梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

弥生も半ば

2008年03月14日 | 芝居
ホワイトデーの本日は歌舞伎座3月興行の<中日>でした。
昼の部で楽屋を去る身にとって、今月は日が経つスピードが速いように感じられます。このぶんでは、千穐楽を迎えるのもあっという間なのでしょうね。一方では、久しぶりのノンビリとした<自宅生活>を満喫しておりますが、こちらのほうはできれば長~く続いて欲しい…。

さて、来月は師匠はお休みですが、私は御園座4月興行に出演させていただくことになりました。まだお役はわかりませんが、久しぶりの名古屋生活を楽しみながら、しっかり舞台を勤めたいと思います。

研修生晴舞台

2008年03月13日 | 芝居
今日は第19期歌舞伎俳優研修生の、1回目の発表会が国立劇場小劇場でございました。
第13期歌舞伎音楽(鳴物)研修生の修了発表会とあわせて開催されたもので、歌舞伎俳優研修生は歌舞伎実技『寿曽我対面』、長唄『小鍛冶』、舞踊『元禄花見踊』、そして立廻り『基本の型』の4演目を発表。
私は出番の合間に舞踊『元禄花見踊』だけ拝見することができました。
9人の研修生と1人の聴講生、計10名が一生懸命勤めておりました。客席から観ていて、ついつい11年前の自分たちの発表会のことなど思い出してしまいました。

前期研修から、研修期間が2年間から3年間となりました。今回の発表会は、そんな長い長い修行の道のりの最初の一歩なのですね。どうか現研修生の皆さんには、たゆまず頑張っていって欲しいと思います。

こんなところも…

2008年03月10日 | 芝居
1月に『助六由縁江戸桜』、今月は『廓文章』が舞台にかかり、奇しくも成駒屋(福助)さんが揚巻・夕霧と、東西の芝居の代表的な<傾城>役を続けてお勤めになっていらっしゃいます。

どちらも<伊達兵庫(だてひょうご。立兵庫とも言う)>という髪型で、様々な遊女の鬘の中でも一番豪華で、そのぶん重さもある鬘ですが、簪(かんざし)、笄(こうがい)といった挿し物は、両者それぞれに違いがございます。
1月『助六』上演時に、床山さんに教えて頂くまで存じなかったのですけれど、笄の先端部分が、東は耳かき状、西は三味線の撥状になるのだそうで。たしかに西の芝居である『廓文章』の夕霧の笄はそうなっておりました。



「東西の笄の先端部の違い」図は笄の先端部を描いたものです。髪に挿す下端部分は省略しました。

なお西の笄には、図に示しましたような紋が入るものと、入らないものがございます(『封印切』の梅川など)。
あと、夕霧の鬘の飾り物で言えば、銀でできた細い板が幾つも縦に連なった(縄のれんみたいな)<襟摺り>や、髷の根元に巻き付けてある、浅葱色と鴇色の鹿の子絞りのきれも特徴的ですね。こういう飾りの仕方は、こってりたっぷりとした上方の風情ならではのもので、東ではなかなかお目にかかりません。

紫縮緬の<病鉢巻き>は飾り物ではございませんが、夕霧というお役とはきってもきれない、大切な<風情>を出すアイテムですね。芝居の最後で、伊左衛門の勘当が解けた喜びに気鬱の病も晴れたということで、この鉢巻きを外して、打掛も着替えるのですが、このくだりでご用事を勤めますのが、今月の私の仕事。だんだん手慣れてはまいりましたが、なかなか緊張はとけませんな…。

町角でひと踊り

2008年03月09日 | 芝居
夜の部『江戸育御祭佐七』の序幕は、神田明神のご祭礼に賑わう鎌倉河岸です。
お神酒所に、佐七、小糸をはじめ、大勢の鳶の者、町人たちが集まって見物するのが『道行旅路花聟』の所作事。浴衣姿に手拭をかぶった本職のお囃子さんや清元ご連中の皆様が、ストーリー中の登場人物として演奏を披露し、それにあわせての余興の踊りとして、劇中浄瑠璃が進行いたします。

