彦四郎の中国生活

中国滞在記

ちょっと恥ずかしいが、不覚にも路上で眠りこけてしまった―友人たちと会い、酒を飲む‥―

2018-08-06 17:30:30 | 滞在記

 暑い暑い、熱いという日々がもう連日というか、3週間以上にわたって続いている近畿地方の京都。いつまでこの暑さは続くのだろうか。中国各地の省都で最も暑い都市・福州(私が住む街)には負けるが、それにしても暑い。おっかけ、外出することも辛くて控える日々が続く。いつになったら涼しくなるのだろう。

 そんな中でも、親しい友人たちと会ったりもしている。7月30日(月)の午後から、私の大学生時代の先輩である小野さんや泉澤さんと久しぶりに会い、つもる話を多岐にわたって話し込んだ。午後1時から5時までの4時間、京都市伏見区大手筋商店街の喫茶店にて話し込む。午後5時からは場所を変えて近くの居酒屋で小野さんとビールなどを飲みながら2時間ほど話し込んだ。この居酒屋は、京都ではちょっとめずらしいぐらいの店だった。「屋台居酒屋 大阪MANMARU」という屋号の店。注文できるものの「札」が店一杯に貼られている。そのさまは、壮観で 100品目以上あるような気がした。

 小野先輩と別れて、自宅のあるもより駅「京阪八幡市駅」に着いたのが午後7時半。飲み足らずか、まだ夕暮れだったので、駅近くの居酒屋に初めて行ってみた。1時間ほど時を過ごし店を出る。それから「はしご酒」が始まった。駅からバスに乗り、途中下車。レンガ通りにある「カラオケスナック」に2年ぶりに入る。珍しく若い人が多かった。仲間に入って一緒に歌う。そこを出て近くの居酒屋「えんか」という店に入る。客は私だけ、店の人も若い男性が一人だけ。店内はさっきのカラオケスナックと違って「シーン」としている。しかし、注文した「ソーメン」がむちゃくちゃ旨かった。もう このころには時間の観念がなくなっていたのだろう。

 「起きてください、起きてください」と声をかけられた。寝ぼけ眼(まなこ)で目を覚ました。声をかけてくれたのは若い男性だった。どうやらぐっすりと バス通りの路上(歩道)で熟睡していたようだ。どれくらい眠っていたのだろうか。1時間くらいだろうか?わからない。最後の居酒屋から歩いて10分ほどで自宅に着く距離を、とことこ千鳥足で真ん中あたりの場所まできたところで、眠りこけてしまったようだ。少々恥ずかしいが、正体(しょうたい)をなくするほど、この日は 飲み過ぎたようだ。路上で眠りこけるなんてこんなことは、近年では珍しい。自宅にたどり着いたのは、深夜0時近くだったような気もしている。

 翌朝の7月31日(火)、珍しく朝7時半まで遅くまで寝ていた。そして、車で京都市内銀閣寺近くの娘の家に行き、妻と孫娘の3人で比叡山麓の「八瀬」の渓流に水遊びに行った。ここまで車で17分ぐらい。この日は京都市内の幼稚園児たちがたくさん来ていて、水しぶきに歓声をあげながら過ごしていた。京都の街は、すぐ近くにこのような渓流地が6箇所ばかりある「山紫水明」の街だ。

 8月2日(木)には、また3人で鴨川の源流域である「雲ケ畑」の渓流に行った。銀閣寺の娘の家から30分ほどの場所。7月上旬の「西日本豪雨災害」で、このあたりの山が崩れ、多くの樹木がなぎ倒されてもいた。

 8月5日(日)、大阪の京橋で、中国での教員仲間でもある 大阪在住の亀田さんと久しぶりに会い、ビールを飲み、つもる話をする。ここ京橋は私が好きな「飲み屋街」。京都の飲み屋街と雰囲気が違い、真っ昼間から飲む人も多い。「立呑み所 まつい」は、「昭和27年創業」とあった。私が生まれた年だ。おでん・串カツが酒のアテの店には、昼間からほぼ満席。このへんは大阪人のおもろいところだ。この暑いさ中に昼間から飲むと、店から出たとたんに、体内のアルコールのため、暑さがよけいこたえる。おそらくだが、「命にかかわる暑さ」の日には、昼はあまり酒は飲まない方がいいようだ。昼酒は用心用心の今年の夏だ。

 つくづく私は、「真面目だが、けっこうバカが入っている男だなあ」と思う。男は、誰かしらでも、「どこかしらバカが入っている人間は、人間的に面白いし、また、信用できるし、安心もできる」。だから、友人になれる。私の親しい友人たちは、みんなほとんど どこかしらバカが入っている。そして、そのバカさにも いろいろな種類がある‥‥。

 

 

 

 


コメントを投稿