梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

舞台から離れても…。

2008年03月01日 | 芝居
今日は自分の出る演目のお稽古がないのでお休み。
ゆっくり寝て、確定申告を書いて(ああ数字の羅列)、ゴロゴロして…。
気がつけば夕暮れ時。
こんな1日もいいでしょう、たまには。

いまさら、『青柳硯』で蛙の仕掛けが上手くいかない夢を見て目が覚めました。そんなに気になっていたのかしら…。

さあ、明日からは蛙ではなく<病鉢巻き>と<打掛>で頑張りましょう!

蛙四方山ばなし

2008年03月01日 | 芝居
2月歌舞伎座上演の『小野道風青柳硯』におきまして、私と弟弟子の梅秋の二人で勤めさせて頂きました<蛙>について、少々お話しさせて頂きたく存じます。
2月の興行中にお話しいたしますと、多分にネタバレにもなりますし、舞台裏が見えてしまっては、これからせっかく御覧頂く皆様の興を削ぎかねませんでしたので、あえて差し控えておきました。月も弥生に移りました。以下の文章は今後の上演にあたりましても参考になればと思い、私自身の心覚えの意味もこめて掲載いたしたいと思います。

昨年暮れにこのお芝居の上演が決定したことを伺いましてから、まず取り組まなければならなかったのがこの<蛙>でございました。俗に<蛙飛びの場>と言われるくらいの演目ですから、蛙がどういう仕組みで動くことになるのかが、劇中の大事な効果となります。昭和21年以来本興行での上演がないということでしたので、映像や資料など、残されたものは少ないのではないか、となればどのように準備をしようか…。
少々途方に暮れた部分もあったのですが、よくよく調べてみますと、昭和34年6月の<七人の会>や昭和54年8月の<歌舞伎会>におきましてこの演目が上演されていたこともわかり、さらには<歌舞伎会>で小野道風を演じたのが、今も現役ばりばりの名題俳優、尾上辰緑さんであることを知りまして、おりよく12月京都顔見世に同座しておりましたので、道風の演技の段取りとあわせて、蛙がどんなふうに扱われていたかを伺うことができたのです。

お話を伺ってわかったことは、<差し金>で蛙を動かしていたこと。皆様ご存知の通り、黒く塗った細い棒の先に取り付けて黒衣が遠隔操作するアレです。2月の上演での、池から出てきて、まず道風に向って飛び跳ね、そのあと方向転換をして池端の柳に向い、枝に飛びつく、という段取りは、辰緑さんがお覚えていらした演出を踏襲したものです。

年が明けて1月歌舞伎座公演中、その辰緑さんがお出になった28年前の<歌舞伎会>上演時の<小道具附帳>が、藤浪小道具様のお骨折りで見つけ出されました。そこには、道風や駄六の持ち道具のほかにも、絵入りで蛙の差し金のこともしるされておりましたが、何と、そのおり使ったと思われる蛙のぬいぐるみまで見つかったのです。差し金を取り付ける穴もあいており、間違いなく当時使用されたものであろうとのこと。
これを参考にして、今回の蛙のぬいぐるみは新規に作成されましたが、昔の蛙チャンは、こう申しては甚だ失礼ですが、お世辞にも蛙<らしく>ない形状で、歌舞伎座の大舞台にふさわしい大きさでもなかったので、形状や大きさ、素材、色等は大幅に変わりました。

さて、この附帳から新たな課題が見つかりました。この記録によれば柳の枝に取りつくくだりの蛙は、<ジャリ糸>で操作したとなっていたのです。これまで、差し金の蛙一体で済むと思われていたプランが変わることになりますが、まずは今度の上演にあたり師匠梅玉がどのようなご意向をもっていらしゃるかも伺わねばなりません。過去の資料ではコレコレこうなっておりますが、と申し上げましたところ、まずはその資料をもとに準備しようということになり、差し金用、ジャリ糸用、2体の蛙が用意されました。

ジャリ糸を使って操作するということは、仕掛けを仕込むことになる、大道具の柳の立ち木とも密接に関わってまいります。1月中頃に、舞台装置プランといえる<道具帳>ができましてからは、小道具方とどういう方法でジャリ糸を仕込むか、色々と案を出しましたが、最終的には『俊寛』で飛び立つ<千鳥>と同じ仕掛けでやってみようということになりました。
跳ぶコースを保持している<道糸(みちいと)>を通した蛙を、<引き糸>を引くことで動かすという仕組み。これなら引いた手を離せば蛙が元の位置に戻る。つまり、浄瑠璃にもある「二寸飛んでははたと落ち 三寸四寸いつの間に…」という、なんども挑戦する演技が可能になるわけですね。

さて、2月公演稽古中に行われた<道具調べ>。本番通りに大道具を組み、駄目をとる作業。ここでいよいよジャリ糸の仕掛けを取り付けることになりましたが、実際の装置を前に、問題点がドンドン出てきました。
まず、「差し金の蛙とどこで入れ替わるのか?」
道風に向ってゆく蛙が、方向転換して柳のもとへゆく。そこまではいいのですが、この蛙と、ジャリ糸で操る蛙を、お客様から見て違和感なく取り替える方法に、関係者みなみな頭を抱えてしまいました。いっそ柳の枝に飛びつくのも、差し金の蛙にしようかという案も出たのですが、それでは「いくら古風な歌舞伎とはいえ、あまりに嘘っぽいのでは」と師匠もおっしゃり、それではどうすればよいのか…。
そこで思い浮かびましたのが、『怪談乳房榎』の十二社大滝の場での、早変わりの手法でした。下男正助が花道から本舞台に来て、下手にあるトンネル状の岩組を通り抜けるときに吹き替えと入れ替わり、悪党三次に早変わりするという演出があるのですが、これを応用できないかと思ったのです。