祭礼のおりに余興として演じられる踊りの演し物を、<地走り>と申していたそうですね。地元の人が稽古をして、お囃子の屋台とともに町を巡回し、ほうぼうで演じてみせてはご祝儀をもらっていたようです。お店の見世先や広場など、呼び入れればどこでも披露してくれるのですが、そのときの呼び声は「所望じゃ所望じゃ」がお定まり。これを合図に踊りがはじまります。

…このしきたりが活かされたセリフが、実は『鈴ヶ森』の冒頭にございます。駕篭からおりた白井権八が、大勢の雲助に囲まれます。ひとりの雲助が、マァ一服と煙管を勧めますが、権八は「拙者煙草は所望でござらぬ」と断ります。
これをきいた雲助、「なんだ所望でねェ? 煙草が祭に出やァしめぇし」と憤慨するのですが、これはつまり、たかが煙草を断るのに、「<所望>でない」なんて気障な言葉遣いをした権八に対して、祭の地走りのときみてェな口を聞くんじゃねェ、という、洒落が効いたセリフなんです。

<地走り>をキーワードに結びつく『鈴ヶ森』と『お祭り佐七』が、おなじ夜の部で上演されているのも不思議な偶然ですね。

ちなみに『お祭り佐七』の<地走り>は、いつもですと子役が演じるところなのですが、今月は、芸者が演じているという設定にいたしまして、お軽、勘平、伴内の3役は、みな女形の名題俳優さんがお勤めになっております。女が踊っている設定なのですから、伴内サンも妙にナヨッとしているわけです。

10年前(平成10年)の團菊祭でこのお芝居がかかりましたときが私の初舞台でございましたが、実は、この<地走り>で勘平と所作ダテを演じる<祭の花四天>が、私のデビュー役でした。勘平役は三河屋(團蔵)さんの息子さんの茂々太郎さん、お軽と伴内は、明石屋(友右衛門)さんのところの廣太郎さん廣松さんご兄弟でした。ご兄弟とは藤間の御宗家のお稽古場でご一緒になることが多いのですが、あの頃を思い出すにつけましても、「月日の経つのは早いもの」でございますよ、ホントに…。

後輩が頑張ってます

2008年03月08日 | 芝居
国立劇場3月歌舞伎公演、午後7時からの部を拝見してまいりました。

『歌舞伎へのいざない』と『芦屋道満大内鑑~葛の葉子別れ~』の2本だて。休憩を含めても2時間でおさまるコンパクトな構成です。
東京では初となる京屋(芝雀)さん主演の『葛の葉』は申すまでもなく、『歌舞伎へのいざない』がなかなか凝った作りで面白かったです。解説役の紀伊国屋(宗之助)さんが、かぶきの祖、出雲の阿国と一緒に歌舞伎の魅力を伝えるという内容なんですが、この阿国サンのはじけっぷりがスゴいのですよ…。様々なクスグリを交えつつ、舞台機構、音楽、女形のことなどを説明してくれます。

ごくごく少人数の座組で、ただでさえ広い楽屋が余計広々としておりましたが、出演者の皆さんは和気藹々とした雰囲気。そんなアットホームな空気は舞台からも伝わってまいりました。
11日まで国立劇場で公演。それからなんと! 沖縄(本島&石垣島)に会場を移します。
後輩の化粧前に、沖縄のガイドブックが積んでありました。ああ、うらやましい!

山城屋さんが表紙です

2008年03月07日 | 芝居
すでにお読みになった方もいらっしゃると思いますが、今月発売されました『演劇界』4月号の特集のひとつが「付人さんの一日」ということで、師匠梅玉付きの村上さん、加賀屋(魁春)さん付きの岩崎さんの、1月歌舞伎座公演における1日の仕事ぶりが紹介されております。
『演劇界』の記者の方が、朝から晩まで丸一日かけて取材した楽屋や舞台裏の様子が、沢山の写真で再現されておりまして、こういう企画は大昔の同誌にはあったように記憶しておりますけれど、最近ではちょいと珍しい内容の記事となっております。

