武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

どうとでもなれ(作品紹介409)

2016-02-06 16:23:11 | Weblog


どうとでもなれ!

この絵を見ていると、真に「どうとでもなれ」という心境がひしひし感じられ、
深刻というよりは、自我とか理性とかすべてを投げ打ち、開き直るというか、
絵自体が「どうとでもなれ」そのもので、ちょっと笑いをさそいます。
本人は大真面目に描いた絵のようですが、ユーモアが感じられて、
「ヒェ~、こ・の・絵は、いったい・・・・・」。と、思うのですが、
すごく印象に残っています。
私の記憶からこの絵は、永遠に残りそうです。

私も53歳になり、中年真っ只中ですが、いろんな事がありました。
私の人生の中ではっきりと「どうとでもなれ」と思った瞬間あります。
それは「うつ病で精神病院に入院させられた時です」
ヒロクニさんとラブラブで結婚したのは、良いけれど、
結婚当初、ヒロクニさんは「錯乱をよく起こし、(病院へ行くと一種のパニック障害だったらしい)、
私は、それが起こる度に、訳がわからなくて、右往左往していました。
第三者というか、他人がいるところでは症状は出ないのですが、
2人になったとたん、錯乱が起こり、人が変わったように、私に攻撃的な態度をくりかえすようになる症状に悩まされていた。
何とかせねばと、優秀なカウンセリングを見つけ、何とか本人を連れていき、
症状が良くなり、一難を超えた。
しかし、私の方は神経を使い果たしていたことに対して、注意を受け、しばらくは主人より
「あなたの方が擦り切れているから、ゆっくりして下さい」とアドバイスの言葉をかけてもらっていました。

ホ~としようと思ったら、阪神大震災が起こり、絵の売り上げが全く期待がもてなくなり、
思い切って大阪で働くという決意をし、実家のある宝塚市、引っ越した。
紆余曲折あって、大阪の派遣会社からCDAオペレータとして働くことになり、なんとか生活費は
稼げるようになった。しかし、残業が多くいつも疲労感で一杯で、
通勤の道で、ユンケルを薬局でおじ様達と飲み、頑張っていた。
ある日、パソコンで仕事をしていると吐き気がしてきて、気分が悪くてしかたなくなり、
身体がついていかないようになったのです。

肩こりが半端でない状態になり、偶然の巡り会わせか、経営難の美術教室を引き継ぐように。
これで、好きと仕事が両立し、なかなか楽しくやっていた。
重たい荷物を持って運ぶ(自動車のれないので)
自分を宮沢賢治の言う「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち・・・」みたいと、
思っていたが、「丈夫なからだをもち」が崩れてきた。

そんな時に、ヒロクニさんが、毎日新聞の夕刊で絵の挿絵の仕事が入ってきて、やっとホッとしていい状態になったのです。
教室も他の人に引継ぎしてもらい、無理もしなくていい、嬉しい状態になってからしばらくしたら、
だんだん憂鬱さがひどくなり、ご飯の味もしないし、食欲もなく、ひたすら苦しくなり、寝ていても苦しいし、
とうとう食事もとれなくなり、料理を作るのも地獄なり、ヒロクニさんは怠け者みたいに思っているし、
自分の存在自体が苦しいのです。ヒロクニさんが留守の間に、
「何で薬は効かないの!気分が楽になるって書いてあるのに!!」と大量に薬を飲んでぐったりしていた。
ヒロクニさんが、救急車を呼んでくれ、家族が相談したらしく、入院させられた。

入院したのは、いいけれど、「本当に、周りの患者の凄さに驚いて、すぐさま退院させろ」と先生に訴えたが、
却下されてしまい、もう私は終わりだ・・・・。とがっくりきて、惨めだった。顔色も悪いし・・・。
病院で過ごすうちに、「もう私は終わりなんだし、どうとでもなれ、しらんわ」と思いだしてから、
だんだん話せる症状の軽い人と仲良くなり、それなりに楽しくやるようになった。
重症な人を、怖がっていたけど、病気はさておき、優しい心根にも気がつくようになり、
いろんなことに気が付くようになった。
統合失調症の方で薬が多くて、一日分を分ける作業しているのを手伝ったり、
やたら人を褒める患者さんは、住所が病院にあり一生病院ですごす自分を受け入れての行動なんだろうなぁと思い、
胸につまされたりした。
入院して分かったことは、長く緊張した生活を送ってしまい、
自然な休息の取り方すらわからなくなってしまい、長年の疲労がたまっていたのだなぁと振り返ります。
だからといって、頑張る時には頑張るしかありません。
頑張ったことも、精神病院に入院させられたことも、良かったと思っています。
病院の先生が、主人にひるむことなく、等々と病気の説明をしてくださり、ヒロクニさんに理解が
芽生えたこととか、悪い出来事にもいつも良い面が隠されているなぁ~と思います。


私の独断の苦労話を描きましたが、
「どうとでもなれ」という言葉は、人生最大の窮地に立たされた時に、人を救う言葉かもしれません。
やっぱり、武内ヒロクニ先生は偉大かも。




ポークソテーを作ろうと思い立ってから、それを中心に考えたメニュー。
ポークソテーのお皿にのっている黄色いものは、キャベツのカレー粉茹で。
じゃがバタ、豆腐とわかめの味噌汁。たらこ。
焼き鳥(ジルくんの胸肉のご飯をつくる時にあまった、皮の部分で)
ちくわにきゅうりをつめたもの)大根の棒切は、金山時味噌で食べます。
焼き鳥の皮を串刺しにするのに以外と時間がかかった。けっこう難しい。
夕食を終えると今日一日が終わったという感じがするねと、2人で話します。



すてきなヒロクニさんの友人でもあり、私もお友達になった方が、
チューリップと胡蝶蘭を持って、遊びに来て下さりました。
ジルは怖がりで、ジルの心配もしてくれていたのにお客さんの前に姿現さず。
胡蝶蘭って、部屋の中に入れるととっても上品な感じで、いいなぁと眺めています。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒い日に出来上がった一枚の... | トップ | 武内ヒロクニの花とミステリ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事