モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ワイルドストロベリー(Wild Strawberry)の花

2008-04-09 09:13:41 | その他のハーブ

(写真)ワイルドストロベリーの花


ワイルドストロベリーは冬に強い。
火鉢を植木鉢替わりにしたせいではないだろうが、
真冬でも葉はみずみずしく緑を保ち春の到来を待っていた。

5枚の花弁からなる白い花が3個もいつの間にか咲いており、
朝の水遣りで発見し、しばし感激に浸った。
飾り立てのない清楚な白い花が、大き目の3枚の葉に隠れるようにして咲き、
夏ごろには赤く熟す。

小鳥、ひょっとしたら庭の害虫の見張り番のトカゲ君との競争で、
イチゴの試食となる。
昨年は、すでに食べられた後であり
花が咲いたのに気づかないようでは、今年も負けが見込める。
しかし、実はあまりおいしくない。

ワイルドストロベリーの和名は、エゾヘビイチゴだが、
その類似のヘビイチゴは食べられないので注意を要する。

ヘビイチゴは、4~5月頃に空き地や原っぱなどで5枚の黄色い花を咲かせる。
6月には赤い実を上向きにつける。
この花の色、実を上向きにつけるの2点で区別するとよい。

(写真)火鉢がワイルドストロベリーの居住地=火鉢


ワイルドストロベリー(Wild Strawberry)
・バラ科の耐寒性がある多年草。
・学名はFragaria vesca。英名がWild Strawberry、和名はエゾヘビイチゴ。Fragaはラテン語でイチゴを意味する。
・原産地はヨーロッパ、北アフリカ、西アジア。
・耐寒性に強いが、耐暑性特に乾燥と湿気に弱い。
・葉は3つの出羽状で花弁が5枚の白い花を咲かす。
・開花期は4~5月頃に白い花を咲かせ、秋に赤または白の実花軸が膨らんだ擬果を実らせる。
・匍匐(ほふく)する枝で増えるので、苗を移植する。
・土壌は多少石灰質のものを好む。
・日本には江戸時代1840年にオランダからもたらされ、一般化したのは明治の後半から。


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その40:ディオスコリデス ④ 推理:植物画を描かなかった理由

2008-04-08 10:19:21 | ときめきの植物雑学ノート

雨の日は、こんな昔物語の推理でも。 ただし、前編を読んでみて欲しいですが・・・・


ディオスコリデスの薬物誌には植物画がなかったが
何故なかったのかを資料から推理してみる。

1.ディオスコリデスは絵を描けなかった
前号(その39)にディオスコリデスの編集スタンスを記載したが、
ディオスコリデスの『マテリア・メディカ』は、コピー(文章)で十分事足りる、
或いは文字で表現できるというディオスコリデスの強い意思を感じる。

この強い意志には、弱点が隠されているのかもわからない。
例えば、絵を描けないコンプレックスが、コピーに走らせたのかもしれない。
特に、クラテウアスほどの腕前で描けないので。

これは、“親愛なるアレイウス”ではじまるところから読み取れる。
意訳するとこうなる。
“私が薬物について書くのは、先輩達が完成させていないし、書かれた事に間違いがあるからだ。”
そしてここからがポイントだが
“薬草採集者クラテウアスや医師アンドレアスは、他の著者と較べるとより良い記述を行っている。
が、非常に有用な薬物(根類)を見逃している。
・・・・また不十分な記述を行っている・・・”

プラトン(紀元前427-347)、弟子のアリストテレス(紀元前384-322)は、
論理(ロゴス)を重視し、言葉でモノゴトを追求すべきとし、
感覚でとらえられる美・芸術は不完全で事物の模倣に過ぎないと価値を一段低く見た。

植物画を描かない背景として
この、プラトンのイディア論の影響もあるだろう。
そして先人のライバルであるクラテウアスの紹介は、
植物画には触れずに
医師よりもステータスが低く見られていた
野山を走り回って薬草を採取している薬草採集者(リゾットモス)として記載し、
彼は職人で私は違う。
だから私はロゴス優位を実践した。 
とでもいいたいのだろうか?

