加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

猿払村と内灘町のつながり

2014年04月24日 | 石川県から北海道への開拓移住者たち

猿払村開村90周年によせて

 猿払村と聞いて思い出すのは「ホタテ」です。
 内灘漁民が猿払沖でホタテ漁を行ったのは明治21年からでした。以降北海道の羽幌を拠点として、春はニシン漁でその漁期が終わればホタテ漁となっていました。

 猿払沖のホタテ漁も昭和に入るとホタテの乱獲で漁獲量も激減し、ついには不漁続きで休漁となりホタテ漁の加工で生計を立てていた猿払村民は貧困で苦労しました。
 昭和45年から始めたホタテの稚貝の放流事業で村の年間予算の半分をつぎ込み事業を継続し、昭和49年には待望の水揚げが出来ました。
 それ以降はホタテの育成事業が軌道に乗りホタテ長者の村として全国に紹介されるようにまで発展し現在に至っています。

 猿払村は大正13年に宗谷村から分村し、猿払村として開村しましたが、平成25年で開村90周年を迎えました。
 猿払村には内灘出身者が多く移住しており、現在では内灘町と猿払村との交流も持たれています。

 内灘町史、内灘郷土誌、猿払村史を参考にそのつながりの歴史を執筆したもので、PDFに変換しましたので、下記の「sarufutumura」よりダウンロードして閲覧ください。

          「sarufutumura.pdf」をダウンロード

          Dscf7004

                 猿払村開村90周年を記念して作成した30枚度の凧を寄贈しました。

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