柳の木より少し下手側に、<かまぼこ>ともいわれる、土の盛り上がりを描いたごくごく低い切り出しを置き、この裏側にジャリ糸で操る蛙をひそませておく。差し金で操る蛙は、最終的にこの<かまぼこ>の裏側に飛び込ませ、その瞬間にジャリ糸の蛙を出せば、それほど目立たずに蛙の交換が可能なのではないか…。
そのために、<『俊寛』千鳥式>ジャリ糸にも手を加えました。本来<道糸>は、コースをしっかり保持するために、出発点から到達点までピンと張りつめて固定されていますが、それをあえて緩めることにしました。こういたしますと、道糸が通っている蛙を、緩めた分だけ出発点から少し離れたところに置いておくことができるというわけ。
柳の木の根元に設定された出発点から、7寸ほど離した例の<かまぼこ>裏まで蛙を持ってきておき、いざ入れ替わる段になりますと、まず後見が道糸の緩んだ分を引っぱって張りつめさせる(このとき蛙は道糸につれて舞台と水平に移動し、出発点に到達することになります)、それから引き糸を引いて飛び跳ねさせる、という2段階の手法となりました。

次の問題は、「道風にうち落とされたあとの蛙はどこへ?」
朝敵、橘逸勢を暗示した忌まわしい蛙を、道風が蛇の目傘で打ちますと、引き糸を離すだけでポテンと落下するわけですが、このあとの芝居の最中にまで、このまんまではさすがにおかしいわけで、どこかで回収しなくてはなりません。黒衣が出ていくのも大仰ですし、ジャリ糸を張り巡らしていますからごく限られた範囲の中でしか蛙は動かせません。<池の中に落とせないか(つまり逃げていったということで)?>とか<柳の裏にまわらせないか?>といろいろ案が出ましたが、どれも仕掛けの構造上難しく、最終的には、柳の木の根元に低い土手が描かれていましたから、ここに目立たぬように切り穴をあけておき、その裏から引き込んでしまうことにしました。理屈を言えば地中に吸い込まれてしまったように見えるかもしれませんが、カラミの相撲取りがバタバタ出てきたときにこの引き込み作業を行いますので、それほど悪目立ちはしないだろうということで決着。引き込みには、手をニュッと出すわけにはいきませんので<かぎ棒>を使いましたが、これは舞踊『かさね』でも、用済みの小道具を後見が出ずにはかせるために使われておりますので、この度も、あくまで<歌舞伎の知恵>で対応したつもりです。

その他、「どこまで飛ばすか?」「蛙が目立つように柳の枝振りをどうするか(茂みに隠れてはしょうがないですものね)?」等、細かい点も調整したうえで、舞台稽古、そして初日をむかえたわけでございますが、興行中も、よりスムースに蛙を動かせるよう、随時仕掛けの取り付け方には改良を加えました。

差し金操作は梅秋が勤めましたが、動かし方や後見自体の体の使い方には、諸先輩方が色々とご指導下さったようです。私はジャリ糸操作(なにせ私が設計に携わらせて頂きましたものですから)でしたが、浄瑠璃に合わせての蛙のジャンプも、毎日ああもしようこうもしようと案文いたしました。
初日の舞台が済んでから、駄六役の大和屋(三津五郎)さんから、「揚幕から見ていると、蛙が<何の苦もなく>枝に飛びついているように見える」とご指摘なさり、「なにかこう、苦労している感じが出れば…」とのことでしたので、う~んと考えてしまいましたが、それまで、飛びつく高さを<はじめ低く、次は中くらい、そして到達>としておりましたのを、<はじめ低く、次に中くらい、さらに枝ギリギリまで飛ばしてやっぱり失敗、最後に勢い良く飛ばせて到達>というようにし、飛ぶ前には、引き糸を微妙にチョコチョコと引いて、枝に向って弾みを付けているような感じを出してみました。御覧になった大和屋さんも「だいぶ変わったね」とおっしゃてくださいました。

また、道風にうち落とされたとき、蛙が白いお腹を上に、あおむけになって落ちますと、いかにも<やられた~>という感じがあって面白いようで、お客様の反応があったり、ご覧頂いた幕内の方々からも「あれはいいね」とおっしゃってくださったのですが、これはもう、しようと思ってできるものではなく(こちらは引き糸を離すだけですから…)、偶然の神様にまかせるしかないことでございました。幸運にも25日間で、たいていは仰向けに落ちてくれて、そういうときはなんだか嬉しくなりましたね。

…長々と書き連ねてしまいましたが、<一から仕掛けを作る>という現場に携わらせて頂けたことは初めての経験でございましたし、『名作歌舞伎全集』で読むだけだった作品が蘇る現場に立てたこともあり、この作品にはずいぶん思い出が生まれました。その<想いのあまり>と思し召して下さいませ。
いつかまた、どなたかがこのお芝居を演じてくださいますよう…。