彦四郎の中国生活

中国滞在記

合歓木(ねむのき)の花が延々と続くこの季節の湖西路、胡桃(くるみ)の木々も

2021-07-15 07:31:13 | 滞在記

 7月11日(日)の昼頃、息子夫婦が家に来たのでソーメンを一緒に食べる。午後1時頃から福井県の実家に帰省するため京都の家を出て、滋賀県大津市あたりから、ひたすら琵琶湖岸の湖西道路を車で走る。この季節、道路沿いには延々と、淡いピンクの花を咲かせる合歓木(ねむのき)がどこまでも続いていた。その地に、夏本番の到来を告げる合歓木の開花。この花が開花すると、海の水温も上昇していて、海泳ぎもしやすくなるので遊泳解禁の一つの目安ともなる。

 合歓の木は日本各地にたくさん自生している。中国南部や朝鮮半島など、アジアモンスーンの温帯地域によく自生している合歓木。中国名は「合歓(ホーファン)」。日本名は「合歓(ねむ)」と読むが、これは夜になると葉が合わさって閉じて(就眠運動)眠るように見えることに由来する読み方。中国においは、ネムノキが夫婦円満の象徴とされることから付けられた漢字の名前。

   花言葉は「歓喜」。夏の「季語」であり万葉集や松尾芭蕉などにも詠まれている。花は乾燥させて漢方薬として用いられ、精神安定や不眠解消の効果があるとされる。樹皮は、利尿・強壮・鎮痛効果(腰痛・関節痛)があるとされる。

 いやはや、滋賀県や福井県には、こんなにもたくさんの合歓木があったとは、一斉に開花するこの季節に車を走らせないと気付かない。

 12日(月)、福井県南越前町河野地区の実家近くの墓に行き、墓を覆う草を刈る。6月上旬に帰省した時にも墓 を覆う草を刈ったのだが、1カ月余りでかなり草が大きくなっていた。母はこの日、新型コロナワクチンの二回目の接種予定日だった。

 京都に戻る帰路は、琵琶湖岸の湖東の道を帰るため、福井県の敦賀から北国街道に入る。滋賀県木ノ本町の東野地区に入ると、かっての賤ケ岳の戦い(1583年)の際に築かれた東野城(陣城)のあった東野山がみえる。この季節、胡桃(クルミ)の木々もたくさん街道沿いや山間地にみられた。胡桃の実もかなり大きくなってきていた。

 滋賀県や福井県は、この季節には、合歓木の花と胡桃の木がとてもたくさん目立って見られる。夏が来た。梅雨明けはもうすぐかも‥。

 


日本・中国・ベトナム国際交流会➋—オンラインでの国際交流会—京都での高等教育の始まり

2021-07-14 11:09:44 | 滞在記

 7月9日(金)、午後1時30分から「中国・ベトナム・日本国際交流会」が開始された。鴨沂高校3年生の「日本文化コース」在籍の生徒たち40人がこの交流会に参加した。午後の5・6時間目を使っての国際交流会となる。留学生たちは、神戸松蔭女学院大学に交換留学生として在籍している5人と大阪大学大学院に留学している学生1人。

 京都と神戸をオンラインで結んだ国際交流会だ。このようなオンラインでの国際交流会は、鴨沂高校では初めての取り組みだった。はじめに、鴨沂高校の岩崎先生よりの挨拶、続いて鴨沂高校生徒による「鴨沂高校の紹介」が行われた。

 そして、私から「国際文化交流の学習とは」について8分間ほど話をした。内容は、「①自己紹介、②中国福建省福州とはどこ?どんなところ?、③閩江大学について・中国の大学について・中国の大学生の生活について」

 「④文化とは―その国・地域の文化をつくる風土(自然環境)、そして民族が文化の基底となること―文化学習を通じて、芽生えるその国や地域への関心、⑤中国人にとって日本とは、⑥これから求められる国際交流における文化学習内容」などについて話をした。

 そして留学生たちからの発表が始まった。まずはベトナムからの文化報告。グエンさんとファンさんは、ベトナムのホーチミン市(旧サイゴン市)にある大学からの留学生。グエンさんは、ベトナムの挨拶言葉は、日本語のような「おはよう/こんにちは/こんばんは」のように1日の時間的区別を表す言葉はなく、「xin chao(シンチャオー)」の一語だけとの説明、続いてベトナム料理について紹介した。ファンさんは、ベトナムの中秋節行事「Tet Trung thu」におけるお菓子の月餅や獅子舞について紹介していた。

