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詩集「半球形」 橋場仁奈 (2019/04) 荊冠舎

2019-05-25 00:38:47 | 詩集
 橋場の作品は独特の臨場感を抱えている。始まりに置かれた言葉が執拗に反復され、それにともなってその言葉の周りにあるものを巻き込んで世界が混沌としていく。

 「遠心力」は、「ふりまわす/ふりまわすぶんぶんふりまわす」と始まる。6歳のゆうりがにんぎょうをふりまわしているのだ。ゆうりはただ遊んでいるだけなのだろうが、せんぷうきのようにふりまわされたにんぎょうのスカートはめくれ、みつあみのかみはほどけ、いとはほどけていく。ついには、くびはふらふらとちぎれそうになり、「めがまわるめがまわる」のだ。

   いやだいやだほんとうはもうなにもみえんのしろくなってうずまいて
   またたくまにゆかになげられてのびている、うずになってしろく
   なってしろいやみの、やみからやみをまわしてまわされて
   ぶんなげられるまたひろわれてまわされてうずになりうずまきに
   なってぶんなげられる、(略)

 にんぎょうはいつしか話者と一体化している。無辜の者に話者は嵐のように蹂躙されている。積みかさなっていくリズムもあり、語りによって読ませる作品でもある。

「流れる」は、川が流れ、そこを流れていくものが詩われる。

   雪解け水で水かさを増し飛沫をあげて
   流れる流れる流される父の死んだ4月が流される
   アル中で手が震える父が流れそれを嘆きつつ10月の母も流れれば
   兄たちと捨てにいった子猫も流れる流れる流されて
   何匹も何匹も流れてまだ眼もあかぬ子猫が流れていくよ

繰り返される動詞が執拗に事象を追ってゆく。繰り返される内に事象が次第に歪んだものに変わっていく。そして執拗に見られて描写されたものが、見られたことによって変化していく。ここでは、書く者と書かれるものとの間に互いに影響し合って変化していくという関係性が生じている。それが両者にとってのどこへ向かうのだという恐怖とも期待ともつかない迫力になっている。この作品の最終部分は、兄も姉も父も母も「浮いたり沈んだり沈んで浮いて/渦を巻き渦の中心でときどき舌をだし/薄目をあけて」。すごい。

 「鍋の穴」については詩誌発表時に感想を書いている。これも痛快な面白さのある作品だった。
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