画像が荒いので、写りが良くないのですが、近年のドローイングになります。元の画像が小さいのでそのようになっています。
この絵は、2月の個展に出品していました。
画家の方が、購入されて手元から離れた作品です。
タイトルは「目の街」と付けられています。
私は、「何かが見ている。」
それも、「大きな何かが見ている。」
そんな目かもと漠然と思いました。
ヒロクニさんは、
「絵って、見つけないといけないものがある。
溜め込んできたものがあるんよ。」と、言ってアトリエで制作中です。
私は、3月から、とにかく15分座れという座禅を始めています。
実行出来た日は、カレンダーに○印を付けています。
ヒロクニさんは、禅寺の壁画を描いたりしたことがあるくらいなので、始めの頃、「座禅をしよう。」と言われて、胡座を組んで一緒に座っていました。
「こんなことするのね!」と、驚きでした。
精神なんて修養することは、全く考えてなく、ただ座っているだけ。
そんなまねごとをした時があった。
ヒロクニさんは、もうそんな時間を送ったことは、忘れていて、絵画制作と肩こりの行ったり来たりの生活で、アトリエでの制作と食事と寝る生活になっていて、とてもシンプル。
急に、私が、禅のことを聞くと、「それはね・・・。」と簡単に答えてくれる。禅寺に出入りしていた頃に、ヒロクニさんが勉強したことについては、ヒロクニさんは割と的確な答えをしてくれます。
私も長い間、そういうことは忘れていました。
ところが、近年「唯識(ゆいしき)」に興味をもったり、その周辺のことを知りたい気持ちが出てきています。その関係の本とかは、正直言って読んでもまるで理解できないと思っている。特に仏教のものは、漢字が難しく、漢字の意味をすぐ忘れてしまうので、読んでも意味を正しく把握できない感じもするし、読んでもすぐ忘れる程度の知能しか、私にはないと思う。それに仏教を信仰するつもりでもないのです。どちらかというと、探求したいという気持ち。探求心の方が強い。
そこで、座禅とは何か?
「それは、ただひたすら座ることである。」という言葉があって、
それを「とりあえず15分毎日座る。」に置き換えてみた。
精神に付加をかける、15分の座禅。
これを持って、新しい時代にむけての精神修養としようと決めたのです。
(大げさですいません。)
ほんと、とにかく15分座るだけ・・・・。
始める前は、ヒロクニさんに「15分座禅するので、話しかけないでね。」と声をかけておく。ピピ(猫)にも「ピピもおりこうにしていてね。」と。
座布団を折りたたんで、それをお尻の部分を高くするのに使い、背筋を伸ばし、足を組み、一応、印も結んでおく。光をイメージするのに、よく分からないから、頭に蛍光灯をあて目をつぶって、これが光のイメージと記憶しておく。頭に蛍光灯あて、光をイメージする方法は、私があみだした新手の手っ取り早い方法で独自のもの。現実味があっていい感じである。
スタンバイOKで、15分です。
とりあえず、よくない頭でいろいろとりとめもないこと考えていて、いや、頭が悪いから考えがとりとめもなくなるのか?自分を空っぽには出来ない・・・・。その浮かぶ考えすらはっきりしていない。あっちこっちと思うことが飛ぶのです。しかし、頭は常に何か考えているようなのです。そういうことを感じでいると、背筋を伸ばしているつもりなのに、曲がってきていたりする。背筋だけでも伸ばしていようと思って、元通りにする。その瞬間、すこし気持ちがまとも。2秒ぐらいか・・・・。
「とりあえず、15分ぐらい出来るだろう?」と。座るだけなら・・・。
私の中の私に語りかけ、「頑張れよ!」と掛け声をかけますが、ヒロクニさんは、おいおいどうしたんだ?と怪訝な顔で見ています。
そんな事は無視して座っていますが、アトリエから「さほり、何してるの?」と何回も呼ぶ声が聞こえる。何回も言うから、「座っている。」と答えたが、“す”が聞こえないのか、「何が、わって入って来るんだ?」と、質問されたりして、イライラして来る。大きな声で、「座っているの!」と言うと、やっと伝わったようでした。(もう、この時点で座禅は台無しです。)
やっと集中出来ると思い、気持ちを持ち直していると、今度はピーちゃん(猫)が、私の前に来て、やたら鳴く。鳴いてもダメだと思ったのか、体当たりで、スリスリしてきます。とても気になる。
タイの僧侶が座禅をしている時にも、甘えて擦り寄って来る猫を無視しようとしているが、無視出来ない僧侶が、頭をさわってしまう動画を思い出した。もう、頭はいろんなことで、一杯になってしまっています。
こういう私から脱出するのだ!!