 中国人留学生の許さん、向さん、黄さんからの発表にうつる。許さん(貴州省出身)は、「中国八大料理—八種の各地方料理とその特徴」についての報告。向さん(四川省出身)は、「今の中国人の生活」というテーマで、携帯電話でのモバイル決済・出前サービスなどのここ最近の中国人のデジタル生活について報告。黄さん(福建省出身)は、「中国における伝統的衣服—漢服文化ブーム」をテーマとして話をした。

 大阪大学大学院に留学している任さん(男性—山西省出身)は、「私と日本の生け花文化」というテーマで、最近、京都の池坊華道教室に通っている体験について話をした。(任さんのアパートよりオンライン参加)  

 5時間目が少しオーバーし終了し、5分休憩時間となる。

 休憩後6時間目開始。鴨沂高校生による8グループの発表が始まった。それぞれのテーマは、「①日本の和食の特徴とその歴史、②和菓子—特に、餅を使ったみたらし団子について、③京都の三大祭りについて、④京都の寺社建築」

 「⑤日本の着物の特徴とその歴史、⑥伝統的な行事と暮らし—七夕の日中比較、日本のさまざまな伝統行事、⑦日本の伝承的遊び(羽子板・福笑い・手毬・お手玉・折り紙など)、⑧日本のアニメとその歴史」

 岩崎先生より閉会の挨拶があり、6時間目を少しオーバーして国際交流会は終了した。オンラインではなく、実際の対面式の国際交流会の場合は、5時間目は留学生たちからの発表、6時間目は6つの高校生グループに留学生がそれぞれ1人ずつ入り、懇談するという内容だった。

 5人の留学生たちは、もともとは昨年の9月に来日予定だったが、新型コロナ感染問題により日本に入国できず、昨年の12月にようやく来日できることとなった。2週間の隔離期間を経て、大学の授業にも参加。その後、大阪や兵庫、京都などが相次ぐ緊急事態宣言や蔓延防止措置が継続し、留学先の神戸市からほぼ出かけることも難しく、今日に至っている。

 この国際交流会の機会に、憧れの京都に来て、京都市内を見たり、夕方には私と鴨川べりの川床の日本料理店に行く予定もしていたのだが、オンラインに変更になったため、これが実現できなかったのは残念だった。ベトナムからの留学生2人は、今日7月14日にベトナムに帰国する。中国からの留学生たちの帰国予定は8月20日なので、まずは17日の今週土曜日、私が車で神戸の大学の留学生寮に行き、兵庫県丹波篠山市の町並みと農村風景を見て廻る予定となっている。

 鴨沂高校と京都御所(御苑)の間にある寺町通り。高校のすぐ前には、京都御所の九つの門の一つ「寺町御門」がある。また、高校の少し南の寺町通りには、新島襄と八重が暮らした和洋折衷の旧宅がある。そのとなりは京都市歴史資料館。高校から寺町通りを少し行くと、かっては立命館大学広小路学舎だったところは、いまは京都府立医科大学の学舎になっている。萩の花で有名な梨木神社や紫式部がかって暮らしたとされる廬山寺(桔梗[ききょう]の花の寺)などがある。

 新島襄・八重旧宅のそばで、なかなかいい喫茶店も見つけた。「もんぶらん」という名の喫茶店で、広くて、京都御所も見渡せる開放的な窓。ちょっとした老舗っぽい雰囲気で、喫煙可能店だった。

 鴨川に架かる丸太町大橋のたもとに洋風的な建物が見える。この橋のたもとに「女紅場」と刻まれた石碑がある。鴨沂高校の前進であり、1872年(明治5)に日本初の公立女子高等学校として設立された学校はこのあたりにあった。この女学校は、「新英語学校」(英語教育)と「女紅場学校」(裁縫・技芸教育)が合併してできたもので、「新英学校及び女紅場」と校名が名付けられる。その後、この学校は「京都府高等女学校」と改称。1900年(明治33)に鴨川べりから御所となりの現在地に校地を移転、1923年[大正12]には「京都府立京都第一高等女学校と改称し、1948年(昭和23)に学制改革により京都府立鴨沂高等学校と改称されて今日に至っている。

