彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本・中国・ベトナム国際交流会➊—創立1872年の京都府立鴨沂高等学校での交流会

2021-07-13 09:58:36 | 滞在記

 先週の7月9日(金)の午後、日本の高校生(京都府立鴨沂高校3年生の40人)と中国やベトナムからの日本の大学への留学生6人(中国4人・ベトナム2人)との国際交流会が行われた。京都府では、6月20日に緊急事態宣言は解除となったのだが、引き続き蔓延防止措置が7月11までとられることとなってしまったため、この日の国際交流会はZoomオンラインでの取り組みとなった。中国人留学生4人は、中国・閩江大学での私の教え子たち。(3回生3人、大阪大学大学院生1人)

  当初は鴨沂高校に留学生たちが来ての国際交流会を予定していたが、蔓延防止措置期間にかかってしまったため、急遽(きゅうきょ)、オンラインでの実施となった。

 メイン会場となった京都府立鴨沂(おうき)高校の創立はなんと1872年。来年には創立150周年を迎える歴史のある高校だ。日本で初めてできた女子高等学校がその沿革である。学校の西向こうは京都御所で、鴨川にも近いところにある。数年前までの学校の正門は、旧九条家(公家)宅の門がそのまま使われていた。その門は今も残る。この門を入ると、昭和時代初期の1935年につくられたモダニズム建築の校舎群がある。ちなみに、鴨沂(おうき)とは「鴨川」に「近い」という意味。

 公家屋敷の正門には、京都府立鴨沂高等学校の表札がおかれ、門前には"明治天皇行幸地"の石碑が立てられている。

 かっては(1981年まで)、すぐ近くに立命館大学の広小路本部学者(キャンパス)があったので、鴨沂高校の前はよくt大学生時代には通っていたが、この高校の校舎内に入るのは、今年の5月12日(国際交流会実施についての打ち合わせ)の時が初めてだった。校舎の老朽化のため、最近、5年間あまりをかけて外観や内装を保存しながら建て替えられていた。

 7月9日の国際交流会当日、30分ほど前に鴨沂高校に到着し、少し校舎内を見学させてもらった。階段などもクラッシックな造りとなつていて、和装でも上り下りがしやすいように、階段の段差は低い。待機所の図書室の一角にある「両陛下御在学記念室(※明治天皇が来た時の控え室)」にて、国際交流会の始まりを待った。

 控室からは、正門の向こうに京都御所の塀や森が見える。その京都御苑内の森は仙洞御所や大宮御所、その北に京都迎賓館があるところ。歴史ある学校なので、図書館の蔵書も多い。開架書庫に2万冊、閉架書庫に4万冊。控室の棚にも本が置かれていた。一見すると復刻版のようだが、明治時代からの原書(原本)がおかれていた。

 ちょっと書架を見ると、「伊豆の踊子」(川端康成)、「機械」(横光利一)、「たけくらべ」(樋口一葉)、詩集「あこがれ」(与謝野晶子)、「蟹工船」(小林多喜二)、「こころ」(夏目漱石)、「注文の多い料理店」(宮沢賢治)、「羅生門」(芥川龍之介)、「浮雲」(二葉亭四迷)、「武蔵野」(国木田独歩)、「風立ちぬ」(堀辰雄)などの近代文学の古書が並んでいた。

 かって寄贈された近世・近代絵画も学校には多く、校舎内のいたるところに絵画が架けられていた。中でも有名な作品は、京都画壇の上村松園作「夕暮」。本館の3階には、かってヘレンケラーが講演をしたことがある大講堂がある。また、茶室などもあるようだ。

 そのような歴史ある学校について、簡単に紹介してあるスタンプラリー用のチラシをもらった。ポイント❶教育的価値「日本最初の公立女学校」、ポイント❷歴史的価値「九条家河原邸の門」「藤原道長法成寺跡」、ポイント❸文化・芸術的価値「江戸時代からの史資料」「美術作品」とある。珍しい構内施設として、戦前からの可動式温水プールがあり、プールの水深は深く、「水球」が可能。この学校の水球部は60年以上の歴史があり、全国大会の強豪校。自転車部も強豪校だ。全国的にも少ないクラブとして、弓道部、囲碁部、将棋部、ワンダーフォーゲル部、社会問題研究部、エスペラント部、交通研究部などがある。

 鴨沂高校は、かっては京都府立洛北高等学校とともに京都大学進学者が全国1位だったこともある。(1960年は49人)が、学校間格差をなくすための京都府独自の高校制度(小学区制選抜入試)の導入により、1970年代には進学実績が目立たない学校になっていった。2013年までは学校の制服はなく、「自由」の校風のもの私服通学校でもあった。

 この学校を卒業した著名人は実に多い。寿岳章子や山崎正和などの、学者・文化人・大学教授関係者。ワコールの初代社長などの著名な政財界人も多い。男優や女優では田宮二郎、山本富士子、団令子、加茂さくら、大信田礼子など。ジュリーこと、歌手の沢田研二や女優の森光子などは中途退学をしている。

 1936年に昭和モダニズム建築として建設されなおした校舎群も、老朽化が進み、耐震性の問題もあるため、全面的な建て替え工事がおこなわれることとなった。「昭和モダニズム象徴 鴨沂高校—学び舎惜別 建て替えへ~ヘレンケラー来訪 3階大講堂も」の京都新聞の見出し記事。そして2018年11月に建て替え工事が終わり、現在の校舎群が落成となった。

 「奇跡の人」で著名なヘレン・ケラーが鴨沂高等学校を訪れて講演をしたのは1936年。当時の新校舎の大講堂での講演だった。ヘレン・ケラーはこの講堂で、「凄いのは私ではなく私を育ててくれたサリバン女史である」と話し、サリバン女史が死の直前に遺した日本に行くようにという言葉を守って来日しましたと語った。

 この学校の教員としては、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重は、この学校の創立時に教鞭をとっている。

 この学校が蔵している美術品の一つである上村松園(女性画家)の「夕暮」。この上村松園の特別展がこの夏、京都市京セラ美術館開館1周年記念展として開催される。期間は7月17日(土)から9月12日(日)まで。この特別展で展示される作品の一つ「晩秋」とモチーフがよく似ている。(※上村松園1875―1949)