正確に言えばホテルから空港への送迎は「Airport transfer」とでもいうのだろうか。
幾たびも利用してきたサービスだ。
考えてみれば約束した時間通りにドライバーが何の間違いも無くやってくるのは不思議だ。
当然のことといえば当然だが、ここは南の島。独特の島時間。
時間にルーズな人が多く、有り得ないけれど、そんな感じ。
旅行者はノンビリした雰囲気ってしびれてるけれど、生活だとまた違うはずだ。
ジープ島からモエン島へ戻った最終日。ホテルのフロントではウエルカムバックの歓迎。
フライトの関係で深夜のチェックアウトを伝えてのチェックイン。
1:30のピックアップに備えて、深夜12時ごろから乾かしていたダイビング機材のパッキング。
部屋に送迎のドライバーが呼びにくるはずもなく、1時にフロントへ。
深夜、ダイビングバッグをゴロゴロと転がしてフロントへ行く途中、セキュリティに呼び止められる。
・・・フロントは閉まってるとのこと。
そんなこともあるかと思い、すべて精算を終わらせておいたのが正解だった。
部屋のキーを返せばチェックアウト終了のはず。
そろそろ1:30。ピックアップの約束の時間だ。が、送迎の車がくる気配はナッシング~。
セキュリティに呼び出され、眠い目をこすりながらやってきたホテルスタッフ。
事情を飲み込んで彼の小型車で空港まで送ってくれることに。
南の島だからね。そんな思いのまま、流れに身を任せていたが、後で考えたらとんでもない非常事態。
だれも送ってくれず、タクシーなんてない島のことだから。しかも深夜のことだから、運が悪けりゃ飛行機に乗れない事態だ。
旅行保険には入ってたものの、Airport transferが来なくて飛行機にのれなかった場合は費用請求できるのだろうか。。
日本に帰れないという最大の危機から救ってくれた親切なローカルスタッフにつれられて空港へ。
着いたのはフライトの30分前。小さな空港なので出国手続きは短時間だ。
グアムへ出稼ぎ(?)に行く数人のローカルたちと、そしてそれを見送るローカルの娘たち。
いつもこの空港はそんな別れのドラマが繰り返される。
前の旅行では、若い男の子が体格の良い母親に見送られてたっけ。
都会へ子供を送り出す島の人々は、さびしいんだよね。
帰りたくないな・・・とぼやきながらも、グアムへ。。。
飛行機に無事に飛び乗ってから気がついた。
親切に空港まで送ってくれたローカルスタッフに、チップとして5ドルしかあげてなかった。
ぼくはなんという恥知らずなんだろう。後悔は先にたたない。
感謝してます。もう一度ジープ島へ行けたら彼に伝えたい。
キリショー・チャープ。
ジープ島の一日は、朝日とともに始まる。日本との時差は1時間。それゆえ、最初のうちは日本での体内時計に支配されるのだが、すぐにリセット。
旅行にはいつも使う100均の目覚まし時計も、次第にその文字盤を見ることは無くなる。
朝6時。日の出。元気なゲストにいつも先を越される。
洗面代わりに水着に着替えて海へ。
海からあがったら、お湯をもらってインスタントのモーニングコーヒー。
Mr.Brown(台湾製?)コーヒーが無くなったら、MOCCONA(オランダ?)の赤ラベル。
ネスカフェじゃない洗練された味。
キッチンには一応、ぼくの100均と同じような小さな目覚ましが置いてある。しかしリペルはゲストの様子を見て、だいたい7時ごろに朝ごはんのコール。
朝は、目玉焼き、肉野菜炒め、パンなど。
朝ごはんが終わったら、一周歩いて3分の島の中を散歩。
ゲストそれぞれ、デッキチェアーに寝転がって、それぞれ好きな方向の海をぼーっと見つめる。
現地の人たちが家の入り口に椅子を据えて座り、通りを日がな一日眺めている気持ちが理解できる。
要は何もする気が起きないのだ。