 2015年のNHK朝の連続テレビドラマ「あさが来た」の主人公である"あさ"(波留)と夫(玉木宏)との間の長女である"千代"(小芝風花)が大阪の実家を離れ、京都に住んで通った学校は、この「新英学校及び女紅場」であった。主人公のモデルとなった広岡浅子(実業家・教育家)はのちに日本で初めての女子大学である「日本女子大学」を設立している。

 ちなみに、この「あさが来た」のドラマで、辻本茂雄が演じていた「へい!」しか言葉を発しない「平さん」(平岡浅子の右腕として加野銀行を設立し支配人などを務める)こと、山崎平十郎のモデルは中川小十郎。のちに西園寺公望とともに京都法政学校を設立する。今の立命館大学の前身である。

 ここ鴨川に架かる丸太町大橋から荒神橋、出町柳大橋(鴨川大橋)までのエリアの東西は、新島襄が創設した同志社大学、そして立命館大学、京都大学などの京都三大学、さらに京都府立医科大学などもある大学街のエリアである。

 今年の夏、民間の教育研究組織である「歴史教育者協議会」の第72回全国大会が7月31日~8月1日の2日間行われる。新型コロナ問題のため、今年の全国大会はオンラインでの開催となる。1日目の31日、基調提案のあと記念講演があり、その後「地域に学ぶ集い」が6つのテーマに分かれて行われる。その6つのテーマのうちの二つが①「日中交流」②「日韓交流」だ。このようなテーマは、最近になって設けられたものだ。大学生だけでなく、高校生の授業においても、特に、この「中国を知る」という学習はとても重要になってきているのだと思われる。私もいずれ、この全国大会でのレポート報告参加をしたいと思っている。

※前号ブログ「日本・中国・ベトナム国際交流会❶」で、「立命館大学の広小路学者」とあったのは間違いです。「立命館大学の広小路学舎」に訂正します。

 

 

 

 

 


日本・中国・ベトナム国際交流会➊—創立1872年の京都府立鴨沂高等学校での交流会

2021-07-13 09:58:36 | 滞在記

 先週の7月9日(金)の午後、日本の高校生(京都府立鴨沂高校3年生の40人)と中国やベトナムからの日本の大学への留学生6人(中国4人・ベトナム2人)との国際交流会が行われた。京都府では、6月20日に緊急事態宣言は解除となったのだが、引き続き蔓延防止措置が7月11までとられることとなってしまったため、この日の国際交流会はZoomオンラインでの取り組みとなった。中国人留学生4人は、中国・閩江大学での私の教え子たち。(3回生3人、大阪大学大学院生1人)

  当初は鴨沂高校に留学生たちが来ての国際交流会を予定していたが、蔓延防止措置期間にかかってしまったため、急遽(きゅうきょ)、オンラインでの実施となった。

 メイン会場となった京都府立鴨沂(おうき)高校の創立はなんと1872年。来年には創立150周年を迎える歴史のある高校だ。日本で初めてできた女子高等学校がその沿革である。学校の西向こうは京都御所で、鴨川にも近いところにある。数年前までの学校の正門は、旧九条家(公家)宅の門がそのまま使われていた。その門は今も残る。この門を入ると、昭和時代初期の1935年につくられたモダニズム建築の校舎群がある。ちなみに、鴨沂(おうき)とは「鴨川」に「近い」という意味。

 公家屋敷の正門には、京都府立鴨沂高等学校の表札がおかれ、門前には"明治天皇行幸地"の石碑が立てられている。

 かっては(1981年まで)、すぐ近くに立命館大学の広小路本部学者(キャンパス)があったので、鴨沂高校の前はよくt大学生時代には通っていたが、この高校の校舎内に入るのは、今年の5月12日(国際交流会実施についての打ち合わせ)の時が初めてだった。校舎の老朽化のため、最近、5年間あまりをかけて外観や内装を保存しながら建て替えられていた。

 7月9日の国際交流会当日、30分ほど前に鴨沂高校に到着し、少し校舎内を見学させてもらった。階段などもクラッシックな造りとなつていて、和装でも上り下りがしやすいように、階段の段差は低い。待機所の図書室の一角にある「両陛下御在学記念室(※明治天皇が来た時の控え室)」にて、国際交流会の始まりを待った。

 控室からは、正門の向こうに京都御所の塀や森が見える。その京都御苑内の森は仙洞御所や大宮御所、その北に京都迎賓館があるところ。歴史ある学校なので、図書館の蔵書も多い。開架書庫に2万冊、閉架書庫に4万冊。控室の棚にも本が置かれていた。一見すると復刻版のようだが、明治時代からの原書(原本)がおかれていた。

