加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

凧の出し物 傘を作る1

2015年04月11日 | 金澤郷土の凧資料
金澤市史の中で「紙鳶」の項目では「絲に小さき傘を穿ち、傘中に布袋、大黒、千羽鶴などの形を成せる紙片を容れ置けば、傘は、絲端に達して擴がり、傘中の紙片は、風に飜りて飛散す」と凧揚げのことが記述されています。
また、成巽閣の資料の絵にも下記の記述があります。
「出し物と申して傘に仕込みまして図のごとく、凧の糸に通し風に際びて上へと進めるのでひも下糸に止めがつけて有り枡故其所にてとめると同時にさきの出し物が風に翻って落下するので御座います」

(成巽閣所蔵 凧揚げ)

(婦くら雀に傘を付けて揚げています)
平成7年頃新潟県の「しろね大凧と歴史の館」を訪問した時に田村様と知合い、会館に展示のために「婦くら雀凧」もらって頂いたご縁から親交が始まりました。
その後、田村様から試作品の傘を頂戴しましたが長年忘れてそのままになっていました。

(田村様の傘 閉じた状態)

(田村様の傘 開いた状態)

(田村様の傘 ラッパ状態)

平成19年に上越市の船見様とお会いする機会があり傘を製作していたのでその傘を頂くことが出来ました。
その傘の骨は6本で作られていました。その傘を参考にして幾つかの傘を製作して「婦くら雀」の揚げ糸に通して上空から小さく切った色紙を飛散させてきました。
今回傘の骨を20本として和傘のような形の傘を作ることにしました。
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