彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本人がほとんど食べることのない動物❷福建省の各地の市場や路上で―露店や市場は庶民の暮らしが

2020-02-01 15:47:38 | 滞在記

 福建省は30余りある中国の中では面積的には小さい方の省(12万㎢)だが、それでも日本の面積の3分の1。ひとつの小国のような広さがあり、韓国の1.5倍、北朝鮮とほぼ同じ面積。省内には9つの市がある。福州市・厦門(アモイ)市・泉州市・寧徳市・漳州市・莆田市・龍岩市・三明市・南平市の9つだが、それぞれの市の面積は兵庫県と京都府を合わせたくらいある市が多い。市の行政区は、さらに"福建省福州市福清市"などの市、県や鎮や町・村などといった行政区に区分化される。広州のある広東省は南に隣接し、台湾は海峡をはさんで向かい側、香港にも近い。北は杭州のある浙江省や上海。西は江西省が隣接し、湖南省や武漢のある湖北省へと至る。

 省の行政的トップは〇〇省共産党委員会書記、次いで省長。さらにその下には、各市の行政的トップである◆◆市共産党委員会書記、次いで◆◆市長となる。さらにその下には▲▲県共産党委員会書記や県長、▭▭鎮共産党委員会書記や鎮長などが続く。とにかく書記が行政区や組織のトップ。これは大学組織でも同じである。学長(校長)はNO2で書記がNO1。

 私は福建省内の9つの市には全て行ったことがあるが、ここでは福建省内各地の市場や路上での「生きた動物・さまざまな肉や魚・野菜や果物」などの売買のようすについて紹介したい。市場や露店や路上販売など、現在は、新型コロナウイルス肺炎の感染の急拡大で問題になっている。だが、そこは庶民の日常生活の暮らしが色濃く残り、風情のあるホッとする場所でもある。日本では肉や魚や野菜、果物などは、ラップ包装されて清潔に販売されている。もちろん中国でもこのような包装もされているが、一歩 街角の市場や露店では かっての日本でも見られていた光景が広がる。

 まずは、福建省泉州(チュアンジョウ・せんしゅう)市。ここはかって、海のシルクロードの玄関口で、マルコポーロはここから船でヨーロッパに帰った。華僑・客家・イスラムの文化が色濃く残る歴史的な都市だ。福州市よりも のんびりとした雰囲気があり、とても私は好きな街だ。ここには国立華僑大学もある。商店街などの建物は、ベトナムなシンガポールなどの建物構造とよく似ている。華僑文化圏かと思える街。

 市内の中心部は高層ビル群はあまりなく、庶民の暮らしぶりがとても伝わって来る。通りの路上で、日本の石川県輪島や福井県大野のような朝市的物売りが並ぶ。大きなビニールシートの上に置かれた鳥、おばさんが鳥の羽根をむしって販売している。毛を取られた羊の頭部が赤いビニールの上に置かれている。鶏をしめている人も。種々の魚が売られている。

 海の街でもあるので海産物の魚も多いが、河川・湖で獲れた淡水魚も多い。さまざまな野菜や果物。とくに果物は種類が多く、安いし美味しい。

 次に、龍岩(ロンヤン・りゅうがん)市の田舎。ここは、世界遺産の「土楼群」も近く、30分ほど車を走らせると広東省。鎮郷には蓮がたくさん栽培されている。学生の家に一泊させてもらい、翌朝、鎮(村郷)の中心部にある市場にでかける。ちょっと驚くぐらいの数の鶏のかたまりがあちらこちらに。全部で1000羽くらいいそうだ。ネズミ捕りの籠に入れられて猫が売られていた。おばあさんが籠に玉子を入れて売っている。淡水魚がパイプで酸素を与えられ生きたまま売られている。

 丸い籠にたくさんのヒヨコが売られている。鴨や鶏のひなだろうか。ピヨピヨピヨと鳴いている。40歳くらいの女性が数匹のウサギを籠に入れて売っていた。生きた大きなアヒルのような形の黒い鳥を男性が買っていた。首をつかみながら品定めをしている。ここの市場は売る人と買う人の「心の距離」がとても近い。

