tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

サマータイム・マシンブルース

2007-04-19 20:00:52 | cinema

30年後の自分はどうしているだろう。ぼくが大学生の頃は、中年になった自分がイメージできなかった。・・・・・・中年の年齢まで、生きながらえるとは思っても見なかった。世の中の進歩は目覚しく、そうした意味でも30年後を想像するのは難しいのだろう。音楽レコードが技術革新で音楽CDにその地位を取って代わられる・・・・・・なんて思いもしなかった。シリコンミュージックプレーヤーなんて、SFの世界にもなかったかもしれない。

写真フィルムや印画紙など銀塩写真用の資材が、つぎつぎに生産中止になってきている。写真の世界でも、時代はアナログからデジタルへ。もはや、数年先にはフィルム巻き上げメカのついた旧式のカメラを目にすることはないかもしれない。だから、今から30年後の世界のタムラくんが持っていたフィルム駆動式のアナログカメラは、あり得ない話となってしまう・・・・・・のかな。一方、エアコンは冷媒のフロンが禁止されても、代替品が出てきて現在のマシンでも使い続けることができるかもしれない。なにしろ、30年後未来は予測不能なのだ。
と言う具合に、タイムマシーンものは時代考証やタイムパラドックスのわなに陥りやすく、重箱のすみをつつけばきりがない。

さて、タイムトリップが可能だとすると、タイムパラドックスと呼ばれる問題が起こる。映画でも出てくるが、「過去に戻って自分の親を殺した場合、自分も生まれないことになり、そうすると親を殺すことも出来なくなる」といった矛盾が生じるのだ。また、過去の自分に会うだけでもパラドックスになる。というのも、過去にタイムマシーンで未来からやってきた自分に会った事が無いにもかかわらず、過去の自分に会ってしまった場合に、本人の記憶に矛盾が発生する。
このようなパラドックスを回避しようとして、SFでは以下の4つのパターンが用いられる。概念上とは言え、パラドックスを完全に回避することができればそれは現実世界での真に相当するのかもしれない。

1.過去は変えられない
この場合は、タイムパラドックスは発生しない。映画「サマー・タイムマシーン・ブルース」でつじつま合わせに翻弄したのは、このため。過去を変えるようなことをすると、時がそのパラドックスの原因を消去するということが起こるらしい。たとえば、過去にタイムトリップして自分を殺そうとすると、過去にタイムトリップした殺し屋の自分は消される。消されることから、現在の自分はいなくなる。周りから見れば、ある日突然、誰かが蒸発してしまうことになる。その結果は未来に影響を及ぼすと考えられるが、それはあらかじめ決められていた運命だったというわけだ。
一方、映画「ターミネーター」では、未来からやってきた殺人マシーンが、機械に支配される未来の世界でそれに抵抗する人類を率いるリーダーの母親となるべき女性を殺そうとする。結局は、その女性を殺そうとする試みは失敗するのだ。そして、彼女を守るために未来からやってきた男が人類のリーダーの父親になる。つまり、過去へのタイムトリップも含めて、すべては運命だったというわけだ。

2.過去は変えられる
過去を変えることが可能で、それによって未来も変化するという考え方だ。この場合に、タイムパラドックスは発生する。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、「親を殺すパラドックス」が起こりかける。主人公の両親の出会いを邪魔した結果、両親から生まれたはずの彼は消えかけてしまう。ぎりぎりのところでこのパラドックスは回避されるのだが、過去が変わったために未来も変ってしまう。主人公の記憶と未来は食い違いがあるのだから、タイムパラドックスが発生しているといえる。このバック・トゥ・ザ・フューチャーのシリーズでは、タイムトラベルした人の記憶は変らないという設定だ。また、映画「ターミネータ2」では、1作目と異なり未来を変えることが出来るという設定になっている。この設定で、シュワちゃんが暴れることが正当化されている。

3.時がパラドックスを阻害する
続作「ターミネータ3」では、「ターミネータ2」で阻止しようとした人類に対する攻撃が別の日にちで行われる。運命は絶対で、変えることができないという設定だ。小松左京原作の映画「戦国自衛隊」では、史実とは異なる過去に対し、未来の自衛隊員が送り込まれて史実に沿うように「修正」が起こる。すなわち、パラドックスには許容できるものとできないものが存在し、できないものに対しては神が思いもよらない方法で修正を施すという説明だ。この場合、「親を殺すパラドックス」は、その後の歴史の変化の大小で許される場合もあり、これが許されない場合は、例えば殺した親に対して別の人間の代理が出現するなどの処置が施されることになる。

4.過去を変えた時点で世界が多元化する
過去を変えると、過去がそのままの世界と過去を変えた世界というように世界が分岐するというものである。過去を変えてもその結果変るのは別の世界であり自分の世界は影響を受けないので、この場合はタイムパラドックスは発生しない。タイムトリップは別世界と繋がり、自分が2人いる世界を継続することが可能だ。それと同時に、自分がいない世界が別に存在することになる。これをパラレルワールドと呼ぶ。

現在、SFの世界でタイムパラドックスを回避して、タイムトリップをどうにか説明できているのは4番目の「分岐型のパラレル・ワールド」である。この「パラレルワールド」の概念の元になっているのは量子力学という学問での考え方である。
量子力学では、いくつかの異なる状態の重ねあわせで表現する。これは、どちらの状態であるとも言及できないと解釈し、観測によって実現する事象の取扱い方に関しては「コペンハーゲン解釈」と「多世界解釈」のふたつがある。
コペンハーゲン解釈では、主体である観測者の観測によって、無数の可能性がひとつに「収縮」される。一方、多世界解釈では、無数に存在する世界で、無数の観測者がそこでの結果を観測(体験)するというものである。つまり、コペンハーゲン解釈では観測者(自分)はひとりであるのに対し、多世界解釈では、その数だけ自分が存在することになる。この多世界解釈を適用すれば、もし、違う世界間を移動することができれば、そこで別の世界の自分を殺すことは可能だということになる。

ならば、多世界において、ひとつの世界から別の世界に移動が可能であろうか。別の世界に新たな自分がもう一人増加するとすれば、今度は「質量保存の法則」に引っかかってくる。別世界と言えども、その世界にあるもの全ての合計質量が変わることは許されない。「別の世界から来たもう一人自分」の質量が増加することになると、それは「ありえない」ことになる。
・・・・・・もし、別の世界にあるばらばらの原子から、自分の完全一致のコピーが合成されたら・・・・・・
映画「ハエ男の恐怖(The Fly)」で、合成装置に紛れ込んだハエが悲劇をもたらした。この方法で記憶までをも再合成できるとすることで、新しい次元のタイムトラベル小説を書くことができる・・・・・・はずだ。・・・・・・ただ文才がない・・・・・・orz。

(表題「サマータイム・マシンブルース」は、めっきりカタカナの単語に弱くなったことによるもの・・・・・・他意はありません)


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