第2詩集。94頁に27編を収める。
あとがきによれば、作者は3年前に愛児を得て、その後は「育児の最中、浮かぶ言葉を追いかけ」てきたとのこと。
巻頭の「ようこそ」はこの世に愛児を迎えた言葉であり、児の名前は「光を閉じ込め」た雫の「滴りを集めて/海を成す」ものであるとのこと。(「しずく」)
「君の手」では、話者は、まったくの無垢の存在である君がこの世界に広がる色の洪水や滲む影を追いかける様を見ている。その君の行為には意図も意味もないがゆえに、何ものにも代えがたい尊さがあるようだ。
君の手にはまだ輪郭はなく
世界の
すべてのものにつながっている
やがて君はこの世界を自分の足で感じるようになる。おぼつかない足取りであっても、世界と呼応する歓びがあるのだろう。君の歩みは、
いきものの声を拾って
立ち止まる
爪の先を草色に染める
やがて光そのものになり
花の揺れる方へ
吸いこまれていく
(「散歩」)
ありきたりの言い方にはなるが、この詩集にあるのは母としての愛情の言葉そのものである。そしてその言葉を書きとめる喜びにあふれている。
とはいっても、「君の名を呼ぶだけで一日が終わっていく」ことに、そんな毎日が続くことに、どこか漠然とした不安を感じることもあるのだろう。しかし私以外には受けとめてやることができない君が、やはりここに存在しているのだ。
風に鼻先を向け
君がここにいることを確かめる
透明に濡れた空気にけはいを探る
私以外に触れないその手を
そっと握る
(「かなしい色」)
そんな日々が流れていくので話者は「今日に名前をつけよう」と思うのだ。今日の君はすぐにいなくなってしまい、明日になればまた新しい君が私に会いに来るのだ。
君が呼ぶ
私を名付けるその声は
私の影に色を増す
呼ばれて私は
出会う私を確かめた
私事になるが、娘の初めての児をときおり私(瀬崎)もあやした。夏の暑い日に抱いている児をベビーベッドに下ろそうとすると、それを嫌がって汗びっしょりになりながらも私にしがみついてきたものだった。あれも名前をつけるべき日々だった(その児は、今は高校生になって大人ぶってみせたりしている)。
あとがきによれば、作者は3年前に愛児を得て、その後は「育児の最中、浮かぶ言葉を追いかけ」てきたとのこと。
巻頭の「ようこそ」はこの世に愛児を迎えた言葉であり、児の名前は「光を閉じ込め」た雫の「滴りを集めて/海を成す」ものであるとのこと。(「しずく」)
「君の手」では、話者は、まったくの無垢の存在である君がこの世界に広がる色の洪水や滲む影を追いかける様を見ている。その君の行為には意図も意味もないがゆえに、何ものにも代えがたい尊さがあるようだ。
君の手にはまだ輪郭はなく
世界の
すべてのものにつながっている
やがて君はこの世界を自分の足で感じるようになる。おぼつかない足取りであっても、世界と呼応する歓びがあるのだろう。君の歩みは、
いきものの声を拾って
立ち止まる
爪の先を草色に染める
やがて光そのものになり
花の揺れる方へ
吸いこまれていく
(「散歩」)
ありきたりの言い方にはなるが、この詩集にあるのは母としての愛情の言葉そのものである。そしてその言葉を書きとめる喜びにあふれている。
とはいっても、「君の名を呼ぶだけで一日が終わっていく」ことに、そんな毎日が続くことに、どこか漠然とした不安を感じることもあるのだろう。しかし私以外には受けとめてやることができない君が、やはりここに存在しているのだ。
風に鼻先を向け
君がここにいることを確かめる
透明に濡れた空気にけはいを探る
私以外に触れないその手を
そっと握る
(「かなしい色」)
そんな日々が流れていくので話者は「今日に名前をつけよう」と思うのだ。今日の君はすぐにいなくなってしまい、明日になればまた新しい君が私に会いに来るのだ。
君が呼ぶ
私を名付けるその声は
私の影に色を増す
呼ばれて私は
出会う私を確かめた
私事になるが、娘の初めての児をときおり私(瀬崎)もあやした。夏の暑い日に抱いている児をベビーベッドに下ろそうとすると、それを嫌がって汗びっしょりになりながらも私にしがみついてきたものだった。あれも名前をつけるべき日々だった(その児は、今は高校生になって大人ぶってみせたりしている)。