 ちょっと書架を見ると、「伊豆の踊子」(川端康成)、「機械」(横光利一)、「たけくらべ」(樋口一葉)、詩集「あこがれ」(与謝野晶子)、「蟹工船」(小林多喜二)、「こころ」(夏目漱石)、「注文の多い料理店」(宮沢賢治)、「羅生門」(芥川龍之介)、「浮雲」(二葉亭四迷)、「武蔵野」(国木田独歩)、「風立ちぬ」(堀辰雄)などの近代文学の古書が並んでいた。

 かって寄贈された近世・近代絵画も学校には多く、校舎内のいたるところに絵画が架けられていた。中でも有名な作品は、京都画壇の上村松園作「夕暮」。本館の3階には、かってヘレンケラーが講演をしたことがある大講堂がある。また、茶室などもあるようだ。

 そのような歴史ある学校について、簡単に紹介してあるスタンプラリー用のチラシをもらった。ポイント❶教育的価値「日本最初の公立女学校」、ポイント❷歴史的価値「九条家河原邸の門」「藤原道長法成寺跡」、ポイント❸文化・芸術的価値「江戸時代からの史資料」「美術作品」とある。珍しい構内施設として、戦前からの可動式温水プールがあり、プールの水深は深く、「水球」が可能。この学校の水球部は60年以上の歴史があり、全国大会の強豪校。自転車部も強豪校だ。全国的にも少ないクラブとして、弓道部、囲碁部、将棋部、ワンダーフォーゲル部、社会問題研究部、エスペラント部、交通研究部などがある。

 鴨沂高校は、かっては京都府立洛北高等学校とともに京都大学進学者が全国1位だったこともある。(1960年は49人)が、学校間格差をなくすための京都府独自の高校制度(小学区制選抜入試)の導入により、1970年代には進学実績が目立たない学校になっていった。2013年までは学校の制服はなく、「自由」の校風のもの私服通学校でもあった。

 この学校を卒業した著名人は実に多い。寿岳章子や山崎正和などの、学者・文化人・大学教授関係者。ワコールの初代社長などの著名な政財界人も多い。男優や女優では田宮二郎、山本富士子、団令子、加茂さくら、大信田礼子など。ジュリーこと、歌手の沢田研二や女優の森光子などは中途退学をしている。

 1936年に昭和モダニズム建築として建設されなおした校舎群も、老朽化が進み、耐震性の問題もあるため、全面的な建て替え工事がおこなわれることとなった。「昭和モダニズム象徴 鴨沂高校—学び舎惜別 建て替えへ~ヘレンケラー来訪 3階大講堂も」の京都新聞の見出し記事。そして2018年11月に建て替え工事が終わり、現在の校舎群が落成となった。

 「奇跡の人」で著名なヘレン・ケラーが鴨沂高等学校を訪れて講演をしたのは1936年。当時の新校舎の大講堂での講演だった。ヘレン・ケラーはこの講堂で、「凄いのは私ではなく私を育ててくれたサリバン女史である」と話し、サリバン女史が死の直前に遺した日本に行くようにという言葉を守って来日しましたと語った。

 この学校の教員としては、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重は、この学校の創立時に教鞭をとっている。

 この学校が蔵している美術品の一つである上村松園(女性画家)の「夕暮」。この上村松園の特別展がこの夏、京都市京セラ美術館開館1周年記念展として開催される。期間は7月17日(土)から9月12日(日)まで。この特別展で展示される作品の一つ「晩秋」とモチーフがよく似ている。(※上村松園1875―1949)

 

 

 

 

 

 


2020+1東京五輪、2022北京冬季五輪を巡って—暗闇の中、世界は一筋の光を必要としている

2021-07-11 06:49:41 | 滞在記

 COVID19(新型コロナウイルス)感染拡大と世界的パンデミックから1年と7カ月余りが経過した現在もなお、世界は1日の新規感染者数が50万人余にのぼる。2020+1東京五輪・パラリンピックの開催の是非を巡って、この1年間余り日本国民の世論は二分されてきた。「40年間連れ添っていて喧嘩の一つもなかった三浦友和さんと山口百恵夫妻も、この東京五輪開催の是非を巡って初めて喧嘩をした」と女性誌に報じられていた。この6月上旬あたりから、開催に賛成する世論が上回ってはきているが‥。(6月上旬調査—この夏に開催するに賛成52%、開催反対・中止30%、再び延期する20%)