まだ御覧になっていらっしゃらないお方、ご興味ございましたらお手に取ってみて下さい。
私もどこかに写っているハズです…。

立廻りふたつ

2008年03月06日 | 芝居
昼の部『女伊達』、夜の部『鈴ヶ森』、いずれも立廻りが面白い演目です。
『女伊達』では、音羽屋(菊五郎)さんが演じる、女伊達木崎のお秀に、総勢17名の<若い者>が、『鈴ヶ森』では成駒屋(芝翫)さん演じる白井権八に20余名の<雲助>がからみます。

かたや舞踊、かたや芝居ですので、立廻りの雰囲気は全然違いますけれど、菊五郎劇団の皆さんを中心に、名題下俳優によるイキの良い<若い者>が様々な得物でカッコ良くみせるのが『女伊達』なら、名題俳優さんが年季の入った芸、その人ならではの味で面白くみせるのが『鈴ヶ森』と申せましょうか。

是非御覧下さいませ!

徳若に御萬歳と…

2008年03月05日 | 芝居
師匠が出演しております『春の寿』三段返しの内の「萬歳」は、実は歌舞伎で上演するのがこれで2回目という“新顔”演目なのですが、舞踊会等ではときおりお目にかかる曲でもあります。
もともとが、文楽のために作られた四段返しの景事『花競四季寿』の中の<春>の段の曲。『花競~』は文化6(1809)年に開曲されたそうですから、作品そのものは古いわけです。

現行の文楽の演出では、奈良から京へ上ってきた<大和萬歳>の太夫と才造の2人組による振り付けだそうですが、歌舞伎初演となった平成18年1月歌舞伎座では若衆と女による2人立ち。今回は若衆のみの1人立ちでございます。若衆が萬歳を踊るものには一中節の『都若衆萬歳』がございます。
若衆らしい華やかな扮装ですが、鬘や衣裳の柄は<元禄>風のものになっております。足袋も藤色の<色足袋>。

地が竹本浄瑠璃ご連中ですので、曲はたいへん華やかでリズム感がございます。歌詞の内容は<大和萬歳>が歌い継いできた<萬歳唄>からとられているそうですが、京都の御所を讃え、恵比寿の徳で商売繁盛の町々の賑わいを描き、それもこれも天子様が治める平和な御代の賜物と結ぶ内容は、いかにも上方の作品だと思います。

私が中学生の頃、近所のお稽古場で地唄を習っておりましたときに、『萬歳』という曲を教えて頂きましたが、この地唄の『萬歳』と、このたびの義太夫『萬歳』の後半部分が、歌詞・曲ともに大変似ておりましたので、懐かしいやら驚くやらでしたが、なんでも、この地唄をもとに義太夫は作曲されたそうで、なるほどそうかと膝を打った次第です。


京から大坂へ転職

2008年03月04日 | 芝居
私のお役は、先月も今月も<仲居>。
かたや『忠臣蔵七段目』の<祗園一力>、かたや『廓文章』の<新町吉田屋>。どちらも上方の廓でございます。
どの仲居も、扮装はほとんど同じなんですが、黒繻子の帯の結び方が、先月の『七段目』は垂れを短かめにした<柳>、今月の『廓文章』は<角出し>というふうに、微妙に違っております。
『七段目』も、上方の型で上演する際には<角出し>になることが多いそうです。別段、<角出し>が関西の芝居特有の結びかたというわけではございませんが、昔からそういう慣習になっておりますようで…。

さらに、今月の<角出し>は<関西手(かんさいで)>という締めかたで、帯を廻してゆく方向が、東京とは逆方向になるのです。関西手につきましてはこちらをご参照下さい。

着付は双方ともに縮緬地、黒繻子の襟。『七段目』は由良之助の紋である<二つ巴>、『廓文章』は伊左衛門をお勤めになる方の紋にちなんだ柄になります(今月は松嶋屋(仁左衛門)さんですので、銀杏の模様です)。
廓の女とはいえあくまで仲居ですので、着付自体はごくごく薄く仕立てられております。こういう着付をお引きずりで着ますと、裾さばきが意外と面倒で、弁天小僧じゃありませんが、「ペラッペラして歩きにくいや」という感じ。フキ(裾まわり)に綿が入ったものや、しっかりした裏地がついたものなど、ある程度の重みがあるもののほうが、体に自然とついてくるんですよ。
先月は階段の昇り降りもありましたから余計難儀をいたしましたが、今月はふた月目ということもありますし、段差もないのでずいぶん楽です。

女形として勉強している身に取りまして、まずはこういう衣裳を体に馴染ませませんとね!

