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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

オチをくれ。

2007-09-04 19:47:22 | lesson

この時期になれば、『秋ナスは嫁に食わすな』という、ことわざの由来があちこちのブログで見つかる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、『秋ナスは身体が冷えるから食べさせるなと言う意味と、うまいものだから嫁に食わせるのはもったいないという意味と二通り伝えられている。また、元来は嫁ではなく夜目であり、ネズミを指したとの説もある。』
とあり、ネットで見かける記述も、どれも同じことが書いてある。しかし、どちらが本当の由来なのかは決着がついていないようだ。

ー最初の説(身体が冷えるから)
これは、「茄子は性寒利、多食すれば必ず腹痛下痢す。女人はよく子宮を傷ふ(養生訓:貝原益軒(1630-1714))」から、嫁の体を案じた言葉だとする説である。これは、もともとは中国の明王朝時代(1368~1644)に書かれた「本草綱目」という書物に「茄性寒利,多食心腹痛下利,婦人能傷子宮。」という記述があることから、貝原益軒が人に注意を促したことを原点としている。未確認ではあるが、中国ではほかにも、 「開本草」という書物には「茄子は、性冷にして腸胃を冷やす、秋に至りて毒最甚し・・・」、「傷寒論」にも「多食すれば子宮を損なう」という記述があるらしい。
また、江戸時代初期の伊勢貞丈も「安斎随筆」のなかで、「子宮を痛めるから、秋茄子は嫁の身体に良くない」と書いているとのことだ。
一般に、夏野菜は身体を冷やす効果があると信じられているようだが、それを裏付ける実験データは見たことがない。ちなみに、貝原益軒は「菜譜」という書物の中で、きゅうりについて「これ瓜類の下品なり、味良からず、かつ小毒あり」としている。どうやら、食べ物は必ずしもすべて身体にいいわけではないらしい。

ー2番目の説(嫁に食わせるのはもったいない)
この説の根拠とされるのは、夫木和歌抄に詠われている「秋茄子わささの糟に漬けまぜて 嫁には呉れじ棚に置くとも」という和歌のようだ。早酒(わささ)とは新酒のこと。夫木和歌抄:(ふぼくわかしょう)は鎌倉後期(1310)の私撰和歌集であり、嫁を憎む姑の心境を歌ったうたで、姑の心境は核家族化して嫁と姑の関係が希薄化した今も変わるところがないようだ。女性の基本的な心理を的確に表している。のかもしれない。
 
この2つの説の元になっている書物を単純に年代だけを比べると、どうやら、「嫁に食わせるのはもったいない」の方が古く、こちらに軍配があがりそうである。和歌は四季の美しさを詠む公家の文化であった。その後、応仁の乱で京都が荒廃すると、公家や禅僧は地方に移り、学問や文化の地方波及や庶民化を促した。室町時代には、惣村の成立や都市の発達により庶民が文化の担い手になってくる。このような経緯で、庶民に「秋茄子わささの糟に漬けまぜて 嫁には呉れじ棚に置くとも」の和歌が広まったと考えられる。一方、養生訓は儒教と中国医学とを修めた貝原益軒が、江戸時代の庶民のために書き下ろした生活習慣病と老化予防の本である。
「飲食は身を養ひ、ねぶり臥すは気を養なふ。しかれども飲食節に過れば脾胃をそこなふ。ねぶり臥す事ならざれば、元気をそこなふ。」
この養生訓の中の一節の意味は、食物は体を作り養う、睡眠も生きてゆく上で必要不可欠なことである。しかし、飲食も休養も睡眠も、ほどほどに節制が必要である。過ぎたるは猶及ばざるがごとし。---とこのように、基本的には食物に対してポジティブなスタンスである。
「茄子、本草等の書に、性好まずと云。生なるは毒あり、食ふべからず。煮たるも瘧痢(ぎゃくり:急性下痢)傷寒(しょうかん:高熱疾患)などには、誠に忌むべし。他病には、皮を去切(さりきり)て米みず(しろみず:米のとぎ水)に浸し、一夜か半日を歴(へ)てやはらかに煮て食す。害なし。葛粉、水に溲(こね)て、切て線条(せんじょう)とし、水にて煮、又、みそ汁に鰹魚(かつお)の末(まつ)を加へ、再煮て食す。瀉を止め、胃を補ふ。保護に益あり」

子供の頃、食卓に出たナスは、味がない事からおいしいと思って食べた事はなかった。ナスのからし漬けやぬか味噌漬けの味がわかったのはいつからだろう。当時、ナスの色素は、アントシアン系の「ナスニン」という色素であり、アルミの化合物であるミョウバンを使うと紫に近い明るい紺色、鉄分を含む釘などを使うと青みの強い色に漬物が仕上がるという記述を読んで、薬品を使うことに対しての抵抗感からナスに対する嫌な印象を抱いていたのかもしれない。