 この1年間、そして特にこの4月以降、ワクチン接種の是非、五輪開催の是非を巡って、親しい知人・友人や家族内での意見の相違による人間関係の亀裂が生じているのは、悲しいことだ。

 私は再び五輪開会を延期するに賛成だが、この7月10日時点で中止や延期ということにはならない流れとなっているので、7月23日に開会式が行われる東京五輪・パラリンピックが、新型コロナの感染拡大を抑制しつつ、それなりの成功裏に行われることを願っている。まあ、会場には行けないが、テレビで観戦し声援も送りたい。

 この東京五輪開催の是非について最もいいと思ったのは、6月13日に報道番組「ABEMA」に出演していた前東京都都知事・舛添要一氏の発言だ。舛添氏は、「全世界的に見たときにパンデミックは収束していないんですよ」と強調し、「だから私はパンデミックが続いている間は五輪をやめるというルールを作った方がいいんじゃないかという気がしているんです」と語っていたことに賛同を覚えた。パンデミック収束までには少なくともあと1年~2年は要するだろう。その間は、東京五輪も、来年の北京冬季五輪も開催を延期したらいいという意見に同感した。

 6月中旬になり、東京五輪今夏開催の流れがほぼ確定的となり、もし東京五輪を開催するなら「無観客」か「有観客」を巡る論議へと関心が移ってきた。もちろん、できる(可能)ならば「有観客」の方がいいが、東京都など関東圏のコロナ感染拡大状況によって「無観客」も、日本の国民世論からして致し方ない判断だろう。このことに関して、読売放送の朝の報道番組「スッキリ」の司会・コメンテーターの加藤浩次氏が6月中旬に、無観客での東京五輪を主張し、「歴史に残るオリンピックになる」、無観客会場における「静寂の中での熱狂を新しく日本で作ってほしい」と力説していたことも共感できるものだった。

 6月下旬には東京・神奈川・千葉・埼玉の4都県は再び感染者が増加に転じてきた。7月上旬になり、7月1日付朝日新聞では「東京迫る第五波 楽観シナリオでも月内には1000人超 無観客五輪に現実味」の見出し記事が掲載されていた。政府の7月に入っての「新型コロナ対策会議」において、京都大学の研究グループが出した「東京都の感染者一日2000人まで増加の恐れ」という報告も紹介されていたことがテレビの報道番組で伝えられていた。

 7月8日夜、菅首相は記者会見で、「東京」及び沖縄に緊急事態宣言を再発令(7/12~8/22)することを発表した。 また、感染状況の深刻な神奈川・千葉・埼玉、そして大阪には蔓延防止措置を再延長することも発表された。(北海道・愛知・京都・兵庫・福岡は解除)   東京五輪は緊急事態宣言下での開催となることとなった。

 そしてIOCのバッハ会長が7月8日に来日、オリンピック五者協議において東京などの関東圏での五輪会場での無観客が決定され、発表された。北海道で行われるサッカー会場の無観客や福島会場も無観客が、その後に発表された。(宮城・静岡の会場はいまのところ有観客だが、無観客になるかもしれない。現時点では97.5%の会場で「無観客」と決定した。) ほとんどの会場での無観客開催が現実のものとなった。一昨日9日の国内の一日新規感染者数は2278人(東京822人、千葉180人、神奈川355人、埼玉150人、大阪143人、沖縄55人)。昨日10日の全国感染者数は2458人、東京は950人、大阪で200人と、さらに増加となった。韓国でも新規感染者数が急増し始め、7月9日は1300人超となっている。

 「静寂の中での熱狂」の五輪へと、歴史に残る、「人類がコロナに打ち克つ」第一歩となるオリンピックになればいいのだが。7月23日(金)の開会式に先立ち、7月21日(水)には五輪サッカー女子の試合(日本×カナダ)が始まる。また、翌日の22日(木)には五輪ソフトボールの試合(日本×メキシコ)が行われる。あと、もう10日後に迫った東京五輪だ。