クラテウアスは、小さな王国の王専属の医者であることを知らないわけがない。
だから、こんなうがった見方をしたくなる。

2.コピーでの一点突破
もう一つの解釈は、
生死が記録されていない当時としては無名なディオスコリデスは、
素晴らしい植物画を描いた先輩クラテウアスに負けるわけにはいかない。
ましてや、植物学の父といわれるテオフラスタス(Theophrastus B.C371~287)の『植物誌』にも。

そこで、植物画を描くエネルギー・時間を
得意領域の有用な薬物のデータベースづくりに精力をかけたのだろう。
その植物一つ一つのコピーは、言葉の定義がはっきりしていれば
同じ植物を想定できるほど写実的かもしれない。

また、植物・薬物の紹介は、カタログ的で、体系がしっかりしていれば
1薬物1データとして検索・書き込みしやすく使い込み甲斐がある。
ディオスコリデスの写本には、所有者が変わるごとに様々な言語での書き込みがあるようだ。
時代・使用者によって足して行けるカタログだから15世紀まで持ったのかもしれない。

絵を取り込めるコンピューターの時代がはじまったのはつい最近であり、
数値と文字が中心の時代の論理的な透明感およびデータベース思考がディオスコリデスの著書から感じられる。
この点では、絵は付録で
つまり、幹がしっかりしていれば、職人による植物画が足されてもかまわない
ということなのだろう。
チャールズ・シンガー(Charles Singer 1876-1960)は、
『生物学の歴史A History of Biology:to about the year 1900』の中で、
ディオスコリデスの簡潔なコピーでも同定困難な植物があり、
彼が存命中にも植物画つきの写本が作られた。といっている。

テオフラスタスは名前すら挙げられず完全に無視されており、ここに彼の意図を感じる。
つまり、直接のライバルは、テオフラスタスで、
彼の弱いところ、個別の植物の説明力が弱いところを攻めたのでもあろうか?

さて、本当のところ、どうして植物画を描かなかったのだろう??

文字・音だけによる表現物は、ビジュアルの既定がないがゆえに様々に空想できる。
だからこそ、1500年も長持ちしたのだろが、
15世紀まで実物からの乖離による単純化・幼稚化していく植物画を見る限り、
ディオスコリデスの時から違った線路を走り始めたようだ。
或いは、プラトン、アリストテレスの引いた路線にディオスコリデスが乗ったがために
植物画の領域でクラテウアスを超えるのに、
レオナル・ド・ダヴィンチ以降まで待たなければならなくなった。

そして、一人の天才の出現に依存することなく継続性を持ちえたのは、
植物学者と画家と印刷事業家が出版事業プロジェクトを展開するようになってからである。

パーソナルコンピューターの初期の頃にも、ロゴス派(論理=文字・数字)と
パトス派(感性=静止画・音声・動画)との不毛な論争があったことを思い出す。
データ処理能力が大きくなったとたんにこの不毛な論争が解決した。
天才および印刷機が出現するまで課題を認識せずに統合も出来なかったのだろうか?

(続く)

<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 1千年以上の時空を越えたディオスコリデス【その16】
⇒Here ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問【その38】
⇒Here ディオスコリデス ③マテリア・メディアの編集スタイル【その39】
⇒Here ディオスコリデス ④推理:植物画を描かなかった理由【その40】
・イスラムの世界へ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】


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チューリップの花 と 歴史

2008-04-07 08:05:25 | その他のハーブ
チューリップが咲くと春という実感がわく。
花の少ない時期・地域での花=春の訪れはものすごい喜びであり
クロッカスが春の兆しを示し、チューリップが春のシーズンインを確実に保証をしてくれる。
こんな微妙な感覚が薄れつつあるが、
それにしてもこの数日間は、春というよりも初夏を思わせる。

(写真)チューリップの花

野の花にも、レンブラントが購入した大邸宅と同じ値段のチューリップの球根にも
春が来ると等しく花が咲く。
春の価値は大きい。花の値段にかかわらず、希望というものが湧いてくる。

