瀬崎祐の本棚

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詩集「述部のつどひ」 廿楽順治 (2023/09) 改行屋書店

2023-11-03 20:22:15 | 詩集
オンデマンドで発行された新書版スタイルの詩集で、80頁に31編を収める。
「後記」によれば、2007年頃にSNS上に発表した詩を「あらためて書き直したもの」で、「過去の断片を引用した、現在の詩編となっている」とのこと。

「あつい」は1行から3行の6連からなる。「となりのひとの腹の底がぬけていた」と始まるのだが、熱、汗、汗馬といった語が不意打ちのように奔放にあらわれる。汗がとまらないと「それだけで/少しずつ燃えていってしまう地平がある」のだ。この廿楽独特のイメージの跳び方はどうだ。読んでいて嬉しくなってくる。今どきは「ひとりで空へかけのぼっていく/汗馬/のようなひとはいないよ」と言われての最終連は、

   いないひとには
   (銀河をひとつまみ)
   見えているかのようにふりかけてやる

この詩集の作品のタイトルはすべて述語である。「かけない」、「かたまる」、「かわかない」といったものから、「すこしくるっている」などというものまである。この述語から廿楽がどんな風にイメージを膨らませて、どこへ跳んで行ってしまったか、それを楽しむ詩集である。

「くっている」は1連10行で、「むこうむきの男をたべつづけてきた」という奇想の短い作品。後半6行をそのまま紹介する。あっけらかんとした作品世界なのに、どこかそれとは真逆の切なさを感じさせるところが、すごい。

   わたしもむこうむきで
   その男の干されたところをかんできた
   みんないいひとだったよ くっているときは
   (これ 骨までくえるぜ)
   男は鍋に入ってもむこうをむいていた
   どこまでもかたくるしくて無口なやつだった

”たべる”、そして”たべられる”という行為が社会の中のどのような人間関係を反映しているのか、とか、”むこうむき”はどのような状況を背負っているのか、など考えようと思えばいくらでもできる。しかし、廿楽の作品はそのようなことはなしに純粋に言葉で表されたイメージを楽しみたい。

もう一篇紹介しておく。「ひろがっている」。みんなが世界の中心(まんなかからすこし右にずれている)だとおもってくらしていたところには風呂屋があるのだ。「みえないやつらが」しきりにはいりたがる風呂なのだが、

   ずれているところがなんだかもっともらしい
   おがみにきたひとは
   となりの中心をとおって
   たぶんしらないうちに世界から落ちていく

すると、「蒸されて/神さまのおつまみになる」のだ。もう、何も付け加える言葉はない。
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