 6月・7月に入り、ヨーロッパでは再び感染が拡大し始めている。感染拡大の要因の一つはサッカーヨーロッパ選手権への観戦だ。超密集の中、マスクなし、熱狂的な大声での叫びや歓喜の声を試合会場だけでなく、会場周辺のパブリックビュー(大型映像)での観戦でも行われていた。このパブリックビューは準決勝や決勝の行われているイギリス各地だけでなく、ヨーロッパの各国・各地で繰り広げられていた。感染対策はほぼ0の様相を呈していた。

 このため一昨日の発表では、一日の新規感染者数が、イギリス3万人超、スペイン1万5000人超、ロシア2万4000人超となっている。(フランス3300人、オランダ3200人なども感染者数が増大)  イギリスでの準決勝の試合では7万人余りの観客がマスクなしで観戦していた。昨日の10日、決勝戦(イングランド×イタリア)が同規模の観客の会場で開催される。勝敗はどうなっているのだろうか。

 同じくサッカーの南米選手権(コパ・アメリカ)が同時期に行われていた。今日11日に決勝戦(ブラジル×アルゼンチン)が行われる。こちらの決勝戦は会場の観客容量数7万5000人の10分の1の7500人の観客で行われる予定だ(入場者は48時間以内のPCR検査陰性証明が必要)。サッカー会場における感染対策はヨーロッパに比べてそれなりにとってはいる。南米や北米のアメリカ大陸における、一昨日の一日新規感染者数は、ブラジル5万人超、アルゼンチン1万7000人超、コロンビア2万5000人超、アメリカ1万6000人超と報告されていた。(ペルー2400人、チリ3000人、メキシコ6000人、カナダ550人など)

 日本政府の内閣官房参与職にある高橋洋一氏が「日本の感染状況はさざ波だ。それでも五輪を中止しろと言うのか?」と5月にツィッターで発信し、それに対する批判が巻き起こった。私は、高橋氏の発信にも、表現のまずさはあるにしても、私は一理あるとは思う。中国以外のアジア、中近東、そしてヨーロッパや南北アメリカなどの 現在の世界の感染状況をみれば、人口で世界の11番目の国・日本の感染状況は、日本国民の努力によって、感染は少ない方と言えるからだ。だが、この五輪期間中にどれだけ第五波感染拡大が抑えられるか不安もかなり大きい。

 2022年2月開催予定の北京冬季五輪も、開会までにあと半年あまりに迫ってきている。特に今年の4月に入り、米国やカナダ、イギリスなどでは、中国政府のウイグル族への人権問題に関して「ジェノサイド」として批判を強めている。また、香港やチベット、内モンゴルにおける人権問題なども批判をしている。これらの問題では、米国国務長官のブリンケン氏は「中国におけるジェノサイト」と強く表現している。

 米国下院議会議長のナンシー・ペロン氏は5月18日、北京冬季五輪を巡り、中国の人権問題を理由に各国首脳らの参加を見送る「外交的ボイコット」を呼びかけた。これを受けて、中国外交部広報局の趙氏は19日に、人権問題に関する中国への批判は「嘘だらけだ」と猛反発をした。

※上記の左から①②③④の画像、下記の左から①②③の画像は、4月17日「正義のミカタ」(ABC報道番組)より。

 7月8日、EU(ヨーロッパ連合)議会は、「これらの人権問題の状況が改善されない限り、2022北京冬季五輪への開会式などに政府の代表団や外交官が中国から招待されても受けないように」という内容を決議し、EU加盟各国にこの議決内容を呼びかけた。これを受けて、同日、イギリス下院議会の外交委員会は「2022北京冬季五輪の一部ボイコット」を政府に提言した。これに対し9日、中国政府外交部報道局の汪氏は「まったく注目に値しない」と強い不快感を示した。

 冬季五輪に参加する選手団の中心は、夏のオリンピック五輪に比べても、特に北半球のヨーロッパ諸国(特にEU諸国)と北米諸国(アメリカ・カナダ)、そしてロシアだ。冬季スポーツの中心的なEU諸国と北米諸国がなんらかのボイコットをすれば、IOCや中国政府にとっては開催的にとてもイメージ的打撃となる。

 オリンピックを巡って欧米諸国には苦い経験がある。1936年のベルリンオリンピック(ドイツ)がヒトラー率いるナチス党政権の国威発揚ともなり、その後の、ユダヤ人へのジェノサイトや覇権主義による第二次世界大戦勃発へと続く歴史への苦い教訓だ。オリンピック参加ボイコットとしては、1980年のソ連(現ロシア)のモスクワ五輪の際、非共産圏諸国(西側諸国)は、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に参加をボイコット、それへの対抗措置として、1984年のアメリカ・ロサンゼルス大会では、ソ連など十数カ国(共産諸国・東側諸国)は参加をボイコットした歴史がある。

