少し以前の詩集をいただいた。86頁に、著者が18歳の時からの8年間に書いた21編を収めたとのこと。
軽やかな言葉遣いで描いているのだが、単に物事を見ているのではなくその奥に孕まれているものを捉えようとしている。たとえば、魚が話者となっている作品がいくつかある。魚となって、その生のあり方をとらえ直している。人とは異なるものの生は、どこが人と異なっているのか、あるいはどこが生そのものとして共通しているのかをとおして、あらためて人の生とは何かを考えている。
「みずくらげ」では、水のなかのゆびさきがとけだしていき「一体 どこからどこまでが/私のものであったのか」がわからなくなる。
ふいに
自分のあしと海の境界を
知ろうとして
私のからだの皮膚を
いちまいいちまい剥がしていくと
そこには 海だけが残るという
そんな生にあって
みずくらげの半透明で固定した形を持たない形態が、その生の在り方をも象徴しているように巧みに重ね合わされている。
やがてその思念は人形や紙飛行機、椅子、ガラス瓶など、生を持たないものの在り方にまで広がっていく。
この詩集の発行から2年あまりがたち、作者の作品はどのように変わってきているのだろうか。
軽やかな言葉遣いで描いているのだが、単に物事を見ているのではなくその奥に孕まれているものを捉えようとしている。たとえば、魚が話者となっている作品がいくつかある。魚となって、その生のあり方をとらえ直している。人とは異なるものの生は、どこが人と異なっているのか、あるいはどこが生そのものとして共通しているのかをとおして、あらためて人の生とは何かを考えている。
「みずくらげ」では、水のなかのゆびさきがとけだしていき「一体 どこからどこまでが/私のものであったのか」がわからなくなる。
ふいに
自分のあしと海の境界を
知ろうとして
私のからだの皮膚を
いちまいいちまい剥がしていくと
そこには 海だけが残るという
そんな生にあって
みずくらげの半透明で固定した形を持たない形態が、その生の在り方をも象徴しているように巧みに重ね合わされている。
やがてその思念は人形や紙飛行機、椅子、ガラス瓶など、生を持たないものの在り方にまで広がっていく。
この詩集の発行から2年あまりがたち、作者の作品はどのように変わってきているのだろうか。