【撮影地】 東京都台東区上野公園 (2009.4月撮影)
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1945年4月16日、ソ連軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。オーデル河を渡河したソ連軍は、ゼーロウ高地でドイツ第の頑強な抵抗にあうも、133ヶ所の渡河点を確保してベルリンに侵攻する準備を開始した。
4月17日、ソ連軍はゼーロウ高地のドイツ軍防衛陣地を破り、18日早朝までに高地を占領し、ミュンヘベルク (Müncheberg) へ向け軍を進めた。19日にはドイツ第9軍の戦線は突破され、ドイツ軍はベルリンなど南へ後退。
翌4月20日。総統誕生日を祝うために、軍とナチス高官が総統官邸に集まった。この日開催された軍事会議で、各種政府機関は即時ベルリンから退去することが決まった。
ベルリン防衛司令部では、ナチス党の役員がさまざまな口実をでっちあげ首都からの退却を願い出ていた。ベルリン防衛司令部は、武器を持てる者は一人もベルリンを離れてはならないと布告していたのだが、実際には2000枚以上の許可証を発行せざるをえなかった。ドイツ軍は圧倒的なソ連軍の火器の前に風前の灯火であった。
ソ連軍の迫るベルリン中央駅にあるメンデルスゾーン・バルトルディ公園では、64年前のこの日、咲きかけた老木の八重桜が戦火の風に震えていた。
「なるほど。桜の話になってきたな」
「当然であろうが」
「しかし、なんでsakuraにまつわる話が大戦中のベルリンなんだ」
「だから、それは最後まで聞けと言っている」
「わかった、わかった。続けてくれ」
4月21日には、連合軍の第1機械化軍団がベルリン郊外のヴァイセンゼーに突入し、ベルリン中心部へ向け重砲による砲撃を始めた。翌22日、第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍(4th Tank Army (Soviet Union))がテルトウ運河に到達し、23日には、ベルリン郊外市街地への突入を始める。
この日、ドイツ軍の第LVI装甲軍団の司令官ヘルムート・ヴァイトリング大将が急遽ベルリン防衛軍司令官に任ぜられ、率いる残余部隊をベルリン市街の各所に配置する。しかし、どの師団も定数を下回る寄せ集めであり、50万人近いソ連軍の前に包囲網は狭まっていった。
そして、4月25日、連合軍の第4親衛戦車軍はポツダム郊外へ達し、ついにベルリンは包囲された。
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