彦四郎の中国生活

中国滞在記

アフガニスタンの人々を描いた絵本―日本の国語教科書(小学4年)にも掲載「世界一美しいぼくの村」

2019-12-18 21:33:28 | 滞在記

  アフガニスタンは40年間近く、戦乱にみまわれている国である。1973年よりのソビエト連邦による政治的介入が強まり、ソ連の傀儡政権ができたが、国民の多くがこれに反発。1979年にソビエト軍がアフガニスタンに侵攻。ソビエト軍から祖国を守る戦いが10年間あまり続き、1988年にようやくソ連軍が撤退。その2年後にソビエト連邦は崩壊する。1990年代のはじめにようやくアフガニスタンは新しい政権を樹立した。しかし、ビンラディンを指導者としたタリバーンが勢力を拡大しはじめ、内乱状態となり、タリバーンがアフガニスタンの多くの地区を支配下においた。

 2001年9月、タリバーンによるアメリカ国内での同時テロ(ツインタワーへの航空機自爆テロなど)を受けて、アメリカはアフガニスタンに軍を送り、タリバーンやアルカイダとの戦いが始まった。タリバーンやアルカイダを追い詰め、その後、新しい政権が樹立した。しかし、再び、イスラム原理主義組織・タリバーンやアルカイダが勢力を盛り返し、現在では国土の40%を支配している。

 この戦乱の地、アフガニスタンで暮らす人々を描いた絵本がある。『世界一美しいぼくの村』だ。著者は小林豊さん。1946年生まれの人だ。何度も何度もアフガニスタンを訪れてこの絵本はつくられたのだろう。小林さんがアフガニスタンの人々を描いた絵本は、他にも何冊かある。『ぼくの村にサーカスがきた』や『ぼくは弟とあるいた』などだ。これらの絵本は戦乱を背景とした一連の物語だ。

 『世界一美しいぼくの村』は、1990年代後半から2000年代はじめの光村出版の小学校国語教科書だったかと思うが、日本の小学校4年生の国語教科書に掲載されていた。スモモや杏(あんず)、梨やピスタチオなど、豊かな果物に恵まれる渓谷のパグマン村。そこで育った少年は、戦争に行った兄にかわって家の家事を手伝う。初めての市場での道中、町での初めての売り子経験、子羊を父とともに町で買って手に入れた嬉しさと得意げな様子で町から村に帰る。戦争の影が濃厚にあるが、少年の様子が微笑ましい。

 ソビエト軍侵攻によるアフガニスタン紛争が絵本の背景にあり、出版された当時(1995年頃)から現在にいたるまで、アフガニスタンの状況は激しく変化もした。この絵本の最後の1ページには、「この年の冬、村は戦争ではかいされ 今はもうありません」の2行と、戦乱に巻き込まれた村から逃れて他の地にうつらざるをえなくなった家族4人(父・母・少年・弟)の後ろ姿の絵が描かれている。 

 小学生の時にこの「世界一美しいぼくの村」の物語にであった人も多いかと思う。テレビ報道などでも、「内戦が奪った家族とぼくの村」と、この絵本が紹介されたこともあった。

 小林豊さんは、日本の各地で講演会なども行ったことがあるようだ。2019年12月4日におきた中村哲さん銃撃事件において、再びアフガニスタンという国についての関心が日本でも高まったかと思うが、『ぼくの村にサーカスがきた』・『世界一美しいぼくの村』・『ぼくは弟とあるいた』の一連の物語(絵本)は、戦争というものを 静かに告発している作品群だ。

 『マスード 愛しのアフガン』・『山の学校の子どもたち』など、フォトジャーナリストの長倉洋海さんがアフガニスタンの人々を著した本がある。1952年生まれの長倉さんは、北海道釧路市の出身で、のちに同志社大学を卒業。そしてフォト・ジャーナリストとなり、世界で戦乱にみまわれている国々やアマゾンなどで暮らすの人々を訪れ、取材し、写真を撮って、本を著した人だ。

 『マスード 愛しのアフガン』は、祖国に侵攻してきているソ連軍から祖国を解放するために立ち上がったアフガニスタン救国民族イスラム統一戦線の総司令官マスードの日常を写真に撮り著した書籍だ。アフガニスタンの言語を学習し、1983年からあしかけ20年余り、300日間以上にわたってマスードと生活をともにした記録でもある。

 1983年、ソ連軍による第6次攻勢を、パンシール渓谷に拠ったマスードたちは撃退し、ソ連軍に壊滅的な打撃を与え、「パンシールの獅子」とも呼ばれた。この時、外国人記者から将来のことを問われ、「国を解放したら、国民が信頼できる政治家に後はまかせて、大学で建築学を勉強しなおしたい」と答えている。(※彼は、学生時代はカブール大学で建築学を学んでいた。)

  ソ連軍の撤退後、アフガニスタンは新政権を樹立し、マスードは国防大臣に就任した。しかし、数年後、タリバーンやアルカイダなどのイスラム原理主義組織が攻勢をかけ、国内は内乱状態となった。マスードたちは再びパンシール渓谷一帯に拠り、国土の10%・人口の30%を勢力下に維持しながらタリバーン勢力と対峙していた。2001年9月9日、ジャーナリストを装った2人のタリバーンによる自爆テロによってマスードは暗殺される。そして、その2日後の2001年9月11日、アメリカでの同時爆破テロ事件が起き、世界を震撼させることとなった。

 マスードたちがソビエト軍に対するゲリラ活動を始めた時の仲間は6人だった。アフガニスタンの「チェ・ゲバラ」とも呼ばれた彼は、今は「アフガニスタンの英雄」とされている。しかし、今、マスードを暗殺したタリバーンやそれと同盟関係にあるアルカイダが再び国土の40%を支配下におさめ、2001年以降、最大の勢力をもつようになった。そして、世界の70%の麻薬をその支配地域で栽培・生産している。

 このような40年間にわたる戦乱のアフガニスタンで、中村哲さんは35年間にわたって生きてきたこととなる。マスードと中村哲さん、愛しのアフガンで人生を捧げた人だった。(※マスードは1953年生まれ。私や長倉さんとは ほぼ同じ年代となる。私の京都の自宅の書斎正面には、目の前に『山の学校の子どもたち』が10年以上ずっと置かれている。)

 


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