武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

握りずしの巻

2009-08-12 23:54:34 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年2月5日(火)掲載のえ

寿司屋でコハダを探して三千里。

経済学で有名な金子勝さんは、経済も生もの。古い理論に沿って研究したり、それを神聖視して政策に応用していては何も変えられないと。駒込の自宅近くの「鮨金」に通うようになって30年近く。すし職人の本間輝夫さんが握ったすしを食べにいくときは、職人芸に触れられるから。伝統技術を持ちながらもそれにこだわらず、素材の種類や鮮度が変わるのに応じて技術を革新するすし職人の技は、自分の仕事と共通するものを感じると語ります。

握りずしのコハダを求めて、すし屋に体当たり!!
金子勝さんは、コハダの握りを例にとって話されていたので、買いに行くことにした。まず、手軽な店(値段の書いてある所)へ。表に値段が貼ってあり、値段も安い店で聞いてみた。「コハダねぇ。うちはないんすよ」と。「あ、でも、この路地の奥のすし屋にはあるかも知れませんねぇ」と教えてくれた。夕方で辺りは暗くなってきている。云われたととうりに行くと入口にクレジットカードの案内がたくさん貼ってあった。店の前はしーんと静けさがただよっている。なんとなく勇気がいる店だ。重たい戸を引くと、「お、いらしゃい」と威勢のいい声。カウンターに腰掛けてしまえばお客さんになるのは分かっていたが、もし、コハダがなければ、散財するだけになるのを恐れ「コハダはありますか?」と伺った。「持って帰りたいのですが・・・」と言った途端、「戸を閉めてくれまっか!」と来た。店の客は、ミンクの毛皮を来た中年女と初老の男のカップルと初老の男がカウンターに。3人にジロリと見られた。わたしも中年に入ったばかりなのに、お子様扱いで、諭すように何故関西にはないかと教えてくれた。店を出るとホッとした。1人ですし屋という体験は怖かった。そのすし屋は、店内に値段が全く書かれていなかった。

次の店へ
今度はもっと気軽そうな所に行こうと。ヒヤヒヤしたなぁと思い道を歩いていると、お持ち帰りの値段が張り出してあるすし屋の前を通りががった。これなら大丈夫と戸を開けた。やはりコハダはなく、その代わりイワシを絞めたものならあるということで、似ているので全体像をつかむのによし!ということで箱詰めにしてもらった。「卯の花をその上にちりばめるのが家流なんですが・・・」と云われたが理由を言って無しにしてもらった。待っている間、ちょこっと頼んだ。フッとネタを見たら、淀んだ色の魚の色が並んでいて「しまった!」と思いこわごわ食べることに。食べると普通だったのだけれど「家の寿司は、どうですか?」とすがるような目で聞かれすご~く困りあたふたとしてしまった。話を聞いていると阪神大震災以降、すっかり客が遠のいたそうで、その上、息子夫婦は店を継いでくれないのでと身の上相談になってしまって、なかなか席をたつことが出来なかった。とりあえず「自信を持って下さい」と言ってしまった。奥さんは涙を薄っすら溜められながら話すので、よっぽど辛く思っていることがあるのだなと思い、とにかく励ましてしまった。今でもどうされているのかなと思う時がある。見ず知らずのわたしに話すということは、よっぽど思詰めていらしゃったのだろうと思う。影に嫁姑の関係もあり大変そうでした。この頃は、姑さんが悩むのようです。

次の店にもアタック
帰途に着き最寄の駅で歩いて家に帰る途中でまたもや、すし屋に遭遇。いつも通り過ぎている店。入口からは中の音はせず、中が見えないようになっている。ところが、床15センチの下の部分はガラスになって見えるようになっていた。夜道で、周りが暗いことをいいことに、そのガラスの隙間から人が入っているか覗き、見たのである。3人くらいの靴が見えた。コハダ探しはここで最後とばかりに戸を開けた。この店では、関東で残ったものが時々まわってくるけど、今日はないとのこと。3日前にちょこっと入ってきてたんだけどという事でした。もう、3日前にあったというだけで、コハダに迫った気がしたわ。道で倒れたふりして地べたに顔を伏せて覗くという手段を使った甲斐がありました。

季節は冬。突撃「コハダ」を求めてすし屋を探検でした。

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