小袖海岸の北にある九戸郡洋野町種市では、冬季にウェットスーツを着た男性漁師がアワビの素潜り漁を行っているらしい。男性の場合は海女さんではなく海士さん。ただし、漢字の読みは海女と同じく「あま」と読む。
素潜りで海女漁が行われているのは日本と韓国だけだ。日本で最北端にあたる小袖海岸の海女さんは、世界でも「北限」と言うことになる。
とはいうものの、北限の海女さんは現在、漁を生業にしている人は殆んど居らず、海女の素潜り実演をしてみせる観光海女がメインだ。
海女さんの服装だが、この地域でも大正の頃までは、上半身裸姿に、腰には木綿の布(磯ナカネという)を巻き付け、頭髪は頭頂にワラや布で髪をまとめて結う「磯マゲ」をする人が多かったらしい。
1959年(昭和34年)のラジオドラマで観光客が小袖海岸に訪れるようになると、海女さんの服装はかすりはんてんなどを着たまま海に入るようになったようだ。
なお、現代の北限の海女さんの格好は、かすりはんてんに赤い帯、フゴミと呼ばれる袴を履き、白の足袋をつけて手にはダイビング用グローブ、頭には手ぬぐいをした後に磯メガネ(あるいはダイビングマスク)をして海に潜る。シュノーケル、フィンはつけていない。
ちなみに、海女さんたちと一緒に潜らせてもらった日は、水温が14℃と冷たく、彼女たちはUV加工の「無地パンスト」を履いていた。
岩場を潜ると、知らず知らずに素肌を傷つけてしまうことが多い。薄いパンストだが、彼女たちを寒さと岩場での擦り傷から守っているのだろう。
一緒に潜ってくれた海女さんは、この海女センター近くで生まれ育ったという。
北の人たちに特有なのは、最初の会話で出身地を問うこと。
「どちらから来られました?」
その返事が「東京」だったら、いついつに東京に遊びに行ったという話ではずみ終わるのだが、ほとんど知名度のない千葉のど田舎の地名だったりしたら、話はそこで終了。・・・あのサッカーで有名なと言ってみても・・・フォローしようがない。
なお、彼女は千葉の御宿に旅行して、地元の海女さんが採ったウニだかを食べたことがあるらしい。
岩手の海から千葉の田舎の海に観光に行くという旅行のモチベーションが今ひとつ理解できないでいたが、人はそれぞれ、というよりも、今時の海女さんというのはこんな感じで旅行を楽しんでいるのだろう。
岩手県の人々は皆そうなのだが、この海で出会った海女さんたちもまた、底抜けに明るくて元気いっぱいだった。
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