 5月7日、中国の習近平国家主席はIOCのバッハ会長との電話会談で、来年の北京冬季五輪について、「予定通り開催し、成功させる自信に満ちている」と述べた。また、「IOCと引き続き連携し、東京五輪の開催を支持したい」とも表明した。中国が東京五輪に積極協力の姿勢を示したのは、北京五輪ボイコット論が世界に広まらないようにする狙いがあるとも見られている。

 東京五輪の無観客での開催の決定について、中国の汪報道官は7月9日、「日本が順調かつ成功裏に東京オリンピックを開催することを支持する」と、中国政府の姿勢を発表した。おそらく半年後の北京冬季五輪の際には、何万人もが埋め尽くす(100%有観客)満席の巨大オリンピックスタジアムで、「世界がコロナに打ち克ち完全勝利をするための、すでに勝利を成し遂げているこの中国でのオリンピックの開会を宣言します」と高らかに習主席は宣言をすることになるのかと予想される。

 中国国内、ウイグル族への人権問題を巡って7月2日、フランスの司法当局は中国新疆ウイグル自治区でのウイグル人強制労働をめぐり、人道に対する罪の隠蔽の疑いで、ユニクロ、インデックス(ザラ)、SMCPの衣料大手3社と靴大手のスケッチャーズの捜査を開始した。衣料大手のユニクロ、H&Mや、靴大手のナイキやアディダスは昨年、新疆産の綿の調達を中止すると発表し、中国では不買運動が起きた。ユニクロは、公にはウイグル人強制労働に反対する立場をとっているが、大勢のウイグル人が移送された中国・安徽省の綿栽培地から綿を調達してきたとされる。

■日本の国会において、中国における人権問題の国会決議を行うために超党派の動きがこの4月以降から起こっていた。自民党も含め多くの党と議員が決議に賛同し、決議決定の可能性が高まっていたが、公明党と自民党二階派議員の決議反対の動きがあり、最終的に決議提案はされなかった。

■あと10日後に迫った東京五輪。3月25日から開始された聖火リレーを巡って、島根県や鳥取県、千葉県などの知事は基本的には今年夏の五輪開催に反対だったようで、聖火リレーの県内実施についてあからさまな嫌悪感を表明していた。米国前大統領トランプ氏の「アメリカファースト」に似た「県民ファースト」思考の強い県知事たちだと思う。世界情勢における東京五輪の意義などを思考過程に入れる意識まるでなしの、政治的視野のかなり狭い知事たちだった。
 

 また、40人ほどの有名人の聖火ランナー予定者が、ランナーを辞退した。(その辞退理由の多くは「スケジュールの都合」という言う、真偽が疑われるあいまいコメント。) 演歌の大御所と今は言われている五木ひろしは故郷の福井県での聖火リレーを辞退し、「鉄腕ダッシュ」の収録で十数年以上に渡ってお世話になってきたTOKIOはその恩のある収録地・福島県の聖火リレーを辞退した。五木ひろしなども「感染拡大を懸念して」との思いはあったかも?しれないが、なんと、非常事態宣言解除の翌日、蔓延防止措置に移行したこの5月12・13日に5000人の観客を入れて「ITUKIフェス(五木ひろしコンサート)」を東京で開催している。このコンサートで新曲「日本に生まれてきてよかった」を発表したが、「日本人の心を裏切ったその口が言うか!歌うのか?」という感じを受けた。

 これらの知事たちや簡単に聖火ランナーを辞退した有名人たちは今、いよいよ始まる東京五輪をどのような思いで眺めるのだろうか。(※やむにやまれぬ思いで悩み、そして辞退した人たちもいる—この人たちの思いは理解できるが‥)

■5月9日、TBSの日曜日の報道番組「サンデー・ジャポン」に出演していたテリー伊藤氏は、「たとえ五輪が中止になった時に、日本人の心ってどうなるんですか?中止を、"やったー"と思うのか、その時に虚しさも出てくる可能性もある」と語った。その発言を受けて、コメンテーターの杉村太蔵氏が、「(五輪)やっとけばよかったというような虚しさは国民に漂いますよね」と語っていた。

