男子フィギアスケートからほぼ1週間後の2月23日(金)、女子フィギア―スケートのフリーの演技が行われた。宮原知子の演技は完璧だった。「蝶々夫人」の曲に合わせての演技は、丁寧でとても素晴らしかった。初々しく清楚な蝶々夫人を演じきっていた。これは3位になるかもしれないと思った。宮原知子は、小学校は立命館小学校、中学校も立命館中学校らしいので京都に実家があるのだろうか。坂本花織もとてもよい演技だった。
続くカナダのオズモンドの「ブラックスワンと白鳥の湖」の曲に合わせての演技。これは圧巻だった。妖艶な女性の黒い白鳥を見事に演じていた。「これには宮原も負けるわ」と思った。そして、ロシアの新鋭ザキトワの演技。小柄な小悪魔という感じの、若干15歳の美しくも躍動した演技に驚嘆させられた。最後にロシアのフィギア―界の女王メドベージェワの演技。18歳という年齢以上を感じさせる成熟した美しい演技だった。
結果は、ザキトワが少し上回って金メダル、銀がメドベージェワ、銅がオズモンド、そして宮原が4位、坂本6位となった。翌日の朝日新聞の見出しには「ザギトワ降臨、メドベ圧巻、宮原全開」とされていた。なかなか的確な表現だと思った。私ならこの見出しに付け加えて、「ザキトワ降臨、メドべ圧巻、オズモンド妖艶、宮原完璧・清楚、坂本全開」とつけたい。
ロシア人女性コーチが二人を抱きしめる写真があった。ザギトワもメドベージェワも同じフィギアスケート学校の同窓生だ。ロシア人の演技力は、この国のバレーの伝統がなせる業かとも思う。私は2000年代初頭に4回あまりロシアのサンクトペテルブルグ(旧・レニングラード)やハバロフスク、ウラジオストクなどに行ったことがある。その時、2回、サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場にバレー講演を見る機会があった。
ロシア人女性バレーダンサーから聞いた話によると、「7才の頃に名門バレー学校の試験がありますが、母親も一緒に試験を受けなければなりません。母親の乳房が大きすぎると、合格できません。子供の受験生も15才以降 乳房が大きくなる可能性が高いからです。つまり、バレーには大きな胸はよくないのです。私も可愛い乳房です」と話していた。このフィギアスケートの名門学校の試験も同じかもしれない。
ロシアは4年前のソチ冬季五輪に向けて各種競技の育成システムを強化してきていたが、これが今回のフィギアスケートの世界でも花開いた感じだ。8歳の年齢で3回転ジャンプができるほどに育成とているとも聞く。次の4年後の北京冬季五輪に最大焦点を合わせて育成しているというから、ザギトワやメドベージェワに続く選手が続々と控えているのだろう。
ロシアのフィギアスケート女王メドベージェワがこの晴明神社に参拝して絵馬を記して残していったという記事を最近インターネットで知って驚いた。彼女がこの神社に来て絵馬を書いたのは2017年5月16日。なぜこの神社に来たのだろうか謎だ。その後、羽生結弦が6月と7月に来て参拝している。なにか、羽生との心のつながりがあるのだろうとは思われる。彼女は京都のレンタル着物店で日本の着物姿に和傘をさしている写真もインターネットで見ることができる。日本が好きなようだ。ロシア人はおおむね「親日」が多い。
「京・一条戻𣘺 晴明神社」は、一条通りが堀川にさしかかる場所に架かけられた𣘺の近くにある。この橋が架けられたのは平安遷都の794年で、名前を「土御門(つちみかど)𣘺」と名付けられた。それからおよそ100年後の918年、紀州熊野で修行中の浄蔵という者のもとに父危篤の知らせが届く。急ぎ都へと向かってこの𣘺にさしかかると父の葬列に出会う。父の臨終に間に合わなかったことを悟った浄蔵は"父に一目会いたい"という一心で祈る。法力が届き父は一時的に蘇生し冥府からこの世に戻る。そしていつしか人はこの橋を「一条戻り橋」とよぶようになったようだ。渡辺綱がこの橋に出没する「愛宕山の鬼女が乙女に化けて出て来る」物の怪の片腕を切り落とした逸話などもある橋だ。
◆安倍晴明921年—1005年、陰陽道を司どる著名な陰陽師(おんみょうし)。今昔物語にも彼の陰陽師ぶりが描かれている。彼が住んで呪術を行った場所に、「晴明神社」がつくられたのは 1007年。現在の安倍首相の実家がある長門の安倍家は この晴明の流れをくむ一家である。
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