瀬崎祐の本棚

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詩集「滴る音をかぞえて」 川井麻希  (2023/10) 土曜美術社出版販売

2023-11-10 17:39:46 | 詩集
第2詩集。94頁に27編を収める。

あとがきによれば、作者は3年前に愛児を得て、その後は「育児の最中、浮かぶ言葉を追いかけ」てきたとのこと。
巻頭の「ようこそ」はこの世に愛児を迎えた言葉であり、児の名前は「光を閉じ込め」た雫の「滴りを集めて/海を成す」ものであるとのこと。(「しずく」)

「君の手」では、話者は、まったくの無垢の存在である君がこの世界に広がる色の洪水や滲む影を追いかける様を見ている。その君の行為には意図も意味もないがゆえに、何ものにも代えがたい尊さがあるようだ。

   君の手にはまだ輪郭はなく
   世界の
   すべてのものにつながっている

やがて君はこの世界を自分の足で感じるようになる。おぼつかない足取りであっても、世界と呼応する歓びがあるのだろう。君の歩みは、

   いきものの声を拾って
   立ち止まる
   爪の先を草色に染める

   やがて光そのものになり
   花の揺れる方へ
   吸いこまれていく
              (「散歩」)

ありきたりの言い方にはなるが、この詩集にあるのは母としての愛情の言葉そのものである。そしてその言葉を書きとめる喜びにあふれている。

とはいっても、「君の名を呼ぶだけで一日が終わっていく」ことに、そんな毎日が続くことに、どこか漠然とした不安を感じることもあるのだろう。しかし私以外には受けとめてやることができない君が、やはりここに存在しているのだ。

   風に鼻先を向け
   君がここにいることを確かめる
   透明に濡れた空気にけはいを探る
   私以外に触れないその手を
   そっと握る 
              (「かなしい色」)

そんな日々が流れていくので話者は「今日に名前をつけよう」と思うのだ。今日の君はすぐにいなくなってしまい、明日になればまた新しい君が私に会いに来るのだ。

   君が呼ぶ
   私を名付けるその声は
   私の影に色を増す
   呼ばれて私は
   出会う私を確かめた

私事になるが、娘の初めての児をときおり私(瀬崎)もあやした。夏の暑い日に抱いている児をベビーベッドに下ろそうとすると、それを嫌がって汗びっしょりになりながらも私にしがみついてきたものだった。あれも名前をつけるべき日々だった(その児は、今は高校生になって大人ぶってみせたりしている)。
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詩集「雲の名前」 佐峰存 (2023/10) 思潮社

2023-11-07 18:22:26 | 詩集
第2詩集。125頁に27編、および詩集タイトル詩と思われる巻頭詩1編を収める。

「起床」。眠りのあいだは意識はこの世界から離れていたわけだが、目覚めと共に戻ってこなくてならない。その行為が容易な時もあるし、大変に努力を要する時もあるのだろう。肉体がひとつひとつこの世界を感知して馴染んでいかなければならない。足裏が床の感触を確かめ、「夜の錯綜に落としてきたものを/呼び戻そうとすると/舌はひたすら乾いていく」のだ。

   明晰夢の小部屋 伸びてきた指の
   方角はばらけ 行く末は
   透明な星々の隙間をさしている
   息を吸うたびに
   薄い膜の向こう側の世界は
   姿を入れ替え生滅する

はて、私が目覚めて戻って来たこの世界は、果たして無事に構築されるのだろうか。

語弊を怖れずに言えば、佐峰の作品にあらわれる人物は生身感が少ない。いや、人物だけではなく、世界のすべての構成要素が無機質な印象なのだ。その中にあって、言葉によって互いを結びつけた安寧の場所を作ろうとしている。しかし、それは幻事であることもまた感じ取っているようなのだ。

「彼方の歩行」。強い風の中を私達は歩いているのだが、そこは誰もいない世界のようだ。ただ入れ替わる建物があり、伸び続けるアスファルトがあるばかりで、そのような世界を私達は歩きつづけなければならない。

   人工衛星の軌道が描いた
   市場の祭壇を 軽やかに跨いで
   あなたの刻んだ歌声は
   私の瞳孔に 直に触れていく
   更新される生活の頭上で
   嵐のあとの月面は
   黙々と傾いて 太陽を映し出している

彷徨っている私もあなたもすでに体温を失っているようだ。ついには「いつしか粒子となって/彼方の屋根に降り積もる」しかないのだ。

この社会の中で歩いて行くことの大変さがざらざらとした手触りになっている。そのうえでそれに立ち向かっていく覚悟が感じ取れる詩集だった。
「名刺」「交点」については詩誌発表時に簡単な紹介記事を書いている。
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詩集「述部のつどひ」 廿楽順治 (2023/09) 改行屋書店

2023-11-03 20:22:15 | 詩集
オンデマンドで発行された新書版スタイルの詩集で、80頁に31編を収める。
「後記」によれば、2007年頃にSNS上に発表した詩を「あらためて書き直したもの」で、「過去の断片を引用した、現在の詩編となっている」とのこと。

「あつい」は1行から3行の6連からなる。「となりのひとの腹の底がぬけていた」と始まるのだが、熱、汗、汗馬といった語が不意打ちのように奔放にあらわれる。汗がとまらないと「それだけで/少しずつ燃えていってしまう地平がある」のだ。この廿楽独特のイメージの跳び方はどうだ。読んでいて嬉しくなってくる。今どきは「ひとりで空へかけのぼっていく/汗馬/のようなひとはいないよ」と言われての最終連は、

   いないひとには
   (銀河をひとつまみ)
   見えているかのようにふりかけてやる

この詩集の作品のタイトルはすべて述語である。「かけない」、「かたまる」、「かわかない」といったものから、「すこしくるっている」などというものまである。この述語から廿楽がどんな風にイメージを膨らませて、どこへ跳んで行ってしまったか、それを楽しむ詩集である。

「くっている」は1連10行で、「むこうむきの男をたべつづけてきた」という奇想の短い作品。後半6行をそのまま紹介する。あっけらかんとした作品世界なのに、どこかそれとは真逆の切なさを感じさせるところが、すごい。

   わたしもむこうむきで
   その男の干されたところをかんできた
   みんないいひとだったよ くっているときは
   (これ 骨までくえるぜ)
   男は鍋に入ってもむこうをむいていた
   どこまでもかたくるしくて無口なやつだった

”たべる”、そして”たべられる”という行為が社会の中のどのような人間関係を反映しているのか、とか、”むこうむき”はどのような状況を背負っているのか、など考えようと思えばいくらでもできる。しかし、廿楽の作品はそのようなことはなしに純粋に言葉で表されたイメージを楽しみたい。

もう一篇紹介しておく。「ひろがっている」。みんなが世界の中心(まんなかからすこし右にずれている)だとおもってくらしていたところには風呂屋があるのだ。「みえないやつらが」しきりにはいりたがる風呂なのだが、

   ずれているところがなんだかもっともらしい
   おがみにきたひとは
   となりの中心をとおって
   たぶんしらないうちに世界から落ちていく

すると、「蒸されて/神さまのおつまみになる」のだ。もう、何も付け加える言葉はない。
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