武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

街の目(色鉛筆作品紹介595)と 私の座禅

2021-03-19 12:23:00 | Weblog

画像が荒いので、写りが良くないのですが、近年のドローイングになります。元の画像が小さいのでそのようになっています。

この絵は、2月の個展に出品していました。

画家の方が、購入されて手元から離れた作品です。

タイトルは「目の街」と付けられています。

私は、「何かが見ている。」

それも、「大きな何かが見ている。」

そんな目かもと漠然と思いました。

ヒロクニさんは、

「絵って、見つけないといけないものがある。

 溜め込んできたものがあるんよ。」と、言ってアトリエで制作中です。

 

 

私は、3月から、とにかく15分座れという座禅を始めています。

実行出来た日は、カレンダーに○印を付けています。

ヒロクニさんは、禅寺の壁画を描いたりしたことがあるくらいなので、始めの頃、「座禅をしよう。」と言われて、胡座を組んで一緒に座っていました。

「こんなことするのね!」と、驚きでした。

精神なんて修養することは、全く考えてなく、ただ座っているだけ。

そんなまねごとをした時があった。

ヒロクニさんは、もうそんな時間を送ったことは、忘れていて、絵画制作と肩こりの行ったり来たりの生活で、アトリエでの制作と食事と寝る生活になっていて、とてもシンプル。

急に、私が、禅のことを聞くと、「それはね・・・。」と簡単に答えてくれる。禅寺に出入りしていた頃に、ヒロクニさんが勉強したことについては、ヒロクニさんは割と的確な答えをしてくれます。

私も長い間、そういうことは忘れていました。

ところが、近年「唯識(ゆいしき)」に興味をもったり、その周辺のことを知りたい気持ちが出てきています。その関係の本とかは、正直言って読んでもまるで理解できないと思っている。特に仏教のものは、漢字が難しく、漢字の意味をすぐ忘れてしまうので、読んでも意味を正しく把握できない感じもするし、読んでもすぐ忘れる程度の知能しか、私にはないと思う。それに仏教を信仰するつもりでもないのです。どちらかというと、探求したいという気持ち。探求心の方が強い。

そこで、座禅とは何か?

「それは、ただひたすら座ることである。」という言葉があって、

それを「とりあえず15分毎日座る。」に置き換えてみた。

精神に付加をかける、15分の座禅。

これを持って、新しい時代にむけての精神修養としようと決めたのです。

(大げさですいません。)

ほんと、とにかく15分座るだけ・・・・。

始める前は、ヒロクニさんに「15分座禅するので、話しかけないでね。」と声をかけておく。ピピ(猫)にも「ピピもおりこうにしていてね。」と。

座布団を折りたたんで、それをお尻の部分を高くするのに使い、背筋を伸ばし、足を組み、一応、印も結んでおく。光をイメージするのに、よく分からないから、頭に蛍光灯をあて目をつぶって、これが光のイメージと記憶しておく。頭に蛍光灯あて、光をイメージする方法は、私があみだした新手の手っ取り早い方法で独自のもの。現実味があっていい感じである。

スタンバイOKで、15分です。

とりあえず、よくない頭でいろいろとりとめもないこと考えていて、いや、頭が悪いから考えがとりとめもなくなるのか?自分を空っぽには出来ない・・・・。その浮かぶ考えすらはっきりしていない。あっちこっちと思うことが飛ぶのです。しかし、頭は常に何か考えているようなのです。そういうことを感じでいると、背筋を伸ばしているつもりなのに、曲がってきていたりする。背筋だけでも伸ばしていようと思って、元通りにする。その瞬間、すこし気持ちがまとも。2秒ぐらいか・・・・。

「とりあえず、15分ぐらい出来るだろう?」と。座るだけなら・・・。

私の中の私に語りかけ、「頑張れよ!」と掛け声をかけますが、ヒロクニさんは、おいおいどうしたんだ?と怪訝な顔で見ています。

そんな事は無視して座っていますが、アトリエから「さほり、何してるの?」と何回も呼ぶ声が聞こえる。何回も言うから、「座っている。」と答えたが、“す”が聞こえないのか、「何が、わって入って来るんだ?」と、質問されたりして、イライラして来る。大きな声で、「座っているの!」と言うと、やっと伝わったようでした。(もう、この時点で座禅は台無しです。)

やっと集中出来ると思い、気持ちを持ち直していると、今度はピーちゃん(猫)が、私の前に来て、やたら鳴く。鳴いてもダメだと思ったのか、体当たりで、スリスリしてきます。とても気になる。

タイの僧侶が座禅をしている時にも、甘えて擦り寄って来る猫を無視しようとしているが、無視出来ない僧侶が、頭をさわってしまう動画を思い出した。もう、頭はいろんなことで、一杯になってしまっています。

こういう私から脱出するのだ!!