はじまりました

2008年03月02日 | 芝居
歌舞伎座<三月大歌舞伎>の初日が開きました。
お陰様で『春の寿』「萬歳」の後見も、『廓文章』の仲居も、無事に勤めることができました。
夕霧の鉢巻きが何事もなく解けたときの安堵感! アアよかった~という気持ちでした。
とはいえ、もっと段取りよく一連の動きをこなすためには、まだまだ努力が必要です。早く場の空気に慣れ、ひとりの仲居として動けるよう、肩の力を抜いて、落ち着いて、そして気を引き締めてまいります。

今月は昼の部で仕事は終わりです。名題下部屋が71名の大所帯ですので、グズグズ長居は迷惑ですので、早々に引き上げましたが、客席にまわりまして夜の部の舞台を拝見させて頂いてから帰りました。

華やかな舞踊三段返し『春の寿』、先月の『熊谷陣屋』から時間を巻き戻しての、大海原を背景に繰り広げられる熊谷と平敦盛の物語(馬も大活躍)『陣門・組打』に、総勢17名の若い者による立廻りが華やかな『女伊達』、そして上方情緒纏綿たる『廓文章』。様々な立廻りが面白い『鈴ヶ森』、山城屋(坂田藤十郎)さんの喜寿の記念の『娘道成寺』と、10年ぶりの上演となる生世話物『お祭り佐七』。

みどころたっぷりの弥生興行へ、是非是非お越し下さいませ!

舞台から離れても…。

2008年03月01日 | 芝居
今日は自分の出る演目のお稽古がないのでお休み。
ゆっくり寝て、確定申告を書いて(ああ数字の羅列)、ゴロゴロして…。
気がつけば夕暮れ時。
こんな1日もいいでしょう、たまには。

いまさら、『青柳硯』で蛙の仕掛けが上手くいかない夢を見て目が覚めました。そんなに気になっていたのかしら…。

さあ、明日からは蛙ではなく<病鉢巻き>と<打掛>で頑張りましょう!

蛙四方山ばなし

2008年03月01日 | 芝居
2月歌舞伎座上演の『小野道風青柳硯』におきまして、私と弟弟子の梅秋の二人で勤めさせて頂きました<蛙>について、少々お話しさせて頂きたく存じます。
2月の興行中にお話しいたしますと、多分にネタバレにもなりますし、舞台裏が見えてしまっては、これからせっかく御覧頂く皆様の興を削ぎかねませんでしたので、あえて差し控えておきました。月も弥生に移りました。以下の文章は今後の上演にあたりましても参考になればと思い、私自身の心覚えの意味もこめて掲載いたしたいと思います。

昨年暮れにこのお芝居の上演が決定したことを伺いましてから、まず取り組まなければならなかったのがこの<蛙>でございました。俗に<蛙飛びの場>と言われるくらいの演目ですから、蛙がどういう仕組みで動くことになるのかが、劇中の大事な効果となります。昭和21年以来本興行での上演がないということでしたので、映像や資料など、残されたものは少ないのではないか、となればどのように準備をしようか…。
少々途方に暮れた部分もあったのですが、よくよく調べてみますと、昭和34年6月の<七人の会>や昭和54年8月の<歌舞伎会>におきましてこの演目が上演されていたこともわかり、さらには<歌舞伎会>で小野道風を演じたのが、今も現役ばりばりの名題俳優、尾上辰緑さんであることを知りまして、おりよく12月京都顔見世に同座しておりましたので、道風の演技の段取りとあわせて、蛙がどんなふうに扱われていたかを伺うことができたのです。

お話を伺ってわかったことは、<差し金>で蛙を動かしていたこと。皆様ご存知の通り、黒く塗った細い棒の先に取り付けて黒衣が遠隔操作するアレです。2月の上演での、池から出てきて、まず道風に向って飛び跳ね、そのあと方向転換をして池端の柳に向い、枝に飛びつく、という段取りは、辰緑さんがお覚えていらした演出を踏襲したものです。

