「TOWN」というタイトルの絵。
15cm×19cmの小さな作品。
固めの鉛筆で描いた、カリカリとした線が印象的です。
空間が多次元になっていて、左の部分に波が描かれている。
やはり、ヒロクニさんの愛する神戸の街なのかもしれません。
骸骨の部分は、煙草の箱をコラージュしています。
骸骨は、ヒロクニさんの絵によく出てきます。
骸骨柄のスカーフもしたりするぐらい。
好きなんだと思います。
ヒロクニさんは、幼少の思い出をよく話します。
夕方、大体4時ぐらいに話すことが多い。
防空壕の思い出は忘れられないようで、「防空壕も奥へ行くと土の匂いが凄くて、土の匂いというのを強烈に感じたねぇ。」とか、
「母親が子供を引率しているでしょ、母親は外に出て様子を見ているのだけど、俺もくっついて一緒に出てみると、空中戦をやっていてね、小さく見えるのだけど、やりあっている内に一方が落ちるんだよ。不思議な光景だったねぇ。」と。
頭の中でありありとその情景が浮かぶのでした。
また、「子守に、サヨちゃんていてね。サヨちゃんにいつもおんぶされていて、
さほりは、そのサヨちゃんの面影があるのだよ。」と。
「ケンちゃんという子守と、サヨちゃんにおんぶされている時に、アメリカ兵が空から狙い撃ちされて、その時に2人が俺をかばいながら逃げるのだけど、フッと空を見たら、笑っているアメリカ兵の顔が見えてねぇ。」と、その顔が浮かぶそうである。
その話を「しあわせ食堂」を出版してくださった光人社の社長さんにしたら、「それは、殺すつもりはなくて、弾を減らして重量を軽くするために遊びで撃ったのでしょう。」と、理由が分かったのでした。
私は、子守のサヨちゃんのイメージがあるそうです。
この話を聞いた時、私が思ったことは、
「何で私の過去の姿に類似しているの?」でした。
私は、幼い弟をおんぶして過ごした時期があるのです。
乳児の弟を保育園に自転車で迎えに行き、その後、弟の世話をするわけですが、私も子供なのでやりたい事がたくさんあるので、母のおぶい紐を使って弟を背中に。そして、洗濯物を取り込んでたたみ、ご飯をとぎ、勉強をしたり、絵を描いたりと。外へ行くのにも弟をおんぶして。
私は、ヒロクニさんから「サヨちゃんのイメージがある」と言われた時は、正直ギョッとしました。「何で知ってるの?」という感じです。鋭すぎるとも。
その頃の写真を見ると、弟をおんぶしていて子供なのに十分所帯やつれしている。笑顔なんですが、戦後みたいな感じで怖かった。時代は高度成長でほんわかしていた頃で、お友達の家に行くと、スチールの学習机に地球儀が置いてあってという時代なので、時代がおかしく感じるのです。
その写真は、見つけた時に破り捨てておいた。
しかし、一番下の弟の面倒はよく見たもので、参観日も行ったりして、さしずめ子供PTAのような私。制服の採寸も付き添ったりしていました。弟が乳児の頃は、おしめも取り替えたし、ミルクも時間とおりにあげたり、泣けば抱っこしたり、「もう、子供を育てられるよね。」と思ったくらい世話しました。そんな潜在的なことまで、イメージするヒロクニさんって何者なわけ?と、忘れていた過去がよみがえったのでした。
幼児の頃は、しつけまでうるさく言い、どぶ川に浸かっている弟を見たら、怒鳴って注意したり、怪我してくると消毒してヨウドチンキを塗ったり、中学生になったら、時々お弁当まで作ってあげていた。母は何をしていたのでしょうか?と大人になって疑問に思うことがあります。
その弟は、けっこう私の事を思ってくれているようで、引越しの手伝いをしてくれたり、「オネエの頼みやったら聞く。」とも言ってくれていて、私をからかいながら、40も過ぎている私に正月に「お年玉いる?」とか聞いてきたことがもありました。「えっ、お年玉くれるの?お年玉の年齢でもないのに?」というと、「じゃあ、いらないんだぁ~。」と言ったりして、「いや、やっぱりいります。」と私に言わせます。その上、恩着せがましくいうあたりがいいのです。弟だから・・・。その年は、上の弟もお年玉を用意してくれていました。貧窮していると思っていたのでしょうね。世話をしたことが潜在意識に組み込まれているのでしょうか?お世話の思い出と共に、お年玉を思い出します。
私は、元々、世話焼きな所があるようです。
典型的な長女のようです。
今は、ヒロクニさんのお世話をしている私がいる。
世の中うまく出来ているという事でしょうか?
ヒロクニさんの言う「サヨちゃんのイメージ」から、過去の私姿を暴露するになってしまいました。弟をおんぶして笑顔で写っている写真は、私に取っては「どこの貧民なわけ?」という写真でした。時代の雰囲気がおかしいのです。
破り捨てたからいいけどさ。
冗談が好きな、禅寺の和尚さんは、
「ヒロクニさんは、あんたにしがみついている“子泣き爺”みたいなっものやって。」と、冗談交じりに言います。
子泣き爺って、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるよね。
民族学者・柳田國男は、『泣いている子泣き爺を見つけた通行人が憐れんで抱き上げると、体重が次第に重くなり、手放そうとしてもしがみついて離れず、遂には命を奪ってしまうとされている。書籍によっては、子泣き爺は石のように重くなることで抱き上げた人間を押し潰すなどと記述されている。』となっています。
和尚さんへ言います。
「恐怖を味わせないでね。」
久々に刺繍を。
↑個展が終わり、日常をを取り戻し、刺繍もしていました。
これは、イギリスの古典柄で絵巻物のようになった刺繍の作品があるのですが、部分を抜粋して、ブック・カバーに。ダイアリーのようなノートにカバーしてあるので、「D」の頭文字を何処かへ入れるつもり。まだ、書体を決めてないので、これから刺します。
糸の埋め方が、今はあまり使われないステッチでやってみました。
刺繍というもの不思議なもので、単調で延々と同じ刺し方のくり返しが続くのですが、この作業をしている時の瞬間に、祈りに近いしいものを思う時が時々あり、「あれ?」と思う時があります。やはり、中世、古典柄のものをしていると、そう思うことがよくあります。
「形がいい。」と思いながら刺していました。
↑こちらは、ピピちゃん。
人が何か食べていると点検しにきます。
おかきなのですが、食べるそうです。
上げなかったけど・・・・。
代わりにチュールをあげました。
しかし、最近性格が変わったように感じます。
積極的というか、かまって欲しい欲求の表現が強くなったというか、
私の後を付いてまわり、歩く足に絡みそうなんです。
声も大きくなって、ピ、ピ、ピという小鳥のような鳴き声もしなくなって、
「ニャーン、ニャーオン」と。
そして、抱いたら大人しくなる。
そして、じーと顔を見るのです。
自分の方を見て欲しいのが分かります。
何だか、ヒロクニさんと性格が似てきているような感じ。
2人とも、かまってちゃんのようです