挟み込まれていた挨拶文で、著者は「昭和時代の後期に登場した携帯型音楽プレーヤーの普及により、音楽は街から自然に流れてくるもの、大衆が容易に共有出来るものではなくなり、個人の内面を別個に占める閉塞したものに変容しました」と述べている。これには多いにうなずけるところがあった。
そんな著者が昭和期に流行った歌謡曲20曲を選び、その原詞と、その曲にまつわる”雑文”を載せている。また、1曲についててはカヴァー詞を作り、これまでの著者の作品の中から”昭和をめぐるオリジナル詩”を8編載せている。
取り上げられている歌謡曲は、昭和42年の「恋のフーガ」から始まり、昭和61年の「六本木心中」まで。著者は「ザ・ピーナッツの現役時代をほとんど知らない」年代のようだが、私(瀬崎)はこの双子デュオの全盛期を白黒テレビとともに育っただけに懐かしさもひとしおである。それに続く歌もすべて同時代のものとして聴いてきた。
それぞれの歌の”雑文”では、その歌の背景も説明されている。また歌詞にあらわれる言葉を分析して、その時代性に迫っている。その分析、解釈はとても面白いものだった。
昭和歌謡では、個人的には庄野真代が歌った「飛んでイスタンブール」の摩訶不思議な語呂合わせも忘れがたいものだった。それに、中島みゆきや谷村新司の歌も取りあげて欲しかったところだが、彼女や彼の歌は著者の考える”歌謡曲”の範疇には入らなかったのかもしれない。
そんな著者が昭和期に流行った歌謡曲20曲を選び、その原詞と、その曲にまつわる”雑文”を載せている。また、1曲についててはカヴァー詞を作り、これまでの著者の作品の中から”昭和をめぐるオリジナル詩”を8編載せている。
取り上げられている歌謡曲は、昭和42年の「恋のフーガ」から始まり、昭和61年の「六本木心中」まで。著者は「ザ・ピーナッツの現役時代をほとんど知らない」年代のようだが、私(瀬崎)はこの双子デュオの全盛期を白黒テレビとともに育っただけに懐かしさもひとしおである。それに続く歌もすべて同時代のものとして聴いてきた。
それぞれの歌の”雑文”では、その歌の背景も説明されている。また歌詞にあらわれる言葉を分析して、その時代性に迫っている。その分析、解釈はとても面白いものだった。
昭和歌謡では、個人的には庄野真代が歌った「飛んでイスタンブール」の摩訶不思議な語呂合わせも忘れがたいものだった。それに、中島みゆきや谷村新司の歌も取りあげて欲しかったところだが、彼女や彼の歌は著者の考える”歌謡曲”の範疇には入らなかったのかもしれない。
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