チョッと異様なチューリップの歴史を垣間見てみよう。

チューリップの伝播
チューリップは、天山山脈付近が原産地といわれ、北緯40度周辺で生育が広がって行った。
栽培種は、16世紀にトルコからウィーンに伝わり、ここからヨーロッパに、アメリカにと広がった。
トルコへの伝播は、15世紀末頃といわれここで様々な栽培の工夫がされ門外不出とされていた。
トルコのオスマン家の紋章がチューリップであることからも大事にされていたことがわかる。
ヨーロッパへの伝播は、
神聖ローマ帝国のトルコ大使オジエ・ギゼリン・ブスベックが1554年にウィーンに種子・球根を持ち帰り
チューリッヒの医者・植物学者コンラート・ゲスナー(Konrad Gesner)がこの園芸種の栽培に絡んでいる。
ブスベックはチューリップを手に入れるのに“すくなからず出費があった。”
と書き残しており、内緒での持ち帰りがあったのだろう。


ヨーロッパでのチューリップの栽培の歴史
チューリップの原種の学名をチューリッパ・ゲスネリアーナ(Tulipa Gesneriana)というが、
植物学者ゲスナーの名前を冠しており命名者はリンネである。
ゲスナーは1561年パヴァリアの豪商フガー(Fugger)の依頼で、チューリップのバルブ(鱗茎=球根)を
アウグスブルグにもって行き、この球根が園芸種の原種となる。
1562年には、大量に球根が作られ、コンスタンチノーブルからベルギーのアントワープへ運ばれ
フランドル地方がチューリップ栽培の中心となる。
そしてオランダに伝わり、いまではチューリップ生産の世界の中心となっている。

イギリスへの伝播には、いくつかの説があり、
アメリカ大陸植民地作りで活動したローリー卿などが絡んでくる。

この説は、
1593年ウイーンの皇室庭園監督者で『珍植物誌』の著者 シャルル・ド・レクルーズ(=クルシウス)が
ライデン大学植物園でチューリップを育てていた。
クルシウスは、イギリスに行き海賊で後の提督ドレーク、探検家ローリー卿と会っており
自慢としてもチューリップの球根を持って行ったと推測されている。

もう一つの説は、
16世紀後半以降、宗教上の理由で迫害された多くのヒトの移動地図とチューリップの移動地図が重なるという。
球根は高価で、逃亡者が持ち歩くには都合がよかった。
チューリップは、オランダがヨーロッパの市場を独占するまでは、フランドル地方が重要な生産地だったが、
フランドルやフランスからの追放者ユグノー派の新教徒がイギリスにチューリップをもたらした。という説だ。

そして、チューリップは、新大陸アメリカへ、世界へと普及していく。

世界初のバブル:チューリップのバブル
オランダで起きたチューリップのバブルの話はこちらをご覧ください。

チューリップ(Tulipa)
・ユリ科チューリップ属の多年草球根
・原産地は、天山山脈周辺の半乾燥の砂漠・草原
・学名はチューリッパ・ゲスネリアーナ(Tulipa Gesneriana)
・江戸時代に日本に伝播し、和名は、ウッコンソウ
・地下に球根といっている鱗茎(りんけい)をもち、茎は直立で、20~30cm程度
・花は、茎に1個がつき花色はバラエティに富む。
・日本でのチューリップ生産は、新潟・富山県でほとんど生産される。

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不思議。ミツバアケビ(Akebia trifoliata )の花

2008-04-06 08:34:27 | その他のハーブ

アケビ、ミツバアケビは、シーボルトの『日本植物誌』に載っており、
この植物画は、川原 慶賀(かわはら けいが1786-1860?)が描いている。
江戸時代での、この写実性は素晴らしいできばえだと思う。
シーボルト事件に連座し長崎ところ払いになり晩年はよくわからないようだ。
調べてみる興味が湧いてきた。

