加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和6年 今朝、緊急地震速報が

2024年06月03日 | 日々雑感

令和6年6月3日 今日も子供見守り活動に行く前の準備でテレビを観ていると、緊急地震速報が流れ、同時にスマホからもけたたましくあの嫌な警報音が流れた、妻が2階に行っていたので
早速2階に上がると家がグラッと揺れだしたが感覚的には震度3程度であろうと推測した。
サポートしながら階下に降りて画面を注視すると震源地は能登となっていた。
6時31分に発生した地震は珠洲市近くで震度は5強、40分には再び緊急地震速報の警報音が鳴ったが座っていると少し揺れを感じた程度でした。震度は2程度と推測しました。

見守り隊の仲間との挨拶では今朝の地震の話題が、あれから期間が経過しているのに余震がまだあったので驚いた、今後も余震があると心配だ。
子どもたちは今日も元気に登校して行きました。

今日の地震で輪島では地震で傾いていた家が倒壊したとニュースで流れていた。
石川県知事は今日、岸田総理に地震の復興のお礼で総理官邸に行く予定だったそうだが、今朝の地震で中止になったようだが、被災地に足を運んだ方が被害の把握には良いのでは。
今回も東京の本宅にいたのでしょうか?
今回も地震の揺れは感じてもらえなかったのに、地震の対応などできないのではとあきらめの気持ちが強い。
県庁では午後に災害対策会議が開催されたようだが、今回も知事が不在で時間が経過しての開催のようですが、今回は自衛隊のヘリではなく、全日空か新幹線で帰ってきたのか?

コメント

令和6年 あれから2カ月です

2024年03月01日 | 日々雑感

令和6年3月1日 元旦の地震から2カ月がたちました。
被災地域にはまだ1万人を超える避難所で生活を送っています。
輪島市では自主避難箇所への支援を打ち切り、自主避難者が自ら支援品を取りに行くようになるそうです。
他方から応援に入っていた行政職員や緊急援助隊が縮小するなかで避難所への支援物資の供給などが行政の負担になってきているのでしょう。
少ない行政職員でいつまでも”おんぶにだっこ”の支援にも限界があると理解するべきでしょう。

被災した家屋の片づけを手伝うボランティアの方も金沢からのバスで移動している現状で、実質の活動時間は3時間位と短く、また参加する人も移動手段が限られるので少ないのが現状のようです。

能登鉄道も七尾~中島間までの開通しましたが、穴水まで開通すれば金沢から直通列車でボランティアの方の輸送が出来て効率的になると思うのです。
避難者の方も疲れが出ていると思いますが、支援の手は必ず届きますので、もう少し頑張りましょう。

先日、前を走っているトラックに「負けるな輪島、がんばるぞ能登」と書かれたステッカーが貼られていました。

コメント

令和6年 ”屋根の鬼瓦がずれていますよ”とインターホンで

2024年02月09日 | 日々雑感

令和6年2月9日 昼の12時15分くらいにインターホンが鳴り、誰が来たかとインターホンで対応すると  ”近くで工事をしているものですがお宅の鬼瓦がずれていますよ”とのことで、テレビなどで報道されている詐欺だと直感したので「いつも頼んでいる業者がいるのでそちらで見てもらいます」と断ると ”営業に来たのでないので、そちらの業者に見てもらってください”と帰って行った。
窓から業者を確認すると灰色の作業着姿で隣の家の前に止めたグレーの箱型の軽四に乗り込んだとっさにナンバーを記憶したが残念ながら番号を忘れてしまった。
金沢400ナンバーだったので県内業者ならばレンタカーで仕事をすることはないので、詐欺業者だと確信に変わった。
早速、白山警察署に電話していきさつを説明したが、情報提供のつもりが電話でのやり取りで最初から事情聴取のような感じで生年月日や職業まで聞かれた。
警察曰く屋根に揚がってわざと屋根を壊して写真を撮りそれを見せて修理をさせる手口もあることや先日逮捕した契約書の不備での工事などもあると長々説明を受けた。
最後に情報提供ありがとうと言われたので、それでよいかと電話を終えた。

外で屋根を見てみると素人目では異常はないように見えたが、明日風呂の改修の打ち合わせで
建築業者がくるので確認してもらおうと思う。

それでも一軒一軒訪ねたとは思えないのだが、何故我が家に来たのであろうか?疑問が残った。
今後戸締りには気を付けておきたいものです。

コメント

令和6年 節分とひな祭り

2024年02月03日 | 日々雑感

令和6年2月3日 今日はひな祭りですが、今年は小さな雛飾りなどは出さないことにしました。
余震が怖く仏壇内で装具が揺れて中が傷つくのが嫌なので、まだ仏壇内の装具類も仏壇から出して納めていません。
そのため他の飾り物を出すのに躊躇しているのです。

スーパーに行くと恵方巻の寿司がたくさん並んでいました。高級なものからお手頃なものまで沢山ありましたので、食べごろサイズの恵方巻を購入してきました。
例年妻が手作りで恵方巻を作ってくれていましたが、今年はスーパーのものとなりました。
恵方巻とは具たくさんの巻き寿司を幸運を祈って食べるもののようです。

 


その年によって食べる方角があり今年は「東北東」です。
地震の被害者の方々は恵方巻きどころではないのでしょうに。

 


今の状況に感謝しつつ、黙って恵方巻を頂きました。
来年はみんなが喜んで恵方巻を食べることが出来ますように。

コメント

令和6年 能登半島地震から1カ月

2024年02月01日 | 日々雑感

令和6年2月1日 元旦の地震から1カ月となりました。
今日は特別なことはしませんが、毎日地震の余震を気にする生活は変わっていません。
最近は余震の頻度も少なく、震源地の震度も震度3が多くこちらでは震度1くらいで生活していてもほとんど感じなくなりました。
新しい発表では今後2~3月は震度5程度の地震が起こる可能性があるので注意が必要とのことです。

地震発生の午後4時10分ごろは子供たちの見守り活動中のためテレビを観れませんでしたが、ニュースでは発生時刻には多くの地区では黙とうをしている姿を報道していました。

今回の災害では亡くなった方は240人(災害関連死とみられる方は15人)、行方不明者の方は15名と発表されました。

地元では倒壊を免れた家にとどまる被災者の方もいるようで、一時避難所から二次避難所に移ってもらうよう勧めているのですが、住み慣れたところから離れたくないとの理由から上手くいっていないようです。
また、どちらの地区に避難するかは事前に連絡はなくバスに乗ってから告げられ、避難をあきらめたとか、金沢に到着して初めて避難先が分かったとの話も出回り、馳石川県知事も「送り出し側と受け側との意見の齟齬があった」と認め謝罪していました。
戦時中の強制収容的な出来事では今後のことが疑心暗鬼となっている人にとっては二次避難所への避難は進まないと感じます。もし自分が被災者であったら行き先が明らかにならない場合は絶対にバスには乗らないと思います。

被災者も自分がいることで復興が遅れることは分かっていると思うのですが、行政も被災者に寄り添った透明性を持った対応をお願いしたいものです。

コメント