アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
大阪では、11月1日(初金)の諸聖人の祝日の御ミサ、初金の御聖体降福式、2日(初土)の全ての死せる信徒の記念のミサ(3回)、初土の御聖体降福式をすることができました。
東京では、11月3日(主日)のミサと、初主日の聖体降福式と主日の晩課をすることができました。63名の方々がミサ聖祭に参加することが出来ました!
11月4日には名古屋でも聖ピオ十世会としては初めての聖伝のミサを捧げました。今回は27名が参加することが出来ました。次回からは、名古屋である場合にも、東京や大阪と同じようにここで愛する兄弟姉妹の皆様に告知いたします。
今回は初めて、日本では東京でも大阪でも、御聖体降福式の中で、諸聖人の連祷をラテン語で歌う事ができました。特別に教皇様と公教会の為に御聖体の前に跪いてお祈りを捧げることができたことは、幸福でした。
よろずの國の 君たる主イエズス
やまとの國を なれにぞ捧ぐ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
わが日の本の 國をさきわい
神の御國と なさしめたまえ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
闇にむか伏す 敵をくじきて
御旗のもとに 勝ち歌あがる
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
男: 31人(内、子供4人)
女: 32人(内、子供4人)
計: 63人(内、子供8人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!
トマス・小野田神父様
いつもお世話になっております。
無事に東京のごミサに与らせていただき、出席できました事、感謝いたします。ありがとうございました。
大変うれしく思いました。
また、名古屋でもごミサが捧げられていることも、とても嬉しいお知らせでした。
これからも多くの場所で聖伝のごミサが捧げられますことをお祈りいたします。
ミサ参列の際に実行の札・約束の札を提出してもらうことをすっかり忘れておりました。
神父様のブログを拝見して、私も10月7日よりカウントしております。
このメールにて今までの分の霊的花束をお知らせしたいのですが、よろしいでしょうか。
わずかではありますが、皆様のご報告に加えていただければ幸いです。
約束の札
霊的聖体拝領 30回
ロザリオ 60環
小さき犠牲 30回
実行の札(11/4までの分として)
霊的聖体拝領 15回
ロザリオ 25環
小さき犠牲 13回
『王たるキリストの祝日』に書かれた娘の手紙が今日届きました。当日の晩課の『彼は権力・力・恐怖によって国を支配したのではない、自分自身が付けられた木によって支配する。』という箇所のイエズス様の優しさに心打たれたようです。(…)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第二十一主日の御ミサをありがとうございました。
今回は1回だけのミサで残念でしたが、名古屋にてはじめてのごミサがありましたことを嬉しく思っています。
この日の聖福音では人を赦すことの大切な意味が語られ、お説教により深く黙想に導いてくださいました。赦さない、赦すという言葉は、口に出していうのは簡単ですが、感情も含めすべてをもって心底ゆるすということが場合によっては難しいです。そして、自分がゆるしていないことを自分でもわかっていないままに、心の中のわけのわからない刺に悩まされていることがあります。
お話を伺いながら、天国にいくためには天の父に赦してもらわなければならず、そのためには赦すという気持ちをもたなければならないとわかりました。
どんなときにも、赦すという気持ちを持てるというのは、きっと聖寵によらなければと思いました。深い罪びとの私には、イエズス様の御血のお恵みを望むしかないとわかりました。その目に見えない御血が流される御ミサに与ることのできることは、この上ない幸福なこととあらためて思いました。