■5月26日付のアメリカ・ワシントンポスト紙の電子版で、「世界は東京オリンピック・パラリンピックを必要としている」というタイトル記事を掲載した。この記事は最後に、「世界は、昨年の暗闇の後に一筋の光を必要としている。日出ずる国は、それを提供するのに最適な国。世界は日本政府と協力して、私たち全員が必要としている"歓喜の歌"を確保するべきだ」と結んでいた。

 

 

 


大学—後期日程が終了し夏休みとなる―来学年(前期日程)の担当教科の連絡が早くもきた

2021-07-07 08:51:42 | 滞在記

 閩江大学構内の6月下旬から7月上旬、広大な大学の水辺には蓮や睡蓮の花が咲き、高貴な香りの茉莉花(ジャスミン)の白い花が咲く。ハイビスカス🌺やブーゲンビリア、デェイゴなどの花々もたくさん咲く大学構内の夏。気温は35度を超える日々が始まっている。

 毎年、6月20日前後の日曜日は、中国では大学の卒業式が行われる。今年は6月20日(日)だった。今年の外国語学部日本語学科の卒業生たち(37名)は、1回生の時から授業を担当していたので思い出深い学生たちだが、残念ながら、私が日本滞在のため卒業式やその後の卒業パーティには参加できなかった。

 今学期の後期授業や期末試験の日程も7月2日に終了し、7月3日から大学は夏休み休暇に入った。日本語学科の各学年の学生たちは、7月4日(日)に行われる日本語能力検定試験を受験後、中国各地の故郷に帰省をすることとなった。

 2回生たち(38名)とは、前期の「日語会話3」(32回授業)、後期の「日語会話4」(32回授業)と、全てがオンラインでの日本—中国間の授業だったが、この1年間で個々人の会話能力が身についてきているようには思う。

   3回生たちとの「日本文化名編選読」の授業もオンラインでの実施。期末試験も終了した。後期に担当した教科の成績を作成し、7月2日(金)に大学に2教科の成績関連資料を送信し終わった。大学の日本語学科の中国人教員林老師(先生)から1回生の朗読大会の成績付けを7月4日(日)に依頼さた。全部で15のグループが、日本文学の『銀河鉄道の夜』『雪国』『鼻』などを朗読するものだ。その日のうちに、15グループの朗読を聞き、成績を送信した。

 これで、後期日程の大学の仕事が終わり、私も7月5日(月)から夏休みに入った。あと、7月9日(金)の午後には、神戸の大学に留学している閩江大学3回生3人とベトナムの大学からの留学生2人、そして、閩江大学卒業生で現在は大阪大学大学院に在籍している留学生1人、合計6人の留学生たちと、京都府立鴨沂(おうき)高校3年生との国際交流会が予定されている。それが終れば、完全な夏休みとはなる。

 「日本文化名編選読」の授業(全15回)、13回目と14回目は、日本文化に関する学生発表(1人7分程度)だった。発表のテーマは以下の通りだった。「銀の匙—アニメ作品より」「日本のアニメ文化」「日本のコンビニについて」「日本文化―武士道について」「日本の自然(四季)と中国の自然(四季)」「日本料理と発酵食品」

 「日本の礼儀文化」「中国と日本、花文化比較」「日本の建物文化」「私の印象のアニメ文化と宮崎駿」「日本の中国の茶文化比較-抹茶」「日本、中国、結婚文化比較」「日本アニメの美学」

 「日本漫画—発展小史」「中日、食文化の比較」「中日、宗教文化の違い」「日本の観光地」「日本のアイドル文化」「日本と中国、正月と春節」

 「日本女性の制服と和服」「日本の自殺文化」「日本の花火文化」「日本酒と中国酒の違い」「日本の独特な鉄道文化」「日本の妖怪文化」など。

■7月2日(金)、早々に来学期(2021年9月開始の前期)の私の担当教科の連絡が大学からあった。①日語会話3(2回生)2クラス、②日本概論[概況](3回生)2クラス、③日本文学名編選読(4回生)2クラス。来学期からも引き続き日本—中国間のオンライン授業の継続なのか、それとも8月10日前後に中国に渡航しなければならないのかは、まだ大学からの連絡はない。(大学の授業は9月から始まる。中国は3週間の厳重な隔離措置(ホテル2週間+自宅1週間)が続いているので、9月からの授業に間に合うためには8月10日までに渡航の必要がある。)