強い思いで、15分ぐらい日常からの脱出をもくろんでいます。
そんなことを思っていると、たまたま買った本に座禅の仕方が載っていました。
この本は、基本的には、哲学の本だと思い買いましたが、何故か座禅のやり方が簡単に書いてありました。思いというのは、引き寄せることがあると思っていますが、座禅に関心がる時に偶然、座禅の仕方がバッチリ書いてあるなんて・・・・と驚いています。書かれている内容の一部ですが、
「誰にも邪魔されないこと」と書かれていて、この部分だけで、私は、終わっていると思いました。
「場を清めること」とも。掃除を怠る私は、この部分だけで終わっているかもと。
また、座禅ではない箇所なのですが、気になる箇所として、
「男より女の方が力を持つ様になった。(中略)その結果として、嫁ぎ先の先祖を大切にしない嫁が急増し、この種の統合もうまくいかない傾向にある。(中略)日本人は幸せになることは出来なくなるだろう。男女の力の差が明らかに女が上の時代になっているからだ。男の暴力はすぐにニュースとなるが、女の暴力はすべて無視されているからだ。その小言悪口の類は、夫の何十倍も妻からが多い。これでは、破綻へ向かうしかない。」
とあり、小言をよく言う私は、気をつけないと!と、自身を省みた。
最近も、ヒロクニさんに説教をしてしまったが、説教も小言なのか?と思い悩みます。
その説教の内容なのですが、ヒロクニさんは、「この土地に俺は合わないのだ。こんな寒い所。」こういうことを、何度も言う。春になってきている今でも。
その姿を見たら、半袖のTシャツを着て言っているのだ。
私は、「もっと厚着をしないと。半袖を着て、ストーブを炊くなんて・・・。不経済な!」
「こんな寒い所・・・、俺のDNAには合わないんだ。もっと暖かい所へ住まないといかん!」と言う。
私は、「私に気温のことを言ってもどうにもできませんよ。何処に住むのですか?これ以上、私にはどうにもできませんよ。たまには、自分で解決してみつけたら?そんなに言うのだったら、たまには自分で行動して問題を解決してみては?私に言われてもどうにもできません。」
「あなたは、置かれている状況に感謝がないの!喉元すぎれば忘れるってやつ。後先考えない、つまり頭が悪いってこと。さすが熱い所生まれだけあるわ。DNAだよね。」と言い捨てる。
私も口が悪い。
だけど、ヒロクニさんて、こういう事を言われても「全く傷つく」ということがないのです。他の人からも暴言を浴びせられたりしている。「勝手に野垂れ死んで下さい。」とかも言われても、「あの人きついねぇ~。」と、飄々として、普通に接しています。ヒロクニさんて、「傷ついた。」と言ったことがない人なんです。
そこで、「ヒロクニさんって、あまり傷ついたりしないよね?」と聞いてみた。
答えは、「傷つかないと云うわけではないのだけど、傷ついて落ち込んで3日も過ごすとか、バカバカしいでしょ。そう思ってるの。」でした。
小言を言っている時、私は生きてるという実感が充実しているのです。
とてもまっとうな気持ちになります。
困ったことです。
またまた、話題が脱線しそうなのでこの辺で。
ひっつき虫のピピちゃんです。↓
↑台所がとても好きになったみたいで、すぐ来ます。
撫でて欲しいようで、近くで座ります。
↑いかなごのくぎ煮を作ってから、台所にはいい物がある!と思っているのか、
台所に私が行くとついてきます。そしてウロウロ。
冷蔵庫を開けると、すぐその下にやってきたりします。
↑玄関を見つめるピピちゃん。
この場所にいる時は、いつも目が丸い。
この場所にいる時のピピの顔、愛らしくって好きなのです。
↑庭ではヒヤシンスが。
これは、初めて買ったヒヤシンスで、“デフォルト・ブルー”という種類。
ガーデニングを始めるきっかけになった球根です。
30個の球根が安くなっていたので、まとめて同じ種類を購入したのです。
とても立派なヒヤシンスが30個咲いた時は、圧巻でした。
毎年、堀あげて、今でも育てていますが、球根が小さくなっていって、あまり花をつけません。
その中で、この2本だけがいつも花を咲かせてくれます。
ムスカリも少しづつ花を付けようとしています。
東京タワーとスカイツリーは東京のシンボルタワーの代表だと思いますが、私は断然東京タワーが好きです。東京の中央で、333mの高さから東京を見つめているように思えます。
そのイメージとこの作品が合いました。見ていると、身が引き締まるような気がします。「天網恢恢疎にして漏らさず」のように感じます。
15分の座禅、その発送と光のイメージ方法について、なるほどと思いました。身近なところから禅の思想を実践することができるのだな、と新鮮でした。
