街に身体をこすり付けるように、神戸の街を愛したヒロク二さんは、人から頼まれてマッチのデザインをすることが多かった。手元にあるマッチはヒロク二さんの洋画家時代にしたものらしい。今は、マッチがある店は皆無になってしまい、マッチのデザインを楽しむという楽しみがなくなってしまった。レトロなヒロク二さんのマッチのデザインはどうだろうか?
19歳の時に本格的に画家をめざしたヒロク二さんは、27歳ぐらいまで油絵を描くのです。この油絵を描いていた頃に作られたマッチです。バーでなく、洋酒と書かれた文字をみると時代を感じます。この頃は、まだまだ、ロック歌手のマドンナもいないし、「マドンナ」という言葉の響きも違っていたはず。吉永小百合さんのファンをサユリストと呼んでいたような感じか?
ヒロク二さんは、淡路島の洲本の医者、島太郎氏がパトロンについて絵を描いていた頃だ。この喫茶店は、島太郎が経営していた喫茶店で、芸術家のサロンだったらしい。このデザインを見るとヒロク二さんは、昔も今も絵自体は変わっていないような気がする。このマッチは、わたしの気に入りです。
これも、喫茶ロダンのマッチのデザインだ。このデザインをみると「グループ位」という現代美術に関わる前の頃というのが分かる。ヒロク二さんが、「ワッポオペレーション」という作品群に向かっていく様子がつかめる。アンデパンダンが立ち上げられて、芸術や絵画が実験的になっていく過程の頃のデザインだ。
ヒロク二さんにとっては、切っても切れないジャズ喫茶。音楽を聴きながら、煙草とコーヒーでくつろぐだけではなく、仲間達との交流の場でもある場所。このデザインを見ると、60年代のはじまりが感じられる。
このデザインは、現在サロンド・ルー・サロメのお店をされている友人のお店のマッチのデザイン。右側の、カフェレストランと書かれた文字はヒロク二さんの直筆。ヒロク二さんの文字はなかなかいいと思いません?
このマッチは、アメリカ村でヒロク二さんと一緒にコーヒーを飲んでいたら、ヒロク二さんが広げていたスケッチを店のオーナーが見て「マッチに使わせて欲しい」と云われて出来上がったマッチ。このマッチは、大阪市中央区西心斎橋1-4-5、御堂筋ビルB1Fにある「マンゴー シャワー カフェ」という店で貰えます。アジアンテイストなお店でベトナム料理をアレンジした不思議カフェ。つい、勢いに乗って、この絵をアレンジしてTシャツを作って売ったことがあります。若い人や外国人に人気でした。元町の高架下のお店に卸して店売りしていました。
このマッチのデザインだけ、63歳の時にしました。一番新しいデザインということです。