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詩集「水の声」 樋口武二 (2021/05) 書肆山住

2021-06-12 21:29:51 | 詩集
精力的に作品を発表している作者の第16詩集。2013年以後は毎年1~2冊の詩集を出している。115頁に40編を収める。

どこか現実からは少し浮かび上がったような、ふわふわとした感触の物語世界が次々に展開される。それは万華鏡のように見えるものを変換していく。
「私を呼んでいた」は、裏山につづく小道で私を呼ぶ声を聞く話。私は「これは、ずいぶん昔に見失ってしまった私の苦い過去、からの声であるのかもしれない」と思う。声に誘われて森に入ると、樹の根元で本を読んでいる人に会う。

    もういまとなっては、間に合わないよね、と、その人は本を閉じて、
   立ち上がった 過ぎてしまった時間は厚い壁になっていたから、いまの
   私ではそれを越えることは出来ないのか もう、夢ですらないのか、と、
   その場に立ち尽くす私に向かって、その人は微笑み、手招きをしている
   時間の壁を跳び越えろ、と云うことなのか

 記憶の中にしまわれていたものがもう一度私に戻ってこようとしている。しかし、私はその時間に戻ってしまってもいいのだろうかと逡巡している。最後は、背後から誰かが近づいてきて「もう夕方になるからね、と声がして、」。夢を見ているような思いが肉体を伴った感覚にまで迫ってきている。私は呼ばれてしまったのだ。

このように、作品には話者の内部から訪ねて来る人がいたりもする。それは作者が自分でも気づかないうちに自分の中に住まわせていた人なのかもしれない。
「迷っているだけのことだった」では、田舎のバス停から降りて直ぐのところを訪ねようとする話。しかし私は道に迷うのである。さんざん彷徨ったあげくにバス停の直ぐ近くの小屋から迎えに来た人に手を引かれる。果たして話者はどこに連れて行かれるのだろうか。

   あきらかにこれは夢の中のことだろうが、しだいに不安がわいてくる 
   もうそろそろ覚醒していい頃合いだが、やはり、不安という藪の中を
   歩いていることに変わりはないのだ

夢の中で、これは夢だと自覚していることは実際にある。しかし、それにもかかわらず、そのままこちらへ戻ってこれなかったら、私はどこへ行ってしまうのだろうか。

作者は、発行している個人誌「spirit」の編集後記のようなところで、「この世界は比喩に満ちていますが、これこそが、と思えるものに辿り付くまで書き続けていくしか術がありません。」と書いている。これからも異世界の構築は続くのだろう。
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