ミツバアケビ植物画
ミツバアケビ本文

(リンク先)京都大学理学部植物学教室所蔵の画像は、よく出来ていて、
葉、花、種などの部分にも対応した拡大が見られる。
日本でも、この時期に植物画の基本がシーボルトと画家川原慶賀によって出来上がったともいえよう。

さて、我が家でもミツバアケビの花が咲いていた。

(写真1)ミツバアケビの雄花と葉


10年もの間、
雨樋に巻きつき春から秋にかけて柔らかな緑のカーテンを供給してくれていたが、
花を見たのは初めて。
実がなっていたのに気づいたのが昨年が初めて。
と、意識して観察することのない植物だった。

薬用植物であり、アケビの蔦(つた)を乾燥させたものを“木通”というが、
この蔦は必ず左巻きで対象物に絡まっている。
右巻きにならないところが不思議だ。

3月に葉が出てくるが、ミツバアケビの葉は3つの小さい葉で成り立ち、
アケビの5枚の葉と区別される。
名前の由来も葉の枚数から来ている。

初めて見た花は、花とは思えずなんだろうと思ったほど奇妙な形態だ。
雌雄同株で、雄花(写真1)は、濃い紫色で2~3㎜のネジを思わせ、ブドウのように垂れ下がる。
雌花(写真2)は、雄花同様の濃い紫色で、雄花よりもサイズが大きいが数が圧倒的に少ない。

雌雄同体だが、同じ株では受精しないようで、素晴らしい自然の秩序が見られる。
昨年、初めて実がなったが、昆虫が受精させてくれたので、殺虫剤などを使わずにおいてよかった。

(写真2)雌花

(写真3)雌花のアップ


ミツバアケビ(Akebia trifoliata )
・アケビ科アケビ属の落葉つる性の木。対象物に左巻きで巻きついてくる。
・本州から九州の野山に自生する。
・雌雄同株で春に濃い紫色の花が咲く。
・果実は9~10月頃で、紫色に熟する。
・小葉が3枚で、縁に波状の大きな鋸歯がある。
・“開け実”(あけみ)が名前の由来。

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脱水症状の レースラベンダー

2008-04-05 16:20:10 | その他のハーブ

(写真)使用前 春を満喫のレースラベンダー


2007年は猛暑でラベンダー受難の年でしたが、

2008年は、やっと春が来た時期に早くもピンチ状態です。

飲みすぎ朝帰りをしたところ、

ラベンダーも脱水症状でした。

もちろん私もですが・・・・・・

(写真)使用後 しおれたレースラベンダー


(写真)更生後


レースラベンダー(ピナータラベンダーpinnata )
・シソ科ラバンデュラ属の常緑性の低木。
・レースラベンダーともいわれるプテロストエカス系のラベンダー。
・原産地は、カナリー諸島、北アフリカ・地中海沿岸。
・灰緑色の切れ込みがある葉、10cmほどの長い花穂に青紫の花が咲く。
・半耐寒性があり四季咲き。霜を避けるところでは冬場でも戸外で大丈夫。
・丈は、30~50cmで横に広がる。
・弱アルカリ性の土壌を好むので、石灰を入れる。
・花後に刈り込む。花穂が一杯出た場合は、間引きすると良い。
・夏場の取り扱いに注意。風通しの良い半日陰か1日二回の水遣りで水切れに注意。
 (更生しなければならないのは私でしょうか?スイマセン。)

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ロイヤルパープルセージ(ムエレリ)の花

2008-04-04 09:07:31 | セージ&サルビア


2年目のサルビア・ムエレリというよりは、ロイヤルパーブルセージ。

屋根の下で越冬したので、葉は緑のまま春を迎えることができ、

2㎜程度の極小の花がつき始めた。

花の色は、ロイヤルパープル。

通常の開花期は、初夏から秋なので、2~3ヶ月早く咲いたことになる。

屋根の下で冬場を越したので、この植物の体内時計を狂わせたのかもわからない。


葉からのセージ独特の香りとともに春がやってきた。



ロイヤルパープルセージ(Royal purple sage)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名はサルビア・ムエレリ(Salvia muelleri)。英名は、ロイヤルパープルセージ(Royal purple sage),
ムエレリセージ( Mueller's sage)。
・原産地はメキシコ。
・半日陰でも育つ。
・花の時期は長く、6月~11月。07年は12月末まで咲いていた。
・薄い青紫色の花で、ムエレリより小形の花。
・草丈は20㎝程度。