この記事、最後はどうやってまとめようかと苦心している。オチを思いつかないのだ。ナスだけに「オチはなす(なし)」なんてオチは、ナスにしてねと読者から前もって釘をさされている。もうそろそろ、ナスの旬を過ぎてしまいそうな時期なので、だれかに助けてもらいたい。だれか、ナス(ないす)なオチ」があったら、コメントをくれないだろうか。というオチは、ある女性から頂いたのだが、どうだろう。
秋ナスを嫁に食わせるのはもったいないという言葉からすれば、それ以上のオチはないような気もするが・・・・・・。

10cc-I'm not in love

消えた $1(2)

2007-08-30 20:02:01 | lesson

英語で書かれていたメールだが、覚えてるそのメールの内容はこうだ。
<3人の男がホテルに泊まって、フロントでホテル代の30ドルを一人10ドルづつ支払った。部屋はシャワーの出が悪く、3人は部屋の交換を依頼するが空いている部屋はない。翌朝、ボーイが申し訳ないと言って、一人につき、部屋代を1ドルづつ返してきた。しかし、実は、ボーイはホテル側が3人の男に返金すべき5ドルの内、2ドルをネコババしていたのだ。
さて、部屋代は、3人が10ドルづつ支払ったうち1ドルづつ返金されたので一人9ドル。合計27ドルだ。これにボーイがネコババした2ドルを足すと29ドル。あとの1ドルはどこに?>

この手のチェーンメール。海外のサイトをよく訪問する人や、文通している人は1度以上目にしているに違いない。この<あと1ドルはどこに>は、算数の問題と言うよりも、国語の問題と言った方がいいかもしれない。
ぼくのところに相談に来た彼女は、その解答を導き出して相手のメル友をギャフンと言わせてやりたいみたいだ。
<だったら、自分で考えなよ>と言いかけて、彼女が手にしている六花亭のマルセイバターサンドに釣られた。
しょうがないから、解説してあげることにした。

「お金の動きは、こうだろう」
客→ホテルのフロント: 30ドル
ホテルのフロント→ボーイ: 5ドル
ボーイ→男たち:3ドル.
「で、男たちが払った部屋代はいくら」
「えーと。30ドルから3ドル引いて27ドル?」
「しぇーかい」
「で、本当の部屋代は?」
「25ドルでしょう?」
「ボーイがくすねたのは?」
「2ドル」
「2つを足すと?」
「え?25ドルと2ドルだから27ドル?」
「合ってんじゃん」
「・・・・・・」
「いいか、男たちが払った部屋代は27ドル。ホテル部屋代は25ドルに加えて、ボーイがくすねたのが2ドルで合計27ドル。合ってんじゃんん」
「え゛ー?もう一回言って!」
「あのね。部屋代の27ドルにボーイの2ドルを加えるから変になるわけ。要するにその計算は根本から間違っているんだ」
「・・・・・・?」
ということで、昼休みはブログの記事を書く予定を変更して、カップヌードルを食べながら、彼女の英文メールの作成を手伝わされた。
結構、昔から出回っているチェーンメールなのだが、いまだにしぶとく出回っている。消えた1ドルのからくりがわかるかどうか、相手のメル友は挑戦のつもりなのかもしれない。しかし、彼女は結構かわいいので、そうそうたるブレインがたくさんついている。簡単になめられるようなヤツではけっしてない。かわいそうだが、どんな難問だろうが、そいつの負けは確実だ。

おわり
How many more lonely years, must meander by, until I learn the lesson, it does no good to cry.


消えた $1

2007-08-29 20:11:52 | lesson

最近、昼休みはブログの記事をまとめていることが多い。netや雑談で過ごす人が多い中で、シコシコ、キーボードを叩いていると、<論文でもまとめてんのか>と、わざわざのぞきに来る連中も多い。しかし、机の上に広げた本が加島祥造の『求めない』だったりするので、プライベートとして見逃してくれる。おかげで、じっくりと記事をまとめることができる。
今日も机でシコシコ、キーボードを叩いていたら、肩を叩かれた。驚いて振り向くとそこに北海道の土産を持った総務の女の子。

「メル友からまた意味深なメールが来たんです」と彼女が言う。
「メル友って、このあいだの?」
「そう」
「で、今度はどんなメール?」

実は、2ヶ月ぐらい前に、彼女とは同じ会話(http://pub.ne.jp/tetujin/?entry_id=689681)をしていた。その時も、海外のペンパルから意味深なメールが来たとのことで、どうすれば良いかという相談だった。前の時は、別におかしなところがない普通の英文のメールだった。
あやしいところはないから気にすることないよと言って、彼女を納得させたのだが、今回は一体なんだろう。
彼女から手渡されたプリントアウトしたそのメールにぼくは目を走らせた。
そのメールは、チェーンメールに類するものだった。内容自体には特に引っかかるようなところはない。
「別にただのチェーン・メールだと思うが?」
「そうですよね。でも・・・・・・」

