1500年も薬物のテキストとして生き残った『マテリア・メディア』
ディオスコリデスの薬物誌は、
De materia medica libriquinqueを略して『マテリア・メディカ』と呼ばれている。
同じ時代に活躍したプリニウス(23-79)の『博物誌(Plinius:Historia naturalist)』とともに、
紀元1世紀から15~16世紀まで薬物、自然誌の権威として存在した稀有な書物でもある。
ひとつの知識・体系が1500年もの長きにわたって存続したこと自体が驚きだ。
ではあるが、両者には決定的な違いがある。
プリニウスの博物誌には、伝聞・俗説など非科学的だがワクワクするような怪しげなものも入っていた。
ディオスコリデスの薬物誌では、このような伝聞を排し、合理的・実用的なことにかぎりとりあげられた。
書き出しは、
“親愛なるアレイウス”で始まり、薬物誌を書いたスタンスを述べている。
・事実の観察、
・正確で注意深い記述、
・経験・試験(実験)に基づいた薬効の評価、
・伝聞の排除
など今でも通じる科学的な対象認識の方法論をとったことを強調している。
このスタンスが薬草のテキストとしてイスラムの世界でも活用され、
十字軍の頃にキリスト教の世界にイスラム医学の知見をまといブーメランのごとく戻ってきたのだ。
ディオスコリデスの観察と記述スタイル
第2巻には、動物類・乳および乳製品・獣脂或いは脂肪・穀物・煮野菜・刺激性のある薬草類の6類が記載されているが、
そのうちの刺激性のある薬草類 ANEMONE(アネモネ)についてみると
『アネモネには2種類のものがある。一方は野生、他方は栽培種である。
栽培種のあるものはフェニキア色の花を持ち、(中略)・・・・・、
葉はコエンドロに似ているが、(中略)・・・・・・
綿毛で覆われた細く小さな茎の先には、ケシに似た花がつく、(中略)
根はオリーブぐらいの大きさ(中略)・・・・・・
どちらも刺激性の薬効があり、根の絞り汁を鼻孔に注入すると頭を浄化するのに役立つ(中略)・・・』
このように、アネモネの花、葉、茎、根などをすべてを観察し、文字でこれを規定する。
最後に、薬効について利用法と効果を記述している。
このスタイルは全ての薬物・植物に一貫して貫かれた方法であり
コピーでビジュアルを想起させるような意図がある書き方となっている。
コピーはビジュアルを超えられるか? ビジュアルはコピーを超えているか?
ディオスコリデスの薬物に関してのコピーから、こんな植物が想像されるだろうか?
(写真)庭にあるアネモネの花
前号その38で掲載したディオスコリデスのウィーン写本 “アネモネ”(原画:クラテウアス)
とも比較してみていただきたい。
クラテウアスの植物画は、アネモネのライフサイクルをも描いている。
葉・茎・根は当然として、つぼみ、花、散る花びら(実際は顎)、実までを描いており、
植物画としても優れているだけでなく
実際のアネモネを超えている感がある。
ディオスコリデスは、クラテウアスを知っているだけでなく読んでいるので、
その上で植物画を描かなかったはずだ。
だから疑問が深まるのだが推理は次回にしたい。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 1千年以上の時空を越えたディオスコリデス【その16】
⇒Here ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問【その38】
⇒Here ディオスコリデス ③マテリア・メディアの編集スタイル【その39】
・イスラムの世界へ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
ディオスコリデスの薬物誌は、
De materia medica libriquinqueを略して『マテリア・メディカ』と呼ばれている。
同じ時代に活躍したプリニウス(23-79)の『博物誌(Plinius:Historia naturalist)』とともに、
紀元1世紀から15~16世紀まで薬物、自然誌の権威として存在した稀有な書物でもある。
ひとつの知識・体系が1500年もの長きにわたって存続したこと自体が驚きだ。
ではあるが、両者には決定的な違いがある。
プリニウスの博物誌には、伝聞・俗説など非科学的だがワクワクするような怪しげなものも入っていた。
ディオスコリデスの薬物誌では、このような伝聞を排し、合理的・実用的なことにかぎりとりあげられた。
書き出しは、
“親愛なるアレイウス”で始まり、薬物誌を書いたスタンスを述べている。
・事実の観察、
・正確で注意深い記述、
・経験・試験(実験)に基づいた薬効の評価、
・伝聞の排除
など今でも通じる科学的な対象認識の方法論をとったことを強調している。
このスタンスが薬草のテキストとしてイスラムの世界でも活用され、
十字軍の頃にキリスト教の世界にイスラム医学の知見をまといブーメランのごとく戻ってきたのだ。
ディオスコリデスの観察と記述スタイル
第2巻には、動物類・乳および乳製品・獣脂或いは脂肪・穀物・煮野菜・刺激性のある薬草類の6類が記載されているが、
そのうちの刺激性のある薬草類 ANEMONE(アネモネ)についてみると
『アネモネには2種類のものがある。一方は野生、他方は栽培種である。
栽培種のあるものはフェニキア色の花を持ち、(中略)・・・・・、
葉はコエンドロに似ているが、(中略)・・・・・・
綿毛で覆われた細く小さな茎の先には、ケシに似た花がつく、(中略)
根はオリーブぐらいの大きさ(中略)・・・・・・
どちらも刺激性の薬効があり、根の絞り汁を鼻孔に注入すると頭を浄化するのに役立つ(中略)・・・』
このように、アネモネの花、葉、茎、根などをすべてを観察し、文字でこれを規定する。
最後に、薬効について利用法と効果を記述している。
このスタイルは全ての薬物・植物に一貫して貫かれた方法であり
コピーでビジュアルを想起させるような意図がある書き方となっている。
コピーはビジュアルを超えられるか? ビジュアルはコピーを超えているか?
ディオスコリデスの薬物に関してのコピーから、こんな植物が想像されるだろうか?
(写真)庭にあるアネモネの花
前号その38で掲載したディオスコリデスのウィーン写本 “アネモネ”(原画:クラテウアス)
とも比較してみていただきたい。
クラテウアスの植物画は、アネモネのライフサイクルをも描いている。
葉・茎・根は当然として、つぼみ、花、散る花びら(実際は顎)、実までを描いており、
植物画としても優れているだけでなく
実際のアネモネを超えている感がある。
ディオスコリデスは、クラテウアスを知っているだけでなく読んでいるので、
その上で植物画を描かなかったはずだ。
だから疑問が深まるのだが推理は次回にしたい。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 1千年以上の時空を越えたディオスコリデス【その16】
⇒Here ディオスコリデス ②植物画がなかった疑問【その38】
⇒Here ディオスコリデス ③マテリア・メディアの編集スタイル【その39】
・イスラムの世界へ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
⇒Here フランシスコ・エルナンデス メキシコの自然誌を発表(1578)【その31】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
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