点見つかった「マリア十五玄義図」が知られている。着色された西洋画風で、神学校で技法を学んだ日本人による江戸期の作と考えられている。一方、今回の作品は、作風や描かれた風俗が日本風だ。「復活」の場面では、人物の腰にある刀が日本刀のように見える。上智大学の川村信三教授(キリシタン史)は「相当に日本的。日本人が描いたのだろうが、このようなものは見たことがない」と話す。
調査では、作品に書かれた仮名文字も読み解いた。カトリック中央協議会が調べたところ「さんちいしもさくらめんとのらたにやす」と書かれており、先唱者に続いて信者が短く唱える「連禱」の言葉だと判明した。ほかにもラテン語の祈りの言葉が50行ほど記されている。京都大学の岩崎奈緒子教授は「ラテン語の原音に近いのが特徴。ラテン語がわかる人が、唱えるのを忠実に書きとめたのでは」とみる。

調査した横浜市歴史博物館の井上攻・副館長は「使われているのは高級ではない庶民の紙。1592年に作られたものを模写した可能性はあるが、文字の特徴などから描かれたのは江戸時代の早い時期までと考えていいだろう。輸入された版画などを目にした日本人信者が見よう見まねで描き、耳にした祈りの言葉を書きとめたといったことが考えられるのではないか」と話している。

注:「さんちいしもさくらめんとのらたにやす」は、Litaniae de Sanctissimo Sacramento に由来しており「御聖体の連禱」という意味。日本人の信仰の祖先が、御聖体に対する深い信心をもっていたことが偲ばれる。御聖体の連祷は、四百年以上の歴史があり、モーツァルトの "Litaniae de venerabili altaris sacramento" 「崇敬すべき祭壇の秘蹟の連祷」も存在している。



Panis vive, qui de caelo descendisti!
Deus absconditus et Salvator!
Miserere nobis!
天から降り給うた生けるパンよ!
隠れたる天主にして救い主よ!
我らを憐れみ給え!





聖ピオ十世会 2019年10月聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass SSPX JAPAN

2019年10月07日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日はロザリオの聖母の祝日ですね!

10月の初金と初土曜日に大阪でミサをすることができ、また10月6日と7日には東京で聖伝のミサを捧げることができて幸福です。

大阪では、多くの新しい方々との出会いがあり、嬉しく思いました。土曜日には先月亡くなったローザさんの追悼ミサが行われました。

東京では主日に85名が、月曜日にはミサの時間が六時半と早かったにもかかわらず10名が参列されました!

ご報告を頂いたので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

また、10月13日(主日)、14日(体育の日)には大阪でミサがあります。
10月14日については、休日なので、午前10時にミサを行います。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私たちの大切な小野田神父様こんにちは。
10月の初金、初土の御ミサの報告をお送り致します。

10月4日(初金)の至聖なるイエズスの聖心のミサには14人、
10月5日(初土)のミサには26人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

両日共に、ミサの後に御聖体降福式がありました。
特に、11月に来日される教皇様の為にこのご聖体降福式をお捧げいたしました。教皇様の来日が日本のカトリックに益あるものとなります様にイエズス様の憐れみを希います。

初金曜日のお説教では、イエズス様の聖心が私達にお望みになる事は何かを黙想致しました。
全能、永遠の天主イエズス様が惨めな私達にお望みになっておられることは、イエズス様が、どれ程私達を愛しているか、それを理解してその愛に、愛をもって全てを尽くして愛をお返しする事です。
最大の掟、「全てを尽くして汝の天主を愛せよ」これだけをイエズス様は求めておられるにも関わらず、私達はどれほど冷淡で居続けるのでしょうか?
全ての愛と栄光と賛美を受けるに相応しいイエズス様の聖心は、私達を必要とされないにも関わらず、まるで乞食のように謙遜に、愛と憐みと善から私達が主を愛する事を望んで下さっているのです。 幼きイエズスの聖テレジアが言った「私達は人生の終わりに愛によって裁かれる」という事がよく理解できました。
ロザリオの聖母マリア様のお助けをもって、沢山の愛をマリア様と一緒に、マリア様を通してお捧げしようと遷善(せんぜん)の決心をたてました。

土曜日は、追悼ミサで、その中でロザリオについてのお説教をいただきました。
故ローザさんが毎日、毎日欠かさず唱えていらっしゃったロザリオの力と、現代におけるロザリオの祈りの必要性を黙想しました。
ローザさんが跪いてひと言ひと言、ゆっくりと美しくロザリオを唱えていらっしゃのを思い出しながら、ローザさんの永遠の安息と、日々の意向のためにロザリオを心を込めて唱えることができるよう、 お恵みを希いました。

土曜日の公教要理では、プロテスタント(マルチン・ルター)の第一原理と、カトリックの違いを勉強しました。
Justification をプロテスタントでは「義認」、カトリックでは「義化」と訳すように、ここに明らかな違いがありました。

「義認」とは、人間は罪から解放されることなく、罪の汚れは持ち続けるが、ただ天主が人を名前だけは「義」とされる、つまり内的ではなく、外的に「義ラベル」を張り替える」という意味です。実際は重病人だけれども、お医者さんはただ「健康体ですよ」と言って下さっている、と考えると簡単でした。
それに対して、カトリックの「義化」は、イエズス・キリストの贖いと聖血の功徳によって私達の罪は赦され、本当に真っ白に癒される、「義」とされるとします。
現在の結果としての弱さは残るものの、天主の聖寵、お恵みによって内的に赦し、清められるという意味です。

