瀬崎祐の本棚

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「ERA」 第三次21号 (2023/10) 埼玉

2023-11-16 11:44:49 | 詩集
28人の詩作品と2編の散文を載せて76頁。

「蟬」井出ひとみ。ふいに蟬の声が聞こえ、話者は衝動に駆られておおきな声で騒ぐのだ。それは蟬の長い年月の抑制からの解放にも似ているのか。そして騒ぐほどに話者は「追い詰められていく」。

   蟬の抜け殻が
   裏庭に落ちている ひっそりと
   身は空になって
   人の形に抜けている
   わたしはそれをサンダルで踏む
   まるで自分の抜け殻
   を
   踏むように

ふいの己の破壊衝動のようなものだろうか。騒いだ後に残された己の抜け殻は空しく寂しいものなのだろうか。

「じゃがいも」尾世川正明。ニューヨークに住んでいるいとこが、春になるとアイダホ産のじゃがいもを送ってくるのである。アメリカで生まれたいとこの子どもたちが、大阪弁のつまらぬギャグをまき散らしながら遊びにやってきたりもするのである。

   私は春になるといつも
   クエスチョンマークのように
   しんなりと首を変形させてじゃがいもを受け取っている

この「しんなりと首を変形させて」が大変に愉快である。なぜじゃがいもなんかと訝しがっているわけだが、長く伸ばした首を(お化けのように)”?”の形に曲げている図を想像してしまう。

「風」相沢正一郎は、”風”を擬人化して”あなた”と話しかける作品。目には見えない”あなた”が運ぶにおいや音、揺らす草木や洗濯物。あなたとの親密な関係がやわらかく詩われている。この作品は3連からなるのだが、最終連では”わたし”と”あなた”の位置が反転し、”風”が発話者となる。それによって作品の物語性に深みが出ていた。最終部分は、

   あなたの名前が知りたくて、ゆうべあなたがベッドのした
   に落とした本の頁をめくったりする。

「虹」日原正彦。雨あがりにベランダに出ると虹がでていて、「どうしたの/と 死んだ妻が後ろから声をかけ」てきたのだ。言葉を発してはいけないような気持ちのうちに虹は少しずつ薄れていく。横を見ると、

   わたしは はじめて驚いた
   妻が そこに いないことにではなく
   いたことに

虹と共に訪れ、虹と共に去っていったこの淡いひとときの邂逅がなんとも美しい。

川井麻希「かなしい色」については、作品が収められた新詩集の紹介の折に触れている。
瀬崎は「診察室」を発表している。
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