私は、真夜中に目が覚めたとき、再度眠るまでにネガティブなことを考えがちだと少し前から感じ、そうならない方法を考えていました。
ネガティブなことを考えずに再度眠りにつくにはどうしたらよいのかな?と考え、今、していることは、何も考えずに「瞑った瞼の奥に視えるもの」をひたすら追い続けるという観念的なことです。
私は座禅をしたことがないのですが、そんな感じなのかな、と思いながら読みました。
「15分座禅」のときの、ヒロクニ先生やピピちゃんの横やり(誘惑?)。さほりんはすごくイライラしますよね~と思いながらも、ほほえましくて笑ってしまいました。
ピピちゃんはきっと、「言われたのだから、お利口にしなきゃ!」と頑張っている思うのですが、我慢できなくなっちゃうのかな、と(笑)
猫は、ヒトが思っている以上に言われたことを理解していると思っています。ピピちゃんの葛藤を想像すると、愛らしいなあと思います。
「小言を言っているとき……」のくだり、ヒトの感情で生命力に一番効果的なのは、怒りの感情だと思います。小言と怒りは似ているかな?と。
女性は「生命力が強い」という、ヒトの存続に対して重要な役割を担っていると思います。
その副産物として、強くなったり小言を言ったり、ということなのかなと、考えます。
ヒロクニ先生の「傷ついて落ち込んで~バカバカしいでしょ。」も激しく同意しました。とはいえ、「バカバカしい」と思っても落ち込んでしまうことが多々あるので、私はまだまだ修行が足りません。
ピピちゃんは、台所はもちろんですが、それよりもさほりんが好きなのではないかなと思いました。
あごの下をなでられている画像、ピピちゃんの視線はさほりんにまっすぐで、すごく「好き好き光線」が出ていると感じました。
ピピちゃん、好奇心がたっぷりで生命力があふれていますね。
ヒヤシンス、しばらく実物を見ていなかったのですが、以前より心に響く美しさを感じました。
30個が咲いた姿を想像しました。そんなにたくさんのヒヤシンスが咲いた光景は見たことがないですが、「圧巻」と湧きあがる香りを感じました。
東京タワーに思えるとのこと、成るほどと思いました。私は、高圧線の鉄塔のようなイメージを持っていました。線の×の描き方が印象的な作品だと。それと、大きな目。「天網恢恢疎にして漏らさず」とは、うまく言いますね。感心しました。世の中、そうあって欲しいです。
この座禅のやり方は、自分で分かる範囲というか、手前勝手なところもあるので、正しい座禅でもないような気がするのですが、今の私には、これでいいと思ってしている、私の好きな「現実的」なやり方です。とにかく、気持ちが落ち着いているという日常が少ないので、いいかも?と。
ネガティブなことって、どうしても心が囚われます。私なんか、その事に集中する傾向すらあります。気分転換が非常に難しい。心ってままならない。そういう意味では、ヒロクニさんはフットワークが軽いので、えっ!て思うことが多い。暴言を言われても、何処吹く風で・・・。見習いたいが、そんな暴言を言われる人にも成りたくないかも。
複雑です。
ともりんは、猫ちゃんの気持ちがよくわかるのですね。確かに、じゃましてくるのは10分経った頃です。もういいかな?と思う時間なんでしょうね。猫ちゃんは、私も言葉が分かると思っています。特に、「お留守番していてね。」と言うと、寂しそうな感じで、しんみりしています。
確かにピピちゃんは、私の事が大好きなよう。ヒロクニさんも「ピーは、さほりが好きなんだなぁ~。」と、ピピによく話かけています。ともりんは、猫の気持ち博士のようです!(笑)
やっぱり女性は、現実を生きる面で強いかも。男性は、現実だけでは満足出来ないような気がします。その代わり、何らかの精神性を重んじるというか・・・。そこを、女性の現実の欲望のみで、押しつぶしてはいけないのだろうと、我家の場合は、そう思います。人それぞれだとは思いますが。今は価値観が多様になったから、かえってややこしくなっているのかも。
だからと言って、我慢ばかりも良くないので、この時とばかりに言う、小言は、私の生命の証し?なのでしょうか。反撃する時って、やりがいを感じるわ。ともりんの言う「生命」の意味と合致するかな?
このヒヤシンスは、匂いは少ない方なんです。色はきれいなのですが。ターシャ・テューダーの庭の本をヒロクニさんがプレゼントしてくれて、このヒヤシンスがたくさん咲いている写真があって、いいなァと眺めていました。それが、ガーデニングのきっかけなんです。ヨーロッパの方と思い込んでいましたが、アメリカ人なんです。
今日は、長い返信になってしまいました。
いつもありがとう!