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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ベニスのガラス細工

2012-04-04 21:59:01 | プチ放浪 都会編
 
 

"Benetian glass the same design used over and over for years and years."

映画「旅情」でレナトがジェーンに言った言葉。ベニスのガラス細工は古代ローマ時代にさかのぼる。ギルド(ガラス職人組合)が結成され、ベネチアンガラスが組織的に生産されるようになったのは、13世紀のことだ。
1291年、ベニス共和国政府は、木造建築物の多かったベニス本島の火災防止を理由に、当時のガラス職人たちをムラーノ島へ強制的に移し、島から出ることを禁した。その一方で、産業の興隆に貢献した者には貴族の称号を与えた。ベニス・ガラスの製法を外に漏らさないための国策だった。高い技術を囲い込むことで、他国との競争力を堅持し、ベニスのガラス産業は次第に規模を拡大していく。
1453年にオスマン・トルコがイスタンブールを陥落させたことによって、ベニスの貿易産業は衰退し、政治力も失ってしまう。それでも、ベニス・ガラスは17世紀まで盛んに作られていた。

ローマ広場のヴァポレット(水上バス)乗り場から、島の北側にあるフォンダメンタ・ヌォーヴェ(Fondamenta Nuove)を経由、大運河を出て外洋に出る。外洋といっても鏡のような海面だ。
水面にずらーと突き出た航路を示す木の杭に沿ってムラーノ島へ。
ムラーノ島は、別名「ベネチアの妹」とも呼ばれ、ベニス・ガラスのほとんどがこの島でつくられている。ムラーノ島のガラス産業の中心地は、フォンダメンタ・デイ・ヴェトライ(ガラス職人通り)。運河を挟んで、この通りと対岸通りのフォンダメンタ・マニンには工房やショールームが、たくさん並んでいる。

ムラーノ島からレース編みと色鮮やかな家が有名なブラーノ島へ。
ほとんど同じ形の家がズラッと並んでいて、一軒一軒が緑、赤、黄色と、とても鮮やかに塗り分けられている。
ブラーノ島のレースもベニス共和国がガラスと共に国を挙げて興産した特産品だ。かのダイアナ元妃のウェディング・ドレスにもこの島のレースが選ばれたらしい。

They call it Fangela Coppoli.
What does that mean?

The island where the rainbow fell.

映画「旅情」より。


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ランチde世界放浪(9)

2012-04-03 22:04:05 | 日記

 

イタリアのデザインって芸術っすよね。
 ピッツェリア・エッセドゥエ (Pizzeria ESSE DUE)
   京都港区赤坂6-11-13 fabricビル 1F
    03-3585-2232

赤坂のはずれに静かに佇む本場ナポリの窯焼きピッツァ店。
ここのお店は下がトラットリアになっていて、上がピッツェリア。
オーダーは、イタリア料理の定番メニュー、粗挽きソーセージの入ったペンネアクリームとカップチーノ(ランチセット)。
スパイシーソーセージにほのかに広がるローズマリーの香り。ポイント高し。食後のエスプレッソは本格派だ。濃厚なコクとなめらかなクレマ(泡)が醸し出すリッチな味わい。
ラストオーダーに近いランチタイムの入店だったけど、正体不明の芸能関係者が近くのテーブルにいた。さすがはTBSテレビのおひざ元、赤坂。

店の入り口のところにイタリアの炭酸飲料『ABBONDIO(アッボンディオ)』が飾られている。そのラベル、実にイタリアらしいデザイン。マリリンモンローを連想するような金髪の女性が、レディ・ガガのようないでたちで挑発している。
店から出る時に思わず立ち止まり、そのボトルラベルの写真を撮っていたら、お店のピッツァイヨーロ(ピッツァ職人さん?)が笑ってた。なんでも、日本じゃなかなか手に入らないらしい。


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梅じゃなくてあんず

2012-04-02 22:41:31 | プチ放浪 都会編

 
 

「杏あまさうな人は  睡(ね)むさうな」       
                         室生犀星  

「何からお持ちしましょう? 」
「うーん、そうだなぁ、ドンブリがあったろうウ ・・ ウン(-ω-`;。)」
「ございます。大きいのと小さいのがありますが? 」
「あぁ、わしゃ男だから大きいのを使う。小さいのは、それは女用だからな。じゃ、おドンブリをこっちへ貸しなさい。で、ひしゃくは釜のふちに横に寝かせて置いておきな。柄がこげないようにな。で、粉を入れる小さい入れ物があったな  (。´・ω・)ん?」
「これですか? これ、なんてンです? 」
「...そのうちに思い出したら教えてやろう  (*・ω・)マス♪」
「ご隠居さん、知らないんじゃないですか?」
「わしゃ知らないわけじゃない、忘れただけだ  ヽ(`Д´)ノ」
「ねぇ、ご隠居さん、そんな意地悪云わないで教えておくンなさいよ」
「そうか...えーっと、これは、確か果物の実のような名前だったなぁ...えーっと、何と云ったかなぁ...あぁ、これはたしか、あんずというんだ  (´ー`*)ウンウン」

向島百花園のあんずはそろそろ咲いている頃だろうか・・・。

 
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出師の表

2012-04-01 23:03:41 | プチ放浪 都会編

 

横浜 三溪園で甘い香りがする梅の花のそばでたたずみ、歩きつかれた足を癒やしていた。

幸田露伴は、日々の暮らしの中で身近に見られる草木を題材に、花への想いを「新小説」明治31年3月号 ~ 7月号に「百花譜」と題し掲載している。

その最初の花が「梅」。

「梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの花の美しく香の清きのみならず、あたりのさまをさへ床しきかたに見さするものなり。
崩れたる土塀、歪みたる衡門、あるいは掌のくぼほどの瘠畠、形ばかりなる小社などの、常は眼にいぶせく心にあかぬものも、それ近くにこの花の一ト木二タ木咲き出づるあれば、をかしきものとぞ眺めらるゝ。
たとへば徳高く心清き人の、如何なるところにありても、其居るところの俗には移されずして、其居るところの俗を易ふるがごとし。
出師の表を読みて涙をおとさぬ人は猶友とすべし、この花好まざらん男は奴とするにも堪へざらん」

梅はやっぱり絵になるんだろう。
どんなところに咲いていても、やっぱこの時期、レンズを向けてしまう。
枝が邪魔をするため、スッキリとした写真が撮りづらいのだが。。

・・・「出師の表」かあ。


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