「主の祈り」を祈るとき、いつもぞんざいに祈っていた「われらが人に赦す如く」という言葉が本当はとても大切な意味を含んでいることを教えられました。本当にいつも自分がどれほど赦されたか忘れてしまっています。
イエズス様がこの祈りを「主禱文」に入れて、私たちにいつも祈るよう教えてくださったのは、それだけ大切で重要だからだとあらためて考えさせられております。
残酷な処罰をうけた殉教者が、その苦痛だけでなく、自分を殺そうとする者にさえ悪意を持つことなく恨むことなくすべてを赦してこの世の命から離れられたことについての神父様のお話しも噛み締めました。、
昔の聖人方はよく殉教の望みを持ったと書かれているのを読みます。カトリック信仰を守るために栄えある死を望むのみならず、死ぬときにすべてを赦すことができるお恵みをいただくことも願っていたのでしょうか。それは毎日の祈りの生活のなかで唱えている「主の祈り」を良く祈っていたからなのかもしれないと思いました。彼らには、いつも天上の永遠の世界が見えていたのでしょう。
普段の何気ない生活の中で、自分を苦しめるような嫌なことや理不尽なできごとに遭遇して悲しんでしまうことがあったとしても、なおイエズス様はそれにより天国に行ける資格を一つ多く与えてくださったのだと思えるようになりますように。天国の種をいただいたことを、その相手に感謝するほどまでにはなれないにしても。
そして、苦しみと涙の谷であるこの世の生活のなかでもこのような平安をいただけるのは、まことのカトリック信仰をいただける者が持つことのできる幸せと思いました。
この日は、アマゾン・シノドス会議での偶像崇拝の罪を償うための御ミサでもありました。このニュースにはひどい衝撃を受けました。でも、私たちを聖なる信仰に導いてくださる聖なる司祭様がいらっしゃることをありがたくおもいます。
日本のカトリックが、いつの間にか偶像崇拝を混ぜこむ汚聖にも鈍感になっているかもしれないなら恐ろしいです。でもすべてをご存知の天主さまにより頼み、そのような方々に敵意や悪意は持つことは致しません。赦しを願います。イエズス様はきっとすべてをよくしてくださるに違いありませんから。御ミサに続いてご聖体降福式が行われました。償いの諸聖人の連禱がラテン語で捧げられました。
神父様まことにありがとうございました。
聖マリアの汚れなき御心のうちに
愛する兄弟姉妹の皆様、
大阪では、11月1日(初金)の諸聖人の祝日の御ミサ、初金の御聖体降福式、2日(初土)の全ての死せる信徒の記念のミサ(3回)、初土の御聖体降福式をすることができました。
東京では、11月3日(主日)のミサと、初主日の聖体降福式と主日の晩課をすることができました。63名の方々がミサ聖祭に参加することが出来ました!
11月4日には名古屋でも聖ピオ十世会としては初めての聖伝のミサを捧げました。今回は27名が参加することが出来ました。次回からは、名古屋である場合にも、東京や大阪と同じようにここで愛する兄弟姉妹の皆様に告知いたします。
今回は初めて、日本では東京でも大阪でも、御聖体降福式の中で、諸聖人の連祷をラテン語で歌う事ができました。特別に教皇様と公教会の為に御聖体の前に跪いてお祈りを捧げることができたことは、幸福でした。
よろずの國の 君たる主イエズス
やまとの國を なれにぞ捧ぐ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
わが日の本の 國をさきわい
神の御國と なさしめたまえ
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
闇にむか伏す 敵をくじきて
御旗のもとに 勝ち歌あがる
きみの聖心に 我等とこしえに
誠をぞ誓わん 主よ王たり給え!
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
男: 31人(内、子供4人)
女: 32人(内、子供4人)
計: 63人(内、子供8人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!