英語で書かれていたメールだが、覚えてるそのメールの内容はこうだ。
<3人の男がホテルに泊まって、フロントでホテル代の30ドルを一人10ドルづつ支払った。部屋はシャワーの出が悪く、3人は部屋の交換を依頼するが空いている部屋はない。翌朝、ボーイが申し訳ないと言って、一人につき、部屋代を1ドルづつ返してきた。しかし、実は、ボーイはホテル側が3人の男に返金すべき5ドルの内、2ドルをネコババしていたのだ。
さて、部屋代は、3人が10ドルづつ支払ったうち1ドルづつ返金されたので一人9ドル。合計27ドルだ。これにボーイがネコババした2ドルを足すと29ドル。あとの1ドルはどこに?>

続きは明日


せっかくだから、天の川を見に行こう(3)

2007-07-09 19:57:00 | lesson

天衣無縫

中国の七夕伝説にも続きがあって、ちょっとエッチな内容で、しかもそれは「天衣無縫」の謂れとなっている。
昔、唐代の太原の町に郭翰(かくかん)という青年がいた。既に両親を亡くしていたが、暮らしには困らず清廉潔白な教養のある青年として勉学にシコシコ励んでいた。そんな夏のある夜半、寝台で涼んでいた郭翰の前に、芳しい香の風を伴って天上から2人の侍女を従えた「うわー、すてき!」 っていうオーラを発している美女が舞い降りてきた。黒い絹の薄衣と、霜のように白い薄絹の肩掛けを羽織った彼女は、翡翠色の鳳凰の冠を被り、雲形模様の刺繍を施した沓を履いていた。美女は自らを天帝の娘で、織姫であることを名乗る。しかも、夫である牽牛(けんぎゅう)と超スーパー長距離恋愛をしていることから、気持ちが落ち込んだため天帝の許しを得て郭翰のもとに来たというのだ。
「どうか私と契りを結ばせて頂きたいと思います (。-_-)ノ☆・゜::゜ヨロシク♪」
「ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪」
と言ったかどうか知らないが・・・・・・。
侍女たちが調えた寝台に、郭翰と2人で横になる。織女が薄紅色の薄絹を解くと、何とも妙なる香気が立ち上り、彼女の柔らかで滑るような肌は艶やかで、しめやかにエッチした2人の夜はこの世とは思えぬ甘美なものとなった。
織女は夜明けとともに帰るが、それから毎晩のように郭翰のもとに通ってくる。そんなある夜、郭翰が<ご主人は、この事を知ってんの?>と尋ねると、<私がだれとエッチしようが、だんなには関係ない。まして、下界でエッチしても、単身赴任中のだんなには分かるはずもない。たとえ、知れたとしてもシカトしましょ♪>と答える。
それでも、さすがに七夕の夜が来ると織女は現れない。数夜の後に、ようやくやってきた織女に郭翰が焼きもちを焼くと、<天上での関係は現世のものとは違って、心を通わせるだけでエッチなことはしない。焼餅を焼く必要なんてないじゃん>と答える。そんな中、郭翰はあることに気がつく。それは織姫の着ている衣服には縫い目が全くないということだ。
そうして、1年が過ぎたある晩、織女は悲しげな表情で、郭翰に別れを告げる。天帝から得た許しの期限が来たのだ。2人は悲しみに暮れ、一晩中別れを惜しむ。別れ際、織女は来年の何時何時の日に手紙を出す告げると天へ昇り、やがて消えてしまう。
織女を忘れることができない郭翰は、ショックのあまり病気になってしまう。翌年の約束の日に、織女の手紙が届くがその後は途絶えてしまう。郭翰の織女への思いは尽きず、他の女には心を動かすことはなかったのだが、跡目を残すために、やむを得ずどこかの家の娘を娶る。しかし、織女のことが忘れられない郭翰との仲は悪く、跡目もできずに亡くなる。

「天衣無縫」とは、天女の衣には縫い目がないということから転じて、詩や文章などに、技巧のあとが見えず自然であって、しかも完全無欠で美しいことや、性格が無邪気で飾り気がない天真爛漫(てんしんらんまん)なことを指す。つまり、「この文章は天衣無縫だ」などの使い方をする。ところで、うまく「遊ばれ上手」になれなかった郭翰が、なにかしら可哀想な気もして・・・・・・...ρ(。。、)ヾ(^-^;)ヨシヨシ。

天から降ってきた人の衣には縫い目がないってのは、なにか宇宙人を想像させるのだが、それはまた別の話。


せっかくだから、天の川を見に行こう(2)

2007-07-08 19:56:32 | lesson
星座の物語(こと座)