 この鎮(村郷)から車で1時間くらい行くと、江西省との省境にある長汀(ジャンティン・ちょうてい)という街に着ける。この街は周囲をぐるりと城壁や城門で囲まれている。ちいさな「城市」だ。かって中国共産党の毛沢東ら「紅軍」が拠点の一つとしていた。その当時、毛沢東が暮らしていた家なども残っていた。古街もずいぶん残っている長汀。ここにも市場があった。街中で小型トラック(軽トラ)に羊を乗せて、羊の乳を販売していた。客が来たら、その場で乳を搾り始める。

 そして、福建省西部にある三明市(西の江西省に隣接する)の尤渓(ヨーシー・ゆうけい)鎮。この鎮には何度も行き学生の家などにお世話になっている。やはりかっては城壁・城門に囲まれた城市だった。中国各地の市や町や鎮はかっては城壁・城門に囲まれた城市だったところがとても多い。福州もかっては城壁・城門があったのだが今はほとんどない。

 尤渓の町は小さいが活気がありながらも、とてもゆったりと時間が流れている。この町でよく見かけるのが、「ねんねこばんてん」に子供を背負った若い母親たちの姿だ。おじさんが立派な鶏を自転車の荷台の籠の上に乗せて売っていた。のんびりしたものだ。自転車の下には鴨などの鳥も。

 川沿いの市場がまた面白い。庶民の台所と言った感じである。スーパーなどで買うより値段も安いし新鮮だ。なにせ、生きているものをその場で買ったり、さばいてもらったりして買うのだから。野菜などもとれたてだし。淡水の魚、さまざまな肉は生きていたものをその場でさばく。ここにも羊の大きな頭部が数匹分置かれていた。昨日か今朝、肉にしたものだろう。中国式漬物なども売られていた。試食してみるとご飯がすすみそうだ。

 アヒルや鴨をさばいて、内臓を取り除き、広げて乾物にしたものが路上で売られていた。これは、この地方でも春節が近くなると多くの人が買い求める。福州などてもそうだが、市場や人が多く集まる所には、重度の心身障害をもつ人が物乞いをしている光景はよく見る。上記の写真(右端)は、尤渓の市場近くの通りで見かけた人。両下肢が切断されているので、小さな台車の上に体を乗せて移動し、物乞いをしている若い女性だ。

 これは、この地の住民戸籍がないために福祉政策が受けられず、このような生業で暮らしを支えているのだ。中国での戸籍(都市戸籍・農村戸籍)の問題は、残念ながら このような人の生活・生存権を支援する社会制度にはなっていない。その町で暮らしていても、その町の戸籍が無ければ、子供も学校に入学させられない。北京や上海などの大都会では、警察などが厳しく物乞い行為を取り締まっているので、都心部では見かけることはほぼないだろう。

  南平(ナンピン・なんぺい)市には、世界遺産の「武夷山(ウイシャン・ぶいさん)渓谷」がある。山水画の世界が広がる。ここの近くに住む学生の家にお世話になった。ここの鎮郷ものんびりしたものだった。村の市場もあった。家の周りの水田で鴨が餌を食べていた。おじさんの後ろについて、ちょこちょこ鴨たちが農道を歩いてもいた。

 学生の家で寝ていたら、夜も、家で飼っている数十羽の鴨たちがグァグァと鳴いていて、なかなか寝付かれなかった。学生も家の人たちも 生まれた頃から慣れていて気にもならないだろうが。これらの鴨や鳥たちは、業者や市場や露店で売ったり、自分の家で食べたりする。私も夜の食事でさばいたものをごちそうになった。

 中国では、ちょっと田舎に行けばこんな感じの人々の暮らしが広がっている。

◆次号は、私が学生たちの故郷の家に行き、おそらく日本人はまず食べないだろうという動物の料理などを記したい。

 

 

 

 

 

 


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