強い思いで、15分ぐらい日常からの脱出をもくろんでいます。

そんなことを思っていると、たまたま買った本に座禅の仕方が載っていました。

この本は、基本的には、哲学の本だと思い買いましたが、何故か座禅のやり方が簡単に書いてありました。思いというのは、引き寄せることがあると思っていますが、座禅に関心がる時に偶然、座禅の仕方がバッチリ書いてあるなんて・・・・と驚いています。書かれている内容の一部ですが、

「誰にも邪魔されないこと」と書かれていて、この部分だけで、私は、終わっていると思いました。

「場を清めること」とも。掃除を怠る私は、この部分だけで終わっているかもと。

また、座禅ではない箇所なのですが、気になる箇所として、

「男より女の方が力を持つ様になった。(中略)その結果として、嫁ぎ先の先祖を大切にしない嫁が急増し、この種の統合もうまくいかない傾向にある。(中略)日本人は幸せになることは出来なくなるだろう。男女の力の差が明らかに女が上の時代になっているからだ。男の暴力はすぐにニュースとなるが、女の暴力はすべて無視されているからだ。その小言悪口の類は、夫の何十倍も妻からが多い。これでは、破綻へ向かうしかない。」

とあり、小言をよく言う私は、気をつけないと!と、自身を省みた。

最近も、ヒロクニさんに説教をしてしまったが、説教も小言なのか?と思い悩みます。

その説教の内容なのですが、ヒロクニさんは、「この土地に俺は合わないのだ。こんな寒い所。」こういうことを、何度も言う。春になってきている今でも。

その姿を見たら、半袖のTシャツを着て言っているのだ。

私は、「もっと厚着をしないと。半袖を着て、ストーブを炊くなんて・・・。不経済な!」

「こんな寒い所・・・、俺のDNAには合わないんだ。もっと暖かい所へ住まないといかん!」と言う。

私は、「私に気温のことを言ってもどうにもできませんよ。何処に住むのですか?これ以上、私にはどうにもできませんよ。たまには、自分で解決してみつけたら?そんなに言うのだったら、たまには自分で行動して問題を解決してみては?私に言われてもどうにもできません。」

「あなたは、置かれている状況に感謝がないの!喉元すぎれば忘れるってやつ。後先考えない、つまり頭が悪いってこと。さすが熱い所生まれだけあるわ。DNAだよね。」と言い捨てる。

私も口が悪い。

だけど、ヒロクニさんて、こういう事を言われても「全く傷つく」ということがないのです。他の人からも暴言を浴びせられたりしている。「勝手に野垂れ死んで下さい。」とかも言われても、「あの人きついねぇ~。」と、飄々として、普通に接しています。ヒロクニさんて、「傷ついた。」と言ったことがない人なんです。

そこで、「ヒロクニさんって、あまり傷ついたりしないよね?」と聞いてみた。

答えは、「傷つかないと云うわけではないのだけど、傷ついて落ち込んで3日も過ごすとか、バカバカしいでしょ。そう思ってるの。」でした。

小言を言っている時、私は生きてるという実感が充実しているのです。

とてもまっとうな気持ちになります。

困ったことです。

またまた、話題が脱線しそうなのでこの辺で。

 

ひっつき虫のピピちゃんです。↓

↑台所がとても好きになったみたいで、すぐ来ます。

撫でて欲しいようで、近くで座ります。

↑いかなごのくぎ煮を作ってから、台所にはいい物がある!と思っているのか、

台所に私が行くとついてきます。そしてウロウロ。

冷蔵庫を開けると、すぐその下にやってきたりします。

↑玄関を見つめるピピちゃん。

この場所にいる時は、いつも目が丸い。

この場所にいる時のピピの顔、愛らしくって好きなのです。

↑庭ではヒヤシンスが。

これは、初めて買ったヒヤシンスで、“デフォルト・ブルー”という種類。

ガーデニングを始めるきっかけになった球根です。

30個の球根が安くなっていたので、まとめて同じ種類を購入したのです。

とても立派なヒヤシンスが30個咲いた時は、圧巻でした。

毎年、堀あげて、今でも育てていますが、球根が小さくなっていって、あまり花をつけません。

その中で、この2本だけがいつも花を咲かせてくれます。

ムスカリも少しづつ花を付けようとしています。

 

 

 

コメント (2)
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