昨日の七夕は曇り空。織姫はうまく天の川を渡って牽牛に会えたのだろうか?
昨日の記事で触れたが、織姫星(織女星)はこと座の1等星ベガにあたる。こと座の伝説は、ギリシャ神話の中の話だ。
吟遊詩人のオルフェウスは、 太陽神アポロンと芸術の女神(ミューズ)の一人で叙事詩を司るカリオペとの間に生まれた。彼は竪琴の名手で、彼のひく竪琴の音に森の木々は踊りだし、森の動物達はすべて森から出てきてオルフェウスの竪琴の調べに耳を傾けていたという。
このオルフェウスの竪琴は、もともとはアポロンのものだった。亀の甲羅に穴を開けてそれに亜麻でできた9本の糸を通して作らた竪琴は、ヘルメスが作ったものだ。アポロンはその竪琴を、牛に加えて杖とで交換することによりヘルメスから手に入れており、これを息子のオルフェウスに譲ったのだった。
オルフェウスがニンフ(精女)のエウリュディケを愛し、彼女と結婚してから間もなくのことだ。新妻のエウリュディケは、横恋慕した牧夫に追いかけられ、逃げた際に草地にいた一匹の毒蛇を踏み付けてしまい、その蛇に噛まれてあっけなく死んでしまう。新妻の死を心から悲しんだオルフェウスは、亡くなったエウリュディケを取り戻すため、竪琴を手に黄泉の国タルタロスへ行く。

黄泉の門には、三つ頭の番犬ケルベロスが守護しており、凄まじい声でオルフェウスを威嚇するのだが、オルフェウスの弾く竪琴の音に次第に大人しくなり、うっとり眠ってしまう。三途の川の渡し守カロンも、恐ろしい冥府の亡者どもも、彼の美しい竪琴の調べに感動し、涙を流して聞き入った。遂にオルフェウスは、冥府の王ハデスと 女王ペルセポネの玉座の間まで辿りつき、愛する妻を失った悲しみを切々と歌いあげ、彼女を今一度地上の自分のもとへ返してくれるよう訴えかけた。オルフェウスの歌に感じ入ったペルセポネは、涙ながらに王を説得し、ハデスもその音に深い感動を覚えてエウリュディケを地上に戻す約束をする。
ただしハデスは、 エウリュディケを黄泉の国から地上に戻すのに一つの条件を課す。二人が地上に帰り着くまで、オルフェウスは決して妻のことを振り返ってはならぬというものだった。
オルフェウスは約束を守り、一度たりともエウリュディケの方を振り返らなかった。ところが、地上が目前に迫ったとき、ふとエウリュディケの足音が聞こえなくなり、心配でいてもたってもいられなくなったオルフェウスは、とうとうエウリュディケの姿を求めて振り返ってしまった・・・・・・σ(^∇^ヾ)コッチコッチ。

たちまち、彼女は黄泉にひき戻されて、オルフェウスの伸ばした手の先でエウリュディケは瞬く間に見えなくなってしまった。オルフェウスは慌てて黄泉の国へ戻ろうとしたのだが、三途の川の渡し守は彼を渡してはくれない。オルフェウスは絶望のあまり気が狂ったようになってあてどもなく山野をさまよい、最後には酒神ディオニュソスの祭りで酔っ払った一団の中へ迷い込む。酔っ払いの女達の琴の演奏の要求を断ったオルフェウスは、怒った女達に石を投げつけられ遂には八つ裂きにされ、その首もろとも竪琴もヘブルース川へ投げ込まれてしまう。この結末を哀れに思った音楽の女神達は、オルフェウスの身体を集めリベトラの森に埋葬する。そして、今もなお、そこに鳴くナイチンゲールは哀れな声で鳴くといわれている。一方、ヘブルース河に打ち捨てられた竪琴は、やがて海へ出てレスボス島へ漂い着く。かわいそうに思ったアポロンは竪琴を天にかけ「こと座」にした。また、かつてオルフェウスの竪琴の音に聞きほれていた動物たちも星の仲間入りをし、こと座の周りでその調べに聞き入っているといわれている。オルフェウスは、黄泉の国でエウリュディケと再会し、共に幸せに暮らしたとのことだ。

この黄泉の国へ亡くなった妻を迎えにゆく話は古事記でも出てくる。
イザナキは死んだ妻・イザナミを追って黄泉路を通り、根の堅州国(ねのかたすくに)に入った。ところが妻との約束を破り、あんなに美しかった妻がゾンビのように変わり果たのを見てしまったイザナキは恐れをなし黄泉の国から逃げ帰ってくる。がイザナミは追いかけてくる・・・・・・∑(=゜ω゜=;) マジ!?。
その時、その場にあった桃の木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っている。このゾンビの話は興味深いのだが、それはまた別の話。
明日に続く
Starship - Sara

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