このルターの第一原理は4つの結果を生むこととなります。
①人は信仰のみ(Sola Fide)でいいので、仲介者は不要、基本的に全ての信仰者は司祭である。
②人は罪に汚れきっていて腐りきっていいるので、善行をしても意味がないし、善行などできない。ただ信じた印として善行をおこなう。(悲観主義)
③道徳律は不可能である。人は掟を守る事などできない
④教会は見えないもので、義人のあつまり。不明瞭。

これの四つの結果に対してカトリックは、
①叙階という秘跡を用いて司祭をつくり、位階制を昔からもっている。
②天主からのお恵みによって、惨めながらも善行をすることは出来、それは功徳となって天主の心に叶うものとなれる。
③掟を守らねば、(大罪を犯すと)義人ではなくなり、地獄にいかなければならない
④使徒信教にあるように、「一」「聖」「公」「使徒継承」のはっきりとした四つの印をもっている。

また、聖書以外に権威はない「聖書のみ」が権威を持つと、プロテスタントは主張するが、その聖書には「聖書のみ」とは書かれていない。
カトリックでは、啓示の2つの源泉「聖書と聖伝」がある。

以上のようなお話でした。
たった一つの考えの間違いから多くの過ちに繋がっていく恐ろしさを感じました。
何が正しくて、何が間違っているのかを、全ての人が理解し、永遠が決まってしまう審判のときではなく、生きているうちに理解する事が 出来るお恵みをマリア様を通して多くの人に与えられますように!

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪の御ミサの後、プロテスタントとカトリックの違いについて教えていただきありがとうございました。
私自身がプロテスタントからの改宗者なので、以前の教会で理解できなかった点がルターの教えから来ているものだと、よく理解できました。
「義認」について、罪人であることを隠す(なかったことにする)という表現もとても合致し、それだからプロテスタントの方々は「罪」に対しての意識が薄いのだなと思いました。プロテスタントの教えでは個人的に悔い改めることはできても、償いをすることができません。自分の犯した罪を自覚すると同時に償いの気持ちが芽生えるのは自然なことだと思うのですが、それを不要としてしまっては、人間は罪を重ねるだけになってしまいます。
プロテスタント教会はそれでも、「信仰のみで」の教えなので、現世では「善人は現世でも恵まれながら、天国へ行ける」「悪人は現世では恵まれないが、天国では恵まれる」と教えています。しかし、その教えでは現世の秩序は乱れたままです。果たして、そのような世の中を天主様はお望みでしょうか…?と、問いたい気持ちになると同時に、まだ聖伝の教会に出会うことのできていないすべての人々のために祈らねばと思いました。

今こうしてマリア様にも出会い、告解の秘跡を受けていることが、どんなに素晴らしいお恵みか!まだまだ信仰も祈りも犠牲も足りないしもめですが、仲介者であるマリア様の御取次によって、より多くの人々が信仰に導かれるよう願います。

(補足)
ひとつ思い出したのですが、プロテスタント信者にとって「教会は信仰を強める場所」という教えだったと記憶しています。「万民祭司」の教理からくる発想でしょうか?「教会での礼拝を通し、聖霊の導きによって信仰を強めることができる」というものでした。今思うと、信仰宣言をしたすべての人々がペトロの継承者⁈⁈⁈と思うと驚きですね。
次回の公教要理も楽しみにしています!
デオ・グラチアス!

【お返事】
コメントをありがとうございます。
今回のお話しでは、なるべくルターの考えが何か、ということを出来るだけ正確に捉えようとしてみました。
その根本思想が「義認」です。

ルターによると、人間は罪人のままのこり、いかなる善も行うことが出来ないほど腐り病んでいます。ルターによると、救いは、全く純粋に天主の業であり、人間は何もすることがない、とされます。
信者はどのような意味においても救いの業に参与しないし、協力もしない、とされます。何故なら、人間は善をすることができないほど腐敗しきっているからです。
ルターによれば、人間は善を行って、功徳を積むこともないし、罪を償うこともできない、とされます。善行は、救われたものであることの印にすぎない、と。
ルターによると、秘蹟の執行(洗礼と晩餐)や説教、礼拝、などは、善行の一部ですが、信者の確信・信仰を促進させるという目的しかありません。
これらの行為が信者らを聖化するのではないし、功徳があるのでもないのです。
ルターによると、天主は、全く恣意的に望むがままに自分の義を人間に帰すだけです。
ですから、ルターに従うと、プロテスタント信者にとって、教会での礼拝を通し、聖霊の導きによって、信仰を強めてもらうように願うとされます。
ルターによると、すべては天主次第なのだけれども、自分が救われているという印として、礼拝などを行うとされています。

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 41人(内、子供8人)
女: 44人(内、子供5人)
計: 85人(内、子供13人)

【報告】

小野田神父様

今日は とてもしみじみしたお説教でした。
ちょうど一年前の十五玄義図の発見時の朝日新聞の関連記事をおくらせていただきます。

16世紀のキリシタン信仰画が澤田美喜記念館で見つかりました。



ご聖体の連祷と黙想の図(十五玄義図)

今回調査を行ったところ、絵が日本風でこれまで発見されている他の十五玄義図とは趣が違っており、年代測定(放射性炭素年代調査)をしたところ、1556年から1633年に作られた紙であると確定されました。


フィリピンのダバオでのオブレート修道女の着衣式

2019年10月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、幼きイエズスの聖テレジアの祝日ですね。
9月15日には、フィリピンのダバオにある修練院にて、聖ピオ十世会のオブレート修道女の着衣式がありました。写真をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!








































--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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