彦四郎の中国生活

中国滞在記

1980年代・中国語版:映画『絶唱』の小さな冊子を見つける❷

2017-02-24 22:47:45 | 滞在記

 『絶唱』は、舟木一夫と和泉雅子の主演で1960年代後半に公開された。そして、1975年に、三浦・山口の主演で再び公開されることとなる。私の中学・高校の青春時代といえば舟木一夫を切り離すことができない。彼は31本の映画に主演しているようだが、実は 私の中学生時代に 私の地元の集落の福井県越前海岸で映画のロケをしたことがあった。映画の題名は『夕笛』。舟木一夫・松原智恵子主演だった。

 1967年の中学3年の夏休み、高校受験を翌春に控えている生徒たち全員は「夏の補習授業」に出なければいけなかった。学年120人の内、定時制高校受験者を含めて100人ほどがその対象だった。ところが、人気絶頂の舟木と松原が 補習のある日に なんと地元でロケがあるという。なんでも、初めて二人が出会う場面の撮影らしいという噂が一週間ほど前から村々に広まっていた。

 そのロケ場面とは、「大学の夏休みで大学(旧制高校)の仲間と網元の実家に帰っていた舟木たちが海岸の岩場に行くと、若い女性の浴衣が 岩場の陰に置かれている。どうやら、ここに浴衣(着物)を脱いで 海の沖まで泳いでいった若い女性がいるようだ。男たちは、岩場に隠れて 若い女が岸に泳ぎ帰るのを 息をひそめて待っている。そこへ 全裸の若い女が 海から上がり 急ぎ岩場の陰に置いた着物に走り寄る」という場面の撮影だというではないか。

 当日、夏の補習授業に行ったのは数名の真面目な女の子だけで、他はみんな撮影現場に来ていたようだ。大人たちも仕事を休み、遠巻きに撮影現場を取り囲んでいた。狭い海岸に鈴なりの数百人はいたのではないだろうか。なにせ、生の舟木一夫が見れるというし、松原智恵子のヌードが見れるということで 現場の興奮はなみなみならぬ雰囲気があった。

 舟木に対して黄色い悲鳴を上げる人もいたが、撮影スタッフから「みなさん!撮影の邪魔になるので しゃべらないでください!!」の拡声器の声で、現場は 再び静寂につつまれていた。しかし、松原千恵子の姿を見ることはできなかった。ヌードになるということで、代役の女性があてられたらしい。しかも、ヌードはヌードでも肌の色をした薄いタイツをまとっていたようだという話も伝わってきて、私も含めて中学生の男子たちも がっかりしたのを 今でも覚えている。この映画はこの年の9月23日に公開された。映画の主題歌「夕笛」の作詞は西城八十、作曲は つい最近亡くなった舟橋徹さんだった。

 我らが青春時代のアイドル、この舟木一夫さんのプロフィールはおおまかには次のような次第だ。

 ―舟木一夫― 1944年生まれで、今年72才となる。愛知県一宮の出身。高校2年生の時、友達と一緒に名古屋で行われた「松島アキラショー」行った際、ステージの松島アキラが『湖愁』を誰か一緒にステージで歌いませんかという観客への呼びかけに、隣に座っていた高校の仲間が勢いよく手を挙げ、舟木をステージに連れて行く。舟木の歌う様子を見ていた「週刊明星」の記者が、堀プロダクションに連絡をとったことがきっかけとなり、1963年に「高校3年生」でデビュー。デビューの時に着ていた学生服は、舟木の高校時代に学校で着ていた学生服だったという。

 1970・71・72年に自殺未遂を起こし、73年より1年以上の心身のための休養をとる。その後十数年、不遇の時代を過ごすこととなる。デビュー30周年となる1993年に、「中高年のアイドル」として再びカムバックし、2000年代に入り座長公演なども行い現在に至っているようだ。よくがんばってきたなあ。


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