彦四郎の中国生活

中国滞在記

広島に行く❺―73年前の8月6日午前8時15分、たった一辺2cmの立方体の核物質が核反応

2018-08-16 15:41:44 | 滞在記

 8月8日の早朝6時すぎにホテルを出て、徒歩で広島城に行き、そして原爆ドームに向かった。午前8時頃に原爆ドームがある場所に着く。初めて残骸のままの原爆ドームを見た。廃墟と化しているドームの中はコンクリートの欠片となったものが当時のままの様子で置かれていた。言葉にならない感覚だった。外国、特に欧米からの見学者も多く訪れていた。ドームの横を流れる川の畔に「赤い鳥文学碑(鈴木三重吉文学碑)」が置かれていた。

 1945年8月6日の原爆投下日以前の写真。戦時中ながら人々の暮らしがそこには写っていた。それが、1945年8月6日の朝に、ほとんど一瞬にして崩壊させられ焦土となった。世界初の原子爆弾の投下によって。

 太田川の支流に架かる「元安𣘺」を渡り、平和公園に入る。夾竹桃と平和の鐘。突然に鐘が鳴り始めた。時刻は午前8時15分だった。人々とともに黙祷をする。「原爆の子の像」があった。「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という言葉が碑文に刻まれていた。「母と子の像」が近くに建っていた。

 「原爆死没者慰霊碑」に行く。8月6日の朝、ここで「慰霊祭」が行われていたのをNHKのテレビ生中継放映で見た。広島市長の挨拶や宣言の言葉は心が籠り、一言の無駄もなく、心に響いてくる内容だった。続いての安倍首相の挨拶や言葉には、何の心の籠りもなく、非核の「核兵器禁止条約」についても一言もふれず、空疎な感じがしていて、我が国の首相として とても残念だった。慰霊碑には、「安らかに眠ってください 過ちは くりかえしませんから」と刻まれていた。

 峠三吉の詩碑の前に行く。広島の女子高校生たちが、平和公園見学に来た数人のグループの人たちを案内しながら、ここでも立ち止まり説明をしていた。「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ  峠三吉 」と、詩碑には刻まれていた。詩碑の裏には、英文版が刻まれていた。

 広島平和記念資料館に入った。

 アメリカのB29爆撃機から投下された一発だけの核爆弾。それがだんだん広島の街に落下していき、猛烈な言葉に尽くせない「悪魔の爆発」をもたらす変化の様子の動画展示されていた。爆心地では数万度にも達する熱と猛烈な爆風、そしてきのこ雲による黒い雨や放射能を一瞬にしてまき散らし、14万人以上の人々を焼き殺しなぎ倒す様子が、この動画で想像できた。

 「リトル ボーイ」と呼ばれたこの爆弾の大きさは、人間の少し太った大人ほどの大きさだった。

 そして、この「リトル ボーイ」の中に入っていて「核分裂反応」と「爆発」を引き起こした「ウラン」の量は、一辺が2cm四方の立方体の大きさに過ぎなかった。たったこれだけの小さいものが、凄ましい「核分裂」を引き起こし、惨禍を引き起こしたという事実に驚愕の念を感じさせられた。「核」というものの怖さを、この展示はまざまざと語っていた。

 

 

 

 

 

 


コメントを投稿