9時に修理中のコテージを作業する現地の人がボートで到着。大人のワンコたちがローカルを怖がってワンワン吼える。
その内に新しいゲストがボートで到着。日本人に対してワンコたちは大歓迎だ。
そしてダイビングボートのピックアップ。午前中のシュノーケル・ダイビングツアーの始まり。
昼に島に帰ってきて昼食。おにぎりなどその時その時のメニュー。
午後はイルカ。あるいはダイビング。
シャワーを浴びて夕日は18時ごろ。
薄暗くなって発電機が回りだすと夕食タイム。カレーライス、ハンバーグ、ローストチキン、肉野菜炒めのローテーション。
毎日それの繰り返し。自慢できそうなことはなんにもしないけど、それなりに充実した毎日。島時間。
2年前のジープ島。写真、ぜんぜん上達してねーぞ。
戦時中には、入り江の漁港が特攻隊の訓練基地だった鵜原海岸。米軍を迎え撃つため、ベニヤ造りの特殊挺「震洋」で自爆攻撃だったらしい。
この海岸を舞台に三島由紀夫は「岬にての物語」という小説を書いた。
陽光が降り注ぎ、草花の生い茂る夏の岬を舞台に、恋人たちが自ら選んだ恩寵としての死を描いた。
「オルガンの音はそこから物織る糸のように忍び出で、野の花々(鬼百合も)に蜘蛛や蜜蜂や黄金虫が死んだように身を休め、しばし凪に楡の樹の梢も鳴らさぬ午後の謐けさすべてが金色のままに翳なくそれがそのまま真夜中を思わせるような夏の午後の謐けさを、そのオルガンの音楽はさまざまな縫取りで重たくするかのようであった。」
海上の岩の上に立つ「神磯の鳥居」。ご存じ大洗磯前神社。
絶景ハンターには有名なスポットだが、ここも最近はガールズカメラが多くなってきた。
スマホでの自撮りから本格フィルムカメラまで、若い女性たちの「撮りたい」熱は高まるばかりのようだ。
いかに人とは違ういい写真をSNSにアップするかにガールズたちの関心が高まってる。写真の差別化を目指すことで、昔のアナログカメラも人気のよう。
現像してはじめて写りを確認できる、そのプロセスに対して価値を見出しているようだ。
どうやら女子たちには、セルフィ―も含めて、写りすぎないふんわりしたトーンがトレンド。もっときれいに、もっと可愛く、もっと良い写真をと、どんどんハマっていく。
女性写真家の梅佳代のように、常にカメラに収めたいものにアンテナをはり、撮りたい一瞬を逃さずに撮るのが彼女たちの特徴。写真を撮ることが目的で一人旅をする人も珍しくないという。
しかも、カメラを含めたトータルコーディネートで、自分なりのおしゃれにも気を配っている女子が多い。
写真を撮りたい欲求。つまり写欲。生きるのに重要でない欲望だ。
写真を通して社会に貢献し、自己実現していくための手段。人との直接的なつながりが持ちづらい世の中だ。かろうじてSNSでつながっていく。
こんなことに女子たちも目覚めてきたのだろう。いつも世の中の流行は女性からだ。。
台湾のベニスと呼ばれる淡水。夕日が美しい場所だ。
週末や祝日などは台湾の若いカップルたちでにぎわう。
MRT(台北メトロ)で台北駅から約30分。台北盆地の西北部に位置する。
以前は現地の人々の話す言葉「滬尾」と呼ばれていたそうだが、その意味は河口。
MRT淡水駅から延びるメインストリート・中正路には、おもちゃや雑貨を扱う店が集まっている。
河浜道路と呼ばれる河畔の遊歩道沿いには数多くの屋台。
♪Strange love for the figure of a woman
The Otozureru per night
But distant relationship
OK, now you and
Well I love swinging wild YOKOHAMA
You and me in the middle of
Just the feeling of touch
Good night to say farewell