瀬崎祐の本棚

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詩集「うつし世を縢(かが)る」  たかぎたかよし  (2013/03)  編集工房ノア

2013-03-13 20:01:50 | 詩集
 第10詩集。B5判の77頁に27編を収める。
 作品は3編ずつ、9つの項に分けられているのだが、3編は序破急のような組み合わせを感じさせるものとなっている。各項には、「人語」「花木」などのタイトルが付けられている。序に当たる作品には文語体の仮名表記の一節が入り、残りの2編は通常の言語表現である。非常に恣意的に組まれている。
 「星間」の章。1編目の「久方」は「死顔をどこか違へて 時雨去る」と始まる。輝くような季節である”春”を待っているのだが、不吉なものとして怖れてもいるようなのだ。次の「犬の影」では、どこからのと知らせずに風がくるのである。

   背に真すぐに闌(た)ける真昼 あらっ
   翳るより
   光っているに違いないそこを
   振り向けない

この、不意に挟み込まれている「あらっ」という肉声が効果的である。何か大いなるものに向かっているような存在を感じている。
 「犬を影と 影を方位(とさ)と 結んで風が目配せしている」と終わり、次の3編目の「冬、遠近法」につながると、季節はやはり未だ冬なのである。ひととき怖れながらも華やいだ気持ちは静かに沈潜している。変えようもない季節に捕らわれている話者がいるのだが、それはこの”うつし世”をしっかりと縫い止めていることに通じているのだろう。最終部分は、

   昼の月 音もしません
   塵のようなもの耀う冬の小さな日溜まりです
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対談集「ドラゴン in the Sea(下)」  阿賀猥×戸沢英土  (2012/09)  早雲社

2013-03-07 18:59:36 | 詩集
これは、まあ、なんと言ったらいい本なのだろう。B5版、200頁での対談集ではあるのだが、その内容の賑やかさは半端ではない。

 上巻は2011年に発行されていて、150頁のこちらには、1章「女とドラゴン」、2章「黒い天使」が阿賀猥と中本道代の対談、3章「大菩薩峠」が阿賀猥と戸沢英土の対談である。語られているのは、ソレルスであり、ポール・デルヴォーであり、デュラス、ヴェイユ、果てはユング、バタイユなどとどまるところを知らなかった。いたるところに写真も載っており、たとえば宮沢賢治と井上陽水の写真がならんで載っている。横尾忠則の絵の数頁先にはヒトラーとエヴァの結婚式の写真も載っている。これらのことからも内容の賑やかさが判るというもの。

 今回の下巻の目次は4章「越境」、5章「右足左足」、6章「ドラゴン悪」、7章「輝きのイチゴ大福」である。具体的な内容は、あまりにも対談の話題が多岐にわたるので、とても紹介することは不可能である。目次の小見出しをいくつかあげると、「集合無意識と風」、「ロレンスvs天使」、「メフィストフェレスの敵」、「気味の悪い愛」、「善人天国」、「親鸞の海、エミリの海」などなど。もちろん下巻でもいたるところに、絵画、映画のスティール写真、歴史的なニュース写真、肖像画などが掲載されている。
 上下巻合わせて350頁。この紹介文で興味を持たれた方には実際に読んでいただくしかない。
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詩集「私を映す空」  小池栄子  (2012/08)  日本文学館

2013-03-04 13:26:16 | 詩集
 第1詩集。99頁に30編を収める。
 どの作品にも作者の高揚した気持ちが読み取れる。もちろん描かれる内容には辛いものもあり、我が身を痛くするものもあるのだが、それとは次元を異にしたところでの言葉に書き留める喜びがあるようなのだ。それは書かれた内容とは別のところでの清々しさでもある。
 「遠い食卓」では、話者は二枚におろされた鯛を見ている。鯛は「死んでいるように見えるけれど」「大きく目を見ひらき/二枚に下ろされた身の半分の/行方を憶っている」のだ。二つに開かれてしまえば、もはや支えてくれる裏側はないことになる。そんな姿にこれまでの女の生き様が重なる。表も裏もこちらに見せてしまっているものは、もはや支え合わずに、逆向きにならんでいるだけなのだ。

   互いに背を向けた男と女の間には
   海の小骨が無数に埋まっている
   (懸命にヒレを動かしても
    扁平の身の無防備に傾いて
    ねむる形見の幼魚たち)

 作品は「遠く 片側が翳る/顔の見えない男の家の食卓で」と終わる。
 ここには、眼前の魚の切り身から繋がる象徴的なものへの広がりがある。表面に見えているものばかりの薄ら寒い様子が、巧みにとらえられている。
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