年が明けて1月歌舞伎座公演中、その辰緑さんがお出になった28年前の<歌舞伎会>上演時の<小道具附帳>が、藤浪小道具様のお骨折りで見つけ出されました。そこには、道風や駄六の持ち道具のほかにも、絵入りで蛙の差し金のこともしるされておりましたが、何と、そのおり使ったと思われる蛙のぬいぐるみまで見つかったのです。差し金を取り付ける穴もあいており、間違いなく当時使用されたものであろうとのこと。
これを参考にして、今回の蛙のぬいぐるみは新規に作成されましたが、昔の蛙チャンは、こう申しては甚だ失礼ですが、お世辞にも蛙<らしく>ない形状で、歌舞伎座の大舞台にふさわしい大きさでもなかったので、形状や大きさ、素材、色等は大幅に変わりました。

さて、この附帳から新たな課題が見つかりました。この記録によれば柳の枝に取りつくくだりの蛙は、<ジャリ糸>で操作したとなっていたのです。これまで、差し金の蛙一体で済むと思われていたプランが変わることになりますが、まずは今度の上演にあたり師匠梅玉がどのようなご意向をもっていらしゃるかも伺わねばなりません。過去の資料ではコレコレこうなっておりますが、と申し上げましたところ、まずはその資料をもとに準備しようということになり、差し金用、ジャリ糸用、2体の蛙が用意されました。

ジャリ糸を使って操作するということは、仕掛けを仕込むことになる、大道具の柳の立ち木とも密接に関わってまいります。1月中頃に、舞台装置プランといえる<道具帳>ができましてからは、小道具方とどういう方法でジャリ糸を仕込むか、色々と案を出しましたが、最終的には『俊寛』で飛び立つ<千鳥>と同じ仕掛けでやってみようということになりました。
跳ぶコースを保持している<道糸(みちいと)>を通した蛙を、<引き糸>を引くことで動かすという仕組み。これなら引いた手を離せば蛙が元の位置に戻る。つまり、浄瑠璃にもある「二寸飛んでははたと落ち 三寸四寸いつの間に…」という、なんども挑戦する演技が可能になるわけですね。

さて、2月公演稽古中に行われた<道具調べ>。本番通りに大道具を組み、駄目をとる作業。ここでいよいよジャリ糸の仕掛けを取り付けることになりましたが、実際の装置を前に、問題点がドンドン出てきました。
まず、「差し金の蛙とどこで入れ替わるのか?」
道風に向ってゆく蛙が、方向転換して柳のもとへゆく。そこまではいいのですが、この蛙と、ジャリ糸で操る蛙を、お客様から見て違和感なく取り替える方法に、関係者みなみな頭を抱えてしまいました。いっそ柳の枝に飛びつくのも、差し金の蛙にしようかという案も出たのですが、それでは「いくら古風な歌舞伎とはいえ、あまりに嘘っぽいのでは」と師匠もおっしゃり、それではどうすればよいのか…。
そこで思い浮かびましたのが、『怪談乳房榎』の十二社大滝の場での、早変わりの手法でした。下男正助が花道から本舞台に来て、下手にあるトンネル状の岩組を通り抜けるときに吹き替えと入れ替わり、悪党三次に早変わりするという演出があるのですが、これを応用できないかと思ったのです。

柳の木より少し下手側に、<かまぼこ>ともいわれる、土の盛り上がりを描いたごくごく低い切り出しを置き、この裏側にジャリ糸で操る蛙をひそませておく。差し金で操る蛙は、最終的にこの<かまぼこ>の裏側に飛び込ませ、その瞬間にジャリ糸の蛙を出せば、それほど目立たずに蛙の交換が可能なのではないか…。
そのために、<『俊寛』千鳥式>ジャリ糸にも手を加えました。本来<道糸>は、コースをしっかり保持するために、出発点から到達点までピンと張りつめて固定されていますが、それをあえて緩めることにしました。こういたしますと、道糸が通っている蛙を、緩めた分だけ出発点から少し離れたところに置いておくことができるというわけ。
柳の木の根元に設定された出発点から、7寸ほど離した例の<かまぼこ>裏まで蛙を持ってきておき、いざ入れ替わる段になりますと、まず後見が道糸の緩んだ分を引っぱって張りつめさせる(このとき蛙は道糸につれて舞台と水平に移動し、出発点に到達することになります)、それから引き糸を引いて飛び跳ねさせる、という2段階の手法となりました。