トマス・小野田神父様
いつもお世話になっております。
無事に東京のごミサに与らせていただき、出席できました事、感謝いたします。ありがとうございました。
大変うれしく思いました。
また、名古屋でもごミサが捧げられていることも、とても嬉しいお知らせでした。
これからも多くの場所で聖伝のごミサが捧げられますことをお祈りいたします。
ミサ参列の際に実行の札・約束の札を提出してもらうことをすっかり忘れておりました。
神父様のブログを拝見して、私も10月7日よりカウントしております。
このメールにて今までの分の霊的花束をお知らせしたいのですが、よろしいでしょうか。
わずかではありますが、皆様のご報告に加えていただければ幸いです。
約束の札
霊的聖体拝領 30回
ロザリオ 60環
小さき犠牲 30回
実行の札(11/4までの分として)
霊的聖体拝領 15回
ロザリオ 25環
小さき犠牲 13回
『王たるキリストの祝日』に書かれた娘の手紙が今日届きました。当日の晩課の『彼は権力・力・恐怖によって国を支配したのではない、自分自身が付けられた木によって支配する。』という箇所のイエズス様の優しさに心打たれたようです。(…)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第二十一主日の御ミサをありがとうございました。
今回は1回だけのミサで残念でしたが、名古屋にてはじめてのごミサがありましたことを嬉しく思っています。
この日の聖福音では人を赦すことの大切な意味が語られ、お説教により深く黙想に導いてくださいました。赦さない、赦すという言葉は、口に出していうのは簡単ですが、感情も含めすべてをもって心底ゆるすということが場合によっては難しいです。そして、自分がゆるしていないことを自分でもわかっていないままに、心の中のわけのわからない刺に悩まされていることがあります。
お話を伺いながら、天国にいくためには天の父に赦してもらわなければならず、そのためには赦すという気持ちをもたなければならないとわかりました。
どんなときにも、赦すという気持ちを持てるというのは、きっと聖寵によらなければと思いました。深い罪びとの私には、イエズス様の御血のお恵みを望むしかないとわかりました。その目に見えない御血が流される御ミサに与ることのできることは、この上ない幸福なこととあらためて思いました。
「主の祈り」を祈るとき、いつもぞんざいに祈っていた「われらが人に赦す如く」という言葉が本当はとても大切な意味を含んでいることを教えられました。本当にいつも自分がどれほど赦されたか忘れてしまっています。
イエズス様がこの祈りを「主禱文」に入れて、私たちにいつも祈るよう教えてくださったのは、それだけ大切で重要だからだとあらためて考えさせられております。
残酷な処罰をうけた殉教者が、その苦痛だけでなく、自分を殺そうとする者にさえ悪意を持つことなく恨むことなくすべてを赦してこの世の命から離れられたことについての神父様のお話しも噛み締めました。、
昔の聖人方はよく殉教の望みを持ったと書かれているのを読みます。カトリック信仰を守るために栄えある死を望むのみならず、死ぬときにすべてを赦すことができるお恵みをいただくことも願っていたのでしょうか。それは毎日の祈りの生活のなかで唱えている「主の祈り」を良く祈っていたからなのかもしれないと思いました。彼らには、いつも天上の永遠の世界が見えていたのでしょう。
普段の何気ない生活の中で、自分を苦しめるような嫌なことや理不尽なできごとに遭遇して悲しんでしまうことがあったとしても、なおイエズス様はそれにより天国に行ける資格を一つ多く与えてくださったのだと思えるようになりますように。天国の種をいただいたことを、その相手に感謝するほどまでにはなれないにしても。
そして、苦しみと涙の谷であるこの世の生活のなかでもこのような平安をいただけるのは、まことのカトリック信仰をいただける者が持つことのできる幸せと思いました。
この日は、アマゾン・シノドス会議での偶像崇拝の罪を償うための御ミサでもありました。このニュースにはひどい衝撃を受けました。でも、私たちを聖なる信仰に導いてくださる聖なる司祭様がいらっしゃることをありがたくおもいます。
日本のカトリックが、いつの間にか偶像崇拝を混ぜこむ汚聖にも鈍感になっているかもしれないなら恐ろしいです。でもすべてをご存知の天主さまにより頼み、そのような方々に敵意や悪意は持つことは致しません。赦しを願います。イエズス様はきっとすべてをよくしてくださるに違いありませんから。御ミサに続いてご聖体降福式が行われました。償いの諸聖人の連禱がラテン語で捧げられました。
神父様まことにありがとうございました。
聖マリアの汚れなき御心のうちに