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ときめきの植物雑学 その39:ディオスコリデス ③マテリア・メディアの編集スタイル

2008-04-03 08:16:28 | ときめきの植物雑学ノート
1500年も薬物のテキストとして生き残った『マテリア・メディア』
ディオスコリデスの薬物誌は、
De materia medica libriquinqueを略して『マテリア・メディカ』と呼ばれている。
同じ時代に活躍したプリニウス(23-79)の『博物誌(Plinius:Historia naturalist)』とともに、
紀元1世紀から15~16世紀まで薬物、自然誌の権威として存在した稀有な書物でもある。
ひとつの知識・体系が1500年もの長きにわたって存続したこと自体が驚きだ。

ではあるが、両者には決定的な違いがある。
プリニウスの博物誌には、伝聞・俗説など非科学的だがワクワクするような怪しげなものも入っていた。
ディオスコリデスの薬物誌では、このような伝聞を排し、合理的・実用的なことにかぎりとりあげられた。

書き出しは、
“親愛なるアレイウス”で始まり、薬物誌を書いたスタンスを述べている。
事実の観察
正確で注意深い記述
経験・試験(実験)に基づいた薬効の評価
伝聞の排除
など今でも通じる科学的な対象認識の方法論をとったことを強調している。
このスタンスが薬草のテキストとしてイスラムの世界でも活用され、
十字軍の頃にキリスト教の世界にイスラム医学の知見をまといブーメランのごとく戻ってきたのだ。

ディオスコリデスの観察と記述スタイル
第2巻には、動物類・乳および乳製品・獣脂或いは脂肪・穀物・煮野菜・刺激性のある薬草類の6類が記載されているが、
そのうちの刺激性のある薬草類 ANEMONE(アネモネ)についてみると

『アネモネには2種類のものがある。一方は野生、他方は栽培種である。
栽培種のあるものはフェニキア色の花を持ち、(中略)・・・・・、
葉はコエンドロに似ているが、(中略)・・・・・・
綿毛で覆われた細く小さな茎の先には、ケシに似た花がつく、(中略)
根はオリーブぐらいの大きさ(中略)・・・・・・
どちらも刺激性の薬効があり、根の絞り汁を鼻孔に注入すると頭を浄化するのに役立つ(中略)・・・』

このように、アネモネの花、葉、茎、根などをすべてを観察し、文字でこれを規定する。
最後に、薬効について利用法と効果を記述している。

このスタイルは全ての薬物・植物に一貫して貫かれた方法であり
コピーでビジュアルを想起させるような意図がある書き方となっている。

コピーはビジュアルを超えられるか? ビジュアルはコピーを超えているか?
ディオスコリデスの薬物に関してのコピーから、こんな植物が想像されるだろうか?

(写真)庭にあるアネモネの花


前号その38で掲載したディオスコリデスのウィーン写本 “アネモネ”(原画:クラテウアス)
とも比較してみていただきたい。
クラテウアスの植物画は、アネモネのライフサイクルをも描いている。
葉・茎・根は当然として、つぼみ、花、散る花びら(実際は顎)、実までを描いており、
植物画としても優れているだけでなく
実際のアネモネを超えている感がある。

ディオスコリデスは、クラテウアスを知っているだけでなく読んでいるので、
その上で植物画を描かなかったはずだ。
だから疑問が深まるのだが推理は次回にしたい。

<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 1千年以上の時空を越えたディオスコリデス【その16】
⇒Here ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問【その38】
⇒Here ディオスコリデス ③マテリア・メディアの編集スタイル【その39】
・イスラムの世界へ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
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ときめきの植物雑学 その38:ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問