次の問題は、「道風にうち落とされたあとの蛙はどこへ?」
朝敵、橘逸勢を暗示した忌まわしい蛙を、道風が蛇の目傘で打ちますと、引き糸を離すだけでポテンと落下するわけですが、このあとの芝居の最中にまで、このまんまではさすがにおかしいわけで、どこかで回収しなくてはなりません。黒衣が出ていくのも大仰ですし、ジャリ糸を張り巡らしていますからごく限られた範囲の中でしか蛙は動かせません。<池の中に落とせないか(つまり逃げていったということで)?>とか<柳の裏にまわらせないか?>といろいろ案が出ましたが、どれも仕掛けの構造上難しく、最終的には、柳の木の根元に低い土手が描かれていましたから、ここに目立たぬように切り穴をあけておき、その裏から引き込んでしまうことにしました。理屈を言えば地中に吸い込まれてしまったように見えるかもしれませんが、カラミの相撲取りがバタバタ出てきたときにこの引き込み作業を行いますので、それほど悪目立ちはしないだろうということで決着。引き込みには、手をニュッと出すわけにはいきませんので<かぎ棒>を使いましたが、これは舞踊『かさね』でも、用済みの小道具を後見が出ずにはかせるために使われておりますので、この度も、あくまで<歌舞伎の知恵>で対応したつもりです。

その他、「どこまで飛ばすか?」「蛙が目立つように柳の枝振りをどうするか(茂みに隠れてはしょうがないですものね)?」等、細かい点も調整したうえで、舞台稽古、そして初日をむかえたわけでございますが、興行中も、よりスムースに蛙を動かせるよう、随時仕掛けの取り付け方には改良を加えました。

差し金操作は梅秋が勤めましたが、動かし方や後見自体の体の使い方には、諸先輩方が色々とご指導下さったようです。私はジャリ糸操作(なにせ私が設計に携わらせて頂きましたものですから)でしたが、浄瑠璃に合わせての蛙のジャンプも、毎日ああもしようこうもしようと案文いたしました。
初日の舞台が済んでから、駄六役の大和屋(三津五郎)さんから、「揚幕から見ていると、蛙が<何の苦もなく>枝に飛びついているように見える」とご指摘なさり、「なにかこう、苦労している感じが出れば…」とのことでしたので、う~んと考えてしまいましたが、それまで、飛びつく高さを<はじめ低く、次は中くらい、そして到達>としておりましたのを、<はじめ低く、次に中くらい、さらに枝ギリギリまで飛ばしてやっぱり失敗、最後に勢い良く飛ばせて到達>というようにし、飛ぶ前には、引き糸を微妙にチョコチョコと引いて、枝に向って弾みを付けているような感じを出してみました。御覧になった大和屋さんも「だいぶ変わったね」とおっしゃてくださいました。

また、道風にうち落とされたとき、蛙が白いお腹を上に、あおむけになって落ちますと、いかにも<やられた~>という感じがあって面白いようで、お客様の反応があったり、ご覧頂いた幕内の方々からも「あれはいいね」とおっしゃってくださったのですが、これはもう、しようと思ってできるものではなく(こちらは引き糸を離すだけですから…)、偶然の神様にまかせるしかないことでございました。幸運にも25日間で、たいていは仰向けに落ちてくれて、そういうときはなんだか嬉しくなりましたね。

…長々と書き連ねてしまいましたが、<一から仕掛けを作る>という現場に携わらせて頂けたことは初めての経験でございましたし、『名作歌舞伎全集』で読むだけだった作品が蘇る現場に立てたこともあり、この作品にはずいぶん思い出が生まれました。その<想いのあまり>と思し召して下さいませ。
いつかまた、どなたかがこのお芝居を演じてくださいますよう…。