2008-04-02 10:09:06 | ときめきの植物雑学ノート

昨日、アネモネの実写を掲載したが、このために掲載してみた。

今回のテーマは、
ディオスコリデスの薬物誌には植物画がなかった という。
何故、植物画を描かなかったのだろうか?
ということだ。
ディオスコリデス(紀元40-90年頃)については、このシリーズの(その16))でふれた。

紀元512年に作成されたディオスコリデスの薬物誌の写本(ウィーン写本)には、
すばらしい植物画がはいっている。

(写真)ディオスコリデスのウィーン写本 “アネモネ”(原画:クラテウアス)

ディオスコリデス『薬物誌2巻 ANEMONE』(オーストリア国立図書館蔵)

この植物画は、ディオスコリデスより1世紀ほど先輩の
クラテウアス(Krateuas 紀元前132-63年)のコピーといわれており、
このウィーン写本には、クラテウアスの優れた11個の植物画のコピーが含まれている。
紀元前1世紀にこれほどの高精細な描写がされ、実物とのマッチングがしやすい植物画が描かれていた。
改めて疑問として“ディオスコリデスは、何故植物画を描かなかったのか?”を問う。

これは、クラテウアス以降15世紀まで続く
“自然”“リアリティ”を喪失していく始まりにあるからなおさら興味がわく。

なお、15世紀から目覚めたヨーロッパでの植物への関心の高まり、
本草書のブームは以下に掲載している。
クラテウアスを超える植物画が描かれている本草書は誰からだろう?
こんな視点で見ると俄然興味が湧いてくる。(リンク先に植物画があります。)

【本草書のトレンドチェック】
その17 本草書のトレンド①15世紀までの流れ
その18 本草書のトレンド②ドイツ本草学
その19 本草書のトレンド③ドイツ以外の本草学

薬学の父ディオスコリデスのプロフィール
デイオスコリデス(Pedanios Dioscorides、40-90年頃)は、紀元1世紀に活躍し、
小アジアのキリキア地方アナザルバ出身であり、この当時の医学の中心地である
アレキサンドリアで勉強したといわれる。
その後ネロ皇帝時代にアジアに駐屯するローマ軍の軍医として勤務し、
方々を旅行し薬物・植物を見聞し知識を蓄積した。

(続く)

<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 1千年以上の時空を越えたディオスコリデス【その16】
⇒Here ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問【その38】
・イスラムの世界へ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
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・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
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アネモネ・シルベストリスの花

2008-04-01 07:02:57 | その他のハーブ
(写真)アネモネ・シルベストリスの立ち姿

(写真)アネモネ・シルベストリスの花(顎)


アネモネは、キンポウゲ科の植物で、
オダマキ、ヤマシャクヤクなど清楚で可憐な美人系のものが多い。

アネモネ・シルベストリスは、20㎝ぐらいの花茎の先に
4cm程度の大柄な白い花を咲かせる。
5枚の花弁と思いきや、これは、本当の花を守る顎(がく)で
風に揺れる姿は楚々として美しい。

八重咲き、花の色もピンク・青など様々あるが、
シルベストリスは、シンプルで味がある。

アネモネは、
紀元前からある植物で、ディオスコリデスの薬物誌にも記載されている薬草で、
アネモネの根の絞り汁を鼻孔に注入すると頭を浄化するというが、
実践しない方がよい。

ディオスコリデスの薬物誌に描かれたアネモネは、実によく描かれている。
植物画の父といわれるクラテウアスの絵はすごい。

(写真)暗いと顎を閉じる                八重咲きアネモネ(別種)


アネモネ・シルベストリス(Anemone sylvestris)
・キンポウゲ科アネモネ属の耐寒性がある多年草。
・学名は Anemone sylvestris。流通名アネモネ・シルベストリス。
・原産地は、北ヨーロッパからシベリア
・耐寒性は強いが耐暑性が弱いので夏場は風通しの良い半日陰で管理。
・草丈40cm程度ですらっとした茎の先に美しい白い花が咲く。この白いのは花びらではなく顎(がく)です。
・開花期は